船を修理するまでの間、ルーク達は軍港でしばし過ごす事になった。
その間にルークの体調の事が分かった。音素構造を書き換えた形跡があるが、それが何なのかは巧妙に隠されているというのだ。
ルークにはいまいち細かい事は理解できないが……つまり、今は打つ手がないという事は解った。
、本人以上にティアが狼狽えたので、かえってルークは落ち着いてしまって、
「どっかヘンだったら、すぐに言うからさ。そばにいてくれよ」
と柔らかく笑い言う。
ふと、アニスとガイの面白がるような、からかうような顔に気が付いた。
何故、そんな顔をされるのか理由がわからず、しばし首を傾げるルーク。
そして、そういう聞き方をすれば先程のティアへのセリフが“口説き文句”に聞こえなくもない……という事に、そういう事に疎いルークも気が付いた。
「そ、そういう意味じゃねぇ!」
慌てて首をふるルーク。
しかし、そんなルークを他所に、ティアは険しい顔で医師を質問攻めにしていて気にも留めていない。なんとなく、それはそれで悲しい気持ちになってしまうルークだった。
そして、ルークが医師の診察を受けていると、気になっていた護衛の兵士達の消息が知れた。内3人が戦死し、残り9人は全員が負傷し、ここカイツールで治療を受けているとの事だった。
ルークは、死んでしまった兵士達の顔と名前も、怪我をしたという兵士たちの事も思い出せない。
ルークは「ちゃんと自己紹介もしなかったし……」などと言い訳してみたが、自己嫌悪を消す事が出来なかった。
イオンの話によると、当然彼らはルークを誘拐された責任を問われたそうだが、処遇はまだ決まっていないとの事だった。
「でも、彼らがルーク救出を先頭に立って尽力してくれたのは、伯爵もちゃんと理解してくれましたよ」
というイオンの微笑に、ひとまず殺される事はなさそうだと胸を撫で下ろした。
……したのだが、今すぐ自分自身で掛け合わなければならない気がして出て行こうとするルーク。しかし、ティアから
「お願いだから、今日は休んで……」
と、珍しいやや強い口調で懇願されてしまった。
こうまで言われたら、逆らえない。
だが、ちゃんと自分の事を尊重されているようで嫌な気はしなかった。
修理の間、各々自由行動になったわけだが、ティアは負傷者の治療の手伝い、イオンとアニスそしてジェイドは、軍港襲撃の件の書類作成の協力、ガイは船の修理の手伝い、コゲンタは武器の手入れなど結構忙しかった。
夕方になって、ルークが泊まる士官用寝室へ、アルマンダイン伯爵がルークに挨拶に来た。彼の方はルークを知っていたようだが、当然こちらは憶えていなかった。
「ルーク様は、お小さかったですからな。仕方ありません」
伯爵は何も気にしていないように頷き、優しく微笑む。
ルークは彼の微笑みに罪悪感を覚え、記憶障害の事を説明したい気もしたが、今は億劫だった……
ルークは軍服に身を包んだ伯爵を見て、父を思い出した。城へ登る時に似た服を着ていたのを憶えている。
顔を会わせれば小言を言われてばかりだったし、ろくな会話もしない日もあったが……
もう何年も会っていないような錯覚を覚えて、今は妙に会いたい気持ちになるから不思議だ。
と……
しばし、ルークの顔を見つめる伯爵。
「当然ですが、お疲れのようですね。私はこれで失礼します。むさ苦しい所ですが、今日はごゆっくりお休みください」
伯爵は気遣わしげに言うと退室していった。どうやら気持ちが顔に出ていたのだろう。
そして、日は暮れていった。
翌日、ようやく船は直り、その翌日には、航路の障害となっていた航行不能の船をどかす事が出来た。
一行は準備を整え、船の前に集まった。アルマンダイン伯爵と幾人かの軍港の士官が見送りに来ている。
「アルマンダイン伯爵。本当に、お世話になりました」
イオンが代表して、礼を述べた。非常時という事もあり、挨拶も簡単だった。
