いろはヒロイン物語集   作:たらたら喫茶

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届かない横恋慕

 

 どんな物語にも主な登場人物には名前が付けられる。呼称がある方が分かりやすいし、なにかと愛着も湧いてくる、それは当たり前のことだと思う。そして物語が進むにつれてメインキャラとサブキャラなどに自然と分別されていくはず。普段の日常はもちろん重要な場面や大きな展開に関われるメインキャラ、物語の脇を固めるサブキャラ。

 現実的に考えて、本当はこんな風に分けて考えるのもおこがましいのかもしれない。

 なにせ人は誰しもが自分の人生という物語において主役を張っているんだから………、などと多分誰もが前向きになれるだろう名言でちょっぴり自分を奮い立たせてみる。

 でも、そんなのはまやかしだと思う。ちっぽけな自分という現実を直視しないで自分に都合の良い言い訳を探しているように感じられてしまう。

 

 だって――。

 

 ――だって、私は……主役(ヒロイン)じゃないから。

 少なくとも、あの人の人生において私はただの流れていく背景。あの人の青春ラブコメ物語に大きく関わることなど無い、ただのその他大勢の一部でしかないモブキャラだから。

 

 あの人の、……比企谷先輩のヒロインは、他にいます。

 比企谷先輩の隣はもう、既に別のヒロインがその席を埋めているから。

 私なんかよりよっぽど素敵な女の子が――。

 生徒会長の、一色いろは先輩がいるから。

 

 きっと、みんなが求めているのはこのお二人のお話だってことは百も承知です。でもごめんなさい。これから広げられるのは、そんな期待を裏切る展開です。ううん、もしかしたら裏切られるのとは違うのかもしれない。だって、そもそも誰も私に興味を抱くことすらないだろうから。モブキャラに興味を持つ人なんて誰一人いないから。

 最初から期待されていないのなら裏切るということにはならない、と思います。

 

 

 

 これは比企谷八幡先輩のお話ではなく……、

 

 比企谷先輩のヒロイン、一色いろは先輩のお話でもない。

 

 ―――これは私の物語。

 

 名前さえ呼んでもらえない、モブキャラAである私のちょっとした恋愛未満物語です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガシャガシャガシャガシャーーーーン!!

 

 

 

 始業前の自転車置き場で、その騒音は凄く鳴り響いたと思う。

 

「す、すいませんすいません!」

 

 やっちゃった。ちゃんと自転車を止めたのに、うっかり鞄が当たって他の人たちの自転車まで巻き添えにドミノ倒しするなんて。しかも、さっき近くに止めてた男子生徒は自分の自転車が巻き添えで倒れていくのを見て少し呆然としている。

 

「本当にすいません。すぐ起こしますから////」

 

 どこかに穴があったら潜りたい。羞恥心と罪悪感を一気に抱え込み、私は何度も頭を下げて自転車を一台ずつ起こしていく。すると、男子生徒が同じように自転車を起こしてくれている。

 

「だ、大丈夫です。私一人でやりますから」

 

「いや、俺のも倒れたからやってるだけだ。だから気にしなくていいぞ……俺の自転車はやっぱり一番下で押しつぶされてるのかよ」

 

「すいません、……でも、その、本当にありがとうございます」

 

 自転車を元に戻し終えた私は、もう一度、男子生徒にお礼と謝罪の言葉を告げた。普段はこんなことをやらかす経験が無かったからだろうか、恥ずかしさが込み上げてきて私は逃げるように教室に向かって行った。

 

 

 

1-C

 

 ガヤガヤと所々で他の生徒たちの話し声が混ざった教室はとっても賑やかだ。高校生だし当たり前といえば当たり前。4月の入学式から2ヶ月ちょっと経てば、もうほとんどクラス内のグループも出来上がっている時期だしこんなもんか。

 かくいう私もちゃんとグループには属してる。とはいっても私の場合、人気者が集まるリア充グループではなく、2~3人程度のこじんまりした仲良しグループのほうなんだけど。でも別に、それが嫌ってことは全然感じない。特段、容姿や性格が秀でてるわけでもない私は中学校の時も似たようなもんだったし、私にはこの立ち位置が分相応なことも理解、納得してるから自分にはちょうど合ってる。

