サキ少年の憂鬱
慌ただしく動く職員達は、まるでサキ達の事なんて目に入らないような姿だった。書類を眺めてはぶつぶつと言葉を漏らし、パソコンの画面と見比べながらキーボードを叩いている。かと思えば別の職員はピッピと呼ばれる稀少なポケモンに一方的な会話をし、了解を得てはささやかな刺激を与えている様子だった。
「……ポケモン研究所ってやっぱ殺伐としてんな」
今、サキ達三人はサクラを思って席を外した真っ只中。薄く聞こえる嗚咽を聞いていられなくなって、サキはぽつりとそう零した。
意味はない率直な感想。ただ、少しでも後ろの扉から意識を逸らしたいとは思ったから、口にしたまでだった。
「ええ」
メイが他愛ない相槌。
おい、察しろよ。話続けろって。と言わんばかりに、横目で彼女を睨むサキだが、メイは物思いに耽っている様子で気付かない。
已むを得ず、反対側に立つまだあまり知らない少女を横目に見た。彼女はこちらに気が付いてくれ、幼い顔に似合わないような落ち着いた笑みを浮かべる。
「どうやら貴方も随分と面倒な性分なようで……」
何やら悟ったように……おそらく貶された。
しかしサキは舌打ちひとつ挟んで、「全くだ」と返す。
「サクラとはいつから?」
不躾な物言いに腹に一物を据えたサキだが、その言葉で少女に感謝の心も宿る。なんとなく喋りたい気分の時は、話かけてもらえるだけで嬉しいものだ。
「会ったのはつい最近。ここ一ヶ月も経たねえよ」
腕を組み、それを枕にして、開く気配がまだこれっぽっちもない扉に凭れかかった。
「あら意外。あの子は兎も角、貴方は会って一月の人間と旅に出るようには見えないのですが」
丁寧な口調で、サクラが言う所の毒舌。
おそらく最後の接続語の後には『下心でもおありで?』とでも続くかと、サキはなんとなくそう感じた。実際はそこで疑問符でも乗せたような声色だったのだが、サキは「別に」と返す。
「存在自体は親が友人だったから知ってた。んであんな悲惨な状況の女一人放り出したら、それはそれで胸糞わりぃだろ」
「……失礼ですが親御様は?」
「協会の会長椅子でふんぞり返ってる奴」
なんとなく親を盾にしてしまいそうだと感じ、サキは敢えて言葉を濁す。勿論濁しきれてないことは自分でわかっていた。そんな彼の腹の内を知ってか知らずか、アキラは値踏みするように見上げてきた。
「ああ、シルバー様ですか」
「様とか言うな気持ちわりぃ」
「あら、尊敬に値する親御様かと存じますわ」
――その分鬼だし、昔は冷血非道だったんだけどな。
と、心の底で返す。
サキはそこで枕にしていた腕をほどき、胸元で組み直した。頭ひとつ分低い少女を見下ろすように見る。
「で、何? 悪い虫がついてたらなんとやらってか?」
敵対心丸出しのサキの言葉に、少女はクスリと笑った。
「いいえ。貴方は中々に警戒心が強いようで
「そりゃどうも」
一々難しい言い方しやがってと、心の中で悪態ひとつ。
しかも解らないと言う顔をすれば、先のサクラよろしく駄犬等と言われそうだ。
サキは疲れるなぁと、遠い目をして研究所の天井を仰ぐ。話がしたいと思ったはずなのに、その感覚はどこへやら。
どうやらこの少女も、相応に面倒臭い性分らしい。
そう思えて仕方なかった。
「まあでも、貴方ならばサクラ側の話は全て存じていそうですわね」
そんなサキの感想を知ってか知らずか、アキラは独りでにごちて頷く。
その姿を横目に見て、サキは溜め息を一つ零した。
「……いや、あいつ自分の事あんま喋らねえから」
「そうですか」
納得したような声色で、アキラは呟く。
しかし先程とはうってかわって投げやりだと感じたのか、彼女は「ちょっと」とサキの視線を促す。
サキが見返せば、彼女はどこか悲しげにも見える顔付きで、睨んできていた。
