天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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第二話
シャノン


 拳骨ひとつ。

 遅ればせな自己紹介。

 

 少年は目尻に涙を浮かべながら、恭しくお辞儀をした。

 

「遅くなってごめん。サキです。一二歳。こんななりしてるけど男。……さっきはいきなり攻撃してごめん」

 

 先程までの不遜な態度はどこへやら。

 父に叱られれば、少年、サキは子供らしい姿になった。

 

 しかし、一度下げられた頭は、父親たる男、シルバーによって、「目上の相手だろ。もっと下げろ」と、再度腰の高さまで押さえつけられる。小さな悲鳴と共に、彼は肩を竦ませながら倣った。……どうやら父親が余程怖いらしい。

 その男、どうも見た目に相応しい部分はあるようだ。あくまでも柔らかな雰囲気は外面というものだろう。

 

 と、サクラが唖然としていれば、唐突に男はこちらを振り向く。

 

「サクラ。サキが生意気な口を叩いた事は本当にすまない。許してやって欲しい」

 

 そう言って、彼も頭を垂れた。

 思わずサクラは両手で制して、「そんな」と抗弁をした。

 父が頭を下げる様子に少なからず思うところがあるのか、サキもより深く頭を下げる。

 

「本当にごめんなさい。親父に危害を加える奴等かもしれないと思ったんだ」

 

 いいや、サキの言い分は正しかったし、対応も当然だった。悪いのは自分だ。

 サクラはそう思って、必死に手を振った。

 

「そんな、もういいよ。怪我も無かったんだし」

 

 再度そう言って、頭を上げるように言う。

 

 あの後、事情を聞いたシルバーは、間髪入れずにサキを叱った。

 客が来ると伝えていたらしく、且つ相手は年上で、更に女性だろうと、その声はまさしく憤怒(ふんぬ)を顕にしていた。

 強面の顔付きを惜し気もなく使い、それでいて怒鳴るではなく、凄むような雰囲気。傍目のサクラから見ても、凄く怖かった。

 

 それはサキが謝罪した今でも変わらず、威圧感はそのままだ。

 まるで巨悪の頭目が醸し出すような雰囲気に、怖気づきそうになる。

 

「シルバーさんも、私がポケモンを出していたのが悪いので……」

 

 ただ、大人に頭を下げさせた行為に、サクラ自身も強い罪悪感に襲われた。

 特に切っ掛けは自分の不手際なのだ。

 サキが叱られたことと、シルバーの謝罪の弁については、自分の行為ありきなものではないとはいえ、流石に罰が悪い。

 サクラは何とか頭を上げるように頼んだ。

 

 すると暫くして、サクラの言い分を聞いてか、熱が冷めてかは分からないが、漸くシルバーが頭を上げる。

 ホッと息を吐くサクラに対して、「じゃあ」と言葉を繋ぎ、歩み寄って来た。

 

 目を細め、眉間に皺を寄せ、口角の片方が吊りあがっていて……その表情たるや、未だ威圧感は健在。

 サクラの背筋がゾクリと音を立てた。

 先程感じた虫の知らせが、一層増して襲ってくる。

 

「今度はヒビキの台詞な」

 

 と、物凄く良い笑顔と、凄まじく怖い雰囲気を両立させて、シルバーは言ってきた。

 

 思わず頬を引きつらせて、「は?」と返すサクラに、シルバーはその鋭い双眸を細めてギロリと睨んでくる。

 それだけでサクラは身体の芯から震えた。

 あまり経験も無いのに、『怒られる』と確信した。

 

 シルバーはふうと息を吐くと、腰に手を当てて改まった。

 

「ヒビキなら、『ちゃんと考えて行動するんだ。自分が悪いと思ったのなら……自分も悪かったじゃなく、自分が悪かったと、もっとしっかり謝りなさい』……と、言うだろうな」

 

 言われてサクラはハッとした。

 

 確かにその通りだ。

 自分()悪かったじゃない。

 自分()悪かったのだ。

 頭を下げもしないで言葉だけで謝って……それはとても不躾な行為ではないか。

 

 サクラは理解するなり、サキへ向かって即座に頭を下げた。

 

