いろはヒロイン物語集   作:たらたら喫茶

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いろは感情欲求プログラム

 人の感情で一般的なものとして『喜・怒・哀・楽・愛・憎』、大まかに区別すればこれらに分類される。さらに別枠で、自身の心の満足感を表す『欲』も当てはめれば全ての人間が持っている基盤となる感情プログラムの完成だ。大元の設定さえ出来てしまえば、あとは外側から受ける刺激や影響を自身のプログラムにインストールして、その時々の状況に応じて感情ファイルの引き出しを開いてるはずだ。もし、自分の感情がゴチャゴチャになるようなら、より解り易いように感情プログラムの設定を組み替えることを是非ともお勧めするまである。

 

 また、感情は表情やしぐさによって現れる非言語コミュニケーションの一種でもある。それらは時に、千の言葉以上に豊かではっきりした表現方法とも成り得る。だがしかし、人の感情はとても複雑で面倒な構造をしている。何かしらのサインで相手の感情をそれとなく読み取れても、相手が何に対して怒っているのかその原因が分からない。どう対処すれば正解なのかわからないため動きようがない。何の考えも無しに無責任な発言や行動を起こして相手を困らせてしまうのは本末転倒でしかないと思う。

 やっぱり人の感情を読み取り、理解することはとても難しく誰もが苦労しているに違いない。

 

 

 とまあ、我ながらグダグダと感情云々について述べてみたわけだが結局のところ何が言いたいかというと―――、

 

「……………」ジトー

 

 ――さっきからめっちゃ睨んでくるあざとい後輩が何でご機嫌斜めなのか俺には分からん。

 ほんと、どうすりゃいいの? 残念なことに一色対処法のマニュアルなんて持ってないんだが……。

 

 

 

 

 

 

 

「一色のことが好きです。俺と付き合ってください!」

 

 昼休みの校舎裏、周りの人気が少ないこの場所で私はたった今、告白をされた。私が密かに想いを寄せている捻くれた先輩から………、ではなく全く興味の無い勘違いイケメンからなんだけど。正直どうでもいいので名前すら覚えようとも思わない。それと万一のため、いつでも逃げられるように相手から3~4mくらい距離を離した位置を保っている、ついでに携帯の着信音量最大ですぐに鳴らせるようポケットに手を入れてる。私可愛いですから襲われる可能性だってゼロじゃありません。

 モテるってことはそれだけ言い寄られる回数が多いので、自己保身と防衛意識はしっかり持っておかないとですよ、用心するに越したことはありませんから。まあそんなの関係無しに、自分のパーソナルスペースをどうでもいい赤の他人に土足で踏み込まれたくないってのもあるんですけどね。気持ち悪いし。

 

(これが先輩からの告白だったら、泣いて喜んでOKするんだけどなぁ……)

 

 心の中でハァとちょっぴり溜め息をつく。理想と現実は違う、こんなギャップ萌えなんていらないんですけど。私から先輩に告白するのもアリだけど、それだと先輩に負けた気がしてなんか癪ですし。どうせならやっぱり先輩に意識してもらって先輩から愛の告白をされてみたい、これが私の理想かな。

 先輩だったら私のパーソナルスペースにもっと踏み込んでもらいたいんだけど、いやむしろ普段私の方から先輩を引きずり込んでるような気がしなくもない。

 どうでもいいですけど、さっきから「先輩せんぱい」考えすぎて、先輩がゲシュタルト崩壊しかけてますね。

 

「……あの」

 

「え……? あっ、すみません……」

 

 そういえば私、告白されてたんでしたっけ。そんな最中に先輩の事ばかり考えていたなんて。……これはもうアレです、全部先輩が悪いんです。もう、先輩には責任取ってもらいますからね。

 

「えーっと、気持ちは嬉しいですけど(本当は全然嬉しくないけどね、名無しの誰かさん)ごめんなさい」

 

 

 

 

 スタスタスタ

 

「ふぅ……」

 

