天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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サクラのせいじゃない

「それにしても、また貴女は相変わらず身を弁えないと言うかなんと言いますか……」

 

 エレベーターに四人が乗り込み、扉が閉まる。研究所へ向かう理由はちゃんと聞いていたのか、アキラはそう言って華奢な肩を竦めて見せてきた。その言葉はサクラに向けてとしか取れず、加えて何を言っているかはよくわかった。

 

 以前、同じ事でサキに叱られたのだから返す言葉もない。

 サクラは頷いて、次からは誰かに助けてもらうようにするよと返した。その言葉にアキラは首を傾げ、「あら、意外ね」と、唇をすぼめて見せた。

 

「てっきり私の勝手でしょ等とのたまうものかと思いましたのに」

 

 その表情は本当に意外だと思っているように見える。

 思わずサクラが苦笑すれば、アキラの肩をサキが指先で叩いた。

 

「前に俺がきつく言っといたから、勘弁してやってくれ」

「あら、そうでしたの。つまるところ一回は駄犬っぷりを晒したのね」

「……あう」

 

 やはり返す言葉もない。タイミング良く四階にある研究所に着いて、弁明も追撃も無かったのは果たして救いなのだろうか。

 

 溜め息混じりに、開いた扉をサクラが先導する。ここから先はサクラがおそらく一番詳しいのだが、何度も来た事がある場所とは言え、今までは顔パスだった受付で、今回はどう言えばいいか聞くのを忘れたと、結局最後尾のメイを待った。メイは察してか、元からそのつもりなのか、三人を左手で制して受付へ向かう。

 

 パーテイションで区切られた六畳程の空間。奥に通路があるが、その手前に受付と銘打たれた番台がある。そこにはサクラにも見慣れた女性が座っていて、しかし彼女はサクラには気付いていない様子だった。

 

「ウツギ第二研究所へようこそ。申し訳ありませんが只今見学は完全予約制です。予約はございますか?」

 

 事務的な会釈と共にそう述べる女性。メイは「ご丁寧に」と、会釈を返しながら、スカートのポケットからカードを取り出す。服装がサクラと初対面の時と似たブラウスとタイトスカートだからか、その姿はこの空間や、彼女の動作ととても似合っていた。

 

「カンザキ博士に用があります。話は通しています。協会と協定からと確認して下さい」

 

 ウツギ博士の元助手にして、このウツギ第二研究所の所長。その名前はカンザキと言う。ちなみにサクラさえ、『助手さん』と呼んでいたもので、そんな名前だったなぁ等と失礼な事を思っていた。

 

「サクラ、少し確認したいのですが」

「ん?」

 

 受付をメイに任せて、三人でエレベーターの出口を陣取っていると、アキラが小声で耳打ちしてくる。

 

「あのメイと言う御方。もしかするとイッシュのレジェンドでは?」

「うん、そう」

「何故あのような重鎮が?」

「……お父さんとお母さんのポケモンを私が受け取ったからってことにしといて。今は詳しく話せない」

「後で聞かせなさい」

「うん」

 

 小声でのやり取りだったが、聞こえていたらしいサキがサクラへ視線を送る。その視線は「話す気か?」と言いたげで、サクラは頷いて返した。

 

 アキラは強い。サクラよりよっぽど強い。それにいざとなれば身内に元コガネジムリーダーにして、今やポケモンマスターと呼べるクラスのトレーナーがいる。……と言うのは言い訳で、サクラは彼女にはただ知ってほしいと思っているだけだった。

 

「三人共、行くよー」

 

 と、メイの声で三人はハッとする。丁寧にお辞儀したまま顔をあげない女性の横で、メイが手招きしていた。

 

 様々な機材、データーのホログラフや小型のポケモン達を脇目に、一同はメイの先導で『所長室』と銘打たれた扉に至る。やはりメイがノックし、返事を受けてから開いた。

 

 中は茶色が基調のアンティークの家財が並んでいた。ワカバタウンを出てから彼が取得したトロフィーや賞状が飾られ、あまり研究所らしくない雰囲気を思わせた。広々とした部屋の中央には革張りソファとガラスのテーブルが置かれており、その向こうには木製のデスク。カンザキはそのデスクの更に向こうで立って、深く礼をしていた。

 

 ウツギ研究所に居た頃と変わらない白衣姿。博士と同じ丸眼鏡を着け、厳格な相貌と角張った輪郭、加えて髪が銀のオールバックなものだから、すごく強面に見える。しかし彼は最後尾のサキが扉を閉めると、デスクを回ってサクラの元へ駆け寄ってきた。

