頬が熱い。サクラはロロをモンスターボールに戻して、最深部らしき場所についても、身体中が上気しているように感じた。
――ああもう私のバカ。バカバカ。何を口走ってるの。ほんとバカ。でも、サキも絶対聞こえてたのになんで知らないフリするのよっ! 聞こえてたよね、あれ……絶対。私滑舌悪くないもん。絶対聞こえてる。ああもう、バカバカバカ。心無しかサキも顔合わせてくれないし、ほんと何やってんのよ。バカじゃないの私。……ってバカなんだよ私。もうほんとなんでこんな時にアキラ居ないの。アキラ助けて。アキラーっ!
と、ずっとこんな調子である。因みに見た目としてはどこか煤けたように色彩を失った感じで、おそらく彼女を絵に表せばきっとフルカラーもモノクロになってしまうだろう。
その横に佇むサキは、それでも飄々としていた。間違いなく聞こえていた彼は、それでいてひとつ決意し、それが彼を堂々とさせた。しかし決意が何かと聞けば、彼はきっと答えやしないだろう。
「へえ、最深部って泉になってんのか」
サキはあくまでも淡々と感想を述べた。横でサクラはこくりこくりと繰り返し頷いては肯定する。
頬を真っ赤にして喋らないサクラの様子に、しゃあねえなぁとサキは呟いた。ゆっくりと歩を進めて彼は少女の前に立つと、「わっ」と言って柏手を打った。
「……え?」
「あれ、びっくりしねえの?」
キョトンとするサクラ。勿論呆けてはいたが、サキの一挙手一投足はちゃんと見ていた。構えるところを見ていた柏手に驚けと言う方が無理な話である。しかしサキは「おっかしぃなぁ」とぼやいて、頭を掻いた。
「あ、うん。励まそうとしてくれたのね?」
「ボーッとしてるから、な」
誰の所為だ誰の。……私の所為だ。
と、サクラは心の中でひとつぼやいて、溜め息混じりに『海鳴りの鈴』を出した。
「ルギア、どう?」
聞いたのはそれだけだった。しかしここに至る理由は事前に話してあり、彼はちゃんと意図を汲んだ。
『……気配がする。呼び掛けてみよう』
彼がそう言うと、二人が見守る中、鈴は淡く光った。サクラの小振りな手のひらの上で、透き通った鈴が、僅かに揺れる。
――リーン。
いつか聴いた事のある音色で、音が響いた。たった一度だけだが、しかしそれで光が強くなり、普段の水色よりは白に近い色を醸し出す。その光は徐々に強くなっていくが、サクラの両手分くらいの広さで肥大は止まり、やがて鮮やかに弾けた。途端にいつもの淡い水色の光へと戻る。
ルギアが今一度声を出した。
『……主よ』
少しばかり気落ちしたような声色だった。その声で、二人は肩を僅かに落とし、その結果を察する。
『ラプラスは今、子を抱えていると言う。こちらに来るのは難しい』
子を抱えている。その言葉に小さな感嘆符を漏らしながら、二人は一度視線を交わす。そして頷き合った。
難しいと言うよりは、無理だろう。子を成すと言う事は、自然界においては非常に強い意味を持つ。普段は弱々しいオタチでさえ、子を成せばどんなに強いポケモンにも縄張りを譲ろうとはしなくなるものだ。
ラプラスもきっと、子を守る為に動けなくなっていて、不思議ではない。
むしろ逆説的に、ロロを助けた時は身重だったのではないかと思わせる。ラプラスが出産なのか産卵なのかは判らないが、それでも大変な時期だったのは想像に容易い。そんな状態で彼女を助けてくれたのだとすれば、その優しさにはもう何と言って礼を尽くせば良いかさえ解らなくなる。
「……仕方ないね」
『主よ、提案なのだが』
ルギアはサクラにそう言った。うん? と、小首を傾げて、少女は彼の言葉を待つ。
『ラプラスが私にした事を、彼女に同じように返すのはどうだろうか。一方的にはなるが礼を告げる代わりに、ミロカロスが元気である事は伝えられよう』
少女は勿論、二つ返事で御願いした。
ルギアが選んだロロの元気な姿とはどんな姿だったのか、二人には分からなかったが、ラプラスからルギアに向けて『ありがとう』と、返事があった。
聞こえるかは分からなかったが、サクラは水面に向けて、小さく「こちらこそ」と告げて、そこを立ち去る事にした。子供がいるのなら、あまり長居をすれば彼女を不安に思わせるだろうと、そう思っての事だった。
※
先程一悶着した小島に戻る。そこでサクラがPSSを開いてみれば、時刻は夕方も終わろうかと言う頃合いだった。
「どうする? このまま帰るか?」
「……んー」
サクラはしかし、まだ帰りたくない様子だった。サキはそれならもう少し辺りを探索するかと提案し、サクラはそれもまたしぶしぶと言う雰囲気で了承した。
ロロに「適当に」と道を委ねては前を向くサクラの背に、疲れたかな? と、サキはそう疑問を抱いた。休憩はきちんととったとはいえ、あんな悶着になったものだから休めるものも休めていないのは事実だろう。そのあと彼女自身、自分が呟いてしまった事に対して酷く慌てていたようで、その分気疲れもしたのだろうと思う。
サクラの肩から右手を離し、ロロの尾を軽く撫でた。次いで水面を軽く叩いて、水中で警戒に当たらせているアリゲイツをこっそりと呼び出す。
――ちょっと開けた場所頼むわ。
水面から覗くアリゲイツと、ロロ自身に向けてそう頼む。勿論言葉に出していないので、伝わるかは分からなかったが、それでも二匹は僅かに速度を上げた。
そして二人は二匹に、とある岩場に案内された。
そこでサクラは辺りを見渡して、零すように呟く。
「ここは……」
「知ってんのか?」
「うん」
岸辺から上がってみれば、そこそこ広い岩場だった。洞窟の端っこらしく、二方向は壁であり、拓けている方には特に陸繋がりの場所はない。隅っこに四角い形で出来上がった岩場、としか言い様がないものの、広さは上々。ポケモンセンターの宿舎の一室くらいはあるのではないだろうか。
おそらくは偶然だろうが、良い場所をありがとうと言う気持ちで、サキはアリゲイツを戻す。サクラもロロを労っては力無く戻した。その姿を見て、彼は「一休みするか?」と聞き、しかしここを知った様子の彼女は一方を指差して首を横に。彼の提案を否決した。
「あそこ見て? 外出れそうでしょ?」
二人の上がった岸辺からは少し離れ、遠目の壁に穴が空いていた。丁度人一人が通れる程の穴だった。外の日が落ちてしまったせいか、初めてここに来たサキは全く気づかなかった。
「ほんとだ……。あれ外に通じてるのか?」
「一応……って感じかな。外には出れるんだけど、ちょっとした広場になってるだけなの」
成る程。ヒワダやアルフ遺跡、キキョウとは通じては居ないと言う事だろう。しかし広場ならば丁度良いじゃないか。
「んじゃさ、そこの広場で今晩過ごすか?」
「うん、いいね。特に危ないポケモンも出ないから多分大丈夫」
二人は頷き合い、靴下と靴を履き直すと、その穴へ向かった。