天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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ばかぁぁああ!!

 

 

「サクラ」

 

 誰だろう。

 誰かに呼ばれている。

 

「サクラ、起きて」

 

 目覚めが悪い私が、夢と現の間で誰かの声を聞くのは珍しい。

 聞こえるなり、思った以上にすんなりと瞼は開いた。

 

 すると、視界に留まるのは、見覚えが無い人影。

 サキでも、アキラでもなかった。

 

「サクラ。大丈夫?」

 

 白いキャスケット帽の下で、おさげを作っている女性。

 赤いブラウスとオーバーオールを着ていた。

 茶色い大きな瞳を心配そうに揺らし、唇を噛んでいるようにも見える。何処か申し訳無さそうにも見えた。

 

 その所作は、やけに馴れ馴れしい。

 私の肩を掴んで、私の名前を呼び捨てで呼んできている。

 誰だろう。この人は……。

 

「えっと……誰、ですか?」

「え?」

 

 思わず問えば、さぞ意外そうに、彼女は目を真ん丸にする。

 見た目は二十代っぽいし、一応敬語を使ったのだけれど……と、今一度認めて、私は何となく違和感を覚える。キャスケット帽に、おさげ……オーバーオール……と、思えば、違和感ではなく、既視感じゃないのかと、自分で自問自答をした。

 

「ねえ、サクラ。……冗談よね?」

 

 え、いや、あの……。

 と、濁したところで、既視感の正体を悟る。

 そうだ。見覚えがある。

 

 言葉で濁しながらも、私は目を見開いていった。

 

「……はあ。まあ、こっちのあんたは四歳までしか覚えないだろうし、仕方ないのか」

 

 残念そうにごちる女性。

 その表情に覚えが無ければ、落胆する仕草さえ記憶に無い。

 

 当然だ。

 私は物心がついてから、その人に会った事が無い。

 

 私は息を呑んだ。

 まさか……と呟けば、彼女は呆れたような苦笑と共に、小首を傾げた。

 

「うん。思い出した?」

 

 その表情に覚えは無い。

 だけど、その顔に覚えはある。

 

 私は理解力に乏しいけれど、記憶力には恵まれている。

 幾ら事実上会った事が無いとはいえ、忘れる訳も無い相手だ。

 

「おかあ……さん?」

 

 ぽつりと零す。

 すると女性は、はにかむように笑った。

 

「うん。久しぶり。サクラ」

 

 そう言って、抱き締められる。

 とすれば、その身体の感触や、香りには……確かな覚えがあった。

 物心つく前とはいえ、忘れられなかった記憶の果てに残った、僅かな記憶と合致した。

 

 って。ちょっと待て。

 此処は何処だ? 何でお母さんがい――。

 

 としたところで、写真を連続して見るような感覚で、直近の記憶を思い出す。

 唐突な吐き気に襲われて、思わず私はお母さんを突き飛ばした。

 

 そのまま、真っ黒な地面に手を着いて、汚物を散らす……いや、出なかった。

 吐いているような感覚はあるけど、何も出てこなかった。

 

 だけど、兎に角気持ち悪い。

 先程抉られたトラウマが、一挙に私を苦しめる。

 

「……サクラ。大丈夫。あれは現実じゃないよ」

 

 とすれば、優しく抱擁される。

 思わず目を見開いて、改まれば、お母さんは見た事が無い柔和な笑顔を浮かべていた。

 

 一度、二度、と、背中を撫でられれば、不思議と吐き気が治まってくる。

 今一度ぎゅっと抱き締められれば、頭痛さえもが消え去ったような気がした。

 

「ごめんね……。疑問は尤も何だけど、時間が無いから、言うだけ言わせて頂戴」

 

 そしてお母さんはそうごちる。

 

 時間がない?

 私が小首を傾げれば、お母さんは険しい顔付きで、辺りを見渡した。

 倣って私も見渡せば、広大無辺に広がる黒い景色に、ところどころ真白の線があった。それはぴきぴきと軋むような音を立てていて、今に崩れてしまいそうな雰囲気を醸し出している。

 

 お母さんは再度私に向き直ってきた。

 

「セレビィの力持たないから、とりあえず説明させて?」

 

 成る程。

 どうやら此処は先程までと同じく、セレビィが作り出した未来予知の空間らしい。

 そこにどうしてお母さんがいるかは疑問だったけど、考えても仕方無い。

 

 私はこくりと頷いた。

 認めたお母さんも、由と頷く。

 

「今さっきサクラが見た光景は、この先サクラが関わっていく事。それは間違いない」

 

 険しい表情で零すお母さんに、私は思わず俯く。

 あんな酷い光景が、この先また繰り返されるだなんて、信じたくなかった。

 