 

「サクラ……本当にサクラちゃんだ……。良かった。本当に良かった……」

 

 外に聞こえないぐらいには抑え、しかしそれでも大きな声を出しながら男『カンザキ』はサクラを強く抱き締めた。そのキリッとした瞳を涙で潤ませ、彫りの深い顔立ちをグシャグシャにしながら笑っていた。

 

「助手さん……。心配かけてごめんなさい」

「いいよ。生きてたら何も気にしなくていいんだよ。君が死んだと報せを受けた時には本当に悲しかった。生きてると知った時にはどれ程嬉し涙を流したか」

 

 カンザキは感極まった様子で、まるで我が子を抱き締めるかのように彼女の頭に頬を寄せた。

 

「怪我は無いかい?」

「……うん」

 

 雰囲気にあてられた訳ではない。サクラもひたすら嬉しかった。自分が生きている事を、こんなにも、アキラとカンザキは喜んでくれる。アキラの時には我慢出来た衝動が決壊して、涙となって溢れ出た。

 

「ごめんなさい。私がもう少し早く戻れてたら、博士は……みんなは……」

 

 サクラはずっとそう後悔していた。もう少し早く戻れていたら、博士を、誰かを助けてあげられたかもしれないと。だが、カンザキは首を振って「良いんだよ」と言う。

 

「君が生きてる。それだけで僕はこんなにも嬉しい」

 

 二人してグシャグシャな泣き顔で、笑い合った。サキも、メイも、アキラも、そんな二人を急かすような野暮はせず、扉の前でひっそりと見守った。

 

 サクラにとってウツギ博士は家族同然で。その死を誰が慰めたとて、彼女の痛みを理解してやれる訳ではない。母を亡くした経験がサキとて、彼女にとってウツギ博士が『どんな風に大切か』なんて事は解りはしない。彼女と全く同じ傷を負った者じゃないと、彼女に対する特効薬にはなり得なかった。

 

 その特効薬は、カンザキだった。カンザキにとってウツギ博士は師であり、長く喜怒哀楽を共にした同志であり、家族同然。だからこそ、彼の言葉はサクラの心に深く染み渡る。

 

「助手さん……」

「うん」

「博士、死んじゃった……」

「……うん」

 

 確認するように、サクラは今更ながら、口に出して彼へ訴える。彼の胸に顔を埋め、化粧が落ちるのも構わずに嗚咽を漏らした。

 

「死んじゃったよぉ……」

「辛かったね。苦しかったね」

「うぇ、うぇぇっ」

 

 サクラは人目憚らずに泣き出した。その姿はサキにさえ直接的には見せなかった子供らしい泣き顔で、見るもいたたまれなかった。

 

「席を外すので、落ち着いたら呼んで下さい」

 

 メイがそう言って、カンザキに優しく微笑む。彼はひとつ礼を述べ、彼女がサキとアキラと共に部屋を出るのを見終えてから、もう一度サクラへ向き直った。

 

「サクラ。お兄さんが聞いてあげるから、辛かった事、しんどかった事、少し吐き出して行こうか」

 

 いつだったか、遠い昔は、そんな呼び方だった。サクラと呼び捨てにし、彼女は『研究所のお兄ちゃん』とカンザキを呼んでいたか。そうあの頃はウツギ博士の方が老けていたものだから、あまり年が変わらないのに、おじちゃんとお兄ちゃんだった。

 

 その少女は今、一四歳にして、もう大人になろうとしている。

 

――大人になる前に、少しくらい子供に戻っても罰は当たらない。博士なら、きっとそう言うよ。

 

 カンザキの言葉で、サクラは嗚咽混じりになりながらも、ゆっくりと唇を開いた。

 

「……お兄ちゃん」

 

 少し躊躇いながらも、それでもはっきりとそう言って、カンザキの腰に回した手をギュッと握った。

 

「ポケモンがいっぱい死んだ。人もいっぱい死んだ。ウツギ博士が旅に出ろって言って、死んじゃった……。みんな、みんなみんな、死んじゃった」

 

 私の所為で――と、言いかけて、しかしカンザキが抱き締める力を強めてその言葉を飲み込ませる。

 

「サクラの所為じゃないよ。僕が保証する。他の誰でもない僕が保証する」

 

――サクラの所為じゃない。

 

 その言葉は少女を呪いのようなあの日の悪夢から、ようやくにして解き放った。その言葉は彼にしか、同じ痛みを持つだろう彼だからこそ、伝えられた言葉だった。


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