肩を跳ねさせながら走ってくるサクラを、サキが労いと共に迎えた。サキのファンが二人を取り囲み、少年のファンを名乗りながらも少女の戦いぶりを絶賛する。
「本当すごかったです。バタフリーをあんな速く倒しちゃうなんて」
「ミロカロスなんてポケモン初めて見ました! 尾が折れてしまってるのに、とても綺麗でした」
わっ、えっ? あ、ありがとう。と、あたふたしながら少女は見知らぬ少女達の絶賛に会釈して返す。サクラはサキと違ってファンやスポンサーの確認が無かったので、直接観客席に上がってきたのだが、入っては驚くばかりだった。
一同へサキが左手を立てて会釈すると、彼女らは距離をとって二人へ道を譲る。
「こ、これって何?」
「なんか俺のファンらしい」
「さっき向こうにいたのに」
「サイン求められて……すまん」
と、小声でのやり取り。そんな会話をしていると、アキラが入場した。その姿を一目見て、そうだとサキは溢してサクラに向き直る。
「なんかアキラが試合楽しみにしてろって」
「え? あ、うん」
がやつく周りを気にしながら、サクラはサキの横に座る。サキはサインを書く手を再開し、「ツクシさん出てきたら教えて」とサクラに頼んだ。
その様子を傍目見て、「サイン求められて」で、どうしてこうなったのかと聞こうとしたサクラだが、理由を察した。なるほど、書き慣れないもんね。と、得心いってアキラの試合を観戦す――。
「ウィル。制圧なさい」
そこでサクラは固まった。無言でサキの肩を叩き、怪訝そうに見返してくる彼を指でアキラの方へ促す。
「え? あいつ、クチート出してる……」
「う、うん。ウィルちゃん出してるの初めてみた」
そう、アキラはこれまでのバトルでプクリンしか出した事はない。少なくとも二人の前ではそうだった。
そしてそのクチートの強いこと。「制圧しろ」と言われ、大した指示を聞かずにレディバを一撃で叩き伏せ、バチュラを一蹴する。
「ウィル、もう少しクールダウンしていいのよ」
次のトレーナー戦でアキラはそう言ったが、それでもストライクは一撃で気を失い、スピアーは彼女の鋼鉄の顎で払われると激しく吹き飛んでは壁に埋まるようにして動かなくなった。
ポロリとサキがペンを落とす。
――強い。
想像を遥かに越えた強さだった。
ジムトレーナーは二人も苦戦なく倒したが、それでもレディバとバチュラには速さを感じたし、ストライクとスピアーの攻撃には鋭さを感じた。
なんだあれは。
率直な感想はそれ。
サキのファン達も唖然とした表情で、堂々と胸を張る彼女の姿を見つめていた。
ツクシが現れ、彼はツボに入ったかのように笑う。
「参ったなぁ……。三人連れとは聞いていたけど、キミが相手かい」
「お久しぶりですの。ツクシさん」
優雅にワンピースの端を持って会釈するアキラ。にっこりと笑って、彼へ返す。
「少々手違いございまして。まあ『石は使わない』のでよしなに」
ツクシは額を押さえながら、乾いた笑い声を漏らす。
「んもう。キミの相手をするんなら僕のポケモン使わないと全く楽しめないじゃないか」
「そう言わず。二人の後学の為にお願いしますわ。少なくともわたくしは貴方がジムで見せる采配、戦術からは学ばせて頂きましたの」
アキラは堂々たる振る舞いで、「まあ」と、口元に手を当てて笑う。
「御姉様とやりあってる時の荒々しさの方がわたくしはしっくりきますが」
そこでサクラ達はハッとした。サキと目を合わせ、頷き合う。ジムに来ては『舌を巻いたアキラ』が居て、しかしツクシを『知っている』ような彼女の姿に違和感があった。
つまり、アキラは、ツクシの手持ちポケモンでのバトルを知っているのだろう。アキナとやり合う彼の姿を、それこそツクシ自身がジムポケモンでは『太刀打ち出来ない』と言ってしまう程、彼女の事を知っているぐらいには。
「まあ善戦させてもらうよ」
「ふふ。ジムなのですから一撃で沈まないで下さいまし?」
「酷いね。それならクチート使わなきゃいいのに」
アキラはげんなりした様子のツクシへ、片手を腰に当てて指を差した。
「お母様から『ジョウトのジムリーダーの男は皆女々しい』と聞いておりましたが、本当に女々しいですの」
ツクシはそこで顔をしかめ、しかし笑った。
「いや、それはアカネさんが暴れすぎなだけなんだよ。いつもいつも。イブキ姉さんと一緒になって……あはは!」
「無駄口ばっかり。もう!」
そこで会話が切れる。
アキラに片手を挙げて分かったよと呟くツクシは、バタフリーを場に出した。
呆気にとられる観客席を他所に、審判は苦笑しながらも真面目に旗を振った。
「ウィル、好きになさい」
「ちょ、アキラちゃん!? まあ、痺れ粉からいこうバタフ――」
どーん。
ツクシが言い終わるよりも早く、バタフリーは地面に叩き落とされていた。その脇で「えっへん」と胸を張るクチートのなんと可愛らしい事か。
「……あーあ。言わんこっちゃない」
ツクシはそうぼやいて、げんなりとした表情のまま、ポカーンとする審判に、手を振って合図した。反応も待たずにモンスターボールへバタフリーを戻す。
「あ、ば、バタフリー戦闘不能! クチートの勝利」
どーん。
「は、ハッサム戦闘不能! クチートの勝利!」
歓声は漏れなかった。誰も漏らせなかった。
クチートの速さを目で追う事も敵わなければ、一撃で叩き伏せた決まり手が『アイアンヘッド』だと言う事も誰にも分からなかった。
少女は丁寧に会釈すると、サクラとサキが居る方へ向き直る。
「お粗末様でした」
と、右手を胸に当ててお辞儀。
そこで観客席が悲鳴のような絶叫をあげた。
なんだあの子は、なんだあの強さは、なんだ今のは、なんだ、なんだと、少ない観客ながらも轟と唸るような大歓声が巻き起こる。
アキラは左を向いてはまた丁寧に会釈し、スタンディングオベーション宜しくの大喝采を一身に受けて、優雅に立ち振る舞う。
やはりげんなりした様子のツクシからバッジを受け取り、そして審判に頼んではマイクを借りた。
彼女は観客席を見渡し、一礼すると、マイクを使って声を響かせた。
『驚かせてすみません。わたくし、コガネジムのアキナの妹ですの。前々から親善試合を受けさせて頂く事もあり、今回は手違いによって失礼させて頂きました。恐れながら誠に恐縮ではございますが、スポンサー等につきましては協会所属のジム下におりますのでこの場にてお断りさせて頂きます』
丁寧かつ、尊大な姿だった。
そして会釈。
『不躾に驚かせ、野暮な事をしました事は失礼致しました。どうかツクシさんで足を止められている方々が、コガネジムでわたくしの姉と相対する日を心待ちに致しております』
そこまで言って、彼女は審判へマイクを返す。ツクシに向き直ってはお辞儀して返し、おそらくは再戦の約束か、大歓声の中サクラ達には聞こえない声と共に小指を交わしていた。
そのサクラとサキは目を丸くするばかり。
強い強いとは解っていた事ながら、まさかここまで強いとは思わなかった。二人は目を合わせると、お互いに同じ顔をしていて、笑うばかりだった。
※クチートの頭部から伸びる顎は本来『角』ですが、便宜上顎にしてます。