 やっぱり、ルギア絡みなのだろうか。

 私がそう問い掛けると、お母さんは小さく頷いた。

 

「かなり複雑だから説明出来ないけど、貴女のいる時間軸では多分今頃私とヒビキはとある人に捕まってるんだ」

 

 時間という面倒臭いものが絡んだ話に、私は顔を顰める。

 難しい話が苦手なのは、お母さんの知らないところなのだろうか……。まあ、知っている訳もないか。とりあえず記憶して、後でサキに聞く事にしよう。

 

 とすれば、訝しげに見えたのか、お母さんは「あっ」と言って注釈する。

 

「えっと……こればっかはややこしくって……。私はスイクン、ヒビキはホウオウを持っているからって理由って事にして?」

 

 ルギアを狙って来た人達だろうか?

 思わず小首を傾げる。

 

「とりあえず聞いて?」

 

 聞いている。

 私は大して口を挟んでいない。

 

「これからその人が貴女のルギアと彼らの持ってる……ああ、もう時間がないや」

 

 途端に慌て出すお母さん。

 

――……は?

 

 何時の間にか(ひび)だらけになった辺りの光景をあたふたと見渡して、お母さんは私を振り返ってくる。

 

「端的に言うと、貴女が最後のキキョウシティで見た事はこれから先の事実。止めたかったら『彼』にルギアを渡してはいけない。何があっても!」

 

 そう言って、踵を返すお母さん。

 

 え、ちょっと待って。

 何処へ行こうとしているの?

 

 思わず手を伸ばせば、お母さんは肩越しに振り返りながら、走って行く。

 言葉だけは続いていた。

 

「ルギア渡しちゃいけないからね! そんでもって『やり直せるから』って、『彼ら』は貴女相手でも殺しにかかってくる勢いだから、何とかして止めて! もういざとなったらぶっ殺してもいいからね!!」

 

 は、はあ……訳分かんない。

 

 私はそこで、「いや、まて」とハッとする。

 お母さんの背中に向かって、叫んだ。

 

「ちょっと待って。さっきのキキョウに居た人って『お父さん』だよね? その『彼』って、お父さんのこと!?」

「そそ。だからぶっ殺してもいいから『ヒビキ』を止めて! そんだけ! またいつか多分逢えるからそん時に細かい事は。んじゃよろし――」

 

 そして、背中が真白に包まれた。

 何時の間にやら皹が全体に行き渡っていて、最早黒い空間と言うより、真っ白な空間になっていた。どうやら時間切れらしい。

 お母さんの声も、もう聞こえない。

 

 信じたくない。

 こんな丸投げどころか、訳わかんない状態でポイとか、流石の私も呆れる……と言うより、腹が立つ。説明が足りないどころか、要点すら代名詞の所為で朧気じゃないか。一応お父さんが関わっているらしいけど……いや、本当、どうなの? これ……。

 

 一応というか、二度、三度、真白の空間でお母さんを呼んでみた。

 けど、当然のように反応は無い。

 

 腹が立ったので、私は先程までの不快な光景の八つ当たりも兼ねて、声を大にして叫んだ。

 

「こんのっ、クソばばあ!!」

 

 無論、返事は無かった。

 

――ぐぬぬぬぬぬ。

 

 聞こえているだけ聞こえておけ。

 そう思って、地団駄をひとつ。

 

 もお、なんだって言うのよぉ!!

 

『主よ』

 

 とすれば、後ろから声を掛けられる。

 ハッとして振り向けば、そこには海鳴りの鈴が浮かんでいた。

 

『母君に逢えたか?』

 

 確認するような言葉は、さも自分も会っていたと言わんばかりだ。

 私が小首を傾げて問い掛ければ、鈴は僅かに光の光量を変えて、肯定するようだった。

 

『如何にも。しかし有用な話はあまり……』

 

 落胆するような言葉。

 声色も何処か呆れているようだった。

 

 私は苦笑いを浮かべて返す。

 

「お母さんって、昔から()()なの?」

『…………』

 

 無言は肯定ってサキが言っていた。

 私は溜め息をついて、肩を落とす。

 

『あ、あれでも……温情溢れる人間なのだ!』

 

 途端に慌しく弁明するルギア。

 

 へぇ。そうなんだ。

 娘に父親ぶっ殺せって言ってたよ。

 

 私は目を細めて、皮肉を零す。

 するとルギアは溜め息ひとつ。

 改まるように、嘆息のような音を漏らした。

 

『……やり直せる。と、申していた』

 

 そう。

 それが意味不明なんだ。

 

 過ぎた事は、やり直せる訳が無い。

 

『しかし主よ。考えて欲しい』

 

 私が顔を顰めていれば、ルギアは今一度改まる。

 うん? と、小首を傾げてみれば、彼は何処か言い辛そうな声色で続けた。

 

『矛盾しているのだ。母君の話は』

 

 どういう事だろう?

