サクラとサキは純粋な戦力として言えば、この一月で急激に強くなった。ポケモンの身体能力は勿論、彼女ら自身の作戦も妙手から定石まで、発想力も豊かになったと言えよう。
その実感はちゃんとあった。アカネから鍛えられた隙の無い攻撃パターンもきちんと学習し、怒涛の反撃をするミルタンクの動きに対して、活路の見い出し方までもを学んだ。その成果は如実に現れ、夕方前には『レベル七〇相当』の動きをすると言われたミルタンクを、二人のドレディアとアリゲイツが倒してみせた。
勿論ミルタンクは反撃の度合いが少なく、加えて力をセーブする為に『矯正ギプス』と言う身体能力を制限するアイテムを身に付けての話。しかし、二人は単純に嬉しかった。アカネも二人の采配に「大したもんや」と喝采さえしてくれた。
だが、メイが帰って行ったその日の夕方に、二人は天国から地獄に叩き落とされる。
それは、二人がコガネに来てから初めて帰宅したアキナが、「試しに揉んでやるよ」と二人と相対した模擬戦だった。
「ピクシー、瞑想で読みきれ」
一対二のバトル。
アキナが繰り出したピクシーはその身体を『小さくなる』で縮こまらせ、サキのアリゲイツが放つ水鉄砲の連射を瞑想で読み、ひたすらかわしていた。アリゲイツの背後ではサクラのドレディアが『蝶の舞』を繰り返し、一撃性のある攻撃を備えている。
「くそ、当たらねえ!」
「サキ。もうすぐルーちゃんいける!」
二人は目配せし合い、二匹へ指示を飛ばす。
そのバトルは模擬戦だ。しかしアキナはこれに勝てばバッジはやるよと、二人を挑発していた。だからこそ、二人にとってはこれ以上無く、高揚するシチュエーションだったのだろう。
アキナが『Lを狙う刺客として』、戦うと言った言葉の意味を理解していなかった。
「アリゲイツ、突っ込め!」
「ルーちゃん、花びらの舞!」
いくら小さくなるで小柄に、瞑想で動きを読んでいるとは言え、アリゲイツが近接に接近してから水鉄砲を連射し、ドレディアの花びらの舞が波状攻撃として援護すれば反撃の隙は無い。
無い、筈だった。
しかし――。
「ピクシー、雷でアリゲイツ。大文字で
閃光。アリゲイツの身体から黒煙が上がる。
波状攻撃として飛んできた花びらの舞をもろともせず、ピクシーは
「えっ」
「ちょ」
二人が狼狽する。
サクラの目前で大きく『大』の字に盛る炎が迫り――。
「ンモォ!」
しかしサクラは、審判として立っていたアカネのミルタンクに庇われ、大文字に焼かれる事は無かった。
――え? 今、何が……?