 とりあえず後で波風が立たないようテンプレ告白対応で難を逃れてきました。告白されたモテる女子高生のステータスは手に入った。以前までだったら「ふふーん♪」と優越感に浸っていたけど、最近ではなんか憂鬱です。相手を振った場合、中には告白相手の好きな人を野次馬根性丸出しで聞き出そうとするデリカシーの無い人もいたりするから正直うざい。

 自分が本当に好きな人をどうでもいい赤の他人に教える人なんて少ないはず。そもそも、簡単に他人に洩らせるようなら結局その程度ってことだし、私はそんな軽い気持ちで先輩を想っている訳じゃない。

 

 私は私自身が大好きだ。男子にモテることだって当然自信にも繋がるからいいこと、だけどこれまで築き上げてきた『一色いろは』が自分の足枷になっていると感じる時もある。その他大勢の男子からは言い寄られ告白までされるのに、想い人の先輩にはアプローチを仕掛けてもあざといと受け流される始末。でもまあ、なんだかんだで仕事手伝ってくれたりして助けてくれますし、私を可愛いと認識してそっぽ向いてドキドキしてるみたいだから効果はあるはず。先輩はゴチャゴチャと言い訳っぽく屁理屈を並べるけど、アレ絶対照れ隠しですよ。私のこと意識してて逆にキモいです、……意識してくれてますよね、うん。

 

(先輩、私は男子に人気なんですよ。モタモタしてると私が他の人に盗られますからね……、そんなの嫌だなぁ。うう~せんぱーい、私は欲求不満です、早く安心させてくださいよっ)

 

 どうせなら、さっきの告白現場を見せつけて、先輩にヤキモチ妬かせるぐらいすればよかったかも。ちょっと卑怯ですけど先輩にもっと意識してもらうためにはこれぐらいやらないとダメな気もする。

 それで、焚き付けられた先輩は――、

 

 

 

『大丈夫か、いろは!』

 

『せ、先輩どうしてここに?』

 

『悪い、お前が他の男に言い寄られるのがどうしても我慢ならなかったんだ』

 

『えっ、先輩それってもしかして……?』

 

『ああ、今まで素直になれなくて言えなかったがここではっきり言ってやる』

 

『は、はい……』

 

『お前のことが好きだ、いろは。……その、これから先も俺の隣にいてほしい。これから先もずっと、いろはと一緒に歩いて行きたい』

 

『……ぐすん』ポロポロ

 

『えっと、いろは……? やっぱり、嫌だったか?』

 

『ち、違います! 嬉しくて、先輩から告白してもらえたことが嬉しすぎて涙が止まらないんですよっ』

 

『お、おう。なんかすまん』

 

『くすっ……もう、待たせすぎですよ先輩。でも、ありがとうございます』

 

『それじゃあ……』

 

『はい、私も先輩のことが大好きです。これからも私の隣にいてくださいね////』ギュッ

 

『ああ、約束してやる』

 

『嫌だって言われても、絶対に先輩から離れてあげませんから。二人で幸せになりましょうね♪』

 

 

 

「……いいかも………はっ!?」

 

(ちょ、ちょっとなに妄想してるんですか私は!? 焚き付けるだけじゃなく、告白まで済ませちゃってますよ。しかもこれから先も隣にいてほしいとかもう完全に結婚のプロポーズじゃないですか。ま、待ってください先輩、私たち高校生ですし少し早い気がするんでまだもうちょっとだけ無理ですごめんなさい。そ、その身体は先輩のためにしっかり清いままでいてあげますので準備万端バッチコイなんですけど、結婚ともなると心の準備がですね、その、まだ出来てないのでもう少し時間が欲しいなぁと……。い、いやでも先輩がどうしてもって言うならしょうがないですけど、私もその、覚悟を決めてですね……市役所に婚姻届を出して籍を入れるぐらいは良いんじゃないかなと思ったりもしてですね。そ、そしたら私も『比企谷いろは』の名前に改めないといけないですよね、はい……)

 

 いつものお約束なやり取りまで脳内妄想先輩と、いやどうみても私一人でやってしまった。誰かが見ていたらきっと私は、一人であたふたとコロコロ表情を変えるちょっと変人な可愛い女の子に思われているでしょうね。決して情緒不安定な頭のおかしい女の子ではない、ですよね。

