天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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第一二話
オトウサン


 サクラが目を開くと、そこにセレビィは居なかった。

 

 ウバメの森の祠の前で、海鳴りの鈴を抱いたまま寝ていたらしい。

 狙われている身なんだけどなぁ……。

 と、あまりに無用心な状態だった事を誰かの所為にして、サクラは頭を掻いた。

 

「うーん……。ちゃんと、覚えてるよね? 私」

 

 一人そうごちて、首を軽く回す。やけに鈍い音が鳴った。

 何時間か眠っていたのだろうか……。

 眠っている間に誰も此処を訪れなかった事は、単なる幸運なのだろうか。はたまた此処に放り出されたのはつい今しがたの話で、あの夢の最中は異次元にでも行っていたのだろうか。……分からない。

 

 空は既に朱が射していた。PSSに内蔵されている時計を確認すれば、午後六時を回ろうかという頃合い。ここに着いたのは何時頃だっけ。ていうか何時間経ったんだろ……と、やはり時間が気になる。

 しかし考えても仕方ない。

 ゆっくりと立ち上がった。

 周りを確認すれば、傍らにはアキラとサキが横たわっていて、静かな寝息を立てていた。別段寝苦しそうでなければ、身体に傷等も見受けられない。サクラは二人を起こそうとしたが、すぐに首を横に振って、今暫く一人で思案したいと思い至った。

 

 リュックサックから毛布を取りだし、二人にかけてやる。

 祠の供え物をする所に背を預けて、膝を抱えた。

 

 我ながらバカな事をこれ程悔やんだ事は無い。

 話に要領を得なかった母も母だが、もっとちゃんと聞きに徹すれば良かった。……いや、突っ込んだのは一回だけか。全て母が悪い。ぶっちゃけ、そんなにも時間が惜しいなら、自己紹介なんてしてる暇なんて無かっただろう。

 何があったかは知らないが、サクラが母を知らないのは母の自業自得なんだし、そこは自戒していて欲しかった。

 

「……はぁ。訳わかんないよ」

 

 父親らしき者が敵で。母からそいつはぶっ殺してでも止めろと言われ……。しかし、そもそも何故母がセレビィの未来予知に現れたかが解らない。

 

――ていうかあの人は本当にお母さんだったのかな?

 

 自分に問い掛け、しかし母を知るルギアが母と呼称していたのだから、母なのだろうと理解する。……と、そこで思い出して、彼女は『海鳴りの鈴』を取り出した。

 

「ルギア、起きてる?」

『ああ』

「さっきのって、夢じゃない?」

『母君との対話ならば、間違いなく』

 

 サクラは大きく溜め息を吐いた。

 いっそ夢だったら良かったのに……。

 

「ちょっと頭整理したいから、また後で声かける」

『心得た』

 

 そう会話を切り、サクラは海鳴りの鈴を仕舞った。

 アキラもサキも未だ眠っているので、今のうちに考えれるだけを考えたかった。早く相談したい気持ちもあるが、それ以上に『母』と言う存在がサクラにとってやけに朧気で、理解出来なきゃ説明する事が出来ないように思えた。

 

 母。コトネ。クリスタル。スイクン。ルギア。

 と、母に関わりある言葉を脳裏に並べてみるも、要領は得ない。こう言う時、サキはよく『考えてもしゃあねえなら考えるより動く』と言うが、肝心の『動く先』が解らない。

 

 母はサクラに何を求めただろう?

 それは……分かる。

 ルギアを渡すな。

 これだ。

 

 父を殺してでも止めろ。

 これは渡すなと言う言葉に帰結する……多分。

 

 渡すなって、それだけ?

 それだけの為にこんな仰々しい事やったの?

