長い、長い旅路の果て。
私は最果てで、新境地への片道切符に、手を伸ばす。
どうか、どうか届いて――。
そう祈りながら。
そう願いながら。
私は今日という日を節目だとは思っても、終着地点ではないと思っている。
見据えるのは遠き未来――かつて私の両親が、この地を越えてから、新たな偉業を成したように。私はこの最果てで、新しい世界を今一度探すつもり。その為に、私はこんな所で足踏みしていられない。
「サクラちゃん」
真白の光を遠方に臨む仄暗い廊下。
この日の為に、メイさんが用意してくれた白と桃色のドレスを着て、私は佇んでいた。
聞こえた声に、背中の中程まである髪に気を使いながら、振り向く。
私の隣に佇む美しい女性は、薄く微笑みかけてきていた。
今に大歓声が轟く気配のするこのタイミング。今更何を? そう思えば、突然頭をわしゃわしゃと撫でられた。思わぬ所業にひゃあと声を上げれば、彼女はゆっくりとした動作で改まる。
そして、こういう時、此処に居ない少年がいつもそうしてくれたように、片手で握り拳を作って、差し出してきた。
ハッとした私も拳を上げて、優しく突き合わせる。
「勝ちなさい!」
「……はい!」
背を叩かれ、光の下へ送り出される。
思う存分に暴れて来いと言われ、私は振り返る事無く声を上げて返事をした。
『レディース・アンド・ジェントルメン!』
見計らったように、パフォーマーが声を出す。
その声に応じてか、途端に轟と唸るような大歓声が、光の先から聞こえてきた。
『晴天煌く今日この日、新たな伝説が、此処に誕生する!』
光のすぐ目の前で係員に制止され、私は時を待つ。
大歓声の下、光の先。
主役の舞台は、円状に広がる観客席の中央。観衆の眼下に置かれる位置にあった。
広がる大地はクレイフィールド。何処の世でも、極々一般的とされるもの。故に、最も親しまれた環境。風は無く、天候は良好。実に最高の舞台に相応しい普遍的なものだった。
『共に四天王への挑戦権は得た。しかし、栄光の名を譲るつもりは無いだろう!』
胸一杯に空気を吸って、深く吐く。
確かに感じる熱量に対して、やけに爽やかな春の香り。
それが加速した鼓動を静めるように、身体中に巡っていくような感覚を覚えた。
相手は強敵。
サキを圧倒したあの一戦を、私は今も鮮明に覚えている。
そこにコガネで見た脆弱さは皆無。アサギで見せた決意の下、私を遥かに超える程の努力を以って、私の前に立ち塞がっている。対極のゲートにその姿を認め、思わずごくりと喉を鳴らした。
アゲハさんが浮かべている表情は、挑戦的な微笑み。
私が浮かべているのもまた、同じ表情だろう。
――努力で負けたんだ。
でも、試合には負けないよ。
『今日、この日、セキエイの栄光に輝くのは、天が微笑むのは、一体どちらだ!?』
大丈夫。私は勝つ。
こんな所で止まっちゃいられないんだ。
父の背中は、母の背中は、あの日消えてしまったもう一人の私の背中は、それ程までに遠い。追いつく為には、足踏みなんてしちゃいられない。全力を以って、ぶち当たる。そして越えるんだ。
どんという空砲と共に、私の目の前が真白の煙に包まれる。
『伝説の申し子、亡きワカバが生んだ最強の資質。サクラ!』
その中を構う事無く進み、私は溢れんばかりの大歓声に包まれた。
薄暗い廊下から明るみに出て、目が眩む思いだったけど、この時ばかりはそんな事も気にならない。四方八方からかかる声援に、笑顔で手を振って応えてみせる。
もう、敗北の気配なんて感じない。
特有の高揚感に包まれた私は、真っ直ぐ向かいのゲートを臨む。
『対するは! 誰が彼女の躍進を予想したか。無名のダークホース!』
観衆の昂ぶりが、僅かに静まる。
どんという空砲と共に、白煙が舞った。
その中を悠然と進んでくる一人の女性。
肩につかない程の黒髪を揺らし、ゴシック調のドレスの裾を、優雅に靡かせていた。胸元を惜し気もなく強調した大人っぽいドレスが良く似合う。とても、とても綺麗な人だった。
『コガネが生んだ脅威の逸材。アゲハ!』
そこで轟と唸る大歓声。
明らかに私のそれを越える大声援だった。
それもそうだろう。
アゲハさんは正しく『ダークホース』。
今日、この日、観衆を欺く為だけに、ひっそりとジム戦をこなして来たのではないかとさえ思える程、全くの無名だった。各ジムに対して三回以上のチャレンジをしたと記録されていて、セキエイリーグも初挑戦。大会前にコガネ新聞社が出した優勝予想レースだって、彼女は『一回戦敗退』と書かれていた。
それが蓋を開けてみればどうだ?
