拝啓、お父さん、お母さん。
旅の調子はどうですか? 身体など壊されていませんでしょうか。かくいう私は旅の厳しさを知り、身体どころか心を病んでしまいそうです。主に目の前で薄笑いを浮かべる黒い髪の悪魔のような女性のせいで。
こう言う時、何を信じたら良いのでしょうか――。
「あは、あはは……」
とりあえずサクラは笑う。
笑うしかないと思い、笑う。
盛大に騙され、恐怖におののき、そして身構えた所を肩透かし食らった気分だった。
と言うか、事実そうだった。
――コンコン。
ノックされ、扉が開く。
それさえどうでも良くなり、そこへ割く思考に余裕が無くて、とりあえず笑い続けた。目の前のレイリーンと言う名前の悪魔が、店員さんと何か喋っている。そしておそらく先程サクラがしていたように、顔を強張らせ、肩を震わせ、顔面を蒼白にして縮こまり――。
「レイ、貴女またやったのね?」
新たにもう一人、個室へ入ってきた。
「こ、これには事情があって……あの、その」
「私が行くまで手を出すなって、私言ったよね? フジシロを見張りにつけてまで、私は貴女に手を出すなって言ったよね?」
ずかずかと、そう言う効果音が似合う雰囲気で、女性は靴を脱いで上がってくる。
そして表情が固まってしまったレイリーンの首根っこを掴み、脇へポイと捨てて――。
「……へ?」
サクラはそこで意識を取り戻した。
「初めまして。サクラさん」
目の前で微笑む女性は、二十代半ばの容姿だった。
大きな瞳が幼く見せるが、鼻筋はすっと通り、小振りな桃色の唇と相まって、可愛いよりも美しいと言わせるよう。
茶色の髪は目のラインで揃えられ、後ろはアップに纏め、ウェーブがかかって肩の辺りまで降りていた。
服装は軽装に近く、ブラウスにジーンズと言った組み合わせ。しかしそれでいて、身に付けている首飾りと細身の眼鏡が服装を安っぽくは見せていない。
とても綺麗な女性だった。
彼女はレイリーンに「この馬鹿っ! この子怯えてるじゃないの。無能、ドエス、変態!!」と、罵詈雑言を言い放ち、外へ追いやると、丁寧にも机に三つ指を揃えて、深く頭を下げた。
「部下の非礼をお詫びします。初めまして、私はイッシュ地方にて名を馳せております、『メイ』と申し上げます」
そこでサクラの思考は完全にフリーズした。
お父さん、お母さん。
悪女の次はとんでもない美女が目の前に居ました。
私にはもうどうする事も出来ません。
助けて下さい。
※
メイが話を整理すると、サクラにもようやく理解が出来た。
ワカバタウンの崩壊に際し、Nの協定は先ほどレイリーンが言った通り、伝説のポケモンたるルギアを保護する為に全力で捜索にあたった。その為にレイリーンが派遣され、現地調査を行い、事態鎮圧を担ったポケモン協会会長へ協力を要請。協会会長たるシルバーはNの協定に対して『幹部』のみの参入と、サクラのサポートを条件に、事態を明かす。そして現地調査を担当したレイリーンから、Nの協定『幹部』のフジシロへ事態の引き継ぎが行われ、彼は面識の機会を窺う。
フジシロと出会ったあの瞬間は、彼が行動してから二日後の話。その時にはレイリーンは調査から撤退を命じられたのだが、『サクラを気に入った』と言って聞かず、已むを得ずメイの参入までフジシロの補佐を命じた。
駆け付けたメイは大層驚いたそうな。サクラのサポートを遠回しに行う為、フジシロがサキのスポンサーを募集していたのは良し。しかしレイリーンが要らぬ介入をしたものだから、サクラは今の現状に至る。
「本当はポケセンから連れ出さず、私が行くまでの間に事態を簡潔かつ、分かりやすーく説明してってお願いしたんだけど……。ねえ? レイ?」
「この度は大変悪ふざけが過ぎた事をお詫びします」
メイは隣で鎮座するレイリーンを睨み付ける。ちなみに二人ともポケウッド所属なのは本当であり、メイのポケウッドでのマネージャーがレイリーン。故に気心知れた仲らしいが、年上に見えるレイリーンの方が立場は下らしい。
