ウバメの森は大都会『コガネシティ』と、田舎町『ヒワダタウン』を結ぶ森だ。都会と田舎が隣接するとは不思議なものであるが、ヒワダタウンは少し変わった土地にあるが故と言える。
コガネ側がウバメの森と隔てているのなら、キキョウ側へは『繋がりの洞窟』が隔てていた。それ故に利便性は悪く、キキョウシティのようにコガネシティの影響で町が大きくなっていく事はなかった。
この世界にはまだ前人未踏の土地が多くある。科学的な根拠に基づいて言えば、九割の土地を人間が制し、一割の土地をポケモンが制しているんだとか。最も身近な例を出せば、サクラの両親が踏破した『シロガネ山』だろう。
雄大に聳え、有名な土地であれど、ポケモン達が作り上げたとされる内部をきちんと調べ尽くしたのは、二人が挙げた功績のひとつだった。最強のトレーナーと称された男さえ戻らなかった土地であり、二人が功績を挙げた後も、踏破した者は一人とていない。唯一残るのは、当時主流だったポケギアのマッピング記録だけだ。
例にならって『踏破』こそ出来るものの、人の手が加えられるに忍びない土地がある。それが『ウバメの森』と、『繋がりの洞窟』だった。
繋がりの洞窟には、アルフ遺跡と関連のある洞穴があれば、稀少ポケモン『ラプラス』の生息が確認されている。だから手が加えられない。
ウバメの森は――。
「森の神様?」
「そうですの。森の神様」
道中の与太話がてら、アキラは二人にそう言って『ウバメの森』が変わらず昔から維持されている理由を話す。
「神様って……。ポケモンだろ?」
「ええ。一概にポケモンとして扱われていますね」
森に足を踏み入れ、二時間。
草の根を掻き分けて進む一行は、道に詳しいアキラを先頭にして進んでいた。
道中、彼女は『森の神様』たるポケモンについて持てる知識を並べていく。
そのポケモンは『時渡り』ポケモンとして存在する。しかし図鑑にも秘匿項目としてあり、一般的なそれには載っていない都市伝説さながらの存在。
美しい緑の体躯は、木々を味方にし、どんな傷でも癒してしまう。とても可憐な容姿をしていて、辺りに茂る緑は旅人の心をも癒すだろう。しかし、一度彼女から鈴の音が響き渡れば、人は彼女から離れねばいけない。
「さもなければ時を越える神様の奔流に流され、同じく知らぬ時に渡ってしまうだろう……と、伝えられていますわ」
「森の神様……かぁ」
ふと、サクラは辺りを見渡してみる。
勿論それらしいポケモンなんて見当たりはしない。人気すらない。
そこでふと思い至って、人気が無いのだから……と、彼女は後ろ手に『海鳴りの鈴』を取り出した。そう。ルギアだって海の神様と呼ばれるポケモンだ。
「ねえ、ルギア。森の神様って知ってる?」
海鳴りの鈴は淡く光り、柔らかな水色を灯す。人気を気にしてか、コガネを出てからは全く喋っていなかった彼だが、僅かな間の後で口火を切った。
『遠い昔。私がホウオウと対峙していた頃、三匹の霊獣がいた』
ルギアの声を後ろ手に、サキとアキラもその声を聞きながら進んだ。アカネ家では公には喋っていなかったが、アキラにも鈴の中にルギアの精神がある事は既知の話だ。
ルギアの話は続く。
『一度、三匹の霊獣とホウオウ、そして私が同時に邂逅した事があった。その時にそれらしきものを見た気がする』
それらしきもの? と、サクラが聞き返すと、鈴は淡く光って、肯定した。
『言うに不確かだ。かの者が現れ、我等の前で舞を踊れば、私は目覚めれば既に海の底に居た。一重に夢だったのか、うつつだったのか、不確かだ』
鎮められた。と言う事なのだろうか……。その昔、今から何百年と昔に、ホウエン地方で長き眠りから目覚めた海と陸の神様を、天空の神様が鎮める事件があったと聞いた事がある……。サクラはその事件を例えに、森の神様が五匹の争いを鎮めたのでは無いかと推測し、やはり要領は得なかった。
サクラが首を傾げていると、サキが後ろを振り返って聞いてくる。
「因みにその霊獣ってのは?」
すると、鈴は淡く光って答える。
『主の母君が連れていた湖の化身と並び、山と雷の化身の事である』
「スイクン、エンテイ、ライコウでしたかね。
名称を語らないルギアに、アキラが補足した。
彼女は言い終えるなり足を止めて、一同を振り返ってきた。
「着きましたのよ」
着きました――の言葉とは裏腹に、そこはまだ森のど真ん中だった。
少し開けた広場のような感じになっており、それまでずっと頭上を覆っていた木々が無く、日差しが差し込むような場所だった。
「森の神様の祠ですわ」
そう言ってから彼女が更に歩を進めれば、広場の片隅に小さな祠が奉られているのに気が付く。サクラはキキョウシティでポケモンスクールに通っていた際、その姿を資料では見た事があったのだが、直に見てみるとどうして感慨深かった。
「御参りして行きましょう」
サクラは特別信心深い訳ではない。アキラやサキも、信仰を持っている訳ではない。だが、彼女の提案に素直に頷く程には、その祠に神秘性を強く感じた。
――パン、パン。
柏手二つ。二度の礼。
『主よ』
そんな彼女達の信心深い行動を、ルギアが制した。
柏手を打つにあたり、一度はリュックサックへしまったのだが、呼ばれて再度取り出そうとし、サクラはそこで「わっ」と声を上げる。
「レビィ」
彼女のリュックサックに、球根のような頭部をしたポケモンが引っ付いていたのだ。
「な、何この子?」
野生のポケモンだろうか。と、サクラは警戒したが、そのポケモンは緑色の体躯をリンと揺らすと、可愛らしく笑った。「レビィ」と鳴いた声は、とても愛らしい。
「野生のポケモンか? 見た事ねえな」
サキがそう呟いて、そのポケモンを一撫で。
「あ、ああ、あああ……ああああ!!」
その後ろで、アキラがらしくもなくあんぐりと口を開いて、指を差しながら、肩を震わせていた。危険なポケモンなのだろうか。刺激しない方が良いのだろうか。でも背中のリュックサックに乗られているのだからどうしようも――。
と、サクラが悩む。
それを察してか、サキがそのポケモンの体躯を軽々と抱き上げ、「ちょっとごめんな」と、サクラを解放してくれた。
「あ、あ、あな、あなた、貴方達!?」
そこでアキラがまたも凄い形相でサキが抱くそのポケモンを指差すものだから、二人は首を傾げて返した。無害そうなんだけどと呟こうとして――。
「そ、その方、も、森の神様! 神様! 神様!」
成る程。神様なのか。
二人は頷く。
――え?