 別に自分が不細工だとは思わない、美人でもないけど。いうなれば、『そこそこ可愛い』つまり中の中、これといった特徴の無いごくごく普通の容姿な私。友達曰く、笑ったら結構可愛いらしいけどただのお世辞の可能性の方が高いよね。

 そもそも、笑っても可愛くなかったら現役女子高生として、イマドキ女の子としても自信無くしちゃうかもしれない。ションボリ

 まあ、そんなことよりも……。

 

「朝の人、たぶん上級生だよね。3年生かな、……名前、聞きそびれちゃった」

 

 

 昼休み時間、私は遅れていた宿題を先生に提出するため職員室を訪れた。

 

「遅れてすいませんでした、これ昨日の宿題です」

 

「次からは遅れないようにね」

 

「はい」

 

 

ヒキガヤ、コノカイトウハナンダネ

 

ハア、オモッタママノコトヲカイタダケデスガ

 

 

 先生に怒られてる男子生徒がいたので、気になってちょっとだけそっちへ顔を向けると……。

 

(あっ、朝手伝ってくれた人だ)

 

 名前聞きそびれたと思ったら、まさかこんな形で知るなんて思いもよらなかった。そっか、「比企谷先輩」っていうんだ。ただ名前を知っただけ、たったそれだけがちょっと良かったと感じられた。知らないままじゃ、モヤモヤするもんね。

 

(さて、スッキリ気分に今日はどんな絵を描いてみようかな?)

 

 まだ午後の授業が残ってるのに、もう放課後の部活のことを考え始める。ちょっと気分がいいんだからしょうがない、このワクワク感を自分の絵にぶつけてやるんだ。今月は自分の好きなテーマで絵を描けるからちょうどいい。

 

 

 

 

 それから、私はたまに校内で比企谷先輩を見かけるようになった。とはいっても視界に入って「あっ」ってなる程度だけど。比企谷先輩は一人でいることが多いように見える。もしかして友達いないのでしょうか、とかすっごい失礼なことを考えたりした。

 

 部活が終わって、帰ろうとしていると通りがかった自販機の近くで比企谷先輩がちょうど何か飲み物を買っているところだった。別に何かを期待したわけじゃない、ただ私もなんとなく喉が渇いたから飲み物が欲しいと思っただけ、ただそれだけ。

 いつもより早足で自販機に向かって歩を進める。もう少しだ、というところで他の生徒が私とは反対方向からやってきた。

 

「見つけましたよ、せーんぱい♪」

 

「うぐっ、なんのようだ一色?」

 

「先輩を見かけたから声掛けただけですよ」

 

「……いまお前、見つけたって言ったよな」

 

「まあ先輩を探してたのは本当なんですけど。あっ、私もちょうど喉渇いてたんですよね。先輩のソレいただきます」ヒョイ

 

「あっ、そのマッ缶、俺の飲みかけ……」

 

「ゴク、ゴク……ふぅ、……うえぇ、せんぱ~い、やっぱりこれ甘すぎですよ」

 

「一色マジ許すまじ。俺の愛すべきマッ缶を全部飲むとか、なにやってくれちゃってんの」

 

「ごちそうさまです」

 

「返せ、俺のマッ缶返せ」

 

「マッ缶は返せませんけど、その代わりにこれから時間とって先輩に付き合ってあげますからそれでチャラです。私みたいな可愛い女の子と一緒なんですから泣いて喜んでもいいですよ」

 

「ああ、マッ缶飲まれた挙句、一色に俺の時間取られるとかほんと泣きたくなるな」

 

「またまた~、先輩もほんとは嬉しいくせに」

 

「いや別に」

 

「ちょっと、素で返さないでくださいよ。本気で焦るじゃないですか!」

 

「正直なのは良い事だろ」

 

「むー、先輩の捻デレ、甲斐性無し、女の敵!」

 

「酷い言われようだ。てかむしろ、男女問わず、社会全体の仕組みが既に俺の敵だ。働きたくねえな」

 

「もうっ、そんなことはどうでもいいんです。さあ先輩、さっさと行きますよ!」グイグイ

 

