フジシロはれっきとしたエンジュジムのジムリーダーだった。自ら『代理』と称したのは、彼が自らの師であり、先代のジムリーダー『マツバ』に及ばないからと言う。先日行われたらしい『ジムリーダーの召集』にも、私ではなくマツバが行ったからねとは彼の弁。
「いやぁキキョウシティで一服しようかと思っていたのだが、これはなんとも良い出会いだ」
男は笑う。肉付きの良い体は、よくよく見れば『ふくよか』と言うよりは『がっちり』とした筋肉質なもので、着ているオーバーオールとシャツも相まって、『山男』のような印象を抱かせる。しかしモヒカン頭と、年齢を表すような目尻の小皺が、どうにも彼の印象を纏めさせてくれない。
ふと、サクラは小首を傾げた。エンジュジムと言えばゴーストタイプがメインで、バッジにして四つ目。しかしフジシロが背後に従えた『イワーク』は、まだ体躯も小さく若々しく見えた。
そんな疑念に気付いたのか、フジシロはイワークの頭を撫でて言う。
「私は旅行先で捕まえたポケモンを使い、同じ相対レベルで辺りのトレーナーと戦うのが趣味でね。残念ながら私のベストメンバーはお留守番なのだよ」
なるほど、と頷くサクラ。観戦者だった男は口癖のように「すげえ」とばかりこぼしている。サキは彼の印象をとりあぐねているのか、難しい顔付き……いや、彼のその表情が思案顔なのはもうそろそろサクラにも分かっていた。
「フジシロさん」
あくまでも礼儀正しく、サキは似合わない口調で口火を切った。
「貴方の目には俺とサクはバッジ何個分の実力に見えますか?」
問いは単調。しかし答えに難しい問い。サキの表情は真面目そのものだったが、サクラは彼の問いの意図をわかりあぐねていた。彼が周囲からの評価を気にする質の人間じゃない事は、良く分かっているのだが、無意味な質問をしない事も、重々承知の上だ。
フジシロはうん? と小首を傾げた。その後ふむ、と口元に拳を当てて悩む仕草をして、やがて答えた。
「三つ。あるいは二つ。ポケモン自体は良く鍛えられているが、二人共に戦術はまだ幼い。戦術だけならばヒワダのツクシ君から学ぶ事も多いとは思うね」
「……急ぎたい理由がある。出来ればヒワダをすっ飛ばしてコガネから進みたいんだが、どう思う?」
そこに至ってフジシロへ尚も問うサキに、ようやくサクラは理解した。三ヶ月の猶予があるとはいえ、サクラのミロカロスには急ぐべき理由があった。キキョウシティからは、ヒワダを飛ばしてコガネに行く事も出来る。むしろヒワダに寄るのは大きく迂回する形になると言っても良い。
しかしフジシロは首を横に振った。
「ツクシ君はジョウトのジムリーダーで二番目に歴が長い……。そして加えて『天才型』のトレーナーなんだよ。見ておいて損は無いと思うな」
「そうか……ありがとう」
落胆を顕に、肩を落としてサキは礼を述べる。しかしその時になってフジシロはサクラを見て、「あぁ、成る程」と零してきた。
「お嬢ちゃん、昨日受付で揉めていた子だね。成る程、ポケモンの治療が理由ならば……成る程」
悪目立ちするなと言われ、悪目立ちしてしまった昨日のサクラ。その行動はやはり知れ渡っていた様子で、フジシロは合点いったと言わんばかりだった。
フジシロはサキへ、それならばと提案する。
「先にコガネに寄ってしまえばいいんだよ。確かに行程に無駄は出てしまうが、コガネとヒワダのバッジランクは実を言うとそこまで差はない。むしろアカネさんが娘に継いで、ツクシ君のバッジランクを上げる話さえある。勿論コガネジムはそれでいて難所だがね」
そして、と続く。
「バッジ三つを集めたら私に連絡すると良い」
そう言ってフジシロはメモを取り出すと、乱雑にペンを走らせた。それをサキへ差し出して、実に軽やかに答える。
「迎えに行ってあげよう」
「え?」
「は?」
思わず二人して呆気にとられた。しかしフジシロは事も無げに言う。
「だって私はエンジュジムリーダー『代理』だからね」