何度もベスト八にまで進んでいる猛者をウインディ一匹で圧倒し、カントーで話題になっていた猛者さえも一蹴。挙句優勝予想で私と一、二を争っていたサキまでもを倒してしまった。しかも、それらの試合全てに、運が絡んだと言える勝利は殆んどなかったのだから、観衆は自然と魅了される。
もう本当、足下を掬われるような気分。
だけど私も私で、こういう逆境は嫌いじゃない。そこのところは、多分、お母さん譲りだ。
威風堂々。
アゲハさんは私の対に当たるトレーナースペースで立ち止まると、胸を張って、にやりと笑った。その表情は決して嫌らしいものではなく、それでいて好戦的に感じるもの。
準決勝では周囲の観客に応える様子が見られたが、この場においてそういった素振りはない。最早私の事しか目に入らないと言わんばかりに、笑顔のまま、じっとこちらを見据えていた。
これは参った……。
どうもアゲハさんは、私を倒す事だけしか考えていない。サキの時には感じられた余裕も見せないあたり、相当策を練ってきているようだ。
私も相応に集中しなくちゃ、きっとあっという間に負けてしまう。
そう思って、一度瞼を閉じ、ふうと深呼吸。
すると喧しく聞こえていた大歓声の一切が、私の耳に届かなくなる。心を昂ぶらせるパフォーマーの声だって、あっという間に遠いものになってしまった。……まあ、高揚感は十二分にあるから、もう要らない。
「この時を――」
とすれば、私の耳は、聞こえない筈の声を聞く。
ふと改まれば、向かいのアゲハさんが不敵な笑みを浮かべていた。
「どれ程待ったか。本当、漸くだよ」
耳に届く言葉は、彼女の唇の動きに呼応していた。
どくんと高鳴る胸の音。
その音と共に、急速に視界が狭まっていく気がした。焦点は言わずもがな。向かい立つ彼女だ。
聞こえるなら、届くだろう。
私はくすりと笑って返す。
「正直に言うと、予想外でした。だけど、あの時アゲハさんに怒られたから、私は此処に立ってます。それは素直に、ありがとうございました」
すると彼女は首を横に。
尚も挑発的な笑顔を浮かべたまま、肩を竦めていた。
「お礼なんて……これからバトルするってのに、無粋ですよ。サクラさん」
「……それもそうだね」
彼女の言葉に、私は口角を僅かに上げる。
微笑みを、彼女のそれと変わらぬ形へ。
「じゃあ、お礼は勝ってからで」
そして、彼女の挑発的な表情に、言葉での応酬。
上等だ。そう言わんばかりに、彼女の目が細まった。
――はじめよう。
最高で最上級のバトルを。
どちらからともなくボールを構え、投擲する。
互いに似通ったモーションで投げたそれは、空中でぴたりと制止。二つのモンスターボールが開いて、二つの閃光が大地に落ちる。シルエットが纏まるや否や――開始の合図が聞こえた。
「ウインディ」
「レオン」
互いに、互いのポケモンを呼ぶ。
私の目前に現れたのは、真白の毛並みを持つ小さなポケモン。
言わずもがなだが、私の相棒とも言えるチラチーノ。今大会屈指の戦果を上げている。
対するは、橙色の毛並みを持つ中型よりは大型に近いポケモン。ウインディ。
強靭な身体に、多彩な技を持つポケモンで、誰が使っても強いと言われている。そんなポケモンをアゲハさんが『相棒』と言わんばかりに使っているのだから、今大会で最高の戦果を上げているのも納得。無論、私が最も警戒しているポケモンだ。
『大丈夫。分かってるから』
私が喉を鳴らす時を見計らったように、レオンは不敵にそう言った。
うん。
信じてる。
だってレオンは、私のヒーローだもの。
「ウインディ。その子だけは此処で仕留めて!」
「レオン。負けないで」
ちらりと私を振り返るレオン。
こくりと頷くや否や、視界の盲点から跳びかかってきたウインディの攻撃を、僅かな転身と共に回避する。その最中、受け流しがてらと言わんばかりに、即頭部へ数度の打撃。目に見えない程の速度で放たれたそれは……ウインディ持ち前の強靭な肉体の前に、あまりに非力か。
すぐに転身したウインディが、口腔を開く。
指示は無かったが、適時対処を試みるところは、流石と言えるだろう。
ぶっ放された極太の火炎放射。
それは確かに、空中で無防備になっているレオンを捉えていた。
私が遮断している音が、煩く喚く。
だけど私は冷静。彼はそれをかわすだけの速さと技術を持つと、知っている。