「ちょっ、手首掴んだままそんな引っ張るなって!」

 

「今日は私がエスコートしますから、たくさん振り回してあげますよ♪」

 

 

(一色いろは……先輩)

 

 総武高校生は誰もが知ってる有名人だ。2年生の中では間違いなく一番可愛いという評判でクラスの男子も結構気にかけている人は多い。現生徒会長ってことは、1年生でその席を請け負ったってことだからとにかく凄い人なんだってことはよく分かる。誰も表沙汰にはしてないけど、誰もが納得する総武高校の三大美女の内の一人。

 

 

『総武高校の三大美女』

 

 雪ノ下雪乃

 

 由比ヶ浜結衣

 

 一色いろは

 

 

 実際にはないけど、もし総武高校全体でミスコンが行われたら間違いなくこの3人の三つ巴決戦になることは誰でも予想がつく。ただ、誰が勝つのかは予想できないだろうけど。

 

(そんな一色先輩が、比企谷先輩と一緒に……? ただの、買い物だよね)

 

 時間とともに遠ざかっていく二人の先輩たち。私はただ茫然と二人のやり取りを見ていることしかできなかった。もう数mしかない自販機までの距離がさっきより遠く、遠く感じられた私は身体の向きを変えて、とてもゆっくりとした足並みで自販機から離れていった。

 やっぱり、喉……渇いてないかもだし。

 

 先輩たちが一緒に帰ったことに関してあんまり深く考えないようにした。自分のイメージと離れすぎててうまく考えることができなかったの方が正しいかも。だって、私はその辺の境目や男女のやり取りに疎いから。

 ただ、ちょっとだけ残念と感じた。

 

(独りぼっちだと思ってたのに、……なんか、つまんないな)

 

 

 

 

 

ドンッ

 

「きゃっ!?」

 

「うおっ!」

 

 廊下の曲がり角で、運悪く男子とぶつかり運んでいたプリントをばら撒いちゃった。ちょっとどこ見てんのよ、と怒鳴るのは心の中だけ。私は学校で自分を大きく見せるのは苦手だから、基本的に小心者で委縮しがちの内弁慶な性格だから。

 

「っと、わ、悪い!」

 

「あ、こちらこそ、すいません!?」

 

 プリントばら撒くなんて本当に運が悪いなあ、と思いつつ恨みがましくぶつかった男子の顔を見ると……。

 

(えっ、ひ、比企谷先輩!?)

 

 間違いない、さすがにこんな近くで確認して見間違いということは無いだろう。

 比企谷先輩は申し訳なさそうに謝罪して、一緒に廊下に散らばったプリントを拾い上げてくれる。まあ比企谷先輩が原因だからこれは、ごく普通の行動だと思う。何も悪びれず、どっか行くようなら酷い人と烙印を押してるところだ。

 

 

 ピトッ

 

 

 プリントを拾う私の手と、比企谷先輩の手が……重なった。

 少しだけど、偶然だけど、ほんのちょっと……手と手が触れ合った。

 

「~~っ、す、すまん!?」

 

「~~っ、い、いえ別に!?」

 

 私は比企谷先輩に背を向けつつ、そそくさと残りのプリントを拾い集めていった。

 

「どうも、ありがとうございました」

 

「いや、元はといえば、俺のせいみたいなもんだし」

 

「それでもです、助かりました」

 

「……まあ、自転車に比べたらましな方か」

 

「~~~っ、し、失礼しました!」

 

 ダダダッと大慌てで逃げるように、私はその場を離れた。

 たぶん私は恥ずかしかったのと同時に嬉しくもあったんだろう。

 

(比企谷先輩、……私のこと、覚えてたんだ)

 

 出会いのインパクトがある方が人の印象に残りやすい、それはわかっているけどまさか目立つタイプでもない自分が学年も違う比企谷先輩の記憶に残っていたのは驚きだった。

 

(比企谷先輩の手、……温かかったな////)

 

 触れたのはちょっとだけ、それでも確かに比企谷先輩の体温を感じた。

 日常でも男の子と触れ合う機会が少ないことはおろか、話す機会もあんまりない私は正直言って男性への免疫力が低いことは事実だ。そういった環境で育たなかったんだから経験値が足りないのはしょうがない。

 でも、今の私の心拍数が上昇してるのは、きっと急に走ったせいだ。うん、そうに違いない。

 私も運動すれば体型良くなって、お洒落も頑張ったらもうちょっと可愛く見られたりするのかな?