 

「私がこんなになってるのも、やっぱり先輩のせいです……」

 

 あれこれの心情の不安を先輩のせいにしてぼそっと愚痴みたいに吐露してみる。妄想でテンション上げたのは良いけど、時間が経てば今度は逆に落ち込みたくなる。

 

(こういうときはあれです、先輩成分を補給させるのが一番の薬ですね)

 

 そうと決まればすぐ行動しなきゃ。私はちょっと駆け足になって、お昼休みに先輩が気に入っているベストプレイスへと向かう。

 

 案の定、先輩はその場所にいました。

 だけど、そこにいたのは先輩だけではなく何故かめぐり先輩が一緒にいた。

 普段ならどうということなく絡みに行くんだけど、私自身めぐり先輩に少しだけ苦手意識を持っているのでなかなか足を踏み出せず躊躇してしまう。別にめぐり先輩のことが嫌いなわけではないんですけど。

 先輩たちからは気づかれない位置で私は隠れて様子を窺ってみる。もちろん、めぐり先輩がどっか行ったらすぐに先輩の元へ突撃できるようにです。

 

(うう~、なんで二人してちょっと良い雰囲気なんですかっ!)

 

 会話こそ聞こえないけど、めぐり先輩は左手を口元に添えながら嬉しそうに微笑んでるのが見て取れますし。先輩はその笑顔に対してなんだか恥ずかしそうに顔をプイッと逸らしたりする。

 二人の会話の流れがどういう方向に向かったのかは分かりません。分からないけど、そこで見てしまった光景に私は自分の目を疑いたくなった。

 

 

二人して立ち上がったと思ったら、唐突にめぐり先輩が―――、

 

―――先輩に抱きついた。

 

 

「なんで、どうして、まさか……」など色々な感情がミキサーにかけられたみたいにごっちゃになってしまい、結局お昼休み終了の予鈴が鳴るまで私はその場から動くことができずにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一言で言うと、拉致された。

 帰りのホームルームが終わるやいなや、ガラッと扉が開かれ一色がずかずかと上級生の教室に入ってきた。周りから向けられる好奇の視線やヒソヒソと呟く声などどうでもいいとばかりに、リア充グループにすら目を向けず真っ直ぐ俺の所にやって来て、「先輩、一緒に来てくださいっ」の一言。あざとく可愛い中に怒気を含んだ声で、クラス中のギャラリーが見ているのもお構いなしに一色は強引に俺を教室から連れ出し生徒会室へ連行してしまった。

 客観的に、どう見ても拉致だよな。

 

 生徒会室に入るなり、一色は扉を施錠する。俺を逃がさない意思表示だろうか、誰にも邪魔されたくないほど大切な用事でもあるのか、鍵を掛けるその音が室内に響いた。

 

「一色どうしたんだ……?」

 

「……………」ジトッ

 

 一色は何も答えず、視線を睨みつけるだけの無言の圧力である。正直意味が分からん。分かるのは、一色が不機嫌オーラを醸し出して絶賛激おこプンプン丸の状態だという事くらい。

 数秒、数分の時間。俺たちの間に流れるのは静寂ではなく沈黙。ようやく一色が口を開く。

 

「先輩、私は怒ってます」

 

「そ、そうか……」

 

 なぜそれをわざわざ口に出して言う? お前の機嫌が悪いのなんて見れば十分伝わるよ。俺が知りたいのは原因と対処法なんだけど、だからとりあえず、一色の取扱説明書を読ませてくれると助かる。

 

「私、今日の昼休みに男子に告白されました」

 

「………っ!」

 

 一呼吸置いて、不機嫌な態度はそのままに一色はあざとい上目遣いで、俺がどういう反応をするのか窺うようにじっとこちらを見つめる。俺は内心ビクッとし、どう返すべきか分からず言葉に詰まる。

 一色はどう返答したのだろう、もしかしたら彼氏彼女の関係になったことの報告なのか、相手はどこの誰なのか、数瞬で俺の頭の中に様々な思考がぐるぐると駆け巡る。

 