「サキ君。私、サキ君が言う様に、人を訪ねる態度じゃなかった。本当にごめんなさい」

「あ、うん。俺こそ、ごめん」

 

 二人の様子を見て、シルバーは良しと頷く。

 サクラは女の子だから拳骨は無しだと付け加えて、柔らかな笑みを浮かべた。

 そこに先程までの怖い雰囲気はこれっぽっちも無い。

 

 彼は含むように笑って、破顔した。

 

「まあ、俺も若い頃はやんちゃしたもんだ。だからこそ言っとくが、話し合いで解決出来る時は話し合いで解決しておけ。ぶつかって傷付くのは本当に必要な時にするんだ。……いいな?」

 

 そう言って、再度改まってにっこりと笑う。

 口角の端に刻まれた皺が、そのまま言葉の重みに感じた。

 

 まるで自分の父親みたいな言い分だったが、不思議と悪い気はせず、サクラからすれば初対面に近い人である事等、忘れてしまえる程だった。

 

――この人が両親(ふたり)のライバルだった。

 

 そう実感するように、胸の奥が熱くなる感覚を覚える。

 ウツギ博士は人に言って聞かせる事はしても、滅多な事では怒ったりはしない。特にサクラは聞き分けの良い子供だった自覚もある。人に叱られる事自体、あまり経験していない。

 

 シルバーは父を持ち出して説教をしたが、こうしてみると、確かに両親がそのまま言っているようにさえ感じた。

 

「さて」

 

 と、シルバーは柏手を一つ。

 明後日の方向へ視線を逸らし、事態の収拾が付いたことを宣言するようだった。

 

 未だ頭を痛そうに押さえるサキと、感慨覚めやらぬサクラは、彼を見上げる。

 すると彼は先ず、サクラへ片手を差し出してきた。

 

「サクラ。預かった書類をくれ」

「あ、はい」

 

 自分のリュックサックを降ろし、中を開く。

 着替えが入っているので二人へ身体を挟むように背を向けて、中をまさぐった。手の感触だけでそれらしいものを探す。

 やがて折れないようファイルの間に挟んでおいた茶封筒を取り出した。

 

 リュックサックの口を閉じて、今一度背負い直す。

 先程から傍らで待ってくれていたシルバーに向けて、差し出した。

 

「こちらです」

 

 シルバーは一つ頷き、礼と共に受け取る。

 そして(わざ)とらしく改まって、「じゃあ」と零した。

 

「俺は書類確認してくるから、さっきの続きやってな」

 

 うん? と、サクラは小首を傾げる。

 

「さっきの続き?」

 

 疑問を口に出しても、シルバーは答えることなくこちらに背を向け、民家へ向かって行った。

 その背を見送っていれば、通り過ぎ様に合図されたらしいサキが、ハッとした様子で割り込んだ。

 

 少年は目尻の涙をサッと拭う。

 そして、闘争心を顕にするが如く、にやりと笑って見せた。

 

「バトル、ちゃんとやれってさ」

 

 そこで合点。

 

 先程は不意打ちと防御の応酬だったが、トレーナーたるものバトルは挨拶代わり。……そう、挨拶をやり直せと言うことだ。

 

 勿論、サクラは二つ返事で頷いた。

 

 

「いけ、ワニノコ!」

「ルーちゃん。お願い!」

 

 二人のボールが互いの距離を埋めるかのように飛び合い、途中で開いて発光。中から光に包まれたシルエットを吐き出して、互いの手に戻る。

 

 先程対面した二匹が、改めてその場に繰り出された。

 

 同時に選出したが、初手は水タイプと草タイプの対面で、相性的にはサクラが有利な選出。

 しかし、彼女は忘れていなかった。

 先程このワニノコはルーシーの『マジカルリーフ』を撃ち抜く程の『水鉄砲』を放ったのだ。未だ先程ルーシーに気圧された感覚が拭えないのか、ワニノコはルーシーを見て僅かに身体を震わせているが、臆した様子も無い。

 対面的に有利だとしても、決して油断出来る相手ではなかった。

 

「ルーちゃん、宿り木の種で牽制(けんせい)!」

「ワニノコ、水鉄砲で撃ち抜け」

 

 互いの指示が交わされる。

 