「レビィ!」
『久しいな、やはり夢ではなかったようだ』
と、ルギア。
「えええええ!?」
「はああ!?」
二人はアキラの挙動不振にならって悲鳴のような声を上げた。
いや、確かにルギアを持つサクラがいる以上、他の神様的なポケモンと出会っても可笑しくはないのだ。……可笑しくはないのだが、なんと言うかルギアは世俗に染まっていて、神様らしさはない。神々しいポケモンのような感覚。
一重に、ウバメの森が今も存在している理由が、サキの腕に抱かれているのだから、笑える。……笑えない? いや、三人はもう笑うしかなかった。
三人が落ち着く頃には、ルギアが彼女――一応雌っぽい容姿だから、性別とか無いのだろうけども――と、楽しげに談笑していた。やれあの頃は若気の至りで世話をかけただの、レビィだの、夢だと思っていただの……。
「ほら、間違いありませんことよ?」
「……ほんとだ」
祠の扉を失礼して開き、中に飾られた神体がそのポケモンと相違無い事を三人で確認する。因みにそのポケモンの名前は『セレビィと名乗っている』とルギアが教えてくれた。
「図鑑も該当データーがねえっつってる」
「ほんとだ」
PSSに内臓された最新型の図鑑にも、セレビィのデーターはなかった。
当のセレビィは、祠の前にある供え物をする場所に置かせてもらった『海鳴りの鈴』の回りを、楽しそうに飛んでいた。
「ねえ、ルギア。セレビィは何でここに?」
一頻り事実を確認した一同は、荒らしてしまった祠を出来る限り元通りにしてから、海鳴りの鈴へ問いかけた。鈴を持ち上げて彼女の前に掲げてみれば、「レビィレビィ」と、鳴き声をあげたセレビィの言葉を翻訳してくれる。
『私の気配を感じたそうだ。それに主と、主の友にも、懐かしい匂いを感じたと言っている。そして、別段今は時渡り出来ないから安心しろとの事だ』
主の友? どっち? あぁ、俺ね。
と、その言葉がサキである事を確認。時渡りについても納得。何故だかやけにアバウトだが……。しかしどういう事だろうと小首を傾げた。
『普段セレビィは不可視なだけであり、どの時間、どの場所にも存在する。その中で姿を認めたのはほんの僅かだが、主の母君と、主の友の……祖父であるか……と、邂逅した事があるらしい』
そう言われてサクラはサキと目を合わせる。
「サキのお祖父さんって?」
「さあ? 会った事ねえ」
ともあれセレビィは、遠い昔に邂逅したルギアと、故意の実体化が叶うらしいこの祠で逢えた事を喜んでいた。ルギアの言葉の節々から、愛らしい見た目に反して中々長い時を生きているのだと、三人は察した。しかしそれを口に出せばルギアは否と零す。
『時を渡るポケモンに時の概念は等しくあらず。セレビィは私よりずっと幼い』
どういう意味かとサキに尋ねれば、サキは多分と頭打って、色んな時間に存在するだけで、人間や普通のポケモンが感じる時間の流れとは別次元で生きてるんじゃないか。と言う。理解は及ばないまでも、サクラは頷いて返した。
つまるところ『時渡り』で色んな時間に現れるのだから、この先未来でセレビィと会っても、そのセレビィがこのセレビィより後の存在とは限らない。と、アキラが注釈。そこでサクラはなんとなく理解出来た。
『主よ。本題があるとセレビィが言っている』
ルギアがそう言ったのは、三人がセレビィについて理解し、十分に落ち着いた頃合いを見計らっての事だった。
ルギアは一同を並ばせる。成る丈セレビィから一瞥が叶うようにならんで欲しいとし、三人は小首を傾げながらも従って横並びになった。
祠の前に座ったセレビィは満足げに頷き、サクラが両手で持っている鈴も、良いと言ってくれる。
「レビィ!」
『時渡りではなく未来予知だからちゃんと戻って来れるからねと、補足している』
成る程? いや、よくわからない。
と、小首を傾げるサクラに、ルギアは兎に角楽にすれば良いと告げた。
そこでセレビィは一際大きく鳴き、大きな双眸を強く輝かせた。