ミロカロス用のプログラミングを行うのに三日。加えてその実行は、緩やかに退化させねば身体が拒否反応を起こす為に半月を用いる。さらにその後、最低限リハビリには二週間程を要してしまうとなり、治療は実に一月近くかかるとカンザキは説明する。
「一先ずプログラミングは始めておくから、これから旅をどうするか相談してくるといい」
コガネタワーのエントランスたる三階までにはレストランもあるから、そこで相談してみてはどうだろうと、カンザキが一同に提案した。
サクラが三人を振り返ってみれば、アキラが肩を竦めて、呆れたような表情をしている。
「わたくしも丁度聞きたい事がありましてよ」
「お昼まだだし丁度良いね」
「……まあサクの化粧直してからだろ」
と、アキラに続いて二人も倣い、三者三様の答えが提示される。勿論優先すべきはサクラの色直しだった。そこに至ってそれならもう少ししたら休憩時間だとカンザキも言葉を合わせる。
ロロの病気が治せる。でも時間がかかる。嬉しくも少し難しい事を考えだしていた彼女は、サキの指摘で自分の顔がお化けになっていた事を思い出す。宿を取らなかった事が功を奏して、彼女は化粧ポーチをちゃんと持っていた。
「ちょっとトイレで直してきまーす……」
「わたくしも付き合うわ」
嗚咽が治まり、喜んだかと思えば悩み、そして今度は恥ずかしそうに声を潜ませるサクラに、苦笑しながらもアキラが着いて行った。一度は断ろうとしたが、「背中で顔を隠しなさいな」と言われてサクラは礼を述べる。
待ってると告げたサキに化粧ポーチ以外の荷物を預け、メイとカンザキに会釈してから部屋を出た。公言した通りアキラが前を歩いてくれたので、サクラは背を丸めながら続く。
扉を開いて、女子トイレへ。中は都会のそれらしく隅から隅まで綺麗に磨かれた白いタイル張りの装いだった。幸い誰も職員は居なかったので、早速と鏡の前へ。
「サクラ。とりあえず手と顔を洗ってしまいなさい。化粧落とし使うより手っ取り早いわ」
と、サクラが一度洗面台に置いた化粧ポーチを勝手に取り上げ、中から洗顔料を取り出したアキラがそれを手渡す。
その顔付きはどこか優しげに笑う。サクラは首を傾げながら洗顔料を受け取った。
「目が腫れてしまってるのだから普段と勝手異なるでしょうに。やってあげますから早く顔を洗いなさい」
懐かしげに、どこか物思いをしているような顔付きで、アキラはそう言う。短く返事をして、サクラは顔を洗った。
「昔……そうね。留学していた頃かしら」
ぽつりと、アキラは零す。
顔を洗う手を少し止めて、「うん」と返す。心持ち静かに、洗顔を続けた。
「貴女がまだポケモン嫌いだった頃ね。あの時もわたくしがこうして化粧してあげるって言ったのよね」
少しばかり言葉を崩しながら、彼女は懐かしむように目を細めた。
学業の留学で、アキラと共にイッシュへ行っていた時の話だった。その頃サクラは周囲から『英雄の娘』と呼ばれ、しかし学の無さが祟って『英雄の面汚し』なんて渾名がつけられていた。
勝手な期待過多を向けられ、でも物心ついた時には両親は居らず、見ると思い出すだろうとウツギ博士の配慮でポケモンとあまり関わらず過ごした頃。期待の言葉を寄せられる度にポケモンを知らずのまま拒み、学が無いと蔑まれては両親を恨みさえした。
そんな頃、アキラと出会った。すぐに打ち解けては、留学もアキラの誘いで行ったものだった。
「……あったね」
洗顔を終えて顔を上げる。備え付けのペーパータオルで顔を拭き、アキラを振り返った。
「髪が変わっても、服装が変わっても、やっぱり素顔はあの時とおんなじままね」
「何よ。身長は伸びたもん」
「顔は全然幼いままよ」
――ほら、ちょっと腰を屈めなさい。バカみたいに身長は大きいんだから。
あの時は、身長は同じだったかな。
ゆっくりと膝を折る。目を閉じれば、遠い昔の記憶が蘇って来るような気分だった。
留学先で騒動に巻き込まれ、まだ卵のままのレオンとルーシーと出会った頃。子供の癖に私もアキラも大人ぶろうと必死で、化粧してからポケモンセンターへ向かったんだ。
「ねえ、サクラ」
「ん?」
「あの子達は元気?」
「うん。レオンもルーちゃんも元気だよ」
「そう、良かった」
「
「当然。
激しい轟音。酷く冷たい雨。
泥塗れな白いスーツの男。
『良かった。人がいた。人がいた……』
手渡された
『中には卵が、この子達に罪はないんだ』
――どうか、助けてあげて欲しい。
その日、プラズマ団の残党のアジトがひとつ、炎の中に消えた。捕縛者は居らず、アジトに居た残党の全員が死んだらしい。ポケモンも多く命を散らし、その中には実験台にされていた無実のポケモンも含まれていたと言う。
正義を語った非道な騒動だった。二人が手渡されたモンスターボールの持ち主も、おそらくは死んだのだと幼心に理解した。
サクラは怖くなった。預かった卵のせいで殺されるのではと。
アキラは言う。トレーナーIDが登録されてたらあり得ると。
でも捨てるには罪悪感があり、二人はポケモンセンターに行って確認しようとした。しかしトレーナー登録は十歳からで、少女達はその年齢を満たしていなかった。
『けしょうすればいいのよ。おねえさまのをみてるからわたしできるわ』
そんな、アキラの発言で、幼い二人は宿舎の女性に頼んで道具を借り、化粧を施し、モンスターボール三つを持って駆けていった。
――結局引き取り手が無かった三匹を私とアキラが預かった。アキラが半ば強引に私へ二匹を持たせたものだから、仕方なくこっそり連れて帰ってウツギ博士に相談したんだよね……。
その二匹が、今となっては大事な家族なのだから、人間どう変わるかわからないものだと思う。
「ねえ、アキラ」
「ちょっと。動かないで下さいまし」
「……ごめん」
あの時とは違う。状況もそうだし、化粧の巧さも違うし、それに何より……。
「出来ましたわ」
「……おお。アキラ上手」
「当然の嗜みですわ」
化粧が似合うようになった。
そして、私もアキラも、トレーナーになった。
「で、さっきのはなんですの?」
すっかり口調も元の調子なアキラ。僅かに幼さも残した、それでいて可愛いよりは綺麗に施された化粧を今一度確認してから、振り返った。
「んーん。なんでも」
「なんですの……。ほんと駄犬ねえ貴女」
「犬は可愛いからいいもーん」
――あの時、私をポケモンに出会わせてくれてありがとう。
呑み込んだ言葉を背に、行きしなとは一転、サクラはアキラの前を歩いてトイレを後にした。