 訳わかんない。

 

「……はぁ」

 

 と、何度目か解らない溜め息を漏らす。

 そこでサキが「ううん」と声を漏らし、ゆっくりと起き上がった。どうやら一人で思案出来る時間は終わりのようだ。

 サクラはゆっくりと立ち上がって、眠たげに目を擦る彼へ声を掛けた。

 

「サキ、おはよ」

 

 すると彼は、返事もせずに辺りを見渡した。

 やけに不快感を顕にした表情で、唇を開く。

 

「……うわぁ。夢じゃねえのかよ」

「何を差して夢かは解らないけど……多分」

 

 サキは気だるげに頭を掻き、「頭いてぇ」と零した。

 

 どうにも辛そうなその姿に、サクラはリュックサックから水を取りだして差し出した。礼と共に受け取った彼は、ごくりごくりと喉を鳴らしながら飲んで、ふうと一息。

 やがて、ぽつりと零すかのように、口火を切った。

 

「お前の母さんに会ったよ」

「……だよね」

 

 予想していた答えに、サクラは頷く。

 何か言われたかと問い掛けた。

 

「んー……」

 

 と、間延びした声を漏らしながら、サキは何処か虚ろな視線で空を仰ぐ。

 

「なんか、親父がコトネさんの服脱がした事あるとかで、サクラの服脱がしたらぶっ殺すっ……て……」

 

 言いながら意識がハッキリしてきたのか、彼はゆっくりとサクラへ振り返り――。

 

「忘れろ。忘れてくれ」

「……あ、うん」

 

 彼は途端に顔を真っ赤に染めて、目を逸らしてしまった。

 

 お母さんの言う事はあんま気にしなくていいと思うよ。とは言いたかったが、彼の言った事も言った事だったので、何故だかサクラまで恥ずかしくなってくる。

 サキに脱がされるって……いや、あり得ないでしょ。

 と、自分自身に言い聞かせた。

 

「えっと……他なんか言ってた?」

「い、いや、何も言ってなかった。ていうか聞くな、頼むから……」

 

 顔を真っ赤に、サキはサクラから目を逸らして俯く。

 どうやら母に相当弄られたらしい。

 

 何故か、あの母にかかれば、あの凄まじい威圧感を放つシルバーでさえ、弄り倒すイメージがあった。さっきのサキの話が本当ならば、母がシルバーを怖れていない事は確かだろうし。……と、そんな事はどうでも良い。

 サクラは首を横に振って、サキに向けて改まった。

 

「ねえ、ワカバタウンの事を私のお父さんがやったって言ったら、信じられる?」

「……へ?」

 

 随分間抜けな顔をして、サキは振り向いてきた。まだ僅かに頬を染めたまま、言われた言葉を反芻して、再度小首を傾げた。

 

「いや、あり得ねえだろ。ヒビキさんって普通にまともだぜ? コトネさんと違って」

 

 最後の一言は聞かなかった事にしよう。うん。

 

 ただ、サクラが知るよりも後の姿を知るサキがそう語るのならば、やはりルギアが濁した方が正解かもしれない。ホウオウが父の姿をした誰かに従っていて……という、暴論。

 当然、父の気が触れたと思う方が余程合理的だが、それが真実だとしたら、母の『ぶっ殺せ』という言葉はあまりにも酷い。そんな事を平然と言いそうな人物ではあったが。

 

――いや、信じたくないだけかもしれない。

 

 と、そうこうしているうちにアキラも起きた。

 彼女も目覚めるなりやはり頭痛を訴え、水を一口飲む。

 その様子は何処か焦ったようで、目を見開いて、片手で胸を押さえていた。サキよりも酷い頭痛に襲われていたのだろうか……と、思えば、彼女は唐突に振り向いてくる。

 

 サクラに先程の事が事実かを確かめて、肩を震わせた。

 

「時間が無いのです……」

 

 そして、ぽつりと零す。

 的を得ない言葉に、サクラは思わず首を傾げた。

 

「……何が?」

 

 するとアキラは少し迷った素振りを見せる。

 視線を忙しなく動かして……やがて頭を振ると、サクラへ向き直ってくる。そしてハッキリとした口調で言い切った。

 