「お気をつけて」
伯爵も敬礼のみに留めている。
こうして、一行は次々と船に乗り込んで行く。最後にコゲンタが乗り込んだ時だった。
「あっ、あそこ見てくださいっ!」
アニスが船から少し離れた埠頭を指さした。そこには、1,2,3、……9人の男たちが並んでいた。
身なりは整えているが、腕に添え木を当てた者や松葉杖を突いた者、顔を包帯でぐるぐる巻きにしている者もいる。
「皆様のご武運と和平成立を祈り、敬礼!」
包帯男が、ここまで聞こえる声で号令をかけた。あれが部隊を率いていた軍曹だったのだ。
全員が一斉に一行に敬礼した。
ティア、ジェイド、アニス、ガイが敬礼し、イオンは胸に手を置いて頭を垂れ、コゲンタは右拳を大きく上げて答えた。
ルークは船の縁に飛びつくと、腕を大きく振り叫んだ。
「早く良くなれよぉ! そしたら俺と剣で勝負だぁっ!!」
ルーク自身ももっと他にあるだろうと思ったが、口から出たのはそれだった。
そして、連絡船キャツベルトは、経由地であるケセドニアへと出発した。
カイツールを出発して半日が過ぎた頃、連絡船 キャツベルトの船室で、ルークはいつもの頭痛に襲われ、苦しんでいた。
最近、あまりにも目まぐるしく忘れていたためか、いつもより痛みが激しく感じる。
「くっ……そっ! またかよっ……!」
備え付けのベッドから起き上がろうとした時だった。
『目覚めよ……、わが声に……』
またあの声だ。これで、慣れないベットで寝違えただけ……というわけでは絶対にないらしい事ははっきりした。
その瞬間、より激しい頭痛に、またベットに突っ伏した。頭をシーツに押し付け、痛みをやり過ごす。
部屋の時計を見ると、夜中といってよい時間だった。
しばらくして、ようやく痛みが引いたルークは、外の風に当たろうと船室を出た。船内の狭い通路を抜け、重い鉄扉を開け、月明りが降り注ぐ船尾デッキへとやってきた。船内より明るく感じた。ここまで来ただけで疲れた気分になっているのにルークは情けない気分だった。
ルークはデッキの手すりに控えめに寄りかかる女性の姿を見つけた。彼女は海の向こうを見つめている。
丁寧に編まれた夜の闇の内でも輝く様な胡桃色の長い髪に、簡素な白いローブ、ティアに違いない。
ルークは何故か、他の誰かと彼女を見間違えたりする事はない奇妙な自信があった。我ながら「キモイ……」自信だとも思ったが……。
「ょっ……よぉ、ティア」
自分へのキモさをなんとか脇へ置いて、ティアに声をかけるルーク。先ほどの発作で気が弱っているのか、今どんな他愛もない事でも彼女と話をしたかった。
胡桃色の髪をゆらし振り向くティアは、思った通り優しく微笑んでくれる。
「こんな所でどうしたんだ? もしかして、気分ワリいのか!?」
「いいえ、わたしはちょっと考え事を……。ルークの方こそ、なんだか少し顔色が悪いわ。音素異常の影響? それとも、いつもの発作があったの……?」
ティアはルークの額に気遣わしげに手を伸ばしてルークに歩み寄ったが、ルークはそれを少し飛び退き、
「いや、違うよ! えーと……これは、ほら世に言う“フナヨイ”って奴さっ。ほら、オレってデカい船初めてだからさっ! ハハハ……」
と制した。
何故か、彼女の優しさを“つっかえして”しまった事に「しまったっ!」と思ったのも後の祭りである。
「オレの事よか……ほら、考え事って? やっぱ、和平の事か?」
ルークは、取り繕うように明るい笑顔で問い返す。引きつった笑顔になってしまったが……
「そうね。それも気がかりだわ。やっぱり……」
煮え切らない彼女の言い方にルークは首を捻る。
彼女は海原に視線を戻す。そして、しばしの沈黙……
これは当然、本当に海を見ているわけでは無い事は流石のルークにもわかる。
ティアは、何か大切な事を伝えようと、慎重に言葉を選んでくれているのだ。