「……おまえは男子連中にモテるんだし別に珍しい事じゃないだろ。なんでそれを俺に報告すんだよ、ただの私モテる自慢なら他の奴にでも言いふらせばいいだろ」

 

 内心の動揺を悟られないように平静を装って返す。

 

「先輩はどう思いますか?」

 

「どう思うって、いやその……」

 

「可愛い後輩が告白されたのに、先輩はなんとも思わないんですかっ?」

 

「……そもそもおれがどうこう言う問題じゃねえだろ」

 

「まあ先輩は異性に言い寄られる経験自体がほとんどありませんから、私みたいにモテる人間の気苦労は分かりませんよね」

 

「……それで結局、どう返事したんだよ?」

 

 なら聞くなよ、と言いそうになるより前に俺は握り拳に僅かばかり力を入れて口を開く。

 一色は目をパチクリとさせ、呆気にとられたように俺の顔を見やる。当たり前の質問ではあるが俺がどういう心境で聞いたのか、観察するような一色の眼差しに耐えられずつい視線を逸らす。

 何に納得したのか知らないが、一色は窓の外へ顔を向けて――。

 

「断りましたよ。全然好きでもない人ですし、ていうか知らない男子と付き合うなんて嫌です。相手を振るのだって波風立たないようにって気を使って結構面倒なんですからね」

 

「そうか」

 

 内心ほっとした。ていうか自分が知らない男子に告白されたのかよ。有名税の代償ってやつだな、よくある向こうだけが一色を知ってる(この場合、一色の可愛い外見や外面だけだろうが)パターンか。ついでに、一色の危機管理意識は本当に大丈夫なんだろうか。ちょっと心配になってくる。

 

「恋人にするなら、私の外面も素の顔も受け止めてくれるのが最低条件です。それで文句言いながらも私を助けてくれて、たまに褒めてくれて、私の相談にも乗ってくれて、お試しデートで私を満足させてくれて、一緒にいるとすごくドキドキして心地良くて……それで、それで、私の心に響く大切な言葉を言ってくれるような人じゃないと、もう無理です」

 

「ハードルが高すぎる。自分がモテるからっていくらなんでも高望みしすぎだろ」

 

「……鈍感」ボソ

 

 一色が俺の顔をじーっと見る。そして、気落ちした様子で残念そうにハァと深く溜息をつく。窓は閉め切っており冷たい風は入らないはずなのに生徒会室の室内温度が3℃くらい下がったような気がした。

 一色は俯いた顔をばっと上げ、さっきよりも責めるような眼で俺を睨みつける。そして、いきなりの話題転換。

 

「それで、私がそんな面倒な苦労をしていた昼休み、先輩は何をしていましたか?」

 

「いつものベストプレイスで飯食ってたが」

 

「……お一人様ランチですか?」

 

「……ああ」

 

「本当ですか?」

 

 実際、昼飯は一人で食べたから嘘は言ってない……のだが、一色は疑うような眼差しで俺に詰め寄り、覗き込む体勢で俺の制服の袖を掴む。

 

「「……………」」

 

「そうですか、先輩の中ではめぐり先輩と一緒にいたことも一人だったってことになるんですね。それとも捻くれ妄想拗らせ過ぎてバーチャルリアリティなめぐり先輩を映し出す技術でも開発したんですかね」

 

「ちょっ、もしかして見てたのか!?」

 

「告白を断った後、その辺りを通ろうとしたら、たまたま目に入ったんです。そう、ぐ・う・ぜ・ん、です。決して、先輩に会うためなんてこれっぽっちも考えてませんからね! 勘違いしてほしいならもっと私の事を気にかけてくれないと無理ですごめんなさい」

 

「だからなんで告白してもないのに勝手に振られなきゃならん」

 

 マジで何連敗中だよ、ていうかお前のこと気にかければ勘違いしてもいいのかって勘違いして二重勘違いでもう意味不明だよ。あと一色の顔がどアップだから距離感考えような。一色から漂う甘い香りで妙に鼻腔をくすぐられて落ち着かない。

 

「めぐり先輩っていかにも癒し系って感じで可愛いですもんねえ。先輩はデレデレしてて目がキモかったですけど」

 

