スープをすすり、ふうと息を吐く。
PSSで時刻を確認すれば、まだ昼を少し過ぎた頃合いだった。予想外に時間が流れていなかったので、このまま順当にいけばおそらく日帰りは楽に叶うだろう。方向音痴と相棒に揶揄されるサクラでさえ、逆に迷うのが困難な程分かり易い道程だし、加えて所々に看板が立っているのだから迷う筈もない。
空は苔が茂る岩が、エメラルドグリーンに光っている。電灯の光を水が反射しては、苔の色が際立っているだけなのだが、とても綺麗だと思えた。
サクラは両手で持った器を口に寄せ、一口飲む。コーンが浮いた黄色いスープで、サキが作ってくれたホットスープだ。因みに火は辺りの石で小さな釜戸を組んで、その上に彼が持ってきた三脚を組み、釜戸に発熱性能がある玉を入れたそうだ。洞窟の中では基本的に火を使う事はオススメされず、その玉は直接的に火は出ないので重宝された。それがなんなのかと彼に尋ねれば、彼は「上級者向けのポケモンの装備品」にもあたるものだと言う。
「まあ本来はポケモンに持たせるもんだけど、そういうのって他にもあんじゃん?」
と、先程まではひたすら黙々とスープをかき混ぜていたサキが、途端に饒舌になる。サクラは薄く微笑んで、「例えば?」と、聞き返した。
「ほら、さらさら岩ってあんじゃん? あれって吸水性能があるから、濡れた布巾とか乾かせるんだよ。あと逆に湿った岩とか火に放り込むと火消せるし」
なんともサバイバルな話である。サクラは少し苦笑しながら、口を開いた。
「シロガネ山にいた頃の知識?」
「んだな。向こうにいた頃は洗濯物外に干せねえから」
「それやだなぁ」
と、笑って返す。サキもだよなと言って、大袈裟に笑った。
不意にサクラはそうだ、と思い立って、サキに指を立てて見せた。
「ねえ、どうせだから少しゆっくりしてさ、サキの話聞かせてよ」
「……へ?」
少しばかり不躾な言い方だったからか、サキはキョトンとした様子で小首を傾げた。サクラは「あー」と、どう言ったものかと頭を掻いて、しかし短く纏めるには少女にとって難しいものがあった。仕方なく羅列を並べた。
「えっと、このままラプラスに会いに行っても、日帰りになっちゃって、また一日潰さなくちゃいけないでしょ?」
特に意味もなく、サクラは指を立てて宙に円を描く。サキはその仕草に首を傾げながらも、うんと溢す。
「んで、サキの話ってあんま深く聞いた事無いし、どうせなら折角だし聞かせて……ってあれ?」
サクラが話すうち、サキはみるみる内に頬を染めた。真っ赤になって、ぷいとそっぽを向く。
「い、いや、お前の方が話してなくね? 俺結構喋りだしさ……。ほら、留学の事とか、レオンとかルーの事とか」
「……そう言えば話して無かったっけ」
「うん」
照れ隠し宜しく、『折角だし一晩一緒にいよう』と遠回しに言われたサキは、それでいて照れを隠せなかった。そんな彼の心情を察してか察せずか、少女はサキの言うままに苦笑する。
「んじゃどうせだから食休めがてらに失礼して……」
そう言って少女は立ち上がると、サキの横にとてとてと駆け寄り、そこで膝を崩した。知ってか知らぬか、サキは彼女の遠慮無い動作にやはりドキドキとしながら、彼女と肩が触れそうな距離でごくりと生唾を呑んだ。
少女はしかし寂しそうに、空を仰ぐ。その瞳に映るはエメラルドグリーンの岩ではなく――。
※
昔ね、私ポケモン嫌いだったんだよ。
うん。本当に小さい頃の話ね?