 ルーシーは即座に身体を一回転させ、身体の葉に隠れた部分から大量の種を飛ばす。

 対するワニノコはその種を的確に射撃し、自分に降りかかってくる分だけを的確に弾いていく。その命中精度たるや目を見張るものだ。サクラはすぐに察した。

 しかしこの攻防はワニノコが防御側。

 ルーシーが二度目の宿り木の種を飛ばす姿を認めた少年は、ワニノコに向けて片手を振った。

 

「ワニノコ、遠距離は不利だ。牽制しつつ突っ込め!」

 

 その指示で攻守交替。

 今度はサクラが対応する番だ。

 

「フラフラダンスで回避して反撃!」

 

 ワニノコの動作は中々に速かった。

 進化前ポケモン特有の身軽さで草むらを駆けながら、水鉄砲を放つ。その狙いはやはり的確で、確かにルーシーの行動を制限するようだった。

 しかしルーシーも負けていない。

 水鉄砲を最小限の動作で避け、ワニノコの接近に備えている。

 

 そして、その攻防が繰り返される内、互いの距離が詰まる。

 突如としてワニノコの大口が、草むらから飛び出すようにしてルーシーを襲った。大きな口を最大限に活かした『噛みつく』だ。

 しかし、続いて響いたのは、ガチンという歯が空振りした音。

 ワニノコがルーシーだと思って噛み付いたのは、揺れる葉っぱだった。

 

「メガドレイン!」

 

 空振りによって大きな隙を晒すその背へ、ルーシーの葉のような手が当てられる。

 即座にワニノコの身体が緑色のエネルギーに包まれた。

 その双眸が大きく見開かれ、きゅうと鳴き声を上げて、倒れこむ。

 

 そこで決着。

 初手の勝敗は決した。

 言うまでもなくルーシーの快勝だった。

 

 二人は二匹をモンスターボールへ戻して、それぞれのボールへ微笑み掛ける。

 各々の言葉で彼等の勇姿を労った。

 

「惜しかったな。ワニノコ」

「お疲れ様。流石ルーちゃん」

 

 僅かに透過している上部を通して、ボールの中で両手の葉を合わせてにっこり笑うルーシーの姿を認める。

 どうやら本人にとっても、大満足なバトルだったようだ。

 

「サクラ! お前の持ってるポケモンって二匹か?」

 

 ルーシーをベルトに戻していると、そう声を掛けられた。

 サクラは視線を上げて、頷いて返す。

 すると、既に腰へ回していた手を胸の前へ改める少年。透過部分から中のポケモンを見下ろして、今一度こちらへ直ってきた。

 

「んじゃ、もう一戦頼むぜ?」

「喜んで!」

 

 挑戦的に微笑むサキへ、サクラもレオンが入ったモンスターボールを取り出して、微笑み返す。

 

 普段は指南を求められるばかり。本気で戦える機会は中々少ない。

 だから……という訳ではないのだが、持てる実力を遺憾(いかん)なく発揮出来るバトルはとても尊くて、楽しい。

 

 そう言わんばかりに、サクラは笑顔でボールを投げた。

 

「レオン、宜しく!」

「いけ、シャノン」

 

 モンスターボールの発光と共に戻るボール。

 シャノンとは聞き慣れない名前に、サクラは目を見張る。

 

 レオンという名前のチラチーノの前。

 悠然と、物静かに立つ一匹の猫。

 

 猫……ではあるが、二足歩行だった。胸の前で組まれた前足には、鎌のような鋭い爪。そして、その凶暴さが垣間見えるような見た目に相応しい鋭い目。

 そのポケモンは――。

 

「ニューラ……」

 

 サクラは思わずごくりと喉を鳴らす。

 タイプは氷と悪タイプ。

 特徴は頭の良さと俊敏な動き。

 鍛え方次第では、チラチーノより素早いかもしれない。

 

 静かに佇むシャノンという名前のニューラは、先程繰り出されていたワニノコよりも随分鍛えられた雰囲気があった。獰猛(どうもう)で残忍な気性を持つと聞くが、それを顕にしている様子も無い。

 鍛え方も、(しつ)け方も、ばっちりと言えた。

 練度はレオンと変わらないかもしれない。

 

「シャノン、いけ!」

「レオン、構えて!」

 

