喧騒を掻き分け、少女は走る。その後ろでは奥歯に物が詰まったような表情で、少年が続く。キキョウシティへ戻ると、サクラはポケモンセンターに駆け込んだ。
「すみません。急患、お願いします!」
そう言って受付のジョーイへ、ミロカロスの入ったモンスターボールを手渡す。肩で息をする彼女の気迫に気圧されながらも、そんな光景は何度も目にしてきただろうジョーイは冷静にモンスターボールを預かる。
「その子、怪我してるところを見付けたので、多分トレーナーIDが登録されてます。その照合もお願いできますか?」
「ええ、任せて」
ひとつ返事で頷いて、ジョーイはモンスターボールを持って受付を離れて行く。代わりに現れた別なジョーイに尾の変色と尾先の欠損、そして酷く衰弱していた事を告げる。ジョーイはメモをとり、それを内線で連絡した。
その後待つように言われ、二人はサクラが間借りしている部屋で治療の報告を待つ事になる。
「なんであの子あんなところに居たんだろ……」
落ち着いてみて考えた末、最初の疑問はそれだった。ベッドに腰掛ける彼女へ、向かいの壁に持たれて立ったままのサキが肩を竦める。その顔色は何故か険しい。
「捨てられたか、はぐれたか。どのみち野生とは考えられねえな」
ミロカロスについても知識はあるらしいサキはそう言う。サクラも同じ見解に辿り着き、こくりと頷く。
「状況的には前者だろう」
サキが続けた。
「尾びれが無かったもんね……」
サクラはそう相槌を打つ。
ミロカロスはその美しさが偉大と言われるポケモンだ。決して戦闘に不向きなポケモンではないが、基本的に戦闘には出されず、コンディションを整え、傷無く育てられるのが一般的だ。
決してそう言ったポケモンは少なくない。コンテスト用だったり、土木作業員だったり、むしろ戦闘に関わらず生きていくポケモンの方が多い。ミロカロスは気品漂う美しさから、コンテストや観賞用、或いは役者として育成されるポケモンだろう。
「あんな傷だらけになっちゃあ、世間一般的には価値がない」
「その言い方は酷いよ、サキ」
「間違ってねえだろ。あくまでも世間一般的にはだ」
否定はできない。苛立ったような彼の言葉は不遜だが、美しさを欠いたミロカロスは、その価値が極端に下がる。最もそれは人間の感性で、彼女の生死をそれで決めつけていいはずはない。ただ、それはそれで彼女が野生のポケモンならばの話だ。
「俺なら捨てねえ。けどあのミロカロスの飼い主がどう思うかは知れねえし、もしかしたら戦闘中にはぐれただけかもしれない」
「……うん」
そう、「私ならば捨てない」。あくまでもその域の話だ。人道的に、道徳的に、ポケモンを捨てると言う行為事態は勿論宜しくない。生態環境の調和だの、野生化した自然界には居ない筈のポケモンだの、そう言った問題は良くテレビでも取り上げられる時事問題だし、果たして無責任にも程があるとは思うが。
「……切ないね」
捨てられたとするならば、その言葉が適しているだろう。結果に対して否定的でも、例えばミロカロスのトレーナーが『ミロカロス』に進化するまでヒンバスを育てた事は確かだ。どんな進化の方法をしたかは解らずも、ヒンバスは捕獲が難しく、ミロカロスは育成が難しい。果たしてあの体躯に至るまで、どれ程の時間をかけたかは、サクラにさえ想像がつかない。
「まあその辺りの事情は、ミロカロスの目が覚めたら確認すりゃあいいだろ」
「……うん」
サクラ達には普通のトレーナーには無い利点がある。先程ミロカロスを諫めたように、ルギアがポケモンと人との会話を通訳してくれる事はとても有り難い話だ。
バッグから淡く光る鈴を出し、テーブルに置く。
「ルギア。あの子が目を覚ましたら、話聞いてあげてくれるかな?」
『承知した』
事の序でにと、ルギアは声を漏らす。
『彼女は、主達が繋がりの洞窟と呼ぶ奥底にて、ラプラスに保護されたようだ』
それはサクラ達を呼んだラプラスが、ルギアに教えた話だった。念写するように、記憶を一部共有したとルギアは言って、続ける。
『ラプラスは見慣れないポケモンに驚いたが、そのポケモンが辺りのポケモンに攻撃を受け、放っておくと間もなく死んでしまう事を理解した』