 

 

 昼休みの休憩時間、教室内はいつものように喧騒に包まれている。

 クラスの中心グループの女子たちは、気になってる男の人、というか最上級生の葉山先輩がかっこいいとかそんな感じの話をキャッキャッと騒いで楽しそうに話している。確かに葉山先輩はかっこいい。私のような端っこにいる人間でも知っているような超有名人。ってか、あの人来る場所間違えているんじゃないだろうか、ここ進学高校であってアイドル養成所じゃないんだけどな。

 

 まあ私も結局のところ、葉山先輩には興味ある。でも、興味があるだけだ。そもそもあんなアイドルのようなスター性のある人間に手が届くなんて端から思っていない。ああいうのは、遠くから眺めて楽しむだけに限る。

 非現実的な相手に花を咲かせるより、現実的な相手を見つける方がよっぽど効率はいいと思う。自分が触れることができる男性に興味を向ける方が自分に合ってる。

 

(そういえば、比企谷先輩の手、……私に触れたんだっけ)

 

 あの時の感触を一瞬思い出し、じっと手を見つめてからにぎにぎする私の表情は、きっと緩んでいただろう。友達に「何かいいことあったの?」と聞かれて、なんとなく恥ずかしくて顔がちょっぴり赤くなったけど。

 

 

 

 

 

 

「……できた、これで完成」

 

 時刻は夕暮れ時。

 私がようやく一息入れたころには、ほかの部員の人たちは皆支度も済ませて帰った後だった。

 部活の時間は少し過ぎたけど、私は全然気にならない。それくらい夢中になってスケッチブックに自分の絵を描き込んでいたんだと思う。最近、少しだけ気になる先輩のことを考えながら、触れた手の感触を思い出しワクワクしながら、それでいて一生懸命に一枚の絵の中に今描きたいものを詰め込んだ。

 

 

 

 テーマ:『もしかしたらの未来』

 

 ベンチに座って比企谷先輩の肩にそっと寄り添う私。絵の中の私はもちろん笑顔。比企谷先輩も私も、大なり小なり美化されてるけど、その辺を気にしだしたらキリがない。だから、これでこの絵は完成。

 

 

 うん、描きたいものも描けたし今日は良い気分かも。

 久しぶりにテンションが上がった私はいつもより帰り支度を済ませるのが早く、せっかくだからついでにスケッチブックも鞄に入れて美術室を後にする。

 

 ルンルン気分で校舎の階段を駆け下りていき、昇降口の下駄箱で靴を履きかえる。

 自分が描いた絵を思い出して、もしかしたら……、なんてそんな姿を頭の中で想像しながら駐輪場へ向かった。

 今の私の頭はお花畑でも咲いてるのかもしれないくらい浮かれている。

 

 

 だけど、そこで私は思い知らされた。

 もしかしたら……、なんてことはありえない。そんな都合の良い未来はただの都合の良い妄想でしかないんだって。

 だって、私が見たのはそんな楽しい妄想なんかじゃなくて、もっと無慈悲な現実だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *

 

 

「先輩、キス……してください」

 

 可愛らしい上目遣いで、一色が急に露骨なおねだりを言い出しやがった。

 

「いやお前何考えてんの。ここ学校だぞ、しかも駐輪場だし駄目に決まってんだろ」

 

「ちょっとくらい良いじゃないですか。可愛い、とっても可愛い彼女の頼みが聞けないんですかっ」

 

 制服を掴んでグイッと迫ってくるいろは可愛い、じゃない一色あざといな。危ない所だった、うっかり流されてしまうところだったけど八幡我慢強い。

 

「聞けないな、誰に見られるかわかったもんじゃねえし」

 

「いまなら生徒もあんまりいないですし、ここなら物陰でちょっとは隠せますから大丈夫ですよ」

 

「いや、でもな……」

 

「うう~、キスくらいいいじゃないですかっ」

 

 なんで急にキス求めてるの、こいつ? 本当にビッチなのか? 発情期の雌か?

