朝の風景、日常が終わり
気持ちの良い快晴の朝。
『チルットー。チルットー』
愛らしい鳥ポケモンの鳴き声が響く。もとい、それは目覚まし時計の音であるのがご愛敬。そしてこの音が鳴り出すと、それから一分経たずにとても心地良い乾いた音が響くのだ。
――バチーン。
「いったーい!」
おはよう。朝の目覚めだ。
僅かに根元が栗色を宿す金髪を揺らし、彼女はベッドから跳ねるように飛び起きた。目をぱちぱちと瞬かせては、朝の恒例行事を理解する。
「チィーノ!」
少し不機嫌なチラチーノに目をやり、少女はすぐに笑顔を浮かべて、その小さな体躯を胸に抱く。
「おはよう。今日もありがと」
「チィ!」
一人で起きろよと言いたげに、彼は鋭く鳴いた。その様子に少女は抱擁する腕をほどいて首を傾げ、にへらと笑う。もう一度強く抱き締めた。
「もぉ、レオン怒っちゃやだよー」
ぎゅー。
レオンは苦しそうに声を漏らす。すると少女が寝ていた横で、むくりと起き上がる茶色い毛並みのポケモン。
「……ブイ」
サクラ家の女性と雌は総じて寝坊助である。しかし雄はそうではない。三番目に起床したイーブイは、やはり雄だった。例外的にレオンの手を借りて目覚めたサクラは、彼へ視線を移すとレオンを抱く腕を解いた。レオンはそのままベッドの下へ降りていく。
「リンちゃんおはよー」
「ブイー」
およそ雄相手にする敬称ではないが、サクラ家のイーブイことリンディーは喜んで彼女に飛び付く。軽い抱擁と共に、そのままリンディーを抱えながらサクラは横へ向き直り、足を床につける。
壁際で鉢に埋もれて寝ていたルーシーはレオンの一鳴きで起こされ、部屋の中央にて床に毛布を敷いてその上でとぐろを巻いて寝ていたロロはレオンに優しく叩かれ起こされる。
「ルーちゃん、ロロ、おはよ」
「ルー……」
「ロー……」
如何にも眠たそうに、二匹は間延びした鳴き声を漏らす。サクラはリンディーを足下に降ろし、ロロへ歩み寄ると彼女の頭を撫で、鉢からもそもそと降りてくるルーシーを待っては、頬に優しく触れた。
ベッドとクローゼット、あとは小さなテーブルと椅子しかない部屋で、彼女はテーブルに歩み寄ると、置いた手荷物の内、淡い水色を放つ『海鳴りの鈴』に「おはよう」とこぼす。
『御早う。主よ』
返事を受けた彼女は満足げに微笑み、化粧ポーチと鈴を持って、一同と共に部屋を出た。
部屋を出れば少し長めの廊下に出る。部屋の扉の前に置いたスリッパを履き、彼女は四匹を連れたまま廊下を歩いて行く。三つの扉を過ぎ、今度は扉が無い小部屋へ入った。そこには一人と二匹の先客。
「おはよう。サクラ」
「アキラおはよー」
小部屋は奥行きがあり、腰の高さの洗面台が五人は並べそうな広さで広がっていた。
「今日も良い音でしたわね」
「……あはは。寝坊助だけは治んないよ」
レオンの『目覚ましビンタ』が聞こえていたと、暗に言われてサクラは笑って開き直った。洗面所の脇には開けた浴槽があり、ポケモン達はそこへ向かう。アキラのクチートとプクリンがそこで顔を洗っていた。慣れた様子で向かう四匹を一瞥し、サクラは洗面台へ向き直る。
「サキとメイさんは?」
「サキはもうお母様と朝食の支度をしていますわ。メイさんはまだ寝て――」
「おはよー……」
蛇口を捻ったところで声をかけられ、サクラは小部屋の入り口へ視線を向ける。
乱れた茶髪、四五度に傾いた頭で、寝惚け眼のメイが立っていた。パジャマは乱れに乱れ、少しずり下がったズボンの隙間から白い下着がちらほら。
そんな彼女の姿をもう見慣れた様子で二人は苦笑しながら朝の挨拶を返す。彼女はポケモンを連れて居ない。ジャローダが大きすぎるのでここよりも広いお風呂場で行うのが定番化していた。
メイはサクラから見てアキラとは反対側に立つ。置きっぱなしの歯ブラシに歯みがき粉を塗って、口に突っ込んだ。サクラは対して洗顔から行う。冷たい水が一気に意識をたたき起こすような感覚に、思わず「ぷはっ」と声を漏らした。
「お先に」
と、アキラが洗面台を離れる。彼女は浴槽の横にある棚からタオルを取りだして、クチートとプクリンにそれぞれ手渡し、自分用にもと顔を拭きながら小部屋を後にした。
「ふぃー」
歯みがきを始めたサクラの横で、歯ブラシを口に突っ込んだまま顔を洗ったメイが声を少し漏らす。首を回しながら歯ブラシを動かす彼女に、サクラはクスリと笑いながら歯みがきをする。
「ん?」
「んーん」
なーに?