「まだ決めちゃダメだよ! しっかり流れを作って」
火炎放射を身代わりで回避したレオンは、既にウインディの懐に潜り込んでいた。
そこで私の一喝を聞いて、ハッとした様子で距離をとる。
即座にウインディの身体が黄色い閃光と共に爆ぜた。
『ワイルドボルトかよ。……あっぶねえ』
「一発でも貰えば致命傷だからね。特にインファイトの射程圏は常に警戒して」
目前まで後退してきたレオンに声を掛ける。
交戦中は流石に振り返れないと思ったのか、彼は私に背を向けたまま『りょーかい』と頷いた。
「だけど神速もある。ロックブラストは撃っちゃダメ。構えてる間に距離を詰められるよ」
「距離を詰めて! 相手は場外間近。攻め時よ」
私が忠告するや否や、ウインディの姿がかき消える。
間髪入れずに、私の目前にウインディが現れた。瞬きの暇もなく、前足が振り下ろされ、鈍い音が響く。その前足の下、バトルフィールドは抉れていたが、レオンは捉えられていない。私の目でも追えない速度で、彼は跳躍していた。
ウインディがハッとして横っ飛びにかわした所へ、地面を穿つように落下してくるレオン。空を切ったアクアテールは地面を打って爆ぜ、ばしゃりと水滴を散らした。
水滴が私に向かって飛んできて、思わず声を上げる。
『あ、ごめん』
その水滴が私に掛かった事に気が付いて、レオンはハッとする。
呑気にも程があるその一瞬が、見逃される筈はない。真横から突っ込んできたウインディが、即座に残像と化した。しかしハッとしてレオンの姿を追えば、彼はいなすようにかわし、地面に片膝をついている。
速さにおいては、レオンの圧勝だ。
だが、油断は出来ない。ウインディはレオンが持たない一撃性を秘めたポケモン。先程口に出して忠告した通り、一発でも貰えば、途端に不利になる。
「流石に速いなぁ……ウインディ! 付かず離れずに切り替えて」
ここまでの応酬、互いに有効打は入っていない。
しかしそれで業を煮やす程、アゲハさんは血気盛んではない様子。
速度で負けている以上、アクアテールを貰う訳にはいかないと思っての判断だろうか……。チラチーノは連撃が得意なポケモンで、防御面も優れているウインディからすれば、すれ違いざまにちまちまとした攻撃を貰う事が、最も嫌なのだろう。返し刃の一撃を狙い澄ます事に、重きを置いたと見える。
ならば、こちらがとるべき戦法は一つ。
私はレオンの小さな背中に向けて、酷な命令を下した。
「レオン。相打ちで良い。此処で仕留めて!」
『おお、割りと酷い指示が来た……まあ、それ程の相手ではあるけど』
已む無い。
ワイルドボルト。フレアドライブ。インファイト。噛み砕く。想定される技を考えてみれば、私の手持ちの全てに弱点を取れるポケモンだ。これまで、一〇〇パーセント初手で選出してきていたので、速度勝負が出来るレオンを出したが、仮に彼を突破されると後がきつい。サキのように序盤で畳み掛けられかねない。
相打ち命令が酷いのは百も承知だが、レオンもそれを理解しているだろう。
昨日ブレーンストーミングした際に、何があっても倒すと言ってくれた。だから私も、彼の心意気を信じる。
距離を置いて膠着していた戦況が、レオンの疾走で動く。
「来るよ! インファイト。構えて!」
「レオン。一撃でぶっ飛ばして!」
距離が詰まれば、ウインディが持ち前の強靭さを惜し気もなく使った捨て身の攻撃を構える。対するレオンは、華奢な腕を引き、つぶらな瞳を大きく、険しく、見開いていた。
猛る咆哮が二つ。
インファイトの一撃と、ギガインパクトの一撃が交わされた。
ずどんという激しい衝撃音と共に、可視化する程の衝撃波が私の身体にさえ襲い掛かってくる。だけどぐっと堪えて、戦況を見守った。
ウインディの額は大地すれすれで構えられており、その頭部に拳をぶち当てたレオンも、右腕を打ち放った体勢のまま、硬直していた。その様子は正に互角。捨て身の一撃と、渾身の一撃が、拮抗していた。
しかし――やがてどちらからともなく膝を崩す。
トスン、ズドン、と、重さの違う音は二つ。
私とアゲハさん、二人の相棒は、互いに互いを仕留め、相打ちに終わっていた。
「ありがとう。レオン」
「お疲れ様。ウインディ」
各々の言葉で労って、互いの相棒をボールに戻す。
互いにエースとも言えるポケモンを初手からぶつけ合わせ、相打ちで終わる。そんな戦況は観客を大いに沸き立たせたことだろう。だが、音は聞こえない。私の集中力は、更なる深みへ。
