その日、俺ことセフィロス・クレシェントは古巣である迷宮都市オラリオへと戻ってきた。
ここを離れてもう五年と、ずいぶん経っていた。懐かしいと思うが、惜しむらくは真夜中で景色が全く見えない点であった。情緒もへったくれもないと思うが、わざわざ宵闇にまぎれるようにコソコソこの時間帯に帰ってきたのは訳があった。
このオラリオで会いたくない奴がいる。
奴の名前はオッタル。このオラリオにおける二つ名は【
私見でオッタルの人物像について説明させていただくと、主神を妄信する戦闘狂である。多分おおむね間違っていない。
オラリオをしばらく離れる事になった時に「最後に一勝負(全力)」とかぬかしたので、また今度な今度会った時にでも、と強引に納得させたのだった。もっともオラリオで暮らしていればいつか必ず会うことになるがその〝いつか〟はできるだけ遠い日が良い。マラソン大会延期しろとテルテル坊主を逆さに吊るす子供の心境な気がしないでもないが嫌なものは嫌なのだ。だれが好き好んで隙あらば容赦なく命(タマ)とりにくるバーサーカーと戦いたいというのか。
そんなこんなで頭からローブをすっぽり被って、オラリオに帰還した。オッタルとはまず会わないとは思うが、念には念を入れておく。時々思うが、俺の人生呪われてるんじゃないかと思うくらいトラブルに巻き込まれる。
そもそもこの世界に転生(憑依でも可)してからおおよそ十五年。当初の予定では荒事に一切関わらず、美人な嫁さんもらって平凡だが幸せな生活を手に入れることを目標としていたはずだ。いや、今でもそうだけど。
それが何が悲しくて命の危険のある冒険者なんぞやっているのか。ニコニコ現金収入で実入りがよかったからってバイト感覚で始めたのがいけなかった。あれよあれよという間にファミリアの中核に据えられて抜け出せなくなってしまった。理由の一つにセフィロスの肉体のスペックの高さがあった。まるで自転車を久しぶりに乗っても乗り方を覚えているように、セフィロスの肉体の〝乗り方〟が自然と分かった。もっとも子供の頃は頭の中の動きに幼い体がついていかなかったが、成長期を終えた辺りではもう現実が理想にほぼ追いつくようになっていた。その際に一つ問題が起きた。表情である。転生当初はセフィロスらしく振舞おうなんて考えた事もあったが、歳をとるにつれフリがフリでなくなってきた。肉体が理想に追いつこうと頑張った結果、それにつられてセフィロスらしい振る舞いも一緒に上書きされたようだ。内面はさほど変わったと思えないが、心の中で慌てふためいたとしても表情には一切表れないのだから、便利なのか不便なのかはいまいち判別できない。
ちなみにダンジョンのあるオラリオにおいて冒険者になるには地上に降臨した神に恩恵(ファルナ)を授かる必要がある。恩恵と引き換えに冒険者はその神の組織するファミリアに所属するのだが……そのファミリア選びからして間違えた。俺の所属したのはロキ・ファミリア。オラリオでも1,2を争う大規模なファミリアである。つまりガチ中のガチ、命の危険がふんだんにあるダンジョンの下層にもぐる事を余儀なくされたのだ。日本人の頃の感覚で、大手の企業に就職決まって万々歳とか何とかのたまった過去の自分をぶん殴ってやりたい。
その後とある事件を契機にオラリオを離れて放浪の旅をすることになるのだが……まあ、その後も行く先々でトラブルに巻き込まれ続けた。オラリオの外にもモンスターはいる。大体はダンジョンに出てくるモンスターほどは強くないが、『隻眼の黒竜』を始めとして、たまにとんでもない化け物がいる。それこそオラリオトップクラスの精鋭冒険者でパーティー組んでも勝てるかどうか分からない極めつけの化け物。なぜかそういったモンスターと命を賭けたガチンコ勝負をするハメになる事が多々あった。おまけに1on1、冗談じゃない……っ!
色々なトラブルに巻き込まれているうちに、気づいたらいつのまにか巷で英雄と呼ばれるようになっていた。俺は戦々恐々とした。
英雄セフィロス。
あれ……コレってひょっとして踏み台街道驀進中じゃない?
