天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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残された記憶

 大きく開かれた両翼。黒曜石の如く輝く背の宝飾を風に靡かせ、長い首で天をぐるりと見渡した。その後、神々しいまでに乱れひとつ見られない巨大な体躯を揺らし、彼は一同を見下ろす。

 

 その眼下で、主たるサクラが「降りてきて」と両手でルギアへ抱擁を求めるように示した。彼は小さく鳴き声を挙げてから、名残惜しそうに空で宙返りし、やがて柔らかな動作で降りてくる。その巨大な体躯にしてはどうして、少女らは彼の降りてくる風に撒かれる事は無かった。

 

 少女より幾分離れた所へ着地した彼は、長い首を降ろして、フレームに覆われた瞳を少女の前まで持っていく。

 

『主、心遣い痛み入る』

「うん。ごめんね中々出してあげられなくて」

『気に病まずあって欲しい』

 

 少女はルギアの顔に小さな腕で抱擁し、そして彼を撫でつつ一同を振り返る。

 

――この子がルギアです。

 

 そう言おうとして、目の前で固まるフジシロとメイの姿に首を傾げた。サキはふーんと彼を一瞥して、何やら頷いている。

 

 どうかしたのかと、サクラは主に目を見開いて口も開きっぱなしになっているメイへ、疑問の意を示す。彼女は暫く固まったままだったが、やがてハッとすると頭を押さえ、項垂れながら笑う。

 

「え、メイさん?」

「いや、ごめんね。ちょっと色々びっくりした」

 

 と、サクラの疑問に彼女は笑いながら返す。隣でフジシロが口を閉じたまま何度も頷いていた。

 

『私が人語を介するが故に』

 

 おそらくは鈴を介して状況を把握していたのだろうルギアは、そう言ってサクラの理解を促す。彼女は言われてから「あ、なるほど」と、得心いった様子だった。

 

 他の伝説ポケモン達は喋れないのだろうかと、ひとつ頭に疑念を浮かべるサクラ。その疑問は口にこそ出さなかったが、察したメイによって「それもあるけど」と言う言葉で肯定される。

 

「サクラちゃんの力量で、ルギアが言う事を聞いているのが、一番意外だった……ってのが本音だよ」

 

 へ? と、返す。メイは事も無く述べ、フジシロはやはりうんうんと頷き、サキでさえ「そういやそうだよな」と呟く。

 

「もし暴れたらって思ってこの子出してたんだけどね」

 

 と、メイはゴチルゼルの背を撫でながら笑った。サクラはその時、サクラの手持ちポケモン以外――つまりはサキの手持ちポケモン達が震えて恐怖におののいている姿に気付く。面識と言うか、鈴の状態と何度も話していたレオンとルーシーは驚きこそすれ、怯えてはいなく、ロロはビクビクしているがこれは彼女の性格的な問題だと思われた。対するメイのゴチルゼルは表情を強張らせてはいるものの、怯えてはいない様子。その警戒心溢れる形相も、メイに促されて徐々にほどけた。

 

「この子はちょっと特殊でね。伝説ポケモンと何度も相対してるから、もしもの時は電磁波で動き止めようかと思ってたの」

「え? あ、はい……」

 

 思わず苦笑い。その為のこのフィールドだったとメイは解説する。

 

 事実、ルギアが暴れてしまった場合には対処出来るポケモンは限られている。サクラやサキの手持ちポケモンでは力不足なのは目に見えており、メイの対処は当然だった。勿論これは『鈴』の中でルギアが目覚めているタイミングと、メイ達と会話していたタイミングが合わなかったから起こった事態だったのだが、それでもサクラは苦笑を禁じ得ない。

 

「ルギアって案外素直なんですけど……」

『主だからだ』

「あれ? そうなの?」

 

 ぼそりと呟いた言葉に、ルギア本人が注釈。むしろサクラ自身がその言葉に驚いた。

 

「んじゃ俺が命令してもお前は言う事聞かないのか……」

『時と場合による』

 

 サキがぼやく言葉に、またも本人が注釈を入れる。時と場合とは、事前にサクラに命令を聞くよう指示されていたら、そうしようと言う事なのだろう。

 

「へえ……」

 

 サキは感心したように肩を竦め、メイ達へ向き直る。

 

「まあこれならサクがルギア持ってる意味はあるよな?」

 

 述べられた彼の発言に、ひとつサクラは首を傾げた。しかしメイとフジシロはそれぞれ「そうね」と、頷きを繰り返す動作で同意する。

 

「サクラちゃんがルギア持ってても暴走しないって事が解っただけ、ひとつ収穫ってことよ」

「……暴走、ですか」

「ええ、本来伝説ポケモンは力や名声を求める傾向が強くて、そう言うトレーナーじゃないと言う事を聞かずに災厄を振るう筈だもの」

 

 メイが言う事はおそらく経験則だろう。しかしサクラには納得が出来ず、反論しようとした。彼女の動作を制したのは、フジシロだった。

 

「あくまでも本能的に。だよ」

 

 これまで無言だった彼だが、そう言ってメイの言葉に補足すると、ルギアを見上げて続ける。

 