今、このバトルフィールドには、アゲハさんと私しかいない。そう思える程に、此処が至上の世界だった。
薄く微笑み、二つ目のボールに手を掛ける。
アゲハさんもボールを構えていた。
やはり同時に、投擲。
「行くよ。ロロ!」
「行こう。ランターン!」
閃光と共に、場には新たなポケモンが繰り出された。
私の目前には、肌色の身体を持つ胴長のポケモン。ミロカロス。
父から与えられた聖なる灰のおかげで再生された尾は未だ傷一つ無く。今大会で最も美しいと評された。
対するはランターン。
海に生息するポケモン故に、動きこそ取れるようには見れず、クレイフィールドの上で寝そべっている。ウインディが優秀なこともあって、あまり出されている場面は見られないけれど、サキとの戦いでは場を水浸しにしたり、凍りづけにして、動きをとっていた。加えて、彼のオノノクスを電磁波によって抑制したのはこのポケモン。
ロロは現状でも動きが取れるとはいえ、油断は出来ない。
『サクラちゃん。作戦は?』
振り返る事も無く問うロロに、私は逡巡。
元々ロロは耐久力に優れたポケモン。故に長期戦が得意ではあるのだが、相対するランターンは水と電気タイプの複合。ロロの撃てる技はあまり有効ではなく、対して向こうからの攻撃は有効。つまり、長期戦は期待出来そうにない。
しかしながら、場は圧倒的にロロが有利。ランターンは身動きをする為に場を整えなければいけず、対するロロは現状でも、整えられた後でも、問題なく動くことが出来る。
となれば――作戦は決まりだ。
「ロロ。神秘の守り!」
「ランターン。フィールドを水浸しにして」
やはり。
動きの取れないランターンは、場を整えるか、ロロの動きを封じるしかない。そこを読んで私は神秘の守りを命じたが……これもまた、アゲハさんの予想した通りだろう。無難な手を取った。
即座に呼応するロロとランターン。
場は泥のようにぬかるみ、対してロロは真白の光に包まれた。
問題は此処からだ。
こうなるとランターンは滑るように場を移動出来る。決して速い動きではないものの、ロロにとって致命傷足り得るスパークや雷が飛んでくる可能性は高い。対してロロの一撃では、あのポケモンの耐久を突破出来ない。
となれば――私は三つ目のモンスターボールと、二つ目のモンスターボールを取り上げた。
「ロロ。一度戻って」
『うん!』
そして、間髪入れずに三つ目のボールを投げる。
電気タイプの技が来ると予想出来る状況。
つまり、此処を起点にしてルーシーで『蝶の舞』による集中力の上昇を狙える。
「させるな。ランターン。吹雪!」
が、そこで予想外の指示。
思わず私がしまったと、投げたボールを後悔するも、時既に遅し。
『きゃあ!』
ボールから出て間もなくのルーシーを、猛烈な冷気が襲った。
ルーシーは私のポケモンの中で、第二のエース。
レオンを突破された後、彼女に集中力を高めさせる為の場を作り出し、高威力の花びらの舞で圧倒するのが、私の勝利パターンと言える。そのおかげもあって、私はこの大会で四匹しか使っていない。
そう。つまるところ、『此処だ』と思ったら警戒しなくてはいけない場面だった。
アゲハさんは、的確に、『此処だ』と思わせる場面を狙っていた。
『まだ……いけるわ。この程度で沈む訳ないじゃない!』
それでも、私の第二の相棒は気高く鳴く。
神秘の守りがあったから、吹雪によって凍り付くことも無く。彼女は緑色の葉に霜を乗せながらも、真白の閃光を集束した。それは一概に長いチャージ動作が必要な大技だったが、ルーシーは私の手持ちの中で、一、二を争う程鍛え上げられたポケモン。
冷気が去る頃には、チャージは終わっていた。
「ランターン。お疲れ様」
極太の光線がぶっ放されるより早く、アゲハさんはランターンを労った。
その余裕ありげな表情に、私は漸く悟った。
ロロとルーシー。相対した二匹のポケモンを倒すことこそ叶わなかったものの、水浸しになったクレイフィールドは、今や吹雪によって凍結している。ルーシーがこのままランターンを突破したとしても、凍り付いた足場では『蝶の舞』は使えない。むしろ、手痛い傷を負っているのだから、後続のポケモンでどうにでもなってしまう。
いや、違う。
ルーシーだけじゃない。
これじゃリンちゃんも動けない!