サクラは自分へ飛んできた大文字が目に焼き付き、体躯を持って防いだミルタンクに撫でられた身体を震わせた。急激に理解が進み、今、サクラは、『殺されかけた』事に気付く。
「あ、え……? ええ?」
狼狽するサクラの様子に、彼女のルーシーは後ろを振り返り、呆然とし――。
「ピクシー。ドレディアに大文字だ」
容赦なく放たれた大文字によって、その身を焼かれる。サクラはミルタンクの脇からその姿を見て、悲鳴のような声を上げた。
「いや! ルーシー!!」
「て、てめえ!!」
同じく理解がようやく追い付いたサキが、他のモンスターボールに手をかけるが……。
「待ちぃ! もう勝負ついたやろ。先にその子らの手当てや」
アカネの一声で否められた。しかし、サキは怒りを顕にして叫ぶ。
「何が勝負だ! トレーナー狙うようなバトルに勝負もくそもねえだろ!」
日が沈み、辺りが暗くなっていく。
バトルフィールドの脇に備えられた照明がパチパチと音を立てて点灯した。
その灯りに照らされ、夕闇に浮かぶアキナの顔は、怒りにも似た表情を浮かべているようだった。
「バトル? 笑わせんなクソガキ」
そして嘲笑としか見えない皮肉めいた笑みを浮かべ、彼女はサキを一喝する。
「お前ら何を勘違いしてんのさ」
言葉を失うサキと、すぐに大文字からは解放されたものの動かないルーシーをただただ呆然と見詰めるサクラに、彼女はその相貌を暗く染め、呟くように言った。
「お前らの敵はピクシーじゃねえ。俺だろ?」
ポケモンがポケモンしか攻撃しねえのはトレーナーの価値観だ。でもお前らが相手どるのは、現にワカバを皆殺しにした奴等だろ。アキナはそう言って、さぞしてやったりと言わんばかりに歪んだ笑みを浮かべる。
「バカかクソガキども」
その顔にドス黒い感情を顕にして言葉を括った彼女に、二人は何も言えなかった。
柏手ひとつ。二人と一人の間へ、アカネが割り込んだ。
「アキナ。一旦落ち着きぃ。言いたい事は解るけど、ちとやりすぎや」
「母さんが出張るのは解ってた。雷も大文字もちゃんと加減させてるよ」
真顔で叱責するアカネへ、しかしアキナは薄く笑いながらピクシーをボールに戻した。『加減させた』の言葉は正しかったのか、アリゲイツとドレディアもやがて俯きながらゆっくりと身体を起こす。
「お前らも相手見誤るなよ。ポケモンだろ? ピクシーの敵意が主に向いてるかもって気づけなかったのか?」
アキナは目を細め、二匹のポケモンを睨む。アリゲイツは弱々しく鳴き、ドレディアは双眸から涙を溢して地べたに伏せた。
「……俺がこうした意味を理解して、お前らが今回やった『間違い』を考えろ。相手はこっちの常識が通用しねえんだからな」
そう言ってアキナは背を向け、アカネ宅のバトルフィールドから去って行った。
残された二人はそこで膝を崩し、サクラは声を上げて泣き出し、サキは舌打ちひとつ挟んでからアリゲイツの元へ向かった。
二匹はショックで一瞬は気絶していた。しかし、逆に身体へのダメージは殆ど無いように加減されていた。それが何より、悔しかった。
※
「サキ……。今良い?」
「……ああ」
その夜、重苦しい雰囲気の中、夕食を済ませた二人は中庭に出た。月が照らし、照明が灯ったバトルフィールドへ歩む。
バトルフィールドの脇にある観戦用のベンチに腰掛け、サクラは隣にサキを促した。彼は無言で倣う。
「夕方のあれ……。どう思う?」
重苦しい雰囲気を醸しながらも、はっきりとサクラはサキへ聞いた。彼は目線をサクラとは真逆の方へ逸らし、膝を組む。
「……正論だ」
「うん。だよね……」
夕食の前、二匹をメディカルマシンへとセットしてくれたアキラは、罰が悪そうに二人へ事の顛末を纏めてくれた。
『アキナ姉様は二人に教える為にわざとあんな事をしたんですのよ。わかりませんか?』
二人の実力はそこそこついています。これは間違いありません。けど、もしアキナ姉様が本当にルギアを狙う刺客でしたら、今頃二人はこの世にはおりませんわね。コガネを出た矢先に、こういった輩に偶発した際、それでも貴方達は『そう言う時ならそう言う対処が出来た』と仰いますか? 姉様は最初に申しておりましてよ。『刺客の想定をする』と。バトルをするなどとは一言も申しておりませんわ。