思えば死亡フラグも山ほど立てていた。一番危険なのはオッタルの存在そのものだが、二番目は二番目で厄介だった。ロキ・ファミリアの副団長リヴェリア・リヨス・アールヴ。二つ名は『九魔姫(ナイン・ヘル)』、ハイエルフという種族だ。俺は彼女に対して、オラリオを離れる切っ掛けとなった事件の中で泣かせた負い目がある。普段屹然とした彼女の涙は俺の中の罪悪感をこれ以上無いくらい刺激した。
この責任はいつかきっちり取ってもらうとか言われたんだけど……なにそれめっちゃ怖い。責任てなに? え、なに俺、なにさせられんの? その後ちゃんと命は残ってる?
リヴェリアはこの世でもっとも怒らせてはいけない女だと思ってる。土下座しようが何しようが罪の代償はキッチリ払わされるだろう。それはもうエゲツないくらいキッチリとだ。ハッキリ言って報復が恐ろしくてたまらない。オッタルとリヴェリアの二人が目下、俺の人生においての特筆すべき懸念事項だった。
道に迷った。
夜中だということと久しぶりのオラリオだという事で、そもそもここがどこの通りか分からない。気づけば東の空が白みはじめていた。オラリオの中央にそびえるバベルはどこにいってもハッキリ分かるので方角には困らないのだが、大通りから離れると区画にもよるが路地が入り組んでおり中々抜け出せないのだ。
なんかもううろつくのが面倒になったのでいっそのこと屋根伝いに移動しようかと思った時、ふと視界の端に教会が見えた。もうずいぶん使われていないらしく、外壁が崩れ、朽ちかけていた。そもそも神が実際に降臨しているオラリオにおいて何の神を
祭っているのだろうか。興味を惹かれた俺は中に入ってみることにした。
廃墟の魅力はうまく言葉に言い表せない。ノスタルジックに静かに語りかけてくる心地よさのようなものがある。崩れかけた天井から差し込んでくる淡い日の光が、まるで月明かりのように廃教会の輪郭を浮かび上がらせていた。
……へぇ、ちょっと良い雰囲気じゃん。
そんな風に思っていた、そんな時に……ヤツが、現れた。
「帰ってきたのだな、セフィロス」
忘れようはずもない、その声。
――お、オタァァァァァァァァァァァルっ!?
会いたくないと、切実に願った男が廃教会の扉の前に立っていた。
なんでコイツは俺のオラリオ到着が分かったのか。色々疑問はあるが……それよりも……気に、なる、こと、が……。
動きを阻害しない肌にぴったり吸いつくバトルスーツ着用。傍らには奴の武器である巨大人斬り包丁が地面に突き刺さっている。
――殺る気マンマンでいらっしゃる!?
オッタルは言う。なぜ俺の前からいなくなった、だの、あの日俺はお前を失っただの。
乙女か貴様!?
筋骨隆々の大男が同じ男に向けて言うセリフとしては悪夢の部類に入る。戦闘狂をこじらせた結果だいぶややこしいことになっていた。
覚悟を決めなければいけないようだった。
俺は刀を取り出した。見た目は小太刀が収まるくらいの短い鞘だが、刀を引き抜いてあら不思議、俺の身長を超える長刀が姿を現した。『神秘』ってホントに不思議で便利。などと言っている場合ではなかった。
俺が刀をかまえると、オッタルは鉄面皮を崩し歓喜に顔を輝かせた。
…………うっわぁ、ホントにうっわぁ……。
とにもかくにも、どうか生き残れますようお願いします。
◆ ◆ ◆ ◆
先に仕掛けたのはオッタルだった。
セフィロスに向かって真っ直ぐに、弾けるように跳躍する。矢のようにでは生温い、それは立ちふさがる全てを粉砕する猛撃。オッタルは剣を振り上げる。およそ華やかさなどは持ち合わせない無骨な剣はオッタルの長躯に比類するように巨大だ。並みの人間なら持つ事さえできないその剣で、オッタルは数々のモンスターを打ち滅ぼしてきた。見上げるほどの巨人のモンスターがいた、疾風のごとく素早いモンスターがいた、鉄をも溶かす火炎を吐き出すドラゴンがいた、鋼鉄に勝る外皮に覆われた巨大な甲虫がいた。それら全てを葬り、自身の力の糧としてきたオッタルが全力の一撃を放つ。並みの人間なら……否、たとえ一級の冒険者でさえ、その一撃を受け止める事はかなわない。
ダンジョン下層に蠢く強力なモンスターたちに比べれば、目の前にいる男の外観はあまりに華奢である。超自然災害を人型(ひとがた)に押し込めたような男の一撃を喰らって無事ですむはずが無く、原型を留めないほどぐずぐずに崩れた惨めな躯を曝すだけだ。
だがオッタルは止まらない。
止まる必要が無いのだ。
見上げるほどの巨人のモンスターがいた、疾風のごとく素早いモンスターがいた、鉄をも溶かす火炎を吐き出すドラゴンがいた、鋼鉄に勝る外皮に覆われた巨大な甲虫がいた。
しかしそれら全ての脅威を足しても、目の前の男には――英雄セフィロスには決して届かない。
セフィロスに肉薄する。矢をつがえた弦のごとく身体がしなる。筋繊維が断裂しかかるほど強く剣を握り締め……ふり、下ろす!