ルーシーのソーラービームでランターンが場外まで吹っ飛ぶ。
明確な戦闘不能になったランターンをモンスターボールに戻せば、アゲハさんは不敵に笑った。
やはり、狙っていたようだ。
目的は私の高速ポケモンの足を潰す事。
控えているリンディーは、エーフィという種族上、足の速さとエスパー技を駆使して戦うのだが、これでは滑ってしまって、それも難しい。
「行こうか。ラフレシア!」
そして、やはりその状況を最も有効活用出来るポケモンが出て来た。
この状況を覆しうるとすれば、ルーシーに『日本晴れ』を使わせることだが、陽射しが強まるという事は、ラフレシアの『葉緑素』を発動させる事と同義。しかもそのラフレシアは、サキとの一戦で、麻痺を受けたオノノクスからの苛烈な攻撃を耐え、仕留めきった張本人。火力も耐久力も、申し分なしだ。
即ち、私が得意とする高速戦闘を、更に上回る速さから叩き潰されるという事。
『……サーちゃん。決めて』
ルーシーが声を上げる。
彼女の前には、出て来たばかりのラフレシアがぶっ放したヘドロ爆弾が迫っていた。
素直に認めよう。
流石だよ。アゲハさん。
普通なら、此処でもう、勝負は決している。
そう。普通なら!
「ルーちゃん。日本晴れ! 溶かして!」
『はいな。任されたわ』
日本晴れを放ち、陽光をぎらつくような陽射しに変えるルーシー。
直後彼女の愛らしい身体に、毒々しい砲弾がぶつかり、弾けた。苦悶の声と共に、彼女は戦闘不能へ。
ごめん。ルーちゃん。
小さな謝罪と共に、彼女をボールへ。
続いて、予定通り、四つ目のボールを投げた。
『成る程……これは手強い』
閃光と共に現れたリンディーは、そうごちる。
未だ足下は溶けておらず、対して葉緑素を発動したラフレシアは花弁を纏って、既に攻撃態勢に入っていた。
私は目配せ一つで、リンディーに指示を出す。
彼も心得ているのか、甘んじて『光の壁』と『リフレクター』を展開する。その後、あっという間に仕留められた。……やはり、そのラフレシアはアゲハさんにとって、私で言う所のルーシーと同じポジションのご様子。よく鍛えられている。
ボールを交換し、先程戻したロロを繰り出す。
「ごめんね。ロロ」
『ううん。大丈夫。まだあの子が残ってるし、私は平気だよ』
チャージ無しのソーラービームを目前に、ロロは溶けかけた地面を強く打った。
その地ならしによって、地面はある程度の硬さを取り戻す。それと同時に、ロロは場外に向けて吹っ飛ばされた。
私は短い謝罪と共に、ロロへボールを向ける。
と同時に、陽射しは落ち着いた。
ふうと一息。
急場を凌いだと思うには、あまりに甚大な被害。
この大会で暴れまわっていた四匹をあっという間に失って、確かな焦燥感を覚える。しかし、それは一重に相手が強かったから。悪手一つで此処まで被害を拡大させられる程、戦力が拮抗していた証だ。
というか、警戒していたにも関わらず、サキと似たような状況に追い込まれている。本当……流石だ。アゲハさん。
『此処に来て怒涛のラッシュ。ラフレシアの快進撃を止められるか!?』
ふと耳にしたパフォーマーの声に、私はくすりと微笑む。
五つ目のボールに手をかけて、顔の前に持ってきた。
行けるよね?
