嘘
植物園を楽しんだ一行は、日が暮れる前にそこを後にした。
そう言えばキキョウに来てすぐに植物園に来たので、ジム戦の予約をしていない。それを不意に思い出したサクラは、「ヤバい」と言って、渋るサキを無理矢理連れて足早に退散する事になってしまったのだ。
サキは何とも無しにサクラに何がまずいかと聞く。
サクラは説明は後回しだと告げて、キキョウジムへと急いだ。
キキョウシティポケモントレーナージム。
その前に着くと、サクラはほっと一息ついた。
まだジムは空いていた。良かった……。と言わんばかりに、大袈裟に安堵する。その様子にサキは肩を竦めるばかりだったが、後で説明するとの言葉を信じ、一先ずはサクラの後ろについた。
扉を開け、入って数歩。
受付に男が立っていた。
「挑戦者か?」
サクラより少し年上に見えるその男は、そう言って二人を順に認めてくる。
サクラはこくりと頷いて、「予約をお願いしに来ました」と告げた。
男は二つ返事で頷き、バインダーのようなものを差し出してくる。
礼を挟んで受け取り、サキと共にそれを眺めた。
そこに至ってサキは彼女が急いだ理由を知る。
「あちゃあ……」
「ものの見事に埋まってんな……」
揃って肩を落とす。
二人の率直な感想へ、男は肩を竦めて答えてきた。
「すまんな。ワカバの一件でジムリーダーに召集がかかっていたんだ。昨日やっと帰って来たところだから、丁度混み合っている時期なんだ」
それもそうだと理解する。
特にここ、キキョウシティのポケモンジムは一番最初のジムだ。
トレーナーズスクールに通う生徒など、きちんとしたトレーナーは順にジムバッジを集めるので、当然ながら『一番最初のジム』とは即ち、『一番挑戦者が多いジム』とイコール。
一応ジムリーダーが居ない時には代理が立つ。しかしキキョウシティのポケモンジムは登竜門の最初なので、倣わしを大事にする風潮のあるトレーナー達は、律儀にジムリーダーの帰還を待ったのだろう。
男はそう言って、小さく詫びの言葉を並べた。
サクラは首を横に。
丁寧な対応をして貰っている事を感謝してこそ、彼に八つ当たり紛いな事を言う訳にもいかない。已む無く隣の少年を見やり、肩を竦めて意見を仰いだ。
「ま、別々の日になるが押さえるしかねえだろ」
「そだね」
まあ、そうする他無い。
二人してジムに挑戦するのは初めてなのだ。
サクラは勝手こそ知っているが、特別詳しい訳ではない。ここを飛ばして次のヒワダタウンに向かうのは、愚行だと言えるだろう。
そう納得しあい、最短の日取りでサクラ、サキの順に登録した。
順番については常識に疎いサキがサクラの試合を観戦してからと言う事で決めた。
サクラは三日後。サキはその更に二日後と相成った。
つまりは今日を含めて六日間、キキョウシティに滞在しなければならない事になる。幸いにしてポケモンセンターの宿泊施設が押さえておけたのが救いだった。
男に礼を言ってジムを後にする。
茜色の空を見上げ、サクラが溜め息をつけば、サキは小首を傾げて唇を開いた。
「あれって今日の昼間に来てたら変わってたのか?」
「うん、全然違う。スクールの団体が予約しに来たりしてたみたいだし、個人で来る人も今日だけで一〇人はいたみたい」
短時間ながらバインダーのチェック項目をきちんと見ていたサクラは、そう呟くと肩を落とした。
「……ついてないなぁ」
思わずぼやく。
途端にサキがハッとした様子で慌て出した。
「いやまあ、今日受付できたのは運が良かったじゃん? ほら、もう閉めるみたいだし」
彼はそう言って、サクラの後ろを指差す。
先程受付をしてくれた男が出てきて、ジムの前に『closed』の看板を置いていた。
「ほんとだ」
「な? サクが思い出して助かったよ」
あくまでも楽観的に言う彼へ、サクラは唇を尖らせて「最初から忘れてなきゃ……」と言うが、サキは「それはそれ、これはこれ」とフォローした。
まあ、植物園に行きたいと言い出したのはサキだ。
これ以上落胆していれば、自然と彼を責め立てることになってしまうかもしれない。
サクラはそう思い直すと、小さな声でごめんと告げた。
とは言え五日間も無駄にするのは大きい。
その時間はどうしようか……と、サクラが零せば、彼は事も無げに言った。
「遊ぶんだろ? 遊ぶ時間が出来て良かったじゃん」