 私は肩を竦めて返す。

 

『主の故郷が、今回の予知と同じ主犯として見てみるべきだ。確かにホウオウの存在を、私は不確かながらも感じた気はする』

 

 それは、ワカバの一件も、お父さんがやったのかもしれないという事。

 

 いや、でも――。

 確かにキキョウの予知で、お父さんはツバサさんを燃やそうとしていた。

 街が襲撃されるという予知の全てが、『燃えている』という共通点がある。

 

 でも、でも――。

 

 私は納得しきれずに、否定の言葉を並べた。

 

『何故だ?』

 

 何故って……だって、故郷だ。

 ワカバタウンはお父さんの掛け替えの無い故郷の筈だ。

 それに、娘の私がいる。

 ウツギ博士だって……ほら。

 

 そんな所を、燃やせるものか?

 娘を殺そうとしていたと言うのか?

 

 私が捲くし立てるように言えば、ルギアは一度ばかりは納得した言葉を出して、『しかし』と否定の言葉で続けた。

 

『やり直せると言う言葉が引っ掛からないか? 主。加えて、母君は、今、どうしてると言っていた?』

 

 捲くし立て返すような言葉に、私は息を呑む。

 しかし、言われて考えてみれば、私の馬鹿な頭でも、何となく違和感を覚えた。

 

「捕まってるって言ってたよね?」

『ああ。そう言っていた』

 

 ならば、ワカバの一件の犯人だと推測するには、矛盾しているじゃないか。

 私はそう返す。すると、呆れたような溜め息が返ってきた。

 

『だから矛盾すると申しているのだ。主よ』

 

 はい?

 意味が分からず、私は首を傾げる。

 

『ホウオウ以外にあのような豪炎を放つポケモンを私は知らず、そしてその力らしきものを私は感じた。それは理解出来るか? いや、違うな……そう理解して欲しい』

 

 それはつまり、ワカバの一件にホウオウが使われたのは間違いが無いという事。

 確かに、言われてみれば、私の記憶でも違和感がある……街一つを火の海に変える程のポケモンなんて、思いつかない。

 

『ホウオウの主は誰だ?』

 

 改めて確認するまでもない。

 お父さんだ。……認めたくないけれど。

 

『あくまでも仮にだ。仮に、そうして考えてみて欲しい』

 

 言われて、頷く。

 

 ワカバを燃やしたのがお父さんだとして、お母さん曰くは、『今』という時間ではお父さんとお母さん共々、誰かに捕まっているらしい。

 

『ワカバタウンの事が父君によるものならば、可笑しくはないか?』

 

 確かに可笑しい。

 お父さんが二人いる。

 

『解らぬ事が多い。結論付けるには早い。しかし、キキョウシティのそれを防ぐ手立てを、母君は申していたな?』

 

 私は頷く。

 

 ルギアを渡すな。

 そう言われた。

 

『私を渡すとあのような事態になる。……先の未来予知は、主が父君を模した何者かに私を渡してしまった末路……ともとれる』

 

 成る程。

 その為にって、見せられた光景としては、一言物申したいところではあるけど……まあ、納得は出来たかもしれない。

 

『警戒するに越したことはない』

 

 ルギアは話の締めとばかりに、そう言った。

 私は顔を伏せる。

 

 父君を模した……との言葉が、ルギアなりの配慮なのは良く分かる。

 仮に先程の光景で見たトレーナーが、お父さんのそっくりさんだとしても、ホウオウを従えていたのだから……。

 

 とすれば、敵う訳がない。

 お父さんはレジェンドホルダーだ。

 今の私と比べれば、その実力の差は天と地程もあるだろう。

 

『……最悪の時は、私を滅すると良い』

 

 とすれば、私の思考を察したように、ルギアはぼそりと言った。

 

『私を滅してしまえば……あるいは』

「ダメだよ! バカ! 何言ってるの!?」

 

 思わず私は荒っぽい言葉で、彼の言葉を止める。

 

「死んじゃったら二度と逢えないの! 絶対……絶対に死んじゃダメなんだよ!?」

『心得た』

 

 もう……。

 

 私は溜め息混じりに、改まった。

 すると視界の先から、可視化する程の光が迫ってきている。

 

「とりあえず……戻ったらサキ達と相談、かなぁ」

『で、あるな』

 

 溜め息混じりにごちて、鈴に向けて笑いかける。

 ルギアも何処か溜め息混じりの様子だった。

 

 と、そこで「あっ」と、思い起こす。

 

『ん?』

 

 今のうちにもう一度叫んでおこう。

 

「お母さんのばかぁぁああ!!」


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