問い掛ければ、モンスターボールの透過部分の向こう側で、彼女は悠々とした笑みを浮かべていた。
『当然でしょ? 早く出しなさい』
返答にこくりと頷く。
そして、投擲。
「行こう。リオン!」
今大会、初めて出す五匹目のポケモン。
紫色の毛並みに、黄色い斑模様が目立つその姿は――レパルダス。
彼女は出てくるなり、狡猾な笑みを浮かべて、私を振り返ってきた。
『目に物見せてあげましょ?』
「うん」
相対するアゲハさんは、僅かに逡巡。
少しばかり驚いたような様子で、「フィールドは元に戻ってるわ。受けに回って!」しかし淀みない指示。
私はまるでリオンに感化されたように、にやりと笑った。
「暴れるよ! リオン」
『ええ』
翻る紫色の影。
即座に高速の一撃がラフレシアの身体を宙へ浮かせる。その瞬間を見計らったかのように、ラフレシアの頭部からキラキラとした粉が散るが、既に失われた筈の真白の光がリオンを包み、それによって粉は彼女に届かない。
「なっ!」
驚愕に目を見開くアゲハさん。
しかし、その間にも状況は私に向けて好転する。
レパルダスの尾が翻り、一撃、二撃、と、ラフレシアの身体を更に高く浮かせた。
三撃目で、アゲハさんは「猫の手!?」と、気がついた。四撃目で、ラフレシアは大地に叩きつけられ、五撃目のスイープビンタで場外へと吹っ飛ばされる。
ロロが整えた大地に、僅かな煙が上がる。
その中で悠然と佇むレパルダスは、ふんと笑って、しなやかな身体を翻した。
私の目の前まで戻って来て、ちらりとこちらを振り返る。
『上出来?』
「上出来」
にっこりと笑って、彼女を労う。
私の手持ちで最も遅く入ったポケモンだけど、縁は深い。
『彼女』のように、隻眼ではないけれど、私は彼女が彼女であることを、他でもない彼女自身から聞いている。向こうの私が大切にしていて、巡り巡って私の元へ来てくれた。今ではもう、大切な家族の一員だ。
新たな閃光。
向き直ってみれば、そこにはレパルダスの天敵とも言えるポケモン。
駒のような頭部を持ち、仮に足場が悪い状態であっても、問題なく動けただろう強靭な四肢を持つカポエラーが居た。サキとの一戦ではあまり活躍が見られなかったものの、そこへ至るまでの試合を思い出せば、そのポケモンもかなりの練度であることは分かる。
愚鈍そうに見えて、マッハパンチやフェイントを織り交ぜたテクニカルな戦いをするかと思えば、インファイトやストーンエッジのような高威力の技も使う。
後が無い以上、油断は出来ない。
「リオン。相打ちじゃダメだよ?」
『分かってるわ』
明確な指示はなく、彼女は姿を消す。
呼応するようにカポエラーも姿を消していた。
あれは……おそらく、マッハパンチ。
数度、目に見えぬ応酬が繰り広げられた。
リオンが繰り出す鋭い爪を活かした切り裂くを、的確に弾くカポエラー。その反撃に繰り出される拳をリンディーのリフレクターを重ねがけして止め続けるリオン。どちらも一切譲ることはなく、互いに有効打が入らないまま、距離を置いた。
「カポエラー。瓦割りで割っちゃえ!」
「リオン。受けちゃダメだよ! 此処を起点にして!」
互いの指示を受けて、再度肉薄しようと突っ込んでくるカポエラー。
しかし、高速で繰り出すものではない技ばかりは、レパルダスに対してあまりに愚鈍。時を見計らったように、リオンはくすりと笑って、身を翻す。にたりと笑うその表情は、正しく悪巧みと言わんばかり。
その瞬間、ハッとしたような顔を浮かべるアゲハさん。
『それは不味い』と悟って、指示を変えた。
「ダメ! やっぱインファイトで仕留めて!!」
しかし、その指示は私が待っていたもの。
悪知恵の働くリオンにとって、あまりに簡単な騙まし討ち。
接近してきたカポエラーの身体をいなすように打ち、その勢いを利用して全く明後日の方向へ穿つ。
