一人と二匹がヨシノシティを発ったのは、日が明けて、まだ峰に半身を隠していた早朝の頃合い。この日も天気は快晴。予報でも雨は降らないとのことだった。
フィールドワークを目的にしている時は、朝方に活動するポケモンを探す為、早朝にポケモンセンターを離れる事も珍しくはない。この日もジョーイはさして根掘り葉掘り聞くでもなく、笑顔で「気を付けてね」と言ってくれた。
その笑顔に手を振り、サクラは『30番道路』へと向かう。
ヨシノシティとその道路の境を過ぎると、サクラはすぐに二つのモンスターボールを展開した。
「ふたりとも、おはよー」
「チィ」
「ルー」
出てきたレオンとルーシーへ朝の挨拶をし、朝食がてらのポケモンフードを食べさせつつ、歩を進める。サクラも携帯食料をかじりつつ歩いているので、
しかしながら、わざわざ早朝を選んで発ったのには理由があり、それ故に少しばかり急いでいたりするのだ。
昨日の行程は予定を大幅に遅延した。
その理由が『トレーナー戦』である。
基本的に『逃げるは恥』と言う風潮があるし、顔見知りが多いこの辺りで無下にバトルを断りたくないと言う理由もある。故にサクラはバトルを挑まれたら律儀に全て受けて来た。その結果、六時間で済む行程は半日ないし掛かってしまった。
一度遭遇してしまえば戦わざるを得ない。
ならば他のトレーナー達があまり出歩いていないだろう早朝の内に、向かってしまおうと言うわけだ。
しかしその本懐はと言えば、ウツギ博士からの頼まれごとをいち早く済ませたいのは勿論なのだが……実はサクラ、この30番道路が苦手なのだ。
この道路、夜になると『イトマル』と言うポケモンが活発化する。
例に漏れず、サクラも怖いと思う訳で……。
その為だけに、朝が苦手な筈のサクラが、本日五時には起床して、六時には「よーし、しゅっぱーつ!」と至った訳で……。
野生のポケモンに罪はない。
そこに居る事が悪いわけがない。
ただ、苦手なので避けて通るだけだ。
サクラ自身なーんにも悪くない筈だと思っている。
多分、おそらく、きっと……悪くはない。
だからサクラは堂々と急ぐ。
帰り道の事を考えてひたすら急ぐ。
目標として、一八時にはヨシノシティのポケモンセンターで一息ついていたい。いや、そうでなくては困る。
願わくばシルバーさんへ手渡してすぐにとんぼ返り出来ますように……。
人間、嫌な事から逃げる時には、稀に凄い力を発揮する。
おそらく今の彼女の脳は並みのエスパーポケモンに引けを取らない程、活発化している事だろう。
主人の並々ならぬ気迫を受けてか、レオンとルーシーもいつもより背筋を伸ばしていた。それが野生のポケモンを早期発見、適時撃退を滞りなく進めたのは言うまでもない。
まあ、彼等とサクラの付き合いもそこそこ長い。彼女がどれ程この道路を嫌っているかも、二匹の知るところなのだろう。
そんなこんなだった為、赤い壁が特徴的な『元・ポケモンじいさんの家』に辿り着いたのは、昼までもまだ三時間以上を残した頃だった。初日のキャタピーのような行程とは偉い違いである。
「あ、見えた!」
その家が見えた時、サクラは花が咲くような笑顔を浮かべ、そう呟いた。
無邪気な笑顔たるや、警戒はレオンとルーシーに任せて、純粋に喜んでいるよう。
しかし、その時。
「チィ!」
レオンが鋭く鳴いた。
その鳴き声は先程までの行程でも何度か挙げられており、『ポケモンの接近』を持ち前の大きな耳で察知した事を意味する。
サクラはハッとして、顔を強張らせた。
その横で、ルーシーが声を上げる。
「ル、ルー!」
そして、あろうことかサクラの指示を待たず、『マジカルリーフ』を発動した。
辺りの草葉が彼女の声に呼応して宙へ浮き、一陣の風と共にサクラの前に展開される。
『マジカルリーフ』はルーシーが持つ技の中でも中々に高威力な技。
当然ながら、ここらの野生のポケモン相手に撃つ技ではない。
サクラは驚いて、右に立つ彼女へ視線を向ける。
「ルーシー!?」
愛称を飛ばし、叱りつけるような声色で否めた。
しかし、ルーシーはサクラの方へ振り向いてこず、前方へ『マジカルリーフ』を展開し続ける。
と、すれば、不意にサクラの体勢が崩れた。
「チィ! チィーノ!」
「え? ちょ、ちょっと、レオン!?」
今度はレオンにリュックサックの端を引っ張られた。
そのまま強引に引き倒されて、サクラは地面に尻餅を着く。
――どうしたの!?
と、言おうとしたサクラ。だが、不意に見上げてみれば、先程自分が立っていた位置の丁度胸の高さに、水色の塊が飛んで来た。
それはルーシーの『マジカルリーフ』をすり抜ける程の威力。明らかにサクラに対する攻撃だった。彼女は即座に反応して後ろへ過ぎたそれを視線で追いかけるが、何も見えない。その代わりに、『パシャン』と水が跳ねた音がした。
「えっ……何、何なの?」
呆気にとられるサクラ。
再度正面へ改まって目を凝らすが、目の前は緑色のカーテンに覆われていた。ルーシーがマジカルリーフを用いて作り上げた壁だった。柔らかな声がもう一度上がったかと思えば、それは更に厚くなる。
その向こうは何も覗き見る事が出来ない。
しかし、今度はそのカーテンの向こうから、先程聞いた水の跳ねる音を数度聞く。どうやら何の対策も無く、それを解く訳にはいかないようだ。
サクラは即座に思考する。
ルーシーが自分の指示を待たずに高威力の技を使った事。
更に先程自分へ飛んできたものが『水鉄砲』であろう事。
防壁としてこれ程に厚い『マジカルリーフ』を展開する事。
それらを踏まえ、考察。
するとすぐにそれっぽい回答に行き着いた。
野生のポケモンではなく、水タイプのポケモンが攻撃してきている。しかし、ルーシーが反撃に移ってはいけない相手だと認識している。
そう考えると合点がいく。
つまり……それは……と、考えれば、もう推測は要らない。
ここは既に目的地なのだ。
サクラはよしと改まると、胸一杯に息を吸い込んで、ルーシーのマジカルリーフの音に負けじと、声を大にして叫んだ。
「すみませーん! ウツギ博士からの御使いです! シルバーさんを訪ねて来ました」
その声は30番道路が林である事も手伝って、よく通った。
一度、二度、と、微かにこだますれば、目の前のカーテンが薄くなっていく。
どうやら敵意が薄まったのか、ルーシーが溜め息を吐くかのような仕草をした。
すると目の前を厚く守っていた葉の防壁が完全に消える。
「ああ? 親父に用事ぃ?」
そしてその向こうに認めたのは、長い赤髪を一筋に括った少年だった。