「良いマスターに出会えたんだね、君は」

 

 ルギアは目を瞑り、小さく頷くような動作をする。

 

『主を幼い頃から見てきた。私はその時喋る言葉を持たなかったが、それでも主は私へ語り続けた。それが人の言葉を介するに至り、主を主とする由縁だ』

 

 毎朝のおはよう。家を出る時の行ってきます。帰ってはただいま。就寝前にはおやすみ。時にはその日あった珍しい事を、語りかけてくれた。と、ルギアは言う。尤も、それらは全て彼の後ろに置かれていた『フォトスタンド』に宛ててだったが、ルギアはその言葉を受け続けては「この少女と語りたい」と、「この少女は家族だ」と、そう意識していったと言う。

 

 初めて聞いた内容にサクラは驚き、次いでやってくる胸の奥がドクンドクンと熱くなっていく感覚で、思わず目を潤ませた。今はもう燃え尽きてしまったあの家が、あのフォトスタンドが、今ルギアが彼女を慈しむ切っ掛けを作ってくれたのだ。

 

 『奴等』に渡さなくて、レイリーンに『引き渡し』を断って、本当に良かったと思う。

 

「ありがとね、ルギア」

『主は主であり、私の家族だ。私の力を振るうにはまだ及ばないが――』

 

――私の主は貴女だけだ。

 

 サキが食事に取りかかり、完成させるまでの間、少女は圧し殺した泣き声を噛み締めるのだった。その涙はきっと、嬉し涙だった。

 

 

 

 

「じゃあ貴方は何も覚えてはいないのね」

 

ルギアにはヒビキとコトネに出会う以前の記憶が無い。それより前の記憶は数百、数千の時代を遡る。

 

『この時代、最初の記憶は主の両親が私を捕獲した時の話だ。肉体は酷く損傷し、休眠を余儀なくされた』

 

 ルギアは懐かしそうに目を細め、空を仰ぐ。

 

『おそらくはそれより以前には、この力を御する事なく振るったのだろう。私は封印され、肉体と魂を分かつが如く、鈴とボールに別れてしまった』

 

 心は『海鳴りの鈴』へ。

 肉体は『マスターボール』へ。

 

『私は主の両親を恨んだ事さえあった。何故目覚めて間もない私が、このような恥辱を味合わなければいけないのかと、次に目覚めた時には海の藻屑にしてやろうとさえ思っていた』

 

 その言葉に、一同が生唾を呑む。その時代に彼を解き放っていれば、間違いなく世界は災厄を産んだと言われるだろう。特にルギアの力を、『渦巻き列島』の件である程度知っているらしい二人は、ゾッとしないと言っていた。

 

 一同は食事を終えた皿を前に、ルギアからの言葉を待つ。彼は勿体振ることなく、語っていく。

 

『私は自分が何者かさえ解らず、海鳴りの鈴から拝む日々を、しかし虎視眈々と機会を窺っていた。その時に肉体がどこにあるかは解らなかったが、それでも機会を待った』

 

 家には赤子のサクラ。彼女を抱くコトネ、そしてヒビキ。この内コトネには既視感があり、ヒビキからは不思議な力を感じたと言う。

 

 

 コトネは後に思い出せた。自分との戦いか、酷く汚れた姿だったが、私をボールに収めたトレーナーだった。

 

 ヒビキから感じる感覚は、やがて彼らが旅立つ際に、彼が自身の宿敵を持っていた為だと知る。

 

 その時、私はヒビキがサクラに投げ掛けた言葉で、コトネの言葉を思い出した。

 

 

――きっとこの鈴が、お前を護ってくれる。

 

 

 彼女に捕獲された際だろう、薄汚れた彼女が涙しながら言った言葉。

 それは失われた記憶から、私が産まれた瞬間の記憶。

 

『望んで無いよね。ただただ穏やかに過ごしたかったのに、起こされて、苦しまされて、辛かったね……』

 

 

――でも大丈夫。

 

 これからは私達が貴方を護るよ。

 

 

 そう交わされた言葉は……そう、果たされていた。

 我を忘れ災厄を振りまく私を治めたヒビキとコトネは、私をずっと守ってくれていた。

 

 気が付けば世界は広がった。

 

 残された幼児を守る使命感にかられた。

 

 私は主の両親達へ、感謝こそすれ、恨む筋合い等、きっと無かった。

 無かった筈なのに、赤子の如く身の不遇を呪った。

 

 それが守られていたと知り、私は知識を求めた。

 

 私へ笑いかける少女を、守り続ける為。

 

 いつか旅立ってしまったヒビキとコトネに事の次第を聞く為。

 

 

 そしていつか、二人にありがとうと、言う為。

 

 

 私は鈴から見える世界で、その限りを学んだ。人の営み、人の心。主がテレビとやらを見る時や、長旅に鈴を連れて行って貰えた時は、必ずひとつの知識も逃さぬよう尽力してきた。

 

 世俗、情勢、そしてポケモン。

 

 どんな些末さえ、私にとっては必要な武器だった。

 

 全ては主の為。

 

 私の主だった者から託された主の為に――。

 

 

 死ぬ事さえ、何も怖くはないんだ。


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