「…………っぅ!!」
オッタル渾身の一撃は、しかしてセフィロスを捉える事はできなかった。
銀髪が宙を舞う。円を描くように身体にひねりをくわえ、セフィロスはオッタルの背後へと回り込む。それは無駄を一切省いた流麗な演舞のようだった。
セフィロスが長刀をかまえた。
胴をはらう横薙ぎの一閃――!
斬るという動作を極限まで研ぎ澄ませ、万物を断ち切るがごとき閃光へと昇華させた一撃をオッタルは他に知らない。
だがセフィロスの動きを読んでいたオッタルは振り下ろした剣の勢いを殺さず、更に身体にひねりをくわえ、その鉄塊のような剣で背後のセフィロスめがけ斬り上げていた。
鉄塊が閃光を撥ね、剣と刀がぶつかり合い――
瞬間、世界がひび割れた。
衝撃が波となって大気を軋ませ、二人を中心に球円状に景色がひしゃげた。石畳は陥没し、壁が撓み、天井が爆ぜる。まるで凝縮した嵐が一気に弾けたような暴威は、二人の怪物によってもたらされたものだった。
戦塵が舞う中、つばぜり合いは一瞬。お互いの瞳が喰らいつくように交じり合う。
衝撃で崩れ落ちた教会の天井が二人めがけて崩落する。
二人は同時に地を蹴り、バックステップをとる。二人のいた場所に瓦礫が砕けた。
未だ日は昇りきっておらず、西の空に瑠璃色が残っている。まだ目覚めていないオラリオの街で二人の戦士の技が、力が、意思がぶつかり合い火花を散らす。
――恐るべき男だ。
廃教会から戦いの場をオラリオの街に移したオッタルは内心で舌を巻いていた。
屋根から屋根へと二人の男は移動しながら刃を交えていた。
セフィロスの斬閃は恐ろしく疾い。それは百戦錬磨のオッタルをして捉えきれなかった。セフィロスが刀をかまえた次の瞬間には、何条もの斬閃が軌跡を刻み終えている。音をも置き去りにする閃光に大気は爆ぜ、衝撃と共に繰り出された一閃一閃は鋼鉄の塊すら易々と切断する。大気を斬り裂く斬撃の連波を、オッタルは磨き上げた戦闘勘で防ぎ、既のところで回避していく。
空気がびりびりと震えていた。
時に苛烈に攻め、時に流水のごとく相手の技を受け流し、神業と呼べる技巧の冴えは悪手すら妙手に変えてしまう。あれほどの大太刀をどのように扱えばこれほどの斬閃の結界をつくり出せるというのか。どれほどの鍛錬を積めば届く、どれほどの修羅場を潜れば、どれほどの限界を超えれば、あれほどの境地に達することができる。
目の前からセフィロスの姿がかき消えた。
真横――!