「デレデレした覚えねえよ、あと目は関係無いだろ」

 

「でも先輩のくせになーんか良い雰囲気だったじゃないですか、傍から見てるとお二人が仲良さげにイチャついてる様に見えましたけど?」

 

「それは誤解だ、ただの見間違いだ。俺みたいなぼっちと城廻先輩の間でそんな浮いた関係になるわけねえだろ。そもそも偶然会って話をしてただけだぞ」

 

 問い詰めてくる一色は笑顔なのに目が全然笑っていない。というか、目が座ってて恐い。今の状況、俺は嫁に浮気現場を目撃されてどうにか誤魔化そうと慌てふためく情けない夫の心境そのものだ。いわゆる修羅場だ。つまりこれを乗り越えた先に真の愛が、より強い絆が二人の間に生まれ………ない可能性の方が高そうだ、結婚どころか恋人同士でもないし。

 

「へえ、じゃあ二人が抱き合ってたことも見間違いだって言うんですか。普通、話をするだけで抱き合う人なんていませんよ。特別な関係でもない限りは」

 

「い、いやだからそれはだな……」

 

「それなのに、めぐり先輩とは浮いた関係に無いと。ねえ先輩、いったいどんな話題で盛り上がってたんですか? 教えてくれたっていいじゃないですか」

 

 素直に白状するまで絶対に許さないとばかりに、シワが出来そうなくらい俺の制服を掴んだままなおも言葉攻めで追求してくる一色。正直恐い、それと同時にもしかしたら、と他のアングルからその姿を捉えて考えてみると一色が可愛く思えてくるから困りものだ。

 俺が話さなくても一色はめぐり先輩に聞きに行くことになるだろう、どっちにしろ遅かれ早かれだ。

 苦渋の決断の末、とうとう俺は観念して、めぐり先輩との昼休みの出来事を話し始める―――、

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 海側からの潮風に冷たいコンクリート。俺は身体を温め直すようにコーヒーを流し込み、グビッと喉から音を鳴らせる。隣に座る先輩は両手をこすり合わせたり、時折手のひらにハァと自分の息を吹きかける。頭を動かすとちょっぴり幼い女の子をイメージさせるおさげ髪がちょこんと揺れる。口元を緩ませ優しい笑顔で相槌を打ちながら、話を促して耳を傾けている。

 めぐり先輩にそれとなく話したことに大した理由があった訳じゃない、ただなんとなく。今迄みたいに自分一人で考えてはみたがどうしてもゴチャゴチャと深く考えてしまい感情の整理整頓がお粗末になってしまうから。

 普段の俺らしくないと自分でも思う。別にアドバイスをしてもらいたかったわけじゃない、これはあくまで俺の問題だ。ただそれでも、誰かに話すことでちょっとは気持ちが楽になりたかったのかもしれないし、もしかしたら視野が広がり改めて自分の想いと向き合って感情プログラムを組み直しできるかもと思ったからだ。

 

 悩みの中心は、あざとい後輩こと一色いろはの事。

 

 ここんところ一色との距離感を測りかねている。

 一色が俺のことをどう思っているのか、俺の一色への想いが本物か否か、それが分からない。

 めぐり先輩は俺と一色の両方と認識があり、近すぎない知り合いの先輩後輩関係。一人の女の子として客観的に見ることができる絶妙な立ち位置にいる。この話をそこそこに聞いてもらうには一番適材だと思う。

 ただ、めぐり先輩に話す際には一色の名前は出さずに、『なんだか放っておけないやつ』とぼかして話した。

 

「比企谷くんは、関係性が変わることが怖いって思うのかな?」

 

「まあ、やっぱり変わったら色々と面倒ですから」

 

「確かに面倒かもしれないけど、その子と接する機会が増えて、比企谷くんも悩んだりしてる。これだって十分関係性が変化してるからなんじゃないかな。もちろん近づけば近づくだけその子の嫌な面も見るし煩わしいって感じることもあると思う、逆に優しい一面や楽しいって感じる時もあるよね。そういう変化のプラスもマイナスもちゃんと受け止める必要がある――」

 

「そうかもしれないですね」

 