アキラはそう言って、全快したボールを二人へ手渡す。
『この子達が怪我をしていないのは、まさしく姉様がフリだったからですわ。あの力量差ならば、雷でアリゲイツの心臓は止まっておりましょう。大文字でルーちゃんの身体は灰も残っておりませんわ』
――命拾いしましたわね。
アキラの険しい眼差しが、サクラの脳裏から離れなかった。もしもこれが実戦ならば、アリゲイツは雷で絶命し、サクラは大文字で焼き殺され、ルーシーだって蹂躙されたに違いなかった。
「……忘れてた訳じゃ、無かったんだ」
サキがポツリと零す。俯くサクラの横で、腕をベンチの裏に回して、空を仰いでいた。
「母さんが殺された日の事……。忘れてた訳じゃ無かったんだ」
「……お母さんの、事?」
サクラが聞き返すと、サキは「うん」と返して来る。
「母さんはポケモンに殺された……。何でだったかは解らねえし、親父ももう語ってくれねえけど、多分親父を恨んでる奴等に……な」
「……そんな」
サクラは思わず言葉を濁した。サキはウツギ博士が死んで俯くサクラに、色々励ましの言葉をくれたが、いざ逆に立ってみるとサクラは何も言えなかった。そんな彼女を察してか、サキは視線を寄越す。
「別にもう過ぎた話だって……。ただ」
彼はそのまま俯いた。
「そう言う事があったのに、お前が攻撃されそうになった時、なんも考えつかなかった」
腕を膝の上に下ろし、拳を震わせる。
「……理不尽な暴力に、あの時と変わらす卑怯だとなじるだけで……俺は何も出来ちゃいねえ」
少年はひたすらに悔しかったのだろう。憤りさえ、爆発させる事を恥に思わせる程、彼にとっては衝撃的だった。
何が強くなった。何が頭がキレるだ。何が卑怯だ。
と、彼は震える声を吐き出す。
「俺は……何も成長してねえじゃねえか」
「――っ」
サクラはそこで、立ち上がった。聞いていられなくて、立ち上がった。
「私だって! 私だって……」
ウツギ博士が死んだ時、いや、殺された時……サクラは知っていた筈だった。しかしレイリーンが一芝居打った時、そして今……何も出来なかった。
「私だって……。おんなじだよ……」
立ち上がったものの、手持ち無沙汰に彼女は力無く座り直す。
「……辛気臭いですわねぇ」
そんな二人の元へ、アキラが呆れた顔で現れた。腕を組み、座る二人を品定めするかのように細めた目で見下ろしている。
「二人共、立ちなさい」
そう言って彼女は背を向け、バトルフィールドの片側のトレーナーゾーンへ歩いて行く。そこで振り返り、立てと言われたのに呆気にとられる二人へ一喝。
「先に進みたければ私とバトルなさい」
アキラはそう言って、モンスターボールを投げた。現れたプクリンを一撫でし、余った手で二人を指差す。
「それともここで旅を終わらせますか? そうはいかないのでしょう? なら負け犬の傷のなめ合いなんか晒しんてんじゃねーですの」
少女はそう言って、そっぽを向いた。
「準備出来るまで待ってあげますからさっさとボコられに立って下さいまし」
くすりと笑うアキラ。その横顔はどうして、二人に『諦めるな』と言いたげに不敵な笑みを浮かべる。
暫くの沈黙。
先に立ち上がったのはサキだった。
「……お前、強いのか?」
「ええ。姉様やお母様に及ばずも、貴方達よりよっぽど強いですわ」
挑戦的な笑みに、サキがひとつ頷くと、彼はサクラへ手を差し伸べた。
「サク、ごめん。……情けねえ事言った。でもやっぱこのままはいそうですかって訳にいかねえよ」
差し伸べられた手に、サクラは少し戸惑う。
「ほら、行くぞ」
そんなサクラの心情を自分が誘発したとは理解しつつ、しかしサキは強引に手を取って立ち上がらせた。その表情は、何度も見てきた『激励』の顔。その顔に、サクラはドクンと胸が熱くなる思いを感じ、何かに覆われたかのような安心感を覚えた。
「……ごめん。ありがと」
そう言ってサクラはサキに手を引かれながら、トレーナーゾーンへ向かった。