少女はどうしようかと迷った。
行かなければならない。
これは確実だ。
次点で皆に連絡するか悩んでみるが……そこでコトネの言葉が思考を濁らせる。
呼んだ分だけ死体が増える――つまり、殺すと言う事。
母はレジェンドホルダーだ。
知っている。
伝説級のポケモン『スイクン』を使う。
これも知っている。
少なくとも並みのトレーナーでは敵わない。
これは事実だ。
――イカナキャ。
どうしよう。
なんとかしてイカナキャ……。
不意にサクラはハッとする。
「メイさん! そうだ。メイさんだ……」
伝説級のポケモンには、基本的には伝説級のポケモンでなければ対抗出来ない。と、メイが言っていた。そしてそのメイは、伝説級のポケモンを二体持っていると言っていた。その事を思い起こしてPSSを開くが――。
「あ、会議だ。ダメだ……」
往復に一週間はかかる会議。
フジシロを招集したのはNの協定で、その会長たるメイは間違いなくその場にいるだろう。つまるところ、連絡をとっても間に合わない。
いや、その前に何か失念してないか? と、頭を捻る。
こんな時、サキならどう言う?
アキラなら……と、考えて、ハッとする。
――待って。何で私のPSS知ってるの? それにお母さんってセレビィの中……いや、これは未来で捕らわれた可能性があって、今現在はお母さんが言っていた『ある人に捕まってる』ってやつだ。
サキが言っていた。
あの母は今より未来の世界で捕らわれた可能性があり、この世界で多重に存在しているとは限らないと。先ずはそちらの話で、母が『捕まってる筈』と結論付ける。
でも、ならば何故こんな脅すような連絡を?
それにPSSのコードは……。
サクラはPSSのコードをどこで流したと思案する。シルバーから新たに用意してもらったPSSなのだから、旅立ってからこちらの話だ。しかしヒワダまでの行程で一切こう言う事がなかったのだから――。
ハッとした。
居るじゃないか、知っている人物がこの町に少なくとも三人。
一人はサキ。一人はアキラ。
この二人は違う。宛先は知らないコードだ。PSSはプライバシー保護の名目で、コードだけを電話帳から抽出することは出来ない筈。それには暗証番号が必要と、過保護なシステムになっている。
とすればもう一人の……。
――ソウダ、イコウ。
サクラはそこまで思案すると、一先ず確認だと手早く用意をした。役に立つかは解らないが、身分証等の最低限の荷物と、傷薬を目一杯にポーチへ突っ込んで肩掛けにした。PSSをブラウスの胸ポケットへ入れ、モンスターボール四つとマスターボール一つのベルトを着ける。上からカーディガンを羽織り、そのポケットに海鳴りの鈴を乱暴に突っ込んだ。
PSSを取り出して、サキの画面を開き……。
『――死体が増える』
首を横に振る。
頭の中で、『ヒトリデイカナキャ』と、聞こえた気がした。
「……ごめん。サキ」
約束を反故にしてしまうかもしれない事をごちて、画面を閉じて胸ポケットに再度しまった。
部屋を出て、走る。
ジョーイに「少し出てきます」と部屋の鍵を預け、全力で走った。向かう先は『エンジュシティポケモンジム』。
ポケモンセンターから徒歩五分と言われたそのジムだが、辿り着く前に状況は解った。
ポケモンセンターを出て、方角を臨んだ瞬間、サクラは頭が痛くなる程の強烈なデジャヴに襲われた。
『ワカバタウン』の時と同じだ。
辿り着いたサクラは、観衆に紛れて、言葉さえ失った。
天へ昇る黒煙。バチバチと音を鳴らす炎。
その朱色は、エンジュシティポケモンジムを喰らい尽くすかのような勢いで焼いていた。
そう。サクラのPSSを知っている残り一人は、『マツバ』だ。
フジシロがサクラの保護を頼んだ際に、伝えると言っていた。
うねりをあげて燃える炎に、サクラは母の言葉を思い起こす。
『あんたが今呼べる仲間は私に敵わない』
その言葉に不確かな疑問があった。
『マツバ』は、少なくともレジェンドホルダークラスの『マツバ』はどうなのかと。そしてエンジュシティを見張っている筈の彼の目をどうやって盗んだのか……。
「ああ、あああ……」
サクラは口元を覆って、脳裏に浮かぶ『最悪の事態』を想像した。声を思わず漏らすも、彼女の前に立つ観衆は魅入られたように炎ばかりを見つめている。
遠くで、爆発音が響いた。
観衆の目が、町の南側へ向く。
サクラも振り返った。
ポケモンセンターの方角から、悲鳴が聞こえてきた。
またもフラッシュバックする光景があった。