カポエラーの身体は、いとも簡単に場外へと吹っ飛んだ。
燕返しの一撃。
そう、これだけを狙っていた。
「……くっ」
見目を開いて絶句するアゲハさん。
功を急いた訳ではないだろうが、インファイトで捨て身になる瞬間を狙い澄ましていたとも思っていなかったろう。しかし私は、そうでもしなければ、この不利な相性を覆せないとは思っていた。速さで圧倒しているとはいえ、先制技に優れたカポエラーというポケモン。火力もそこそこにあるのだから、じりじりと追い込まれていく事態こそ避けたいのだ。
だから、悪巧みを見せた。
それこそレパルダスの特殊技は多いし、単なるブラフでもない。あそこでそれを完遂させてくれるなら、それはそれで高速かつ高火力の特殊技を撃てるようになっていた。それも悪くは無い。
つまり、単なる相性不利ではなかったのだ。
高速ポケモンを多く見てきて、かつルーシーのような積み技を扱うポケモンを使ってきて……その両面を持てるリオンが今、此処に居る。私と彼女の相性は、正に最高なのだ。
「……ほんと、流石ですね。サクラさん」
カポエラーをボールに戻し、俯くアゲハさん。
その悔しげな表情は、この後の展開にも気がついての事だろう。
アゲハさんが持つ最後の一匹はメガフーディン。
そのポケモンは、サキの試合の時に確認した。つまり、悪タイプ単体のリオンからすれば、格好の得物ともいえる。無論、対策はしているだろうが、絶対ではない。それこそ私と彼女の相性を見た以上、それを過信するような人でもない。
そう。
次のポケモンでリオンを倒さない限りは、私の勝利が半ば確定するのだ。
先程私が追い込まれたのが嘘のように、今度は彼女が私に追い込まれている。
しかし、アゲハさんはくすりと笑った。
その表情に、絶望感は無い。
「時に非情になる事も必要……私の師匠は、私の心を鍛えろと仰いました」
五つ目のボールを顔の前で握って、彼女はふうと目を瞑る。
その様子にただならぬ気配を感じた私は、ふと彼女が今、手に持つボールの中に居るだろうポケモンを思い出す。
そして――不味い! そう悟った。
「ゴローニャ。ごめん! 大爆発!!」
ボールの投擲と合わせて、間髪入れずの指示が飛ぶ。
私が警鐘を鳴らすより早く、リオンはこちらをゆっくりと振り返ってきた。
『ごめん。皆。サクラを守らなきゃ』
そして、私の目の前で、仁王立ち。
私が悲鳴のような叫び声を上げるも、それを掻き消すような絶叫が上がる。
閃光と共に現れたゴローニャは、内に秘めたエネルギーを、我が身に構う事無く暴発させた。ずどんという爆音と共に、辺り一帯を吹っ飛ばした。
トレーナーゾーンに居た私さえも吹っ飛ばされる衝撃。
苦痛と共に身体を起こせば、目の前には横たわって動かないレパルダスの姿。ハッとしてその身体を改めれば、幸い致命傷は無い様子だが、戦闘不能は間違いなかった。
それはきっと、アゲハさんからしても手加減こそした一撃。
向かいを改めれば、粉塵に紛れて、真っ黒に焦げて動かないゴローニャが、ボールに戻されている姿がちらりと見えた。
「げほっ。ごほっ」
咳き込むような音を聞いて、私は立ち上がる。
粉塵が晴れれば、向かいのトレーナーゾーンよりも遠くに、膝を崩すアゲハさんの姿を認めた。
「無茶しますね……」
呆れ混じりに零して、リオンをボールに戻してやる。
後で労っておこう。彼女の活躍はとても素晴らしいものだった。
「そりゃあ、勝ちたいからね」
よろり、よろりと、トレーナーゾーンへと戻るアゲハさん。
私もゆっくりと戻った。
近くで爆風を受けたアゲハさんはかなりの被害を受けた様子だが、私はリオンが庇ってくれたおかげか、大したダメージがない。だが、その爆心地となったバトルフィールドは大きく抉られ、場外を示すラインさえもが分からない状況。……これ、バトル続行出来るの?