 あとそんなに強く制服引っ張らないで、ボタンちぎれて無駄なサービスシーン公開しそうだから。

 

「大体なんで急に、一色はその、……き、キスしたいんだよ?」

 

「……だって、まだされたことないんですもん」

 

「いや、したことあるだろ。その、……告白の時////」

 

「あれ、私からじゃないですか。先輩からキスしてくれたこと、一度も無いじゃないですか」

 

「………」

 

 一色は顔を俯かせたままぼそりと、俺に聞こえるように呟いた。本当の事なので何も言い返せない。確かに俺も相当情けないとは思う。でもね、雰囲気とかその他諸々流れってのがあるじゃん。だから俺なりに様子見で機会をうかがいながらね……はい、ただの言い訳です俺がヘタレなだけですごめんなさい。

 

「せんぱい……」ギュッ

 

「一色……」

 

「はい……」

 

 一色は期待を込めた瞳で、さっきよりも頬が紅潮している様子だ。

 一色がちょっとだけ背伸びして、徐々にお互いの顔が近づいてくる。

 

「このあほ」ビシ

 

「あたっ!?」

 

 一色にお叱りのチョップをお見舞いしてやる。

 そんな場の雰囲気に流されてたまるか、そんな期待通りの行動なんてしてやるか。どこまでも捻くれている俺には俺のペースってもんがあるんだよ。その場の空気なんて知ったことか、一色のお望みのタイミングなんて敢えて無視させてもらう。

 だから……。

 

「ちょっと先輩、なにす……んむぅ////」

 

 俺は俺なりの精一杯のやり方で、ほんの一瞬だけ一色と唇を交わす。

 

 自分から重ねた一色の感触は、病み付きになりそうなほど柔らかいものだった。

 

「せ、先輩から、初めて……////」

「言うな、何も言うな////」

 

 さっきよりも瞳をとろんとさせ、頬も朱色に染まっているように見える。俺もかなり恥ずかしいので、見られたくなくて一色から顔を背ける。

 こんな空気ヤダ。こういう時は逃げるに限る。

 

「おい一色、一人タイムスリップするのは結構だが俺はもう帰る。じゃあな」

 

「あっ、待ってください先輩。ついでに後ろ乗せてくださいよ、ほら恋人と二人乗りって定番ですし」

 

「それは駄目だ。ここは小町専用だから」

 

「うわあシスコン」

 

「まあなに、お前とは……そのうち、な」

 

「~~~っ//// せんぱーい♪」ダキッ

 

 

 

*  *  *

 

 

 

 自分の髪の毛が少し濡れているのも気にせず部屋のベッドに仰向けで寝転がる。

 

「比企谷先輩と一色先輩、付き合ってるんだ」

 

 恋人のいる人に対して、横から恋愛感情を持つことをたしか『横恋慕』って言うんだっけ? でも私の場合は違うと思う。だって、私は別に比企谷先輩に恋愛感情を抱いてたわけじゃない。ソレ未満の気持ちだから。

 

「始まる前に、終わっちゃったなぁ……」

 

 当然と言えば当然だよね。そもそも私はあの二人と同じ土俵にすら上がっていないんだから。蓋を開ければ、まあこんなものだろう。期待すればするだけ結末はつまらないと感じるのはよくあることだし。

 今日をもって、私の恋愛未満物語は実にあっけなく幕を閉じた。

 

(そういえば……)

 

 ふと思い、鞄にしまっていたスケッチブックを取り出してみる。

 

「結構うまく描けたのになぁ」

 

 私は自分で描いた『もしかしたらの未来』の絵をぼーっと眺める。「あっ」と、うっかり机に置いてあったコップに手が当たり中身のジュースが零れて、せっかくの絵が台無しになっちゃった。

 

「あ~、もうグシャグシャ」

 

 ベッショリになった絵は、もう元には戻せそうもないし、これじゃあ捨てるしかない。せっかく頑張ったのに、本当にツイてないよ。まるで、「比企谷先輩の隣にいるべきはお前じゃない」と暗に言われてるような気がした。