 その辺りは十分理解している。俺の場合は人の裏ばかり読み取ろうとする癖がついてるから、どちらかといえばマイナスイメージばかりを先立って考えてしまう。

 

「――それに、比企谷くんが勘違いや気の迷いかも、なんて自分を誤魔化し続けたばっかりにどんどん気持ちが薄れる可能性の変化だってあるかもね。悩んで慎重になりすぎたせいで、後悔することだってあると思うの」

 

「………」

 

 グサッと言葉のナイフを突き立てられたような感覚。屁理屈をこねて気づかないフリをし続ける自分が一番選択してしまいそうな未来を言い当てられた気がした。自分でも分かっている、それは卑怯なことだ。知らないフリ、気づかないフリをして何も行動に移さず安全地帯から傍観者を気取る。そしてあとから後悔の波が押し寄せてくるのだろう。

 

「時間が過ぎていくうちに関係が変化しちゃうのは仕方ないと思うの。比企谷くんは変わるのが面倒だって言ったけどそれだってやっぱり『変わらないための努力』が必要だよね。だからその子も比企谷くんに構ってくるんじゃないかな。比企谷くんとの関係を切りたくない、繋がりを維持したいから変わらないための努力を続けて、踏み込んで接してるんだと思う。比企谷くんがこうやって悩んじゃうくらいに、ね」

 

「変わらないための努力をしているのに、感情や関係が変わるってなんか矛盾してますね」

 

「気持ちや人間関係はちょっとしたことでコロコロ変化するからね。何一つ変わらないものなんてないんだよ、たぶん。……なんて、ちょっと先輩ぶって言ってみたけど結局、頑張るしか方法は無いと思うの。ちゃんと相手と向き合って、自分の気持ちと向き合っていく。その中でどうしていきたいのか見つけるしかないんだよ」

 

 俺の話を受け止めるだけでなく、真面目にレスポンスまでしてくれるめぐり先輩は大人びて見え格好良いとさえ思えた……ら、ほんわか癒しオーラを振りまく笑顔に変わる。めぐり先輩は立ち上がって一段下の段差に移動する。それと何故か俺にも立つよう促してきた。これも天然めぐりんの気まぐれ行動の一部なんだろうか。意図が分からない俺に対して、めぐり先輩は答えてくれる。

 

「なんでわざわざ一段下の段差に立てるんですか?」

 

「だって、比企谷くんと同じ高さのその位置は、比企谷くんが隣に居てほしい子のための場所だから。私がいるべきじゃないと思うの」

 

 そう言うと前振りも無しにめぐり先輩が俺の方に身体を傾けてきた。要するにめぐり先輩が俺に抱きついてきたのだ。腕こそ絡めてこないが、立ち位置が違うためにめぐり先輩は頭を俺のお腹に押し付けた状態になっている。

 

「ちょっ、急に何をっ!?」

 

 唐突過ぎる行動に訳が分からず目線を下げるが、めぐり先輩の頭部分しか見えず表情が読み取れない。恥ずかしくてキョドっている俺に対して、めぐり先輩は心を落ち着けるようにスーハーと深呼吸し、どこか母性を感じさせる穏やかな声色で言葉を紡ぐ。

 

「おまじない、だよ。私が小さい頃にお母さんにやってもらった、勇気が出るおまじない」

 

 制服を掴むめぐり先輩の指にちょっとだけ力が込められたのが伝わる。

 

 

「大丈夫、きっと大丈夫だよ比企谷くん。だからね、一色さんのこと後悔しないように―――」

 

「―――頑張れ、後輩っ」

 

 

 最後に背中をポンッと軽く叩かれる。30秒ほどの短い時間。おまじないとはまた、どこかずれてるようなめぐり先輩なりのエールだ。でも、背中を押してくれるこの人が俺の先輩で良かった。

 

(……この人、意外と鋭いよな)

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 

 ―――できるだけ端折って話したがまさか、悩み事の種であるに当の本人に言うとか何の罰ゲーム大告白だよ。マジでどっかに穴があったら今すぐ入りたいほど羞恥心でいっぱいだ。