「つまり……えーっと、メイさん達は本当に私を助けようと……?」
「もっちろん。このバカがなんて言ったかは知れないけど、私は貴女の味方よ?」
そう言ってメイは手持ちのボストンバッグから名刺を取り出す。サクラにとって既視感のあるそれは、シルバーの名刺であり、裏面には先程メイが説明した彼からの条件が乱雑に書きなぐれていた。
「協会に直接乗り込んで聞いてみたのよ。これその証拠」
そう言ってメイはクスリと笑う。
「どう? そろそろ理解出来たかな?」
「……すみません。理解しました」
この説明、実に三度にわたって説明された。兎にも角にも意識がフリーズしていたサクラの目の前で、一度目はグーで、二度目はパーで、メイがレイリーンをにこにこ笑顔で殴っていたのは、果たしてサクラの所為だろうか。
つまるところメイは、先のワカバタウンの襲撃者がレイリーンの言い並べた通りよろしく、同じ方法でサクラを特定し、実害を成さないとは限らないと言う。伝説級のポケモンとはそれをしてもあまりあるほどの価値があるし、仮に空振りしても一人の少女が死ぬだけだ。でもその少女の命を守る為に『Nの協定』に所属させ、様々なサポートをしたいと言う。ちなみにフジシロがサキのスポンサーを探す為に動いたのは、サクラが『Nの協定』への参入を拒んだ時の為なんだとか……。
「断っても貴女は旅をしなければならない。最低限のレールは引かせてもらう必要があった。私がでばらなければ、このレイのバカがさっき貴女にやらかしたみたいに、ね?」
と、メイは補足する。
一先ず事情は飲み込めたが、本懐が良く分からないのが本音だった。
サクラは小首を傾げて尋ねる。
「Nの協会に所属すると具体的にどうなるんですか?」
その質問に、メイは少し長いよと前置きし、姿勢をただして語り出した。
「包み隠さず言うと、ルギアの居場所は常に分かるように発信器を常備してもらいます。万が一にルギアが盗まれた場合に備え、ボールに細工を施す形で。そして貴女がルギアを使役出来るようになれば、他の伝説ポケモンが暴走した際の鎮圧を依頼される事があります。これについては拒否権があります。先ず、これがデメリット」
そこで一息ついて、メイはレイリーンが飲んでいた茶を勝手に飲む。
当たり前のようなその動作にサクラが目を見張るが、彼女は気にせず続けた。
「メリットはその逆ね。ルギアが暴走した際の救助、援助を行います。加えて盗難、襲撃を受けた際には即座に近場の提携組織……まあ例えばポケモン協会として、ジムリーダーとかからのヘルプも貰えます。また、情報漏洩の阻止の為に圧力をかけたり、貴女の他の手持ちのケアなんかもさせてもらうわ」
そして、と繋ぐ。
「所持する伝説ポケモンの情報を調査してもらう事がメインの仕事。但し貴女が伝説ポケモンの力を悪用しようとした場合には、死をもって制圧させてもらいます」
つまり、伝説級のポケモンを監視下に置き、その情報を調べて貰うことの代わりに、サポートがあると言う。金銭的援助もあり、それはスポンサーと変わりはない。但し、サクラがルギアの力を悪用しようものなら、殺してでも止める。と言う事だった。
「物騒だけど……これは当たり前の事よね? 伝説級のポケモンは、普通、世界を滅ぼす程の力を持っているんだもの」
メイはそこで話を止め、サクラの反応を待ってくれた。
サクラは言われた事を反芻して考え、やがて顔をあげると、頭を下げる。
「少し考える時間を下さい」
するとメイは安堵したような、呆れたような笑顔で頷いた。
しかし、ならば暫く行動を共にさせてもらうと言い、サクラは恐縮するばかりだった。
因みに、レイリーンは本土のイッシュ地方へ強制送還が決まったとか。勿論メイによる物理的な意味で。聞かされたサクラは苦笑いを浮かべる他はなかった。