 お互いに技の指示はなかった。

 しかし、即座にシャノンの姿は風を切って消える。

 『電光石火』だ。

 その速さはサクラの予想を遥かに越えていた。

 

「チィッ!」

「レオン!?」

 

 宙を舞うレオン。

 辛うじて手で庇った様子は見られたが、おそらく彼自身何が起きたか解っていないだろう。驚愕を顕にするように、目を見開いていた。

 

 それほどまでにニューラの動きは速かった。

 

 次の瞬間には、宙に浮いたレオン前へシャノンの姿が現れ、一撃。

 更に地へ叩き落とされたレオンの下にまたもその姿が現れ、二撃。

 横に吹き飛ばされた彼をダメ押しに追って、三撃目。

 

 あまりに速い連撃だった。

 その全てを何とかいなしたレオンは、大地を尻尾で弾いて、受け身をとった。

 

「は、速い……」

 

 シャノンの『袋叩き』を見て、その強さを理解した。

 同じくスピードタイプで防御が手薄なチラチーノが耐えれた事から、やはり練度そのものは変わらないだろうと思えるが……スピードタイプが速さで負けてしまうと、中々に勝負は難しい。

 おそらく、攻防においてはレオンの方が優秀だろう。しかし、その差も知れている。あくまでも連撃を叩き込んでこそ。それがチラチーノというポケモンだ。

 速さで勝てないとなると、そもそも連撃そのものが成立しない。

 勝負にならないだろう。

 

――そう、奇策でもなければ勝てやしない!

 

「レオン、種マシンガン!」

 

 サクラは手を振って、ニューラが佇む場所とはてんで違う所を指差す。

 

 レオンがこちらを一瞥。

 ハッとした様子をして、口内から緑色のエネルギーを辺りへ掃射した。

 シャノンは得意の素早さで、その種を最小の動きでかわし――。

 

「シャノン!」

 

 サキが奇策に気付いたらしい。

 ハッとしてシャノンを止めるが、もう遅い。

 

「ニャッ!?」

 

 唐突に隆起する地面。

 地上から伸びてきた(つた)によって、シャノンは足をもつれさせる。

 そのまますっ転べば、未だ成長する蔦に、身体の自由を奪われた。

 

 そう。

 そこいらには先程ルーシーが撒いた宿り木の種が落ちている。

 ワニノコは『自分に向かってくる種』は弾き飛ばしたが、それ以外は大地に刺さったままだ。そこに養分となる種をレオンが打ち込み、宿り木の種に栄養を与えた。それが成長し、トラップになった訳だ。

 

 シャノンは袋叩きでレオンを弾き飛ばしたが、その姿を深追いした所為で、ワニノコが作り出した安全地帯を出てしまっていたのだ。

 

「……チッ。しゃあねえなぁ」

 

 悪態と共に、少年は溜め息を吐く。

 サキは悔しそうにシャノンをボールへしまった。

 サクラも駆け寄って来たレオンを一頻り撫でて労ってから、ボールに戻してやる。

 

 少しして、宿り木が枯れる。

 それを認めていたサクラの傍らに、サキが歩み寄ってきた。

 向き直れば、どこか照れくさそうに視線を逸らす。

 

「結構つえーじゃん?」

「ありがと」

「親父に結構鍛えられたんだけどなぁ……。やっぱ見てるポケモンの数が違うか」

 

 彼は一人ごちて、頭を掻く。

 どういう事か聞けば、まともなバトルはあまり経験が無かったんだと言った。

 

 実戦経験が少ないとは、あまりに予想外だった。

 彼の指示は特攻に近く、確かに愚直な面はあったが……そうは思えない程にポケモンが鍛えられている。一体どれ程の研鑽(けんさん)を積んできたのだろうか。

 サクラは思わず目を瞬かせた。

 

「良い経験になった。ありがとな」

 

 初対面の威圧的な態度はどこへやら。

 サキはにっこりと人懐っこい笑みを浮かべて、サクラへ握手を求めてきた。

 笑顔と共にその握手に応える。

 

「私も。レオンより速い子初めて見たよ」

「そっか? 親父のマニューラはもっと速いぞ?」

「あの子より速いとか反則だよ」

 

 二人はそう言って互いを褒めながら民家へ向かって行った。


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