何も考えず思った事を口にして、エンゲーブの一件のように余計なイザコザを起こしてしまう自分も「見習わねぇとなぁ……」と思うルーク。
しかし同時に、どこか他人行儀な感じがして寂しさを覚えてしまう。
もっとも、彼女とルークは正真正銘の赤の他人なのだが……
などと、ルークが一人で勝手に落ち込んでいると、ティアはひとつ小さく頷くと
「ルークの冒険も、もうすぐ終わりね。辛い事や危ない事ばかりで、嫌いに……怖くなっちゃった? 外の世界の事」
船に縁に添えた手に目を落としながら、彼女はルークに静かに語り始めた。
しかし、今までの話と関係ない話だったため、またしてもルークは首を捻るはめになったが……
「う、うぅん……。怖えぇって思ったのは確かだけど、キライにはなってねえよ。楽しいコトや面白れぇコトだってあったしな!」
からかわれているわけではないのは流石に分かるので、正直に答えるルーク。
「剣術と同じだよ。一つのコトばかり気にしてたら、全体がダメになるって話したろ? 師匠に教えてもらったからオレは平気だ。イヤなコトばかり気にしてビビるなんて損だろ? オレは良いコトの方を気にする。そうしたいんだ。今は……」
最後に「なんてな!」を付け足して、気恥じずかしさを紛らわせるルーク。先ほどまでの「弱気」も気にしない事にしよう。
ティアは少し考える顔をしたが
「……そうね」
と柔らかく微笑み、頷く。
「ちゃんと『今』を大切にいなくちゃ駄目よね……。いくら大切な過去でも、いくら不安だらけの未来でも。いま楽しい事や笑った事は消せないもの。だって、それは『今』とは違う時間なんだものね」
ティアは、目を閉じて言葉を、あるいは感情を噛み締めるように言った。
「ルークはすごいわ。色んな物事の真理……本当に大切な事を教えてもらってばかりね」
「そ、そうかぁ。思い付いたコト、なんも考えずにテキトーに言ってるだけだぜ。ははは」
ティアの誉め言葉に、居心地が悪くなったルークはおどけて誤魔化した。
ティアの真面目さには好感を持てるのだが、真面目すぎて冗談や誤魔化しを素直に受け取りすぎる。流石のルークもこの世の中で通用するのかと心配だった。
「だから、すごいのよ。その答えを自然に導き出せるんだから。しようと思ってできる事じゃないわ」
これだ。大袈裟すぎる。
「誉め過ぎだって。すぐ調子に乗るんだぜ、オレ」
ルークは髪を掻いて、わざとらしく顔をしかめて見せた。
ティアはルークの言葉に答える代わりに微笑むと、静かに瞳を閉じた。
ルークは、今までの思い出を振り返っているのだろうか。何か祈りを捧げているようにも見えて、声をかけなかった。ティアは少しの間そうしていた。
「ルーク……、あなたと旅ができて本当に良かったわ。確かに大変だったけど、確かに……大切な時間だったわ。ありがとう……」
「お、おぅ。……って、それじゃあお別れのアイサツみてーじゃん。ティアは師匠の代わりなんだから、これからも……」
ルークは思いもしない感謝の言葉に戸惑う。そして、彼はその言葉に胸騒ぎを覚えてその胸騒ぎを打ち消そうと早口でまくし立てたが、ある事に思い至り、だんだん尻つぼみとなって……、
「ん? いや、まてよ。イオンも見つかったんだし、戦争を止めさせたら、師匠はいつも通り屋敷に来て、修行もつけてくれるんだよな。やっぱりバチカルに帰ったら、もうティアと会えなくなるのか?」
と呟いた。自分でも辛気臭い声になっていると分かった。
ティアとの別れ……。当然、いつかは別れる時がくるのは分かっていた。だが、勝手にもっともっと先の話だと思っていた。
ティアは(今回の件で責任を感じて、辞める気でいるようだが……)ダアトの騎士で、ルークは公爵子息だ。(今は何もしていないし、今後、なにが出来るか分からないが、いずれは従姉のように国中を飛び回るようになるのだろうか?)
