一同は事前に警備へと許可をとっていたらしいメイが、アカネ宅の中庭から飛び立っていく姿を見送った。
「行っちまったか……」
「うん」
赤い髪を相変わらずのポニーテールに括り、黒いジャージ姿のサキ。その横で金髪を二本の短いお下げにして、水色のブラウスと黒いタイトスカートを纏ったサクラ。特に世話になった二人は、名残惜し気に空を見上げたまま、暫く動かなかった。
「まあ本来は忙しい身の方ですもの」
そんな二人へ笑いかけるは、白いフリル付きの桃色が基調となっているワンピースを着たアキラ。腰まである桃色のウェーブがかった髪をバレッタで止め、ハーフアップロングと呼ばれる髪型をしていた。彼女は二人へ柏手をする。
「メイさんが行かれたとは言え、貴方達にはまだ成すべき事があるでしょう」
「せやせや。言うとくけど『アキナ』めっちゃ強いで? なんせこの一月どころかずーっと帰ってけえへんぐらいにジムに入り浸りやからな」
と、白いチャイナドレスを揺らし、アキラと同じ色の髪をトップでお団子にした妙齢の女性『アカネ』が快活に笑う。
「アキナ姉様は今のお二人でも『ジム戦』ならば突破出来るでしょうが、今回は違うのですから」
と、アキラ。
サクラとサキは目を合わせ、こくりと頷く。
それはメイの提案だった。サクラとサキの稽古をつける際に告げられた『指令』とも言える。
コガネに滞在する内は、コガネが大都会であるが故に安全性は高い。ルギアを狙う者もまさかこんな人が多く、不安要素が往々とする場所で堂々と襲っては来ないだろう。しかしそれはコガネを出れば、待ち伏せされている可能性が高い事も意味する。コガネシティは『発見される可能性』も高い街だ。
だからこそ、サクラとサキはここである程度の実力を身に付けなければいけない。少なくともアカネが滞在を許してくれているのだから、この間にレジェンドホルダーとは言わないまでも、並みのトレーナーには負けない実力を整えておきたい。シルバーがワカバで繰り広げた戦闘の情報を得たメイは、アカネに相応の実力を計るテストを依頼した。
サクラとサキ『二人』で、パーフェクトホルダー相当の実力を持つアキナの手持ち一匹を倒してみせろ。それが出来るまでコガネシティからは出られないようにする。
中々に無理難題である。サクラとサキの持つポケモンはコガネ近郊を縄張りにしているトレーナーと比べて、抜きん出てはいる。しかし、そのコガネ近郊のトレーナーの頂点こそが、アキラの姉、アキナだ。その実力は語るまでもない。
とはいえ、この先二人を待っているのは、命懸けの旅路。これぐらいの試練は越えなければならないのだ。と、メイは言った。
二人はそんじょそこらのトレーナーよりは強い。でも、サクラを狙う輩が繰り出すポケモン一匹に敗北するのは、目に見えているのだから、やむを得ない。
「ま、昼からはうちと特訓やな」
アカネの申し出に二人は会釈して返す。
当然、『マスタークラス』とさえ謳われるアカネの実力はメイと同等に近く、恐ろしい程の強さだ。二人してこのあとボッコボコにされたのは言うまでもない。
※
アカネ宅にはバトルフィールドがある。広大な中庭の中央に広がるそれは、回りから覗き見る事が出来る。尤も、アカネ宅は広大とは言え、一般開放されている訳ではないので、この家の設備保持を行うメイドか住人でないと、叶わないのだが。
「へえ、なかなか活きがいいじゃねえの」
バトルフィールドでアカネのミルタンク相手に繰り広げられる激戦。ミルタンクは隙が無い限り強引に反撃したりはしないが、少女と少年のポケモンは盛大に攻撃しては僅かな隙を付かれる様を繰り返していた。
その様子をガラス越しに見詰める女性。
「あら、アキナ姉様。帰ってらっしゃいましたの」
と、その女性へ声をかけるアキラ。彼女の姿を認め、アキナはアカネや彼女より彫りの深い顔をしかめる。
「姉様ゆーな」
アキナの悪態に、しかしアキラは気にした様子もない。アカネと良く似た白いチャイナドレスを纏い、同じ色の髪を短髪にした彼女へ肩を竦めると、その横へついた。
「にしても長い事ジムに籠っていたものですね」
「まあな。ちぃと会議で席外したから身体鈍っちまってよ」
「お風呂とかは?」
「ちゃんと入ってるよ。ジムの寮で済ませてただけだ。それよか……」
アキナとアキラは並ぶとその身長差が大きい。顎で促された先を、頭二つ分は上の彼女を見上げてから、アキラはガラス越しに指された先を見る。
サクラのレオンが派手に吹っ飛ばされていた。
「今回の話、サクラの奴だって聞いてたからそろそろかなって様子見に来たんだが」
「……で、どうですの?」
横目に見上げた。
アキナの相貌は鋭く、険しい。
アキラは溜め息をついた。
「言うまでもありませんか」
「今の二人相手ならお前でも余裕で勝てるだろ」
「……ええ、まあ」
この一月、アキラは二人の相手を一度もしていなかった。それは彼女の実力を知るサクラはともかく、サキにその実力を見せてしまえば気落ちさせてしまう可能性だってあったからだ。むしろサクラもアキラの本当の実力は知らないだろう。
二人を同時に相手したとしても、アキラは勝てる。多少の不確定要素があったとしても、きっと間違いなく。
その証拠と言わんばかりに、アキラの耳には紫色の石が宿るイヤリングが桃色の髪の下で小さく揺れる。
「なあ、アキラ」
「なんでしょう?」
アキナは身体ごと向き直り、アキラへ視線を合わせようと膝を折った。
「母さんから聞いた。……本気か?」
何をとは言わず、強い眼差しだけでアキナは彼女を諭すように睨む。その視線を横目で見て、アキラは首を横に振った。
「親友が命懸けで旅をしている。どうして見てみぬフリが出来ましょう?」
「……危険すぎる。相手が誰か解って言ってるのか?」
少しばかり怒気を孕むように、アキナは声を荒くした。
「お母様の許可はとってますわ」
「アキラ!」
肩を掴み、無理矢理彼女を振り向かせた。アキナは相貌を鋭く、彼女を睨む。
「お前は確かに強い……。でも相手は『ゴールド』だぞ? しかも故郷のワカバを皆殺しにした前例もあるんだ」
肩を僅かに揺すり、少女の決意を非難するかのように言葉を並べた。しかし、アキラはそんな彼女へ微笑み返す。
「姉様は本当にお馬鹿ですわね。身の程は弁えておりますわよ」
「……だったら――」
「だからこそ」
アキラは首を回し、外でバトルに励む少女を一瞥した。
「実の父親が敵だと知った時、放心するだろうあの子が逃げられるようにしてあげないといけないのですわ」
それが親友の役目ではありませんか? そう言って彼女は微笑み、アキナへ向き直る。
「わたくしはあの子と共に行きますわ」
そうせずに後悔はしたくないですから。そう呟く彼女に、溜め息こそ漏らせど、アキナはそれ以上は言わなかった。
「……俺にあの二人を恨ませんじゃねえぞ?」
「勿論ですわよ」
――じゃあ尚更、全力で相手しねえとな。
アキナはその言葉を、胸の中で反芻させた。