戦闘に不馴れなのか、反撃のひとつも出来ないミロカロスに、ラプラスはその身を呈して彼女の窮地を救う。しかし既に大きな怪我をしており、見るも無惨な姿だった。
やむを得ずラプラスは彼女を背に乗せ、その傷は人間のように器用でないと治せないと理解する。故に人の多い地を探し、水底を辿って辿り着いたのがあの水面だった。
「そっか……あのラプラスが」
ポケモンが異種族のポケモンを助けるのは珍しい話だ。むしろ縄張りを荒らされたと激昂し、追い立てるのが普通。命を奪う事さえ、自然の摂理だ。
「ラプラスは知能が高い。人の手がかかったポケモンだって、見れば解ったんだろ」
確定的に野生と言う可能性は無かった。そして戦闘に不馴れだと言うラプラスの感想が正しければ……。
「しかしまあ」
サキはそう言って溜め息をつく。不躾に、苛立った顔付きを顕にした。
「人の手でそんな目にあっただろうポケモンを、それでも人の手に委ねたラプラスも然り」
そう言って、表情を強ばらせながらサクラを睨む。その表情が、サクラに対してのものだったと、彼女はそこで初めて理解した。
「潜まなきゃいけねえ身で、こんな面倒ごとを背負いこむお前も然りだ」
「……どういう意味?」
威圧的なサキへ、サクラは言われた言葉の意味を考え、そして威圧的に返した。
サキはひとつ舌打ちをする。
「お前、自分の立場解ってんのか?」
「立場解ってたら、見殺しにしていいの?」
「そう言う言い争いをしたいんじゃねえよ」
サクラは立ち上がり、じゃあどういう意味かと怒声を返す。サキの言い分は解らなくは無いが、解りたくもない。
確かにサクラは身分を偽り、加えて目立たないようにする義務がある。それは彼女の命を守る為であり、近隣の人を巻き添えにしない為の防護策だ。だが、それを盾に瀕死のミロカロスを打ち捨てていいとは言えないし、言いたくもない。
そんな思案をするサクラへ、サキはバカかお前と言い放ってくる。そして溜め息混じりに、呆れたような表情を浮かべた。
「何もてめえがやる必要ねえって言ってんだ俺は。少なくともあの時、俺が傍に居たんだから俺に渡せば悪目立ちしなかっただろうが」
「――っ」
サクラは絶句した。
正論だった。極めて合理的かつ、頭の切れる彼らしい発言。そしてそれは間違いなくサクラがとるべきだった行動だ。
「あのミロカロスがこの辺に生息してねえから、仮に持ち主が現れてもお前の知り合いの可能性は薄い。だから今回は見逃した」
けど、と彼は続ける。
「お前がそんな無防備なら、ルギアの事も、お前の両親の事も、解らないまま殺されて終わりだな」
そう言って、サキは壁から背を離すと、「部屋に戻る」とだけ告げて出ていってしまった。
――バタン。
扉が閉まる音を聞いて、サクラは力が抜けたようにベッドへ座り直した。脳裏にはサキの指摘への反論が悔し紛れに羅列を作るが、しかし彼の言い分が最もだと言う事はそれでいて理解出来た。
何の為に彼が着いて来てくれたのか。それは確かに、『彼女を守る為』だったのだ。決して我欲だけではなく、事実彼女の身を案じた事は一度や二度ではない。
年下の生意気な少年は、しかし少女より遥かに事態を平たく、冷静に、達観して分析していた。
――情けない。
少女は溜め息をひとつつく。
『主よ』
「……なに」
低く、重い声で返事をする。八つ当たりをしないよう、自分を諫めながら、淡い光を放つ鈴を一瞥する。
『先の少年は、中々人の身にして非凡な才がある。主が恥じる事はない』
「……うん」
確かに、ルギアの言う通り、サキは一二歳の少年とは思えない思慮の深さがある。普段は幼さが際立つ無邪気っぷりだが、それでいて常に冷静に周りを分析している。先程だってサクラの行動に苛立ちを覚えたのは間違い無いだろうが、実に的確に物事を指摘するだけして、感情を爆発させる事は無かった。
それに、おそらく彼が居なければサクラは未だ旅立ててすらいないだろう。世論に疎くも、人の心と現実には敏感で、サクラのケアだって今までずっとしてくれたのは彼だ。
『信用に足るのなら、かの少年とは離れる事は勧めない』
「……うん。解ってる」
そう、解ってる。サクラはとるべき行動の為、頭の中に並ぶ稚拙な悔しさを払い、部屋を出た。