事ある毎に『英雄の娘』『英雄の娘』って言われてさ、バカじゃないのって思った。だって私お父さんとお母さんの事、ほとんど覚えて無かったんだよ? そんな私に、『誰々の娘』って、本当子供心に腹が立ったなぁ……。
ん? いや、この前のセレビィの時は、私むしろお母さんって解んなかったよ? ほんとほんと。「誰ですか」って聞いて、すんごい肩落としてた。
まあ、そんな子供だったからさ、すんごくひねてたのよ私。確かに少しは覚えあったよ。お父さんは真っ直ぐな人で、お母さんは優しかったって今も思い出せるし。
でも事ある毎に言われると、こうなんていうか……あんたら皆バカじゃないのって思ってさ。私も本当、すんごいひねてたもんだから……。んー、どんくらいって、まあ、あんたらが私を『英雄の娘』だとか言うのなら、あんたらの子供は皆『バカの子供』だねって、むしろ真っ向から言っちゃうような子だったかな。
でもって、私バカだから学校の成績も良くなくてさ……。うん、もう生粋のバカ。一〇〇点とかお目にかかった事無いもん。
そんなだから私、親が居ないから躾がなってないだの、英雄の娘なのになんて無礼な娘だとか、親の面汚しになるようなバカだとか、そんな風にいじめられて……。ああ、怒んなくていいよ。全部アキラと出会った時に、アキラが『あなたたちこそきっすいのばかだ』とか言って、大人もろとも泣かせたから……ほんとほんと。
そんでまあ、そんな感じで育ったからさ、ウツギ博士も気を遣ってポケモン遠ざけてたし、私ほんとポケモンと接点無かったんだよね。たまーに学校に連れてくるバカな子とか、通学路とか、町中で見かけるぐらい。……あ、そうそう。学校に通ってた頃はキキョウに居たのよ私。うん、そん時はアキラもキキョウシティに住んでた。全寮制みたいな感じ。キキョウに元から住んでる子とかは、実家から通ってたけどね。
と、ごめん話逸れたね。
そんな感じの環境と、私の破天荒さ? みたいなのが合わさって、それで私ポケモンが嫌いなんだと思ってたんだよ。それでもアキラとすんごく仲良くなって……きっかけ? んー、確か私が男の子と取っ組みあいしてたら『はしたない』とか言って乱入してきて……そそ、乱入。もう私も男の子もボッコボコにされて。
え? いや、あの頃はアキラも別に小さくなかったし、普通に喧嘩強かったのよ。それこそアキナさんと良く喧嘩してたとか言ってたし。それがきっかけだったかな、『あなたえいゆーのむすめとかってちやほやされてるばかでしょ』とか言うもんだから大喧嘩になって、そんなの望んで無いもんって言って喧嘩した。んで、気が付いたら味方になってた。そそ、気が付いたら。
『あなたたちそのこえいゆーのむすめとかっていわれるのがいやなのよ! そのこはさくらってなまえでしょ!』
って、大人相手に掴みかかってさ……。んで大人は大人で、まあアキラのバックにアカネさんを見てたんだろうけど、すまなかったって言って、それでもアキラ納得しなくて、『すまなかったじゃなくてごめんなさいでしょ! あんたらほんとうにおとなですか!』ってさ……。うん、アキラらしいよね。
それでまあ、話戻すと、そんな感じで仲良かったから、アキラが留学するって言うもんだから私も行くって言っちゃって……。お金? ウツギ博士がいいよって言ってくれたから、多分博士が出してくれたんだと思う。私まだその時七歳とか八歳で、全然お金とかわからなかったから……。はい、バカでした。
まあそれでイッシュに二週間くらい短期留学したの。そう、二週間くらいだよ。まあ簡単に言えば文化留学みたいな感じだったから……そそ、ポケモンとかの。おかしな話だよね。ポケモン嫌いなのにポケモンの為の留学に参加してんだもん! あはは、もう、笑っちゃやだってば。
その留学はそれでも楽しかったよ。はじめの三日間くらいは。そう、三日間くらいだね。楽しかったの……。