「シルバーさんからアキナ姉様が聞いています……。シルバーさんは、ワカバタウンでヒビキさんと相対したそうなのです」

 

 唐突に告げられた言葉。

 

 サクラは呆然と口を開いたまま、固まった。

 今、アキラは何と言ったのだろうと考え、しかし思考が理解を放棄するように彼女の言わんとする事を理解しきれなかった。

 

「……は?」

「いや、アキラ……お前、いきなり何言ってんだよ」

 

 サクラが呆然とすれば、未だ倦怠感が残るような雰囲気で、サキが問い返す。

 対するアキラは俯き、肩を震わせながら恐怖に怯えたような表情をしていた。普段見ないその形相こそが、サクラからしてみれば余計に嘘っぽく見える。

 

「……事実ですわ。これまではサクラを思って皆伏せておりましたが、もう時間が無いのです」

 

 そうごちる彼女。

 何を言っているか、サクラにはまるで分からなかった。

 

「アサギでの風景を覚えてますか? 灯台に映っていた日付は今から三ヶ月後ですの」

「三ヶ月って……マジかよ」

 

 アキラの言葉に、サキが怪訝な顔つきで彼女へ向き直ってくる。

 そんな二人の様子を呆然と見詰め、サクラは聞こえてくる二人の声にまるでフィルターでもかけられたかのようなノイズを感じた。

 

 理解したくない。

 聞きたくない。

 

 サクラの心は、先程凄惨な光景を見てしまった時のように、冷ややかな感覚に染まっていった。ショッキングなことを受け入れたくないと、思考が理解する事を放棄する。

 しかしアキラは気付かない。尚も続けた。

 

「コトネ様と相対しましたの。三ヶ月と言う期間は、サクラのルギアが最短で奪われた際の結果ですわ」

 

――やめて。

 

「その次のエンジュは――って、サクラ?」

「お、おい! お前、真っ青じゃねえか!」

 

 何、言ってるの?

 

「おい、サク!!」

「サクラ! しっかりして下さいまし!」

 

 嘘だよね?

 本当にお父さんが?

 

 お父さんが、ウツギ博士を?

 

 

 ころしたの……?

 

 

 そこで限界。

 理解したくないと思う心が、もうそれ以上は聞きたくもないと、主張する。

 ふとすれば身体中から力が抜けて、剥き出しの地面に倒れこんだ。

 

「サク!」

 

 が、地面に激突はしなかった。

 近場に居たサキが抱き留めてくれて、倒れこそしなかった。

 

 だけど気が付けば、身体が全く言うことを聞いてくれない。

 がくがくと痙攣(けいれん)し始め、ただ首を横に振って応えるしか出来なくなる。

 

「……いや、いやだ……いやだ」

 

 聞きたくない。

 明確な意思表示すら出来なくなって、サクラは駄々っ子のように首を振り続けた。

 何時の間にか目からは雫が溢れ、視界を濁らせる。

 

 サクラがそんな姿になって……やっと、ハッとするアキラ。

 唇をわなわなと震わせながら、サクラの頭へ手を伸ばしてきて、震える手で抱き締めてきた。

 

「ごめんなさい……」

 

 目を見開き、手を震わせ、アキラは零す。

 まるで大罪に今気が付いたと言わんばかりに、何度も何度もごめんなさいを繰り返した。

 その手は冷たく、小さい。

 とても非力なものだった。

 

「ごめんなさい。私も混乱しているようで……焦って、しまって……」

 

 震える手と震える声。

 何度も何度もごめんなさいと謝られる。

 

 サキは黙ってサクラを抱き締めていたのに、アキラはひたすら謝っていて……。

 

 

――まるで先の語りを事実だと裏付けるようだった。

 

 

 大切な何かが、心から無くなってしまった気がした。

 涙と一緒に、何処かへ落としてしまうようだった。

 

 視界がブラックアウトしていく……。


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