いや、なんでも。
「ん」でそれらの会話をしながら、サクラは歯みがきを終えた。メイも同じく終え、僅かに先に終えたサクラが先程アキラがしたようにタオルを二枚取り、一枚をメイに投げ渡す。
「ナイスパース」
微睡みから覚めたらしいメイはそう言って笑い、顔を拭いた。サクラは肩掛けにしつつ、四枚取り出して二枚ずつルーシーとレオンに渡す。
再び洗面台へ戻り、化粧へとりかかる。同じくメイも化粧へと移っていた。彼女らの後ろではレオンが自分とリンディーを、ルーシーが同じく自分とロロを拭いていた。
「サーちゃん」
「はい?」
色々試した結果に落ち着いた渾名で呼ばれ、サクラはメイへ向き直る。彼女は化粧を続けるよう促して、話を続けた。
「ロロちゃんのリハビリ終わった事だし、私そろそろイッシュに戻るね」
「……そうですか。ちょっと寂しいです」
「まあまたすぐに逢えるとは思うよ」
コガネに到着して一月。
一同はここ、アキラの母たる『アカネ』の自宅に世話になっていた。ジョウトでは有数のレジェンドホルダーであり、ポケモンマスターと名高いアカネの自宅は中々に立派であり、昔は弟子を持っていたが故に広々としている。メイの申し出を二つ返事で了承しており、金銭の一切も気にしなくて良いと言う驚きの対応だったが、アキラ曰くは「大した事ではございませんわ」との事。アカネ自身も、その特徴的な喋り口調で「うちも目論見ゆーもんはちゃんとあるさかいに」と言っていた。
毎朝こうして並んで顔を洗い、朝食はサキとアカネが用意し、ロロのリハビリや手持ちポケモンの特訓を行いつつ、昼食。そしてまたリハビリと特訓、日が沈めば帰宅してはサキとアカネで料理を作る。そして同じ屋根の下、ゆっくりと休む。そんな一月だった。途中サキのワニノコとキバゴが進化したり、メイの特訓に教官役としてアカネが参じたりと、中々に充実した毎日だった。
そんな日々も今日で終わり。ロロのリハビリが昨日で終わり、いよいよちゃんと自立して動けるようになった。リンディーも少しは戦闘に慣れ、メイは長く空けた協定の会長席へ帰ると言う。
サクラはひたすらに、彼女には感謝するばかりだった。頭を下げて、「ありがとうございました」と口にする。
「まあ私自身、会長ってのは実力的なもので。ほとんどはレイのバカに任せてるからね。サキもサーちゃんも、どんどん強くなるから楽しかったし」
メイはにっこりと笑いながら、サクラの頭を撫でる。
「まあ朝御飯だけ頂いたら、おいとまするよ」
「帰りはどうやって?」
「ゼクロム連れてきてるからひとっとびかな。一ヶ月翔んでないから彼も翔びたそうだし」
この一月、本当に親身になって助けてくれたメイ。サクラはそんな彼女に感謝してもしきれない程、助けられた。最初は警戒心剥き出しだったサキでさえ、今では彼女と笑いながら話す程心を許していた。
将来、二人が師匠の名を聞かれたら、きっと二人は迷わずその名を挙げるだろう。
その日、名残惜しむ面々の前で、メイは黒き英雄に乗って大空へ飛び立って行った。
「またね」
と、別れの言葉らしくない言葉を添えて。