「面倒かもしれませんが教えて欲しいのです。あの子は昔、酷く辛い目に合い、わたくしは彼女へしてやれる事は少なかった……」
その目線は力強く。
サキは黙って少女の目を見据えて返す。
「例え誰かにとって取るに足らぬ子でも、わたくしにとってあの子はとても大切な友人。出来れば話せる範囲で教えて欲しい。あの子が面倒ごとに巻き込まれている事はとっくに承知ですの」
その目は真剣だった。
サキがサクラを想うのと同じく、彼女もサクラをとても大事に想っている事をサキは理解した。友人と、二人は言うが、その姿はどうみても長く共にした親友としてと、そう言うようだった。
「貴方も同じ……。今、あの子の傷を埋めれるのがご自身でないことに強く憤りを覚えているのではなくって?」
面倒な性分に見える訳だ。
事実自分だって、この状況に苛立ちを覚えて、実に面倒臭い人間だろう。
――何だ……そういう事かよ。
口にも態度にも出さず、サキは少女の言葉に導かれて、自分の心境を理解した。
自分はカンザキに『嫉妬』しているのかもしれないと……サクラの心の傷を埋められなかった事に『恥』を、そして埋めたと思っていたそれが彼女によって隠されていたのだと知った『愚かさ』を、自分はもて余しているのだ。
道中のサクラの様子から、なんとなく感じてはいた。
でも、自分では敵わない傷の深さだとも解っていた。
解るからこそ、解らないふりをして、こうして罰悪く視線を逸らした。
――年の功か、俺が自意識過剰なだけか。
サキはふっと笑うと、予想外の反応に肩をすくませるアキラへ向き直った。
「そうだな……うん。そうかもしんねえ。なんも出来なかったわ俺」
はははと乾いた笑いを浮かべ、肩を落とす。
自嘲染みた心内とは裏腹に、何故か心がスッと軽くなる。
「会って間無しにズカズカ言いやがって……。まあ俺も似たような性分だけどな」
にやりと笑い、少女を睨むではなく臨む。
「まあ、当事者じゃねえし、ここで話せるのは限られてんだが――」
そう言って語りだす。
どこから話すべきだろうかととりあえず思い出を羅列にすると、実はそんなにねえじゃんと再度自嘲した。
「初対面でまたねと言い合って、半日経ったら泥まみれのあいつがやって来た。親父から色々言われて、あいつ自身ごちゃごちゃしてて……」
とりあえず言える事はなんだろう。
先程視線でサクラとやり取りはしたものの、しかしお互い別な案件を抱いていた可能性もあるから……と、サキは心の中で添削する。
「ワカバが燃えて、自分が死んだ事になってる事が嘘をついてるように思えて、そんでもって秘匿事項が絡んで苦しんで。それでも出会ったミロカロスを脇目振らず助けて。あとは……キキョウジム蹴散らして、スポンサーが――」
と、Nの協定に差し掛かり、思い出したかのようにサキは左手に立つはずのメイをちらりと改める。少しばかり存在さえ忘れていた目の上のたんこぶにあたる彼女は、少し離れた所からサキを見ていた。視線に気付くと、彼女は薄く笑って、まるで「頑張れ」とでも言いたげに見えた。
――ああ、何だ。結局あの女に関しても、フジシロに関しても、俺とサクラの事考えてくれてんじゃん。
まるで道化だな。
何を空回って疑いまくってんのやら……。
サキはそう思いながら、ゆっくりこれまでの旅路でサクラが苦難した事を知るだけ、話せるだけ、アキラに伝えていく。その話の事細やかな事、言っていてその時の彼女の気持ちのように喜怒哀楽が密かに息づく心。
幸せバカだな、サクラ。不幸になっても幸せって変な話だよほんと。
勿論その幸せバカに自分も加わっている事は承知の上。
だってそうだよな。出会って一月。されど一月だ。
多分俺はサクラが大事なんだ。
親のラベルなんか、必要なく。
サクラだから大事なんだ。
その心を色付ける言葉を実感した事がない少年は、初恋と言うには真っ直ぐに、少女を想う心を自覚した。