天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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サキという少年

 パッと見た印象では、生意気そうな少年だった。

 

 年頃はサクラと同年代か、少し下に見える。

 長い赤髪をポニーテールにしているが、目付きは鋭く、口角や鼻筋も筋が通っており、一目に男だと判る顔付きをしていた。

 背は遠目にもサクラより小さく見えるが、黒のジャケットとジーンズを着用し、ズボンのポケットに両手を突っ込んで立っている様は少しばかり大人びても見える。

 幼く見えるのは、きっと身長の所為だ。

 

 少年の傍らには、ワニノコがちょこんと立っており、彼のジーンズの端を小さな右手で掴んでいた。どうやらドレディアの姿に多少の怯えがあるようで、視線を彼女に寄せて、不安げな表情を浮かべている。

 おそらくそのワニノコが先程の『水鉄砲』を放ったのだろう。

 対するルーシーは、主人を狙っていた攻撃に対し、珍しくも怒りを顕にしていた。ピリピリとした緊張感はサクラにも感じ取れる。放っておけば今に反撃の一つを繰り出しそうだ。

 

「ルーちゃん、ごめんね。落ち着いて」

 

 尻餅を着いた体勢からゆっくり立ち上がり、ルーシーの背へ手を添える。

 僅かに温まっているその身体を二度、三度、と撫でてやれば、やがて彼女は小さく鳴いて、息をついた。

 

「レオンも、ね?」

「チィー……」

 

 逆側の傍らへ歩んできたレオンの頭も撫でてやる。

 どうやら彼も、感情を顕にしていたようで、毛並みが酷く乱れていた。

 それを軽く整えてやれば、やがて彼はサクラの手を払って、自分の舌で体毛を整えていく。……どうやら落ち着いたようだ。

 

 二匹にフォローを済ませ、サクラは正面へ向き直る。

 この間、こちらを静観していた少年に、再度申し出た。

 

「ウツギ博士から重要な書類を預かってきたの。シルバーさんに会わせて下さい」

 

 そう言って、小さく会釈する。

 

 しかし、暫く待ってみても、少年は先程と変わらずズボンのポケットに手を突っ込んだまま、微動だにしなかった。サクラを睨むような形相で見詰めてきている。

 年の頃からして彼がシルバーでないことは明らかだが、何の反応も無いとサクラも不安を感じる。

 

 こちらからは攻撃をしていない。むしろ攻撃された側。何も非礼は無い筈だ。

 むしろシルバーの都合に合わせて持って来たのだから、本来ならば感謝され、手厚く迎えられるものだろう。

 しかし、少年が纏う高圧的な態度は、サクラの心に一抹の不安を抱かせる。

 何か、非礼をしただろうか?

 

 サクラは顔をしかめて、おそるおそる一歩前へ踏み出した。

 

「あのー……」

 

 已むに已まれず、か細い声を出す。

 すると少年は、呆れたような溜め息と共にそっぽを向いた。

 そして横目に、こちらをキッと睨んでくる。

 

「証拠」

 

 少年はぼそりとそう零す。

 思わず足を止め、サクラは目をぱちぱちと瞬かせた。

 理解出来ないまま、小首を傾げて返す。

 

「はい?」

「お前がウツギのじいさんとこから来たっつう証拠」

 

 やっと口を開いた少年は、まるでサクラの意表でもつくようなことを求めていた。

 サクラはその意図が理解出来ず、素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げる。

 

「へ? 証拠?」

 

 意味が分からない。

 言葉には出さずとも、目を丸くして、先程より深く首を傾げる姿は、正しくそう言わんばかり。取り繕うことさえ、サクラは忘れていた。

 

 すると少年は怪訝な表情を浮かべ、今一度口を開く。

 

「『シルバー』がどんだけ要人か分かってんだろ? 証拠でもねえと会わせるわけねえだろ。バカか、お前。それとも何か? 見も知らねえ。常識も弁えてねえ。挙げ句ポケモン放り出したまま人ん家訪ねて来るような輩に重要書類預けたのか? ウツギのじいさんって『博士』だろ? ボケちまったのかよ?」

 

 饒舌(じょうぜつ)だった。

 そして、酷く辛辣だった。

 

「……あ、え?」

 

 先程とは一転したような早口。

 思わず呆気にとられて……と言うよりは、理解しあぐねて、サクラはぽかんと口を開いたまま固まった。それはもう、何と言うか、酷く間抜けな姿だった。

 しかし、そんな表情とは裏腹に、サクラの思考はゆっくりと少年の指摘を理解していく。

 

 言われた事は確かに正しいかもしれない。

 シルバーがポケモン協会のトップである事は既知の事実だし、オフとは言え彼に会う以上身分は明らかにして然るべきだろう。それに、レオンとルーシーを出したまま訪ねて来たのはサクラの落ち度で、その様子を『襲撃』と捉えられて、『反撃』されても、これまた然るべきだった。

 むしろ、サクラはある種の加害者だと言えた。

 

「あ、えっと、その……」

「まあでも、襲撃なら一人なわけねえか……」

 

 少年はそう言って、溜め息をつく。

 手をポケットから出して、胸の前で腕を組んだ。

 

「名前は?」

 