 さっきまでの怒った表情はどこへやら。話を聞き終えた一色の顔は毒気を抜かれたように茫然とし、そしてみるみるうちに朱色に染まっていった。

 

「……先輩、私のこと抱きしめてください」

 

「……はい?」

 

 一色の言葉の意味が分からず素で聞き返してしまう。

 

「ですから、先輩が私のこと抱きしめてくださいって言ってるんです!」

 

「まてまてまて、お前の頭の中どういう構造になってんだよ。いったいなんでそんな流れになる!?」

 

「先輩のせいですよ。先輩がわた……、放っておけない女の子のことで悩んでるなんて言うからです。そんなの私だって同じです、私だって先輩が本当はどう思ってくれているのか分からないんですから!」

 

 亜麻色セミロングの髪を揺らしながら、制服からはみ出す萌え袖を掴み両腕をパタパタと振り回す可愛いミニ怪獣『あざといろは』。

 

「もしかしたら勘違いかもって悩んだり、嬉しいのか、迷惑なのか、好きなのか、嫌いなのか。私だってどう反応すればいいのか頭の中がゴチャゴチャになってて処理できずにエラー発生してるんですっ」

 

「お、おう……」

 

「それはそれとして、いくらおまじないだとしても先輩が素直にめぐり先輩に抱きつかれたことは事実です。話を聞いて余計にモヤモヤして心が落ち着かないんです。だから先輩が抱きしめてどうにかしてくださいっ」

 

「せめて他の方法で「却下です」

 

 有無を言わせない一色の圧力に気圧され一瞬たじろいだ。

 確かにめぐり先輩からも、ちゃんと向き合うよう頑張れと背中を押されたがそういう向き合うじゃない。気持ちと向き合う前に身体で向き合うなんておかしくて屁理屈をこねる俺でも思い至ることはないだろう。

 

「私から先輩に抱きついても、めぐり先輩の二番煎じになりますから。先輩、よろしくお願いしますね」

 

 忙しない表情の変化、地団駄を踏む足、所在無さげに動かし続ける腕にモジモジと突き合わせる指。どうやら一色が落ち着かない様子なのは本当みたいだ。俺は観察する視線を切り替え、確認のため一色に問いかける。

 

「一色、これが実は罰ゲーム『ドッキリ大作戦』ですなん「ぶん殴りますよ」……すいませんでした」

 

 一色が握り拳をみせ、冷たい視線で睨みつける。どうやら覚悟を決めるしかないみたいだ。

 

「私をこんなにした責任、ちゃんと取ってください」

 

「なあ、ならせめて後ろからでいいか? 正面からとかさすがに色々と気まずくって……」

 

 まだ勇気が足りない俺の最後の妥協案に、一色はちょっと迷ったみたいだがいいですよと頷いてくれた。

 俺はフーッと大きく深呼吸を繰り返してから、一色の方へ歩み寄る。

 

「じゃ、じゃあいくぞ……////」

 

「は、はいっ////」

 

 意を決して腹を括る。ここまで緊張するのは今までの人生で初めてかもしれない。

伸ばす両腕だけではなく身体全体が小刻みに震えるのを必死に抑えて、俺は背を向けた一色いろはを後ろからゆっくりと抱きしめた。

 

 やはり、心の準備が出来ていても驚くものなんだろう。「んぅっ」とくぐもった声のような吐息が一色から漏れる。

一色の身体は俺の想像以上に柔らかく、普段の図太い性格には不釣り合いなほどとても華奢なんだと、こうして抱きしめて初めて分かった。

 言葉や態度だけでは相手の真意は伝わってこない。うるさい心臓の鼓動も慣れない身体的接触からくる緊張の表れかもしれない。けれど、たとえそれが勘違いからくるものだとしても、俺が想い悩む人は、俺が隣に居て欲しい人は―――、

 

 

 ―――俺の腕の中で、恥ずかしそうに笑っているあざとい後輩だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 甘い空気と静寂に包まれる生徒会の一室。