大地を揺るがすような音と、残酷な黒煙。そして、平和な日常とは対照的な……ぴりぴりとした雰囲気。それらがまるで毒のように、サクラの心を蝕んでいく。
一歩、二歩、後ずさる。
脳裏に浮かぶ『最悪の事態』を……サクラは一度味わった事のある『それ』を、認めたくなくて走り出した。
――サキ。アキラ。助けて。
――ムリダ、ハヤクイカナキャ。
その足は、それでも二人が居るだろう場所へは向かなかった。
サクラは一人、鈴の塔へ向かって走り出した。
※
舞妓さんの演目が突然終了した。
まだ始まって三〇分も経たないうちだと言うのに、それは唐突だった。
「町の南側で火事なんだ! 舞妓さん力を貸してくれ!」
突然、大きな音をたてて扉が開かれたと思えば、男が大きな声で舞妓の舞踊に水を注した。アキラが振り返って見てみれば、その形相たるやかなり切羽詰まったものだとすぐに理解出来た。
「サキ」
「……うん。聞こえてた」
暗い場内で、それでもどんよりとした雰囲気を纏っていた少年だが、そこで顔を起こした。その相貌はまるでスイッチでも切り替えたように険しく、それまでの陰鬱な姿が嘘のように凛々しくなる。
アキラは彼の表情に、小さく安堵する。
中々どうして、こういう時の切り替えの良さはサクラが惚れるのも分かる気がした。
サキと目を合わせ、その後今一度闖入者を振り返る。
解せなかった。小火程度ならば、ジムにいるポケモンや町の消防団がなんとか出来る筈だとは、アキラは良く知っている。切羽詰まった様子を見る限り、対応しきれないと言う事は間違い無いだろうが、でも何故ここへ――。
「ジムも燃えている! 手が回らないんだ!!」
その言葉で、アキラは目を見開いた。
どういう事? ジムが燃えてるって……。
反芻し、事態を推測しようと試みる。
ジムが燃えているから手が回り切らないと言う事は理解出来たが、そもそも小火の状態で、ジムの保全機能が作動して鎮火していないことが、先ずおかしい。明らかな異常事態だ。
そしてそれは――。
と、アキラが答えに手を掛けようとしたところで、サキが立ち上がる。
同時に男の声もあがった。
「行くぞ。アキラ! サクラが危ねえ!」
「町の南側が、襲われてるんだ!!」
彼は即座に、アキラの手を引いた。
訳がわからないまま引き摺られるようにして、アキラは彼の後ろで何故その結論に至ったかを問う。
「いいから!」
怒鳴るサキへ、引かれた腕を払って、横に並ぶ。
サキと共に、闖入者の横を通り過ぎた。
館内を走り、ざわめくロビーの雰囲気を他所に、彼は叫んだ。
「ジムの狙いがマツバなら! 今サクラを守れるレジェンドホルダーが居ねえ! どこにも!」
「……まさか!」
サキは扉を殴るように開ける。
外へ飛び出せば、二人して息を呑んだ。
町の南側が襲われてると言った男の悲鳴を裏付けるように、幾多の火の手があがっていたのだ。その黒煙は既に高く、発火から時間が経っていることを教えるようだ。
その様子を確認したサキは、踵を返して町の北へ向かおうとした。
「町の南は囮だ!」
「でも、サクラはポケセンに――」
サキを引き留め、南を指す。彼はしかし、首を横に振って、またもアキラの腕を強引に掴んで走り出した。町の北へ。
「ちょっと、サキ! 何故か説明なさい!」
サクラが先程帰った先はポケモンセンターだ。PSSで打ったメールにも、彼女はポケモンセンターで待っていると返事があった。そのポケモンセンターは南にあり、事実南側で騒動が起こっているじゃないか。
彼は、首を振った。そして叫ぶ。
「マツバからPSSを奪えばサクラのPSSに連絡出来るだろ! ポケセンに居てもサクラがポケセンにルギア預けてる可能性だってある。襲うなら持ち出させて呼びつける筈だ!! それにポケセン襲うならジムと二ヶ所だけ襲えばいいだろ! 騒ぎになってる時点で、間違いなく囮だ!」
ハッとした。
アキラは目の前の少年が、本当に先程までぐずぐずと泣いていた少年なのかと背筋を凍らせる程に驚いた。
この短時間。
この瞬間的な判断力。
なんだこの男は、なんていう推測をこの一瞬でしてしまうのか。
「サクラが呼び出されるなら!?」
「決まってる。エンジュで人が入れねえ場所は、一ヶ所だけだろ! 俺だって知ってる」
そう、鈴の塔だ。
「あいつ、ぜってえ脅されてる。じゃなきゃもう俺らのPSSは鳴ってる筈なんだよ!!」
この騒動。
少年は自分のPSSが鳴らなかった時点で、既に理解していた。
『来るべき時が来た』と……。