やがて内側からノックされ、一同は再び中へ入る。少しばかり疲れたような表情のカンザキに、化粧が崩れた上に頬まで真っ赤に腫れ上がったサクラ。加えてサキもどこか気恥ずかしそうに頬をかき、サキから聞かされた話でアキラは僅かに目を伏せる。サクラ以外の殆んどが初対面同士とはいえ、平常運行なのはメイだけだと一目に解る惨状だった。
「とりあえず、やる事だけ済ませて、その後サクラちゃんのお色直しかな……」
メイは肩を軽くすくませながら、薄く笑ってそう言った。
反論は勿論無い。
ここに来た理由はミロカロスの件が公にひとつ。そしてもうひとつ、メイとサクラにとってここでやらなければならない事がある為。先に後者をしようと、メイはサクラに視線を送ってから、一歩前へ出た。
「とりあえずカンザキ博士」
呼びつけるとカンザキは真面目な顔付きに戻り、メイに相対する。
「Lの事は存じてますね?」
「勿論です」
カンザキの頷きながらの迷い無い返答に、メイは宜しいとばかりに頷き返す。彼女の後ろで「L?」と、アキラが言葉を零すが、サキが「後で」と制していた。
その様子を尻目に、メイはポーチを開ける。中を迷い無く手で探った。出された手には手のひらサイズの封筒があり、それを確認するとサクラへ向き直った。
「サクラちゃん。Lを」
「……うん」
未だ嗚咽が治まらない彼女は、珍しく軽い口調で返した。涙を拭う右手をベルトまで下ろし、手探りで最後尾のボールを取り出す。そのボールを左手に移し、ついでながら彼女は右手でリュックサックのポケットから後ろ手に『海鳴りの鈴』を取り出した。
「ルギア……。前に、説明した……発信器、つけさせてね」
『心得た』
「喋った!?」
「なっ!?」
サクラとルギアの会話に、アキラとカンザキがそれぞれ驚く。アキラはサキがやはり「後で」と制し、カンザキはメイが視線で制した。
一同を見渡し、サクラは頷く。
『導きし女性よ』
「……私?」
サクラがマスターボールをメイに渡そうとした時、ルギアはそう呟く。メイが首を傾げて返すと、海鳴りの鈴は淡く光った。
『私の精神だけでは事は成さぬ。辱しめは肉体のみにして頂きたい』
「……そうね。良いわよ」
『有り難く』
事情はサクラから聞いていた。ルギアにとって監視とは自由を奪われる『辱しめ』と言っており、主の頼み故にと、ボールに限ってのみ赦しを得た。メイが左手に持つ封筒にはそう、『Nの協定』の規約に倣った発信器が入っており、ここでその装着を依頼する運びなのだ。これはポケモンセンターでも出来る事だが、マスターボール自体が目立つので、コガネに来るのならここでしてしまおうとメイが持ち出した提案だった。
ちなみに発信器には発信器としての役割の他、バイタルデーターを確認する機能も着いている。ルギアの言う『辱しめ』とは、中々的を得た指摘だった。
メイにマスターボールを渡し終えると、サクラは『海鳴りの鈴』をバッグに仕舞った。その姿を確認してから、メイは先程の封筒と合わせてカンザキへ差し出す。
「これの装着を、Lのボールに施して下さい」
「Nの協定……ですか。そうですね。サクラちゃんの安全を考えるなら一番かもしれない」
「ええ。身命を賭して、彼女は協定が守ります」
カンザキはその立場上これがどういう事か、また、メイがどういう立場の人間かを知っていたらしい。短い会話の後、これは直々にやりましょうと、彼はデスクの後ろへ回る。ボールの上部を特殊なドライバーで開けると、意図も簡単に装着は完了した。元の装いに戻し、ボールはサクラの手に返される。
「……ありがとう」
「うん。大切に守ってあげて欲しい」
こくりと頷き、サクラはカンザキへ深々と礼をする。
そして次はと、メイがサクラの背を促す。サクラは入れ換えにモンスターボールを取り出して、カンザキへ差し出した。
「ミロカロス……助けられる?」
泣き目腫らしながらも、サクラは目に力を込めながらカンザキを見守った。彼はボールを受け取り、透過する部分から一瞥。
「……詳しく調べないと何とも。ただ、身体の上部にまで変色が起こっていないから、手遅れと言う事はないと思うよ」
カンザキは再びデスクへ。
四人が見守る先で、モンスターボールを卓上のパソコンのホルダーへ繋ぐ。
「バイタルも良好……。血液や臓器の状態は悪いけど、もしかしたら……」
そう呟き、彼はパソコンのキーボードを叩く。
その表情は強面ながらも、慈愛に満ちたような顔付きに見えた。
「……サクラちゃん」
「はい」
彼はサクラを呼びつける。
呼ばれてデスクの前まで行くと、カンザキは面を挙げて、真面目な声で言った。
「治療は出来る。間違いなく成功するとさえ言える……」
でも。
否定的な言葉に、サクラは息を呑んだ。
「君たちトレーナーの言い方で言う所、相対レベルが一に逆行するだろう」
研究者の界隈で言えば退化。
意を取りあぐねる一同へ、「まだ開発中の技術だが」と、カンザキは述べる。
続けてゆっくりと説明を始めた。
ヒンバスに戻る訳でも、肉体が尾を五本揃えた形に戻る訳でもなく。
しかし身体中の細胞を綺麗に新生する。つまるところ、『わざ』を使う為に培われ、戦闘やコンテストへ向けた『体造り』の一切を、ミロカロスという個体が持つ標準体に戻してしまうのだ。
これによって細胞は正常な状態へと戻り、ミロカロスの身体中のポケルス細胞は死滅する。しかし標準体に戻すと言う事は、例えば水鉄砲を繰り返す事によって水砲機関が発達し、ハイドロポンプを撃てる事になる訳だが、これを失わせてしまうと言う事だ。
ロロにとっては前任者が整えたらしい彼女の毛づや――もうコンテストに出れる様ではないが――を失わせてしまう。
これは最近開発された『育て直し』と言う価値観に基づいて培われた研究であり、これがポケルスに効果的なのは実証済みながらも、あまりにリスキー故に、ポケモンセンターにさえ開示していない試験的なものらしい。技術としては完成しているが、あまり実用的ではないと言う事だ。
「ミロカロスだから手術を待つよりは良いと思うけど、これをすると暫くは泳ぐことさえ覚え直さなきゃいけない」
何も細胞の造りは人間の娯楽に則って発達する訳ではない。日常生活も覚え直す形になる。意識とはかけ離れた肉体に変わってしまうから、ロロが感じるストレスも半端じゃ済まないだろう。
そう言葉を括り、カンザキがモンスターボールを手渡してくる。サクラは受け取り、透過部分から見上げてくるミロカロスと目を合わせた。
「どうするかはその子と相談……」
「ロロ、良いよね?」
カンザキの言葉を待たず、少女は確認した。
えっと返すカンザキだが、そう言えばそうだったとすぐに苦笑する。
サクラは目先の事象がプラスなら、後のリスクなんて怖がりはしない。
実に子供らしく、それでいて無防備な性格だった。
だが、そんな彼女だからこそ、無垢であり、見ている者を惹き付ける。
モンスターボールの中、ロロは緩やかに頷いた。