それぞれの場所で、それぞれの役目がある。当り前だがずっと一緒にはいられない。本来なら、出会う事もなかったかもしれないのだ。
「いや、待てよ!」
師から『一本』を取るほどの気迫で思考を高速回転させたルークにひとつの『名案』が閃き、叫んだ。
「譜術だ! オレには譜歌は似合わねぇから、ティアに譜術の基本を教えてもらえるように、父上に頼んでみよう! そんで師匠には、さらにスゲー譜術を習うと……。カンペキだろ!!」
「そうできたら良いな。きっと楽しいもの。ルークとなら……」
「お、おう。……だろ? アハハハ」
「ごめんなさい……先に部屋に戻らせてもらうわね。波ばかり見てたからかしら? わたしも船酔いしちゃったみたい」
「あ、ああ、うん。それがイイよ。うんうん」
ルークは、気の利いた台詞が一つも浮かんでこない自分の頭脳に怒りを覚えながらも、ティアを心配して、彼女を見送った。
しばらく、ティアの真似をするように手すりを身体に預けて波を眺めるルーク。
その時だった。彼を激しい頭痛が再び襲った。思わずその場に膝を突く。身体に力が入らない。
しかし、ルークの身体が意思に反して緩慢に動き出した。一体どうした事か?
(身体……が……勝手に!?)
まるで操り人形になった気分だ。自分の身体が訳の分からない状態にルークは焦り、恐怖した。助けを呼ぼうと声を上げようとしたが、呻く事すらできない。
そして、ルークの身体は彼の意思に反して、あたかも空を撃とうとでもするように両手を高く掲げる。
その時である。ルークの内側から『力』湧き上がるのを感じた。剣術の『技』を繰り出す時の感覚に似ている。しかし、『密度』は桁違い、いや、格が違う。
その『力』が、身体の中を荒れ狂うのを感じながら、子供のように恐怖する事しかできないルーク。
『我と同じ力、見せよ……!』
またしても幻聴……いや、これは幻聴ではない。何者かが自分の精神に直接語り掛けているとルークは感じた。そして、その何者かが自分を操っているのだ。
確信は持てない……。しかし、今はそうとしか考えられなかった。
ルークは出せない声で必死に助けを求める。
(い、イヤだ! た、たすけ……っ! ティア! 師匠!)
ルークは混乱する思考で思い浮かべたのは、両親でも、親友でもなく、出会って間もない少女と週に一度しか会えない剣の師だった。
「ルーク!」
その時、待ち望んだ頼もしい声がルークの耳に届いた。
そして、冷汗で凍えた両肩に力強い暖かさを感じるルーク。
この暖かさはよく知っている、剣の師 ヴァン・グランツの大きな手に違いなかった。
「ルーク、落ち着け! 落ち着いて深呼吸をしろ。落ち着いて……深呼吸だ……」
ヴァンはルークの耳元で優しく語り掛けながら、背中から抱きすくめるように彼の肩から手首へと掌を移す。
先程までの不安が薄れていくのと同時に、ルークは体の感覚と自由が戻っていくのを感じる。ヴァンが「そばにいてくれる……」そう思うだけで安心する。
「そうだ、そのまま、ゆっくりと意識を両手の先へ……。私の声に耳を傾けろ。力を抜いて……。そのまま……そのまま……」
ヴァンの導きに従い全神経を両手の先に集中させつつ力を抜くルーク。
そして、ヴァンがまたしても何事かをルークの耳元で囁く。
その瞬間、まるで眠りに落ちる感覚と共にルークは膝から崩れ落ちた。
しかし、寸手の所でルークの身体をヴァンが支えてくれ痛い思いをせずに済んだ。
「ルーク、大丈夫か?」
「師匠……オレ、一体……?」
「おそらく、超振動が発動したのだろう。だが心配ない、今度はちゃんと抑える事が出来た」
力無く座り込むルークの肩を、優しくさする様に抱きヴァンは微笑む。
師の力強い存在感に、少しだけ平静を取り戻したルーク。そして、師の話の中の聞き覚えのある単語に気が付いた。