留学先の学校の近くにプラズマ団のアジトがあってさ……場所? 覚えてないない。ほんと私子供の頃だよ? ここが何て言う町かなんて気にしてなかったもん。プラズマ団の名前とかそういう知識だって、後になって博士から教えてもらったものだし。
まあ、そのプラズマ団のアジトがね、爆発したんだよ。それこそ学校に破片が飛んでくる勢いで。
嵐みたいな雨が降ってる日でさ。周りの子は必死に逃げていくのに、私とアキラは留学生だからどこに逃げたらいいかわかんなくってさ。皆の後ついていってたんだけど……恥ずかしながら私がすっ転びまして。アキラが宥めてくれたけど、怖かったし痛かったしで私大泣きしてさ。
やっと泣き止んで校舎から出れば、もう町にさえ人気が無くて、そこに白い服を着た……そう、プラズマ団の男の人が現れたの。
プラズマ団がなんたるかは兎も角、テレビのニュースで見た事はあったから悪い人だとは知ってたよ? だから私もアキラも怖くて震えて動けなくて、そしたらその男の人、か細い声で言ったの……『良かった、人がいた。人がいた……』って。
モンスターボールを三つ。私達に託して、『この子達に罪はないんだ』、『助けてあげてくれ』って、持っていけって言われて。
そん時少し離れた所でまたドーンって爆発があってさ、気が付いたら男の人は居なくなってて、私とアキラは必死になってどこかわからない森に逃げ込んだ。森に入ってはさ迷って、お腹は減るし、モンスターボールは重いし。
やっと発見された時には即入院だったね。って言っても数日だけど。
んで私とアキラ、そのポケモン持ってたら襲われるんじゃないかって思って、まあ卵だからトレーナーID登録されてないの知らなくてさ。結局退院した日に確認に行って、引き取り手が居ないならポケモンセンターに預けてって言われたんだけど……。
ねえ、サキ。
必死に泥まみれになってまでして、いい大人が涙目になりながら渡してきたモンスターボール……無責任に投げ出せる? 無理だよね。うん、無理だった。
いくらポケモンが嫌いでも、私とアキラはその卵を持って帰る事にしたのよ。結局、持ち主は現れなかったし、……多分まあ、後になって調べたらプラズマ団の残党は全員死んだってあったから、現れなくて当然なんだけど。それで、私とアキラで卵を見ることになった。寮だけど個室だったから、隠すのは簡単だったよ。
ただまあずっと持ってる訳にもいかないから、月に一回の保護者面談の日に、産まれたばかりのチラーミィとチュリネを預けたの。……うん? ああ、私がポケモン嫌いだからって、アキラがどうせならこの際好きになりなさいって二匹渡してきたのよ。そう、もう一匹がウィルちゃんだよ。
博士は事情を話せば色々察してくれて、二つ返事でオーケイしてくれた。それで卒業したらすぐに迎えに行ったんだよね。……一〇歳の頃だよ。そう、だからはじめの面倒見てくれたのは博士。だから多分レオンとルーちゃんにとっても、博士は親みたいな感じ。
んで、戻ってから初対面。その時さ、二年ぶりなんだよね。二年ぶり。丸々。だって私それでもポケモン嫌いだったもん。会おうと思わなかったの、ワカバに戻るまでは。
会ったらどうなったって、見ればわかるでしょ?
すぐに打ち解けて、ふたりが大好きになって、すぐに博士にもう大丈夫だから独り暮らし……まあ、お父さんとお母さんと過ごした家ね? そこに帰りたい。この子達いるから大丈夫って。
まあ博士の家まで徒歩一分だったし、それで……うん。暮らしはじめた。
え? ああ、名前は博士に預ける時に聞かれて、その時ポケウッドで出てた映画で適当につけたの。……酷いとか言うな。今じゃちゃんと気に入ってるもん。
まあ、つまるところね。
私はアキラと出逢ってから、独りじゃなくなったんだよ。アキラと、レオンと、ルーちゃんと……アキラの友達とも仲良かったしね。
まあ度々アキラとは遊んだよ。コガネに小旅行したり、アキラが来たり……ね。
もう戻れないけど、大事な思い出だよ。