飛んできたのは斬撃ではなく回し蹴りだった。わき腹に向かってえぐり込むように放たれた踵をオッタルは剣を持っていない左手でガードする。骨の髄まで砕こうとするような重く響く一撃だった。雷にうたれたように体が痺れた。
マズイっ。
10メートル以上も蹴り飛ばされたオッタルは直感的に剣を盾のようにして前に突き出す。
セフィロスが飛ばした斬撃は既の所で防がれた。
……相変わらずデタラメだな……っ。
魔法ではない。驚くことにセフィロスはただの技術で斬撃を飛ばす。
オッタルの体は斬撃の衝撃で更に後方に吹き飛ばされる。セフィロスはオッタルを追いかけ建物を屋根伝いに跳ねて追撃する。セフィロスが剣閃を走らせる度、見えない斬撃が豪雨のようにオッタルに襲いかかる。
「なめるなよ……っ」
オッタルが体をコマのように回転させ、斬撃を後方へと受け流した。突進力に秀でた猪人(ボアズ)の特性を最大限に発揮してセフィロスに肉薄する。今度は俺が攻める番だと言わんばかりに大剣をふるうオッタル。
「やるな、オッタル」
鉄と鉄が打ちあう甲高い音が響く。
紅と銀。二つの閃光は火花を散らしながら衝突しあう。
セフィロスの体さばきはおおよそ常識というものを置き去りにしていた。体軸を無理やり引っこ抜くようにして重心をずらし、しなやかな筋肉と全身のバネをもって自由自在に中空で体勢を変えていく。跳躍している途中、物体は落下するという当たり前の法則下で真横にスライドするように跳ねることができるのはセフィロスくらいのものだった。
しかしオッタルとて負けていない。その巨躯からは想像もできないような敏捷な動きでセフィロスの予想を上回る。一瞬でも隙を見せればたちどころに喉元を食いちぎられてしまう。
二人の戦いはいっそう苛烈さを増していく。
オラリオの中心にあるバベルの外壁を駆け上がりながら二人は戦っていた。ほぼ垂直に近い壁だ。わずかな取っ掛かりを足場に、塔に絡み衝く大蛇がお互いを食い散らすように、激突を繰り返す。
【天照】
セフィロスが放ったのは上方に向かって斬り上げる渾身の一撃。セフィロスが自ら名前をつけた数少ない技の一つである。その威力、スピードと共に今までの斬撃とは一線を画する。
オッタルは剣をかまえ、直撃こそ防ぐに至ったがその昇竜のごとき斬り上げを完全に殺しきることはできなかった。
「ぐっ!?」
オッタルの体は天空高くに打ち上げられた。歯を食いしばり、天照の衝撃を上空へと受け流し、着地したのはバベルの頂上にほど近い場所であった。追いかけるようにセフィロスも同じ場所へと降り立つ。
バベルの外壁に施された装飾部、足場は極めて悪いが、この二人にとって然したる問題ではない。
セフィロスは刀の切っ先をオッタルに向ける。
しかしオッタルは地面に剣を突き立てた。全身に突き刺さるような猛烈な戦意もしぼんでいた。
「……俺の負けだ」
突然の敗北宣言だった。お互いにまだまだ余力がある状態でだ。
「フレイヤ様を俺の勝手で危険にさらすわけにはいかんからな」
バベルの最上階はオッタルの主神、美の神フレイヤの住処である。崇拝する主神に万が一にも危害を与えてしまうかもしれないのに、力をふるうことなどできるはずも無い。それもオッタル自身の戦いへの渇望を潤すためなどという個人的な理由でだ。
だからオッタルは負けを宣言した。
そうか、とセフィロス。こちらも刀を下げる。勝負はついた。しかし。
「ならば今回の勝負は引き分けだな」
「……どういうつもりだ?」
セフィロスの発言に、オッタルは殺気をにじませて返す。オッタルにとって一度認めた敗北を覆されることほど屈辱的な事は無かった。同じ条件で戦い、これ以上は戦えないと自ら戦闘を放棄したのだ。引き分けなどにされる云われは微塵も無い。
「今回の勝負……お前は全力だったか?」
セフィロスの問いかけにオッタルは言葉を詰まらせた。
「……全力など出せようはずもないではないか」
もし仮に、この二人が全力で斬り結ぼうものならオラリオの街は無事ではすまなかった。最初に廃教会でぶつけ合った一撃こそ本気に近い一撃だったが、それ以降のぶつかりあいでは周囲の建物を極力傷つけないように避け、力自体も大分セーブをして、より大きな被害を生みかねない魔法の力も一切使う事は無かった。
セフィロスは「だからだ」と言葉を繋げた。視線を眼下に向ける。そこには迷宮都市オラリオが広がっている。東の地平から昇った太陽の光によって包みこまれていく、神と人とが暮らす神話の都。
二人がいる場所はバベル、天にもっとも近い場所だ。そこに立つ、魂の器を広げ神にもっとも近づいた男達。迷宮都市の誇るレベル8の双巨頭。彼らが本気で戦うにはオラリオは狭すぎた。
決着はいずれしかるべき場所であるべきだ。
その言葉を聞いたオッタルは「そうか」と返した。だが。
「負けは負けだ」
だから。
「次は俺が勝つ」
オッタルは剣をセフィロスに突きつける。
「それは俺のセリフだ」
セフィロスもまたそれに答えるように刀をオッタルに突きつける。
交差する剣と刀。決着は、いずれまた……
オッタルさんレベル8に強化。お互いを高めあうライバルがいるって素敵だね(白目