「ちょう……? あ、超振動! たしか屋敷からタタル渓谷に飛ばされたのは、それのせいだって、ティアが……」
「そうだ。だが、あの時は不安定な物だったが……だから、あの程度で済んだのだが……」
ヴァンの硬い表情と声に、改めて自分とティアが“幸運であった”という事を思い知らされルークは息を呑む。
そして、その言葉が切っ掛けとなって次々とティアがしてくれた説明を思い出す。
「師匠、オレどうなっちまうんだ?! あれ?、でも、超振動って、第七音素術士が二人で起こすモンだって……」
「ふむ、ティアから聞いたのか? その通りだ。ある“例外”を除いてはだが……」
頷きつつ続けるヴァン。
含みの有る師の言い回しに焦れ、ルークは先を促す。
「例外? それっていうのは、つまり……」
「そうだ、ルーク。お前が、その“例外”なのだ。お前は、この世界でただ一人、超振動を単独で発動させる事のできる特別な存在なのだ。これを『完全同位体』という。ルーク、お前は我々が奉る神……『ローレライ』と同じ固有振動数を持つ者。言うなれば、“神に選ばれし者”なのだ」
「……神? ローレ……? えっ、オレが……ですかっ?」
突拍子もない師の言葉に、少しの間ルークはぽかんと口を開けていた事に気が付き、慌てて聞き返す。
「ルーク。お前はマルクトに誘拐されたとはいえ、7年もの間、軟禁されていた事に疑問を感じた事はないか?」
ヴァンは海に目を向けながら、ルークの質問とも言えない質問に質問で返した。
「それは、父上、母上が心配して……」
ルークは今まで漠然とそう思っていた事を素直に答える。
弟子の答えに、瞑目し首を横に振りつつ続けるヴァン。
「無論。シュザンヌ様はそうであろう。しかし、クリムゾン侯爵とインゴベルト陛下は、それだけではない。この世界で唯一、単独で『超振動』を起こせるお前を王国で独占……そう、飼い殺しにするためだ」
「飼いごろっ……?!」
不愉快な言葉に瞠目し言葉を失うルークを、真っ直ぐに見据えヴァンは更に続けた。
「『超振動』自体は確かに特殊な力だが、あくまでも第七音素譜術だ。ルークなら訓練さえすれば、自在に扱う事ができる。完全な『超振動』相手では、私など足元にも及ばないだろう」
「そんな事あるわけ……」
自分がヴァンに勝つ事など全く想像もつかないし、よく分からない不穏な言葉の数々の不快感に打ち消すついでに、苦笑し師の言葉を否定しようとするルーク。
しかし、その言葉は師の真剣な眼差しと軽く掲げられた右手に制されてしまう。
そして、師は言葉を続ける。
「ともかく、それは大変な事だ。戦争ともなれば、お前一人がいるだけで有利になる。だから、マルクトもお前を欲した。公爵様やインゴベルト陛下もその事を十分理解している。だから警備……いや、“保管”も厳重になる」
師があえて言い直した物を扱うような言葉に、ルークの不快感が倍増され口調を荒げた。
「そんなっ! じゃ……じゃあ、オレは兵器として閉じ込められて!? まさか、一生このまま!?」
「ナタリア様と婚約しているのだから、軟禁場所がが城に変わるだけだろう。体よく未来の国王としてな」
「そんなのゴメンだ! 確かに外は面倒が多いけど、ずっと家に閉じ込められて、戦争になったら、働けなんてっ……!」
またしても不快感を倍増させる師の言い回しに、ルークの口調が無意識に更に強く荒くなる。
「そうだろう、そうだろうとも。だから、私がそんな事はさせない。全力で……絶対にだ……!」
ヴァンがルークの肩に手を置いた。無意識にすがり付きたくなる大きな手だった。
「ルーク。まずは戦争を回避するのだ。そしてその功を内外に知らしめる。そうすれば平和を守った英雄として、お前の地位は確立される。少なくとも、理不尽な軟禁からは解放されよう」
ヴァンは力強く笑ってみせた。
「……そうかな。師匠、本当にそうなるかな」