 そしてそう問い掛けられる。

 サクラはハッとして答えようとするが、自分の考えがてんで間違っていたというショッキングな事実に、頭が回らなかった。

 

「あ、え、ええっと」

 

 と、言い淀む。

 間抜けを更に臆面も無く晒した。

 するとサクラの状態を見ていた少年は、察したように今一度溜め息をつく。改めて呆れた表情と共に、「名前だよ、名前」と、問い掛けられた。

 サクラは慌しく手を胸の前に構えて、全身で伝えるようにして言葉を吐き出す。

 

「さ、サクラです」

「ささくら?」

「サクラです!」

 

 頭が回らなければ、呂律も回っていなかった。

 間抜けここに極まれり。という様だ。

 

 名前一つ言うのに、盛大な恥をかいた気がする……。

 

 サクラは肩を落として、溜め息をついた。

 しかし向かい立つ少年は、大して気にしちゃいなかったらしい。ふーん、と顎を少し傾け、見下ろすような角度で改まってきた。

 

「ウツギのじいさんとの関係は?」

 

 そして再度問い掛け。

 今度こそちゃんと答えようと、サクラは息をしっかりと吸い込む。手を胸に当てて、動悸(どうき)を鎮めつつ、唇を開いた。

 

「えっと……私、研究所のお手伝いしてて……」

「手伝い? それだけか?」

「ううん。育ての親と言うか、保護者と言うか……」

 

 ゆっくりと言葉を返す。

 それでも尚、言い淀んでいたが、先程より間抜けには見えないだろう。

 思わずふうと息を吐く。

 

 改まって顔を上げてみれば、少年は「うん?」と、小首を傾げていた。

 そして、すぐにハッとした表情を浮かべたかと思えば、大袈裟に身を引いた。

 組んでいた腕を解き、右手でサクラを指差してきて、彼は年相応に見えるような驚愕(きょうがく)の表情を浮かべる。

 

「はぁ!? てことは何? お前、ヒビキさんとコトネさんの子供なの!?」

 

 彼は叫ぶように言った。

 

 その言葉に今度はサクラが驚いて、手を口に当てて身を引く。

 

「えっ? お父さんとお母さんのこと知ってるの?」

 

 と、驚きを隠すこともせずに返した。

 

 『ゴールド』と『クリスタル』との呼び名は広く伝わっているが、それは本名ではない。本名は今少年が言った『ヒビキ』と『コトネ』。ヒビキがゴールドで、コトネがクリスタル。この本名を知るのは極々親い人や、両親の旅に直接関わっていた人達ぐらいだろう。

 勿論、少年は先程シルバーのことを親父と呼んでいたのだし、知っていて当然のように思える。しかし、その口振りはまるで『実際に会った事がある』ようだった。

 サクラはそういう意味合いで驚いた。

 

「やっべ……」

 

 少年がそう零して、顔を青くする。

 口に片手を当て、今に嘔吐しそうな姿に見えた。

 瞬時に根掘り葉掘り聞きたいと思ったサクラだったが、彼の表情にハッとして思いとどまる。何か不味いことをしたのだろうか……と、先の失態を不意に思い起こして固まった。

 

 とすれば、そこへ全く違う声が訪れる。

 

「サキ。どうした、客か?」

 

 現れた男は、少年を『サキ』と呼んだ。

 黒い薄手のシャツに、ジーンズというラフな格好をしているが、肩まである赤髪の下には、キリッとした鋭い双眸(そうぼう)が窺えて、どこか厳格そうに見える。スッと通った鼻筋も特徴的で、口角までもがつり上がっているので、一見すると柔和そうには見えない。しかし、その精悍(せいかん)な顔立ちとは裏腹に、表情ばかりは何故か高圧的には見えなかった。

 背は随分と高く、女性の中でも身長が高いサクラとて、遠目でも見上げねばならないことが分かる。身体つきはしっかりしているようで、長身痩躯(ちょうしんそうく)ではあるが、不養生も堕落もしていないと言ったところ。

 

 決して弱々しくは見えないのだが、パッと見た厳格さよりも、温厚そうな表情が醸し出す雰囲気が強く印象付けられるような、不思議な人物だった。

 

 見た目ばかりは少年をそのまま大きくしたような姿だが、印象はまるで異なる。

 ただ、二人はとても良く似ていた。

 

「親父……。えっと、ヒビキさん家の……」

 

 少年がどこか罰の悪そうな表情で、こちらへ視線を寄越す。

 

 もう言わずもがな。

 見た目からしても明らかだが、その男が少年の父、シルバーだった。

 サクラはハッとして向き直り、頭を垂れた。

 

「サクラです。初めまして!」

「ああ、サクラか……でかくなったな。だが、初めましてではないぞ」

 

 へ? と返したサクラに、彼は小さい頃に何度か会っていると言う。

 乳飲み子の頃だと補足されれば、覚えがないことも納得だった。

 

 理解したサクラに頷きかけてくるシルバーは、唐突に「ところで」と、切り出す。

 サキ少年が、びくりと肩を跳ねさせて、今に泣き出しそうな表情をしていた。

 

 

「何故お前達はポケモン出しているんだ?」

 

 

 瞬間、シルバーはとても爽快な笑顔を浮かべた。

 それと同時に理解する。

 

――あ、怒られる……。

 

 と。


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