と、不意に改まれば、煩かった筈の観衆は何も音を出していなかった。
うん? と、思えば――。
『此処にきてアゲハ選手が全てを持っていったぁぁ!! 快進撃に快進撃の応酬。勝負は五対五、最後の一匹へともつれ込んだぁああ!!』
見計らったかのような声が響き、これまで聞いた事のないような大歓声が響き渡った。
それこそ大地を揺らす程で、物凄く熱の籠もったような声。最早一つ一つは何を言っているかさえ分からない。
どうやらバトルは続行の様子。
むしろこうなってしまっては、辞退なんてしたら凄まじく怒られそうだ。
アゲハさんも右手で最後のモンスターボールを、左手に着けたメガバングルを構えている。
私も腰から六個目のボールを取り上げて、逡巡。
此処まで来て、負けたくはない。
負けたくはないが――。
手に持ったボールはマスターボール。
未だ私の事を主と認めた例の無いポケモンが収められている。
私はこの大会で彼を出すつもりは無かった。もしも出してしまえば、世間的に彼の主は私になってしまう。それは未だ私を主と認めてくれていない彼からすれば、不本意そのものだろうし、仮に力を御せず、暴走させてしまったら取り返しがつかない。
どうしよう……。
でも、負けたくない。勝ちたい。
ただ、そんな我儘で出して、暴走させたとしたら……そんな事は赦されない場所で、赦されない力を持ったポケモンである事も承知の上だ。
仕方無い。
此処で、終わりだ。
私は片手を上げ、降参の意を示そうとした。
しかし、その手が誰かに掴まれたような感覚を覚えて、ハッとする。
思わず視線を向ければ、そこには薄らと見える小さな手。それは明らかに幼子のものだった。
『主……地べたに未来は無い。進め。突き進め。主の物語を。信じ続けろ。己の道を』
そして、確かに聞こえた『彼』の声。
ハッとした私は、目を見開いて、硬直した。
数度の瞬きの末、辺りを見渡すものの、そこに声の主は見当たらず。改まる頃には小さな手も消えていた。
やがて視線は、手で握ったままのマスターボールへと向けられる。
ボールの透過部分の先で、こちらを見上げる目と視線が合う。
その目は――何故か見覚えがあるようにも思えた。
『ふん。出すなら早く出せ』
そして、背中を押す言葉。
胸の奥で、どくんと高鳴る鼓動。
そうだ。
私が私を信じないと……。
アゲハさんに向けて、改まる。
どうやら私が悩んでいる様子が見えていたようで、ボールを投げるのを待ってくれていたようだ。
その配慮に一言礼を述べて、私は頷く。
もう、迷う事は無い。
もう、立ち止まる事も無い。
私は天高く、紫色のボールを投げた。
「行こう。ルギア!」
※
仄暗い岩部。
遠くから水の流れ落ちる音が聞こえる場所。
そこにある薄汚れた古い機材が、掠れた音を漏らす。
『六対六。メガ進化と伝説のポケモンがぶつかり合う激闘の決勝戦!』
その前に佇む一人の男。
何も語らず、ただその古いラジオを見下ろしていた。
『制したのは、ワカバタウン。サクラァ!』
カチン。
アナログチックな音が響いて、大歓声は最後まで聞かれなかった。
男の後ろで、煌々と七色に輝く一匹のポケモン。
そちらを振り返って、彼は小さく安堵の息を漏らした。
「優勝だって。こんなに嬉しい日は、久しぶりだ」
掠れた声で、そう呟く。
すると光り輝くポケモンは、鋭い眼光を慈愛深く映る程、薄く細めた。
『そうか。それは僥倖なり』
そう言って、ポケモンは踵を返す。
男もその背へ向かって歩み寄り、『レビィ』肩で鳴く小さなポケモンの頭部を優しく撫でた。
撫でられてか、男の心情を汲んでか、嬉しそうに笑う小さなポケモン。
その姿を視界に収め、彼は小さく微笑んだ。
「後顧の憂いは消えた。これで後はキミの帰り場所を見つけるだけだね」
『うむ。良き日なり』
七色が爆ぜる。
とすれば、人影は愚か、二匹の神々しいポケモン達も、姿を消した。
――おめでとう。
小さな声を残して。
天を渡るは海の音 ――完――
最後までお付き合いありがとうございました。
大筋はかなり端折りましたが、書きたいところを書けて、感無量です。また機会ありましたら、是非良しなに。