 他の生徒たちが廊下を歩く音も、楽しげに話す会話の声も私の耳には届いてこない。

 私に聞こえるのは私の音と、先輩の音だけ。

 今この場所は、誰にも邪魔されない私と先輩だけの二人きりの空間。

 心が満たされる。

 先輩の温かさ、力加減が分からず強張った両腕、リズムの速い心臓の鼓動、先輩に包まれる安心感、不器用な優しさ、言葉だけじゃ分からないモノが私の中に伝わってくる。

 私は嬉し恥ずかしの顔を俯かせたまま、抱きしめてくれる先輩の腕に自分の小さな手をそっと重ね、ぼそぼそとした声で先輩におねだりしてみる。

 

「せ、せんぱい……また、お願いしてもいいですか?」

 

「お、お願いって何を……?」

 

「だ、だから私が心を落ち着かせたい時、……また、こうやってギュッて抱きしめてもらっても、良いですか////」

 

「い、いや、それはさすがに……////」

 

 上擦った声から、じっと汗ばんだ手の感触から、先輩が恥ずかしそうに動揺してるのが伝わってくる。先輩が簡単に頷くなんて思ってないですけど。なら、押してダメなら引いてみます。

 

「いつもじゃなくていいんです、私も無理にとは言いません。本当に時々でいいんです。それでもダメ、ですか……?」

 

「……俺じゃなくてこういうのは「私は先輩がいいんですっ」

 

 先輩の言葉を遮って私は自分の願望を被せる。他の人じゃ嫌だ、他の人に抱きしめられてもこんなに心は落ち着いたりしない、私の心の欲求は満たされたりしないから。

 先輩と話すことが、先輩と接することが、先輩と一緒にいることが、最も私の幸福欲求を満たしてくれる要因なんだと感情プログラムにインストールされている。

嬉しいことも、怒りを覚えることも、哀しいことも、楽しいことも、まとわりつく愛情や醜い嫉妬も、私の感情が一番大きく揺さぶられる原因はやっぱり先輩のせいです。

 だから私は、どこまでもわがままに、どこまでも貪欲に、自分の満足感を満たすために先輩を求める。

 

「先輩じゃなきゃ、ダメなんです……」

 

「……どうしてもって時だけだぞ。本当に必要な場合だけだからな」

 

「はい、それでかまいません」

 

 やりました、これで先輩からのOKも貰えたし万々歳ですね。ふふっ、先輩気づいてますか。私がお願いしたのはあくまで『先輩が私を抱きしめること』だけなんですよ。『私が先輩に抱きつく』お願いなんて一切言ってません。だから、これからもっともっと私から先輩にスキンシップしたり、抱きついたりしちゃいますからね、覚悟しててください。

 とりあえず、今は今で先輩に抱きしめられる心地良い時間を堪能して、不足気味だった先輩成分を十二分に補給しておきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、なあ一色、いつまでこの体勢のままなんだ?」

 

「ま、まだもうちょっとかかります。まだドキドキしててすぐには落ち着きそうにありませんから、あと5分、いえ10分くらいはお願いしますっ////」

 

「ちょっ、なげえよ!」

 

「だ、だったら先輩がもうちょっと腕に力を込めて、その、もっとギューッて強く抱きしめてください。それから私の耳元で『いろは』って呼んでください。そうしてくれたらきっとモヤモヤが解消されて、早く落ち着くはずですからっ」

 

 真っ赤な大嘘です。そんなことされたら私の感情は大暴走を起こすに違いない。でも、先輩もネジが何本かどっかに飛んで行って思考回路がまともに働いていないのか、それとも、いろいろ限界で早く終わらせたいのでしょうか。なんとなんと……。

 

「………」ギュー

 

「ひぅっ////」ビクッ

 

「……い、いろは////」

 

「~~~っ////」ボフン、プシュー

 

 私の感情は欲求不満どころか満たされ過ぎて、許容量オーバーの熱暴走パニックを引き起こしてしまい、全身の力が抜けたように先輩の身体にもたれ掛かる。当然の結果ですけど、抱きしめられる時間は短くなるどころかより延長されて、私は先輩に包まれる最高の幸せを堪能できました。

 今夜は良い夢を見れそうです。

 

(ふにゃ~、せんぱ~い////)

 

 

 

おわり

 


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