ルークは、不安を口にする。それを見たヴァンは、
「大丈夫だ。自信を持て。おまえは選ばれたのだ。超振動という力がおまえを英雄にしてくれる」
と、またルークの肩に置いて、ポンとその肩を叩いた。
「英雄……。オレが英雄……」
ルークはうわ言のように、少しの間その言葉を繰り返した。
ヴァンがまた何か言おうと口を開きかけた、その時だった。
「ルークっ! お兄様っ!」
二人の背後で女性の鋭い声がした。よく知った声、ティアの声だ。
ティアが慌てた様子で走って来る。また心配をかけてしまったらしい……
「ティア……」
けれども、何故だか嬉しくなり破顔するルーク。
「ルーク大丈夫なの!? いったい何があったの!? とても強い第七音素の動きを感じたわ!」
「いや、オレにもよく分かんねぇんだけど……」
彼女の珍しい興奮し切迫した声に戸惑う事しかできないルーク。
よほど全力で走って来てくれたのだろう……肩で息をして、顔が薄闇でも分かるほどに紅潮してしまっている。
「大丈夫……? だと思う……。いや、たぶん大丈夫!」
ルークは曖昧で無責任な回答に、我ながら呆れる。
しかし、そもそも譜術関連の説明を、譜術士であるティアに自分が、「できるわけがねえ」とも考え、さらに情けなくなった。
「落ち着きなさい、ティア。それは私から説明しよう。ルークは知らないのだ。自分の“才能”について何も聞かされていないのだからな」
ヴァンの言葉に、ティアは首を傾げ。
「ルークの才能ですか? 確かにルークには第七譜術の素養はあります。でも、今のはとても一人の術士が出せる力ではありませんでした」
ヴァンの言葉に、首を傾げるティア。彼の持って回った言い方が気に入らなかったのか、やや噛みつくような強い口調だ。
心配してくれるのは本当にありがたいが、普段の彼女には考えられない言い方に驚かされるルーク。
二人が喧嘩を始めいないかとハラハラししながら、柄にもなく神に祈ってしまう。
「だから落ち着きなさい。私が説明したいのはそこだ。しかし、お前は昔から変わらないな。普段は心配になるくらいおとなしいのに、自分以外の心配事となると、これだ」
「えっ……?」
ヴァンは懐かしむように妹の怒る顔を見つめ顎を撫でる。
突然変えられた話題に、ティアは顔に戸惑いの色を浮かべて、怒りの色を消えた。
果たしてルークの祈りを叶えたのは、師であるヴァン・グランツだった。やはり頼りになるのは師匠だ。
「そんな事はないかと……」
「そんな事はあるさ。小さな頃からな」
ヴァンは微笑んでいた顔を一瞬で硬くして、続ける。
「カンタビレの下に置いて、少しは矯正されたかと思えば……。戦いの場に身を置く以上、為にはならんぞ。ある程度は割り切れるようになりなさい」
騎士の先輩としてのどこか冷酷な忠告だった。ルークには自分がよく知る師の顔とは違って見える。しかし、これも師……神託の盾騎士団 主席総長 ヴァン・グランツの顔の一つなのだ。
ルークはその顔に師への憧れを強くさせた。
「と言ってもだ。治癒術士としては、重要な要素ではある。それに何より、兄としては妹の優しさを喜ぶべきなのだろうな」
と、優しく微笑むヴァン。そして、ゆっくり首を振る。
「いかん、話が逸れてしまったな……。今はルークの話だ。良い機会だ。ティアにも同じ第七音素譜術士として、何よりルークの友人として、ルークの特別な力について知っておいてもらおう」
そして、ヴァンはルークの『超振動』について、ルークの誘拐そして記憶喪失、それを原因とする軟禁について説明した。
ティアはルークの記憶喪失については知っていた様だが、その原因までは知らなかったらしい。
「超振動を一人で……!? そのために誘拐されて、それで記憶障害になって、ずっとお屋敷に閉じ込められていたなんて……。そんなのひど過ぎる……」
