その日、サクラはメイと共にポケモンセンターへ戻った。その頃にはサキとフジシロも帰ってきており、全員でサクラの部屋に集まった。一人部屋に四人と言う窮屈な中、メイとサクラはベッドに腰掛け、サキは壁際に凭れ、フジシロは三人を一瞥出来る距離で立っていた。そんな状況で、メイはサクラにした説明を同じく彼にもする。サキはすぐに理解し、納得をした。
ただひとつ、利用するだけしやがってとフジシロを睨むが、彼にはそれが役目だったとメイはフォローする。返事を保留にした事により、フジシロの行動は特に意味を持った。サキは実際に大手の企業と交渉を終え、二人どころか一〇人程引き連れても余裕な契約金でスポンサーを得ていたので、サクラとサキにはメイの交渉を断る余地がある。
殊、それについては、正しくフジシロの『善意』だろう。その実ルギアさえ監視出来れば、『Nの協定』からすればサクラの命など知ったこっちゃない筈だ。フジシロがファン第一号と言ったのは本音であり、彼がサポートをするにあたってそれを第一にしたので、メイの交渉も『脅し』にならずに済んでいるのだから。
「でも……お前等、何で態々こんな回りくどい事するんだよ?」
レイリーンの件はさておき、サキはメイに率直に聞いた。
確かにサキの指摘通り、サクラの意思など聞かずに『監視』し、『利用』すればいい。少なくともフジシロの腹の内は、サクラとサキには分かっていなかったのだから。
するとメイは全く以ってその通りだと同意する。
しかしその理由はちゃんとあった。
「さて問題」
メイは人差し指を立て、サクラとサキに向かって問い掛けてくる。
「Nの協定の『N』とはなんでしょう?」
知るかよ。と言うサキと、「あ」と零すサクラ。
先のレイリーンが指摘し、サクラの墓穴になった通り、彼女はその名を知っている。
「プラズマ団の頭目の名前……ですよね?」
サクラは多少居心地が悪く思いながらもきちんと答える。「はあ?」と驚愕するサキを尻目に、メイはサクラの頭を撫でてきて、正解とにこやかに笑った。
「プラズマ団って、イッシュで騒ぎ起こしてた犯罪者集団だろ?」
「世間一般的にはそうだねぇ?」
「いや、世間一般的にも、何もねえだろ」
サキはそう言って憤慨する。
しかしそこに口を挟んだのはそれまで黙っていたフジシロだった。
「私は元プラズマ団だよ」
「……は?」
「……え?」
サキは耳を疑い、顔を強張らせた。
サクラは先程からのメイとの会話で、『プラズマ団』と言う組織に違和感を覚える。
故に否定的な態度をとって良いかさえ、分からない。
「簡単に説明しようか」
メイはそう言って、二人の視線を集める。
フジシロが深く礼をし、その挙動をサキが傍目にして、舌打ちをした。
「悪党が何ぬかそうが悪党だろ」
「……じゃあシルバーさんの昔はどうだったかしら? キミは窃盗をはたらいた事がある父親に向かって犯罪者と言うのかな?」
「――っ!?」
少し低めの声で、メイはそう言った。その言葉こそ柔らかいものだが、声色はどう聞いても怒っており、サクラの目には彼女の表情が無になっていく姿が映った。
返す言葉をなくし、絶句するサキへ、彼女は立ち上がってつかつかと歩み寄る。目の前まで行くと、サキの額に指を突き立てた。
「さて、問題だよ。サキ君。Nは今も犯罪者として指を指されなきゃいけない人物かな?」
「……何が言いてえんだ」
「何も知らないガキは黙って話聞けつってんのよ。解れ。クソガキ」
淡麗な容姿に似合わぬ、酷い言葉遣いだった。
しかしそのドスのきいた声は、サキの声を封印するかの如く、口を閉じさせた。
「とまあ、Nに気付かせたトレーナーなら、そう言うかな……」
そんな彼の姿に満足してか、メイは再び元の位置へ戻る。
ゆっくりとした動作で腰を降ろし、「じゃあ、話そうか」と告げた。
「Nを改心させたのはトウコと言う名前のトレーナーよ。でも、プラズマ団を壊滅させたトレーナーの名前はメイ。……私よ」
――そこで再び絶句。
サキの目が大きく開かれ、サクラも信じられないとフジシロへ視線をやる。
フジシロは「メイさんの言う通りだよ」と、微笑んだ。
「ただ……Nはポケモンと会話が出来るだけの、不幸な環境で何も知らずに育った人間なの」
そう、Nは究極の無垢だった。
ポケモンを愛し、ポケモンに愛され、そして人からは愛されなかったと言う。
やがて酷い迫害に合った彼を拾い上げた男こそ、黒幕たる『ゲーチス』だった。ゲーチスはNのカリスマ性と、その能力を用い、彼を『洗脳』とも言える言葉で染めていった。
Nは純粋に、ボールに入れられて使役されるポケモンの悲鳴を良しとしなかっただけで、その主張が彼からすれば絶対の存在だった『ゲーチス』に利用され、プラズマ団を用いた強行策を是とさせていた。
それがプラズマ団の悪行の経緯だった。
やがて彼らの前に現れた一人のトレーナー。
伝説のポケモンに認められた『トウコ』は、ボールに『拘束』されて尚、トレーナーを大切に思うポケモンの姿をNに見せつけ、勝利した。
そう、Nの絶対的価値観を粉々に砕いたのだ。
「Nはただただ純粋に、人とポケモンの距離感で悩み、ひとつの答えを求めた人間にすぎなかった。悪用したのはゲーチスと言う人間で、咎めるならばこちらなの」
そう、メイがプラズマ団を壊滅させたのは、トウコの手が及ばなかったゲーチスを捕縛した事にあたる。その頃にはトウコの『答え』を、Nは広く見聞を積んで理解しようとしていた。
ゲーチスが捕縛され、プラズマ団は壊滅し、Nは最後に残った伝説のポケモン『ゼクロム』をメイに引き渡す。やがて彼は行方をくらませた。
「Nの協定とは、私の答えなの。Nが提議した『ボールに入れられたポケモンの幸せ』とは何なのかと言う事に対する、責務でもある」
メイはゲーチスと相対した際、伝説級のポケモンの危険度合いを身をもって知った。
だからこそ、その危険を止められるトレーナーが、必要だと思った。
「私は伝説級のポケモンが世界を滅ぼす程の力を持っている事を知っている。そして、その世界でNが見いだしたように、ボールの中に拘束されても主人を大切に思う彼らがいる」
Nから出された課題の答え、それは――。
「私は恒久的な平和を目指す。その為に、Nから言われた事や、Nの主張を忘れてはいけない」
Nとの約束。
それが『Nの協定』。
「だから私達は、トレーナーも、ポケモンも、どちらもが納得しての答えしか、必要が無いの」
まあ、貴方達の言う通り、『回りくどい』けどねと、メイは言葉を括った。
ふうと息をついたメイに続いて、フジシロが身じろぎをする。
恥ずかしそうに頬を掻いて、どこか寂しそうに目を伏せた。
「私は過去の過ちを過ちとは思わないよ。Nの語る理想は、その時の私にとって、正しく絶対的な理想だったからね……。今となってはこうして他の道を歩むが、彼の理想はそれだけ『真理』だった。だから今、私は私の真理を探し、ここにいるんだよ」
短い独白で、フジシロは締めくくった。
サクラもサキも、言葉をなくした。
唇を開く事なんて、出来やしなかった。