 

 ポタポタ……

 

 零れたジュースは拭いたのに、ぽたぽたと別の水滴がスケッチブックに零れ落ちる。

 

 おかしな天気もあるもんだ、部屋の中なのにここだけ雨が降るなんて。

 

「ほんと、頑張って描いたんだけどな……」

 

 私はスケッチブックに描いた絵のページをくしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱に入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『女心と秋の空』

 

 どちらも移り変わりやすい例えとして最もポピュラーな表現だと思う。男の人は過去の恋愛を引きずる傾向が強いけど、女の人は割とさっぱりしていて新しい気持ちで新しい恋を見つける人が多いから。誰が言い出したのか分からないし本当にその通りだと信じてるわけじゃない。どこの誰とも知れない人間が言い出したことなんて最初からあてにならないものだと思う。

 

 だけど、モブキャラの私はどうやらそれに区分される側の人間だったみたい。あの日以降、どんどん日が経つにつれて自然と私が比企谷先輩を意識することは少なくなっていった。廊下ですれ違ったり、たまに下校中の姿を見かけても、なんとなく見覚えある先輩、程度の認識に下がっている。もしかしたら、自分の知らないところで無意識化の制御が掛けられているのかもしれない。

 

 ピロロロ!

 

『いつまで残ってるのー? 早くしないとお店閉まるよー』

 

「あっ、ちょっと待ってよ。今行くから」

 

『昇降口で待ってるからねー』ピッ

 

 あっと、いけない。友達を待たせてるんだったっけ。ガサゴソと音を立てて無造作に荷物を鞄に詰め込み帰り支度を済ませる。

 

 私は急ぎ足で廊下を歩いてると、ちょうど反対側の廊下から、私にとって見覚えのある上級生の男女が並んで歩いてくるのが分かった。

 比企谷先輩と一色先輩だ。

 距離が近づくにつれて視線だけをちらっと向けながら見てみると、どうやら並んで歩いてるわけじゃないみたい。一色先輩が強引に比企谷先輩を引っ張っている構図といった方がしっくりくる。

 

「さあさあ、早く行きましょうっ。せーんぱい♪」

 

「おい一色、そんなに引っ張るなよ。いっつも無理矢理じゃねえか」

 

「先輩にはこれくらい強引な誘いがちょうどいいんですよっ」

 

 大きな声で喋っている訳じゃないけど、比企谷先輩と一色先輩の会話がよく響く。この廊下に他の生徒の影は見当たらないから、話自体は聞き取れなくても比企谷先輩と一色先輩の楽しそうな声色は伝わってくる。

 そんな二人の様子を見て、私は改めて実感させられた。先輩たちの物語では、これが当たり前の光景なんだ。『引っ張る女の子と、引っ張られる男の子』。一つの絵のモチーフにできるほど、しっくりくる二人の大切な日常を描いた光景はすごく、……部外者の私が見ても、すごく「いいな」って感じられるものだって。

 

 

 スタスタスタ

 

 

 「あっ、もしかして!」といったドラマが展開されることもなく、二人は私に気づくこともなく、ただ何事もなく私の横を通り過ぎていく。これは普通のことだって思った。別に悔しくなんてない、これは強がりで言っている訳じゃない。そもそも本当はそんな感情を抱くことがおかしいんだ。

 だって私はあの人たちの物語の登場人物じゃないから。脇役でもなく日常風景ですらない、動き続ける物語にちょっぴり映される背景。その他大勢の一部を成すただのモブキャラでしかないから。

 だから、意識されることなく素通りされることは、とても正しい私の在り方だろう。

 

 

 

 ああ、でも……、

 

 ほんのちょっと……、

 

 こんな名前も付けられないモブキャラAの私にも……、

 

 ほんのちょっとだけ、贅沢を言わせてもらえるのなら……。

 

 

「1回くらい、比企谷先輩に名前、呼んでもらいたかったなぁ」

 

 

 呟いた私の声は、先輩たちのように廊下に響くことは無く、誰にも届かないまま、静寂の海にひっそりと沈んでいった。

 

 

 

おわり

 

 

 


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