サクラはサキの部屋を訊ねた。
「サキ、居る?」
『……開いてる』
扉を開き、中へ入ろうとしたが、中へ入ってしまうとミロカロスの治療が完了した報せが来た時に解らないので、扉を開いたままの所に佇む。中を臨めばサキはふて寝と言わんばかりに、ベッドに転がっていた。反対を向いていて、表情は解らない。
「ごめんね。心配させた」
それでもサクラは、素直にそう言う事が出来た。幼さの残る少年に言い負かされた悔しさは勿論否定出来ないが、彼の言動は全てサクラを想うが故なのだから、そこまで気付けたら謝る他は無かった。正しく、間違いの無い指摘で、少年はサクラの行く末を見ているからこその苦言だったのだから。
少年はそっぽを向いたまま答えなかったが、サクラはそれでももう一言だけ付け加えた。
「これからも一緒に旅して欲しい。こんな私だけど、助けてくれる?」
ずっと、少年を巻き込んで良いものか悩んできた。しかし少女の悩みは、少年の覚悟の前では見る影も無かった。
これだけ思慮深い彼が、サクラと共に旅をするリスクを鑑みていない筈がないのだ。今まで年下だと、弟みたいだと、悪く言えば対等に見ていなかった彼女は、その心に気がつかなかった。本当はずっと、サクラより深く深く、少年の方が考えていたのだろう。
「死ぬのはごめんだ……」
少年はそう呟く。
「だから今度は止めるぞ?」
少女はそう言われ、頭を下げた。それは対等な相手に対する、正しい仕草。
「ありがとう」
そう告げて、しかし彼も罰が悪いだろうと察したサクラは、そのまま彼の部屋を後にした。扉を閉めた時、馴染んだ音と共にアナウンスが流れた。
『シロガネサク様。治療が完了しましたので受付までお越しください』
ひとつサキの部屋へノックをして、「行ってくる」とだけ告げると、サクラは一人で受付へと向かった。
「おまちどうさま」
ジョーイが薄く微笑みながら会釈する。
丁寧に専用の箱に置かれたひとつのモンスターボールを受け取り、事の次第を窺う。
やはりこのミロカロスは捨てられたポケモンだった。登録されているIDのトレーナーは届け出を出してはおらず、それどころかポケモンセンターのデータには『死亡』とさえ出ていたそうだった。
思わず歯噛みする。死亡じゃない、殺そうとしたんでしょ。と、喉から出そうになる言葉をなんとか飲み込んだ。
この場合、届けたサクラが引き取るか、里親が見つからなければ、一般的には公共の施設に引き取られる。しかし肉体労働に向いたポケモンならまだしも、ミロカロスのように手足を持たない水辺のポケモンとは身を振る先が少ない。そう言うポケモンの末路は、サクラにとって解りたくもないが想像に容易い事だ。
しかし問題はない。事態は簡単だ。
「じゃあ、私が引き取ります」
そう申し出るサクラに迷いは無かった。だが、普通はそれで「じゃあ手続きを」と言う筈のジョーイは、しかし首を横に振った。その動作は「それは出来ない」ではなく、「辞めといた方が良い」と言いたげ。
「そのミロカロス」
口火はすぐに切られた。そして――。
「もう長くないわ」
サクラに告げられたのは、非情な宣告だった。
ジョーイは穏やかな声色で説明してくれた。
傷は深かったが、ミロカロスは自己治癒能力に優れたポケモンなので、痕は残るかもしれないが問題無く回復する。尾びれが一本折れてしまっているのは、どうしようも回復は望めないが、それでも泳ぐ事に支障は無いし、命に別状があるわけでもない。
問題は鱗の変色だった。
「検査の結果、悪性のポケルスに感染しているわ。移る心配は無さそうだけど、悪性なのは間違いないの」
そうジョーイは告げる。サクラは目を見開いたまま、受け取ったモンスターボールを見下ろすばかりだった。
モンスターボールの中、薄くミロカロスがとぐろを巻いて眠る姿が見える。
茫然自失のサクラに、ジョーイはポケルスのパンフレットを出して説明を続けた。
ポケルスとはポケモンの病気の総称。基本的に害はなく、むしろ掛かって耐性をつけてしまえばそのポケモンは一回り強くなる。サクラも知っている一般的な知識を述べた後、「でも稀に」と繋げた。
掛かったポケモンの耐性が及ばず、ポケルスが身体から抜けきらず、体内で進化し、ポケモンの身体に影響を及ぼす場合がある。特にはミロカロスのように、『箱入り娘』の如く、戦闘を覚えずに育てられたポケモンに多く見られると言う。
進化したポケルスは外界へ飛ばない。ポケモンの身体中の細胞を食らいつくし、そしてそのポケモンを殺してしまうだけだ。つまりは他のポケモンへ感染はしないとの事ではあった。
簡単に言ってしまえば、身体の免疫力がポケルスに負けたと言う事。少しでも運動や訓練をしていれば、そんな事は有り得ないのだが、このミロカロスは戦闘経験が無く、ポケルスを完治させられなかった。
勿論、悪性へ転移するまでにポケモンセンターに連れて来ていれば、ワクチンの投与をして治せたと言う。
サクラは肩を震わせ、このミロカロスの元の持ち主を殺してやりたい程に呪った。なんでこんな酷い事が出来るのかと、先程はあった持ち主への弁護の言葉は憎悪にかきけされた。
しかしぐっと堪え、サクラは説明を終えたジョーイへ問う。
「……何とかしてあげたいです。何ともならないんですか?」
ジョーイは目を伏せ、言いづらそうに言葉を溢した。
「同じミロカロスの血液、臓器をある程度移植して、リハビリをさせて耐性をつけてあげればいいの。耐性のある細胞があれば、悪性のポケルスは良性へ変わって、いずれ完治するわ……」
――なんだ、治せる方法はあるんじゃないか。
サクラはジョーイの言葉に心の内で反論する。口に出さないのは、そのミロカロスの移植手術が『有り得ない』からだ。例えばミロカロスではなく、どこにでもいるポケモンならば、ドナーを待つも、野生のポケモンを探す事も出来よう。しかしミロカロスの場合は、身体にメスを入れる事とは即ち『価値を失う』と言う事に等しい。ドナーが現れる可能性なんて月並みな確率だろう。野生のヒンバスを捕まえて進化させるのも、それはそれで難しい話だ。
「もって三ヶ月ね」
「……わかりました」
サクラは納得して、面をあげた。
可哀想なミロカロスだ。酷いトレーナーに巡りあったものだと思う。
「私が引き取りますので。手続きお願いします」
――間に合わなければ楽に死なせてあげられないけれど。
サクラはそう言って、書類を要求した。
え? と返すジョーイへ、彼女はもう一度言う。
「私が引き取ります」
――私と同じ身空の貴女を放っておきたくないんだ。ごめんね。
「で、でも――」
「何とかします。だから抑制剤や鎮静剤があればその処方と、万が一に備えて三匹分のポケルスへのワクチンも下さい」
その時、サクラの目は迷っていなかった。