そう言ってまたも快活に笑って見せた。嬉しい申し出ながら、その意図をとりあぐねていると、彼は気にする事はないと続ける。サクラとサキ、その二人と是非とも戦いたいと、こればかりはエンジュジム元リーダーのマツバに、挑戦者を横取りされたくないのだと言う。
その後二人は有り難い事に戦術についての教えを受け、しかしついぞ、フジシロと言う男について理解を得る事は叶わなかった。未だ観戦者の二人も居る中、フジシロは今日は暗闇の洞窟を探索しようと思っていると告げた。洞窟の探索は今日明日で終わるので、その後でまた会おうと言うと、彼は四人の礼を受けながらも気にする事なく行ってしまった。
ついで観戦者たる男は「良いもの見せて貰った」と言い、女は「コガネについたら是非とも連絡を」とPSSの番号をくれた。
稀有な出会いと別れを経て、二人はようやくにして落ち着く。誰も居なくなったバトルフィールドにて、ふうと息をついた。
「サキ、ミロカロスの事気にかけてくれてありがとね」
二人になればサクラはサキに、素直な礼を述べた。
「こういう事は任せとけって。世俗的にはお前に頼ってんだから持ちつ持たれつだよ」
そうかな? そうだって。と零し合い、ところでとサキは話を変えた。
「ミロカロスの顔合わせしなくていいのか?」
あ、うん。そうだねと、サクラは返す。
彼女はレオンとルーシーを繰り出し、二匹と向かい合った。先程のバトルのダメージはそれでも加減されていたので、特に二匹とも怪我はない様子だ。
「モンスターボールの中から見えてただろうけど、今日はふたりに新しい仲間を紹介するね」
サクラが膝を折り、二匹に目線を合わせてそう零す。サキは邪魔をしないようにと少し距離を置いて見守った。
ベルトのアタッチメントから取り上げ、優しく地面に置く。サクラが「出てきて」と言うと、静かにボールは開いた。
閃光が明け、巨大な体躯が二匹の前に現れ――。
「ロッ!!」
現れなかった。正確には、現れてすぐにサクラの背後へ即座に移動し、身を竦めていた。
「え、あれ? ミロカロス?」
「ロー!」
がくがくぶるぶる。
ミロカロスは震えたまま、嫌だ嫌だと言わんばかりに隠れて、サクラはただひたすらに困惑した。「大丈夫、怖くないよ?」と告げるが、ミロカロスは怯えてしまって聞く耳を持たない。
思わず二匹へ視線を寄せると、二匹は呆然としつつも「知らないよ?」と言わんばかりに首を振る。
「バトル見てたからだろ」
そこでサキの助け船。
「あ、そっか。この子バトル経験無いんだっけ……」
確定ではない。あくまでも憶測。
ただ、それをルギアに確認してもらうには、場所が悪い。
サクラは仕方ないと彼女へ振り返り、きつく目を閉じ震える彼女の頭を撫でた。
「大丈夫だよ。貴女はまだバトルに出さないし、バトルがやりたいと思うまでちゃんと待つから」
「ロー……」
それでも尚、彼女は不安そうにしていた。と、そこへレオンとルーシーが寄ってきて、彼女に話しかける。
「チィノ」
「ルー」
と、何を言っているかは解らないが、おそらくは自己紹介しているのだろう。ミロカロスはゆっくりと二匹へ向き直って、恐る恐ると言わんばかりにゆっくりと頭を垂れる。その彼女の頭をルーシーが撫で、レオンは尾で優しく触れた。
どうやらそれが三匹の挨拶だったようで、やがてミロカロスは首をもたげてサクラへ向き直った。
「……んとね、レオン、ルーちゃん。この子体が弱くて、まだバトル出来る状態じゃないんだ。きっと治してみせるから、それまではまだふたりに負担かけるけど、お願いね?」
「チィ!」
「ルー!」
任せとけと言わんばかりに手を出すレオン。ルーシーは先程シャノンと相対した時のように両手を挙げて元気良く鳴いた。その二匹にびくりと体を震わせつつも、ぺこりとお辞儀するミロカロス。
さて! と、サクラは優しく柏手を打つ。三匹がこぞって彼女を臨んだ。
「ミロカロス……。今日から私達と旅する貴女に、名前をあげたいの」
この世でたったひとつの、貴女だけの名前。
まだ怖いかもしれない。
まだ不安かもしれない。
前のご主人が忘れられないかもしれない。
だけど貴女はこれから私が大切に、私がずっと一緒にいてあげるから――。
よろしくね、『ロロ』。