あくまでも楽観。
その表情は子供そのもので、しかしどうして憎めない姿だった。
遊ぶ……遊ぶ……。
確かにキキョウシティは娯楽施設も色々と揃っているが、サクラとサキは年頃の男女だ。色恋沙汰でもない関係では、互いの趣味の相違ばかりが目立つだろう。
彼が興味ありそうで、自分も興味があるもの……とすれば――。
「あ、そうだ」
ポケモンセンターへの帰路を歩み出した頃、そう言ってサクラはサキの足を止める。
うん? と首を傾げる彼へ、サクラは提案なんだけどと続けた。
「アルフ遺跡。行ってみない?」
アルフ遺跡。
キキョウをヒワダ側へ少し出た所にある遺跡だ。
その昔トレーナーが遺跡に潜む『アンノーン』と言うポケモンを発見し、話題になった。巷で話題になっている『めざめるパワー』と言う技は、このポケモンを研究して作られた技マシンだと言う。
手早くそう言った説明をすると、それでもサキは釈然としない様子だったが、「アルフ遺跡近くには珍しいポケモンが居るってテレビでやってたよ」と言うと、ものの見事に食いついた。もとい、釣れた。
「んじゃあ明日はアルフ遺跡だな」
「うんうん。一度行った事あるんだけど、凄い綺麗なんだよ」
そんな会話を続けつつ、ポケモンセンターへ着く。
ヨシノやワカバとは違い、割と近代的な造りのポケモンセンターだった。
「おかえりなさい」
そう告げてくれるピンクの髪のジョーイへ、サクラとサキは一礼する。
事のついでもあって、二人はその部屋を五日間キープさせてもらい、ポケモン達のコンディションチェックをお願いした。
数分でチェックが済むと、ポケモンが帰ってくる。
サクラは何気なくモンスターボールを受け取って、それをベルトに装着。
さっさと部屋に戻って、明日の計画を立てよう。
そんな事を考え、サキを振り返った時だった。
「ちょっと待って」と、ジョーイに呼び止められた。
不意の声に驚いて、振り返るサクラ。
すると、ジョーイは奥歯にものが詰まったような表情をしていた。
「どうかしました?」
「あの、失礼な事を窺っても良いかしら?」
質問に質問で返され、サクラは思わず訝しみながら頷いた。
独りでに納得したように頷いて、彼女は唇を開く。
「ワカバタウンのサクラさん……ではありませんか?」
言われた質問に、思わず「えっ?」と返す。
その様子にジョーイは慌てて謝罪してきて、視線を伏せながら呟くように続けた。
「この前のワカバタウンの事件で亡くなった子で……。とても勤勉で、腕の立つ子だったの」
悲しそうな表情のジョーイへ、サクラは目を合わせられなかった。
「その子もドレディアとチラチーノを持っていて。そして貴女とどこか面影が似てて――」
「すみませんっ!」
思わずサクラは踵を返した。
ポケモンセンターを出て、宛もなく走っていく。
「ちょ、おい!」
ハッとしたサキが、サクラの背中に声を掛ける……が、彼女の姿は早々に見えなくなってしまった。ジョーイへ「すみません、あいつ前の事件で知り合い亡くしてて」と、誤魔化しをいれてから、彼もポケモンセンターを出て行く。
外に出て、彼女が去って行った方向へ進む。
するとその姿はすぐに見つかった。
ポケモンセンターの裏にある湖のほとりで、サクラは両手を地面について項垂れていた。肩で息をしていて、全身が小刻みに震えているようだった。
「……サク」
「……ごめん。ちょっと、一人にして」
声をかけるなり拒絶される。
仕方ないと思いつつも、黙ってるからと告げて、横に腰を降ろした。一人にして欲しいと言いつつも、彼女は礼を口にした。
元気なように見えて、やはりサクラはまだまだ不安定だった。
それはしかし、当然すぎる事だと、サキは思う。
自分に出来る事と言えば、共に笑って、共に貶して、共にふざけて、そして共に居てやる事ぐらいだろう。
サクラは何を考えているのか……横目で見ていれば、やがてゆっくりと座り直して、膝を抱え、頭を埋めていた。
そして虫の鳴き声のように小さな声で零す。
――ごめんなさい。
今度こそ間違いはなく、少女がその身を守る為の嘘で、誰かを傷つけた事に対する謝罪だった。
そこまでは理解出来ずも、しかし一部始終を見ていたサキは、黙って横に座り続けた。
何とかしてやんねえと……。
見ていられなくて、胸が痛かった。