ティアは口元を押えて呻くように呟く。
「全くだ。お前の言う通りだ」
ヴァンは眉間にしわを作り頷くが
「しかし、逆にキムラスカにさえ到着すれば、安全は保障されるという事でもある。ルークはキムラスカにとって、もっとも大切な存在だと言う事なのだからな。形の上だけとはいえ、次の国王が、強力な譜術士なのだからな。これ以上ない切り札だろう? 」
と、冷静な表情で続けた。
ヴァンの念押しに、ティアの顔から表情が消える。それは戸惑いを残しながらも、戦いを前にした騎士の顔だ。
二人が難しい話をしている横でルークは、いつだったかガイが言った「女性は感情を優先させる生き物だ。良くも悪くも……」という言葉を思い出していた。あのティアがあそこまで怒るほど自分が置かれている状況は悪い物だったのだろうか?(自分の事をちゃんと尊重してくれているようで、うれしいと言えばうれしいが)
物心ついた時から、それがルークにとっての日常であったため、よく分からなかった。退屈で窮屈であったのは確かだが……。
ルークがそんな事を考えている時、ティアは形の良い眉を下げて、
「それはそうですけど……」
理屈は分かるが納得できないという表情だ。
「しかし、私に考えがある。可愛い弟子をみすみす苦難にさらす気はない。だから、ティアも、ルークも安心しなさい。」
ヴァンは力強く微笑んだ。
「はい、師匠っ!」
「は、はい……」
師の頼もしい言葉が嬉しくて元気よく返事をするルーク。そして、そんなルークとは対照的に、ティアはどこか不安を隠しきれないようだ。
「明朝には、ケセドニアに着くだろう。二人とも、もう休みなさい」
ヴァンは促すように、ティアの肩に手を置いた。彼女の不安げな表情を見ると、
「……元気を出せ、ティア。お前が暗い顔をしていたら、ルークも不安になる」
神託の盾でも、ルークの師でもない、ティアの兄の顔になって言った。
それを見ていたルークには、兄弟という物が羨まし感じた。
こうして、船は中継地であるケセドニアへと向かっていった。
更新が遅くなり申し訳ありませんでした。
それにしても、移動➡会話➡場面転換➡移動➡会話➡場面転換という流ればかり続いてしまいました。反省しなくてはいけませんね。
さて、今回は原作において、ティアの「記憶障害を軽く考えていた……」に当たる場面でしたが、登場人物というより脚本家が、「私はダレ? ここはドコ?」とか「同じ衝撃を与えれば(同じ経験をすれば)何もかも思い出す」というような漫画やドラマだけの記憶喪失の知識しか無いのではないかと頭を抱えた場面でした。(笑)
記憶喪失という物は、簡単に言うと、
ショックな出来事から精神を守るための脳の防御反応としての記憶喪失(心因性またはストレス性)
そして、
怪我や病気ににより脳機能が損傷してなる記憶喪失(外因性)
の二つに分けられます。言うまでもなく、この二つは全くの別物です。
前者は、記憶を簡単に見られないように鍵かけた箱にしまうような事で、後者は、記憶を物理的に壊して元の形が分からなくなってしまう事とでもいえば良いのでしょうか?
鈍器(メイス、戦斧、大剣)が武器の主力一角を占めている世界観の医療関係者(治癒術士)が、それでは違和感があります。(頭部を負傷する者も多いはず)
というわけでこういう形になりました。拙作のティアはこの知識を持っているので、ルークの子供っぽい言動に腹を立てないというわけです。
記憶喪失についてお詳しい方がいれば、今後に活かせることもあると思いますのでご意見を頂ければ幸いです。
追記・・・超振動が起きたのに、第七音素術士のティアが気が付かないというのもおかしいので、こういう形になりました。そして、目撃者がいないというのは不自然なので、時間設定を夜中にしました。それでも、見張り員くらい、いてもおかしくないのですが……。