天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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エピローグ
音の行方。


 柔らかな陽光が、ジョウトの大地へ降り注ぐ。

 一陣の風がふわりと吹けば、誰ともなく空を見上げ、春の訪れに気付くことだろう。そしてそれと同時に、かの有名な大会が開かれている時期だとも、察する筈だ。

 

 人々にとって、なくなてはならぬパートナー。様々な形で人類の文化に寄り添う彼等を、人はポケットモンスターと呼び、共存の道を歩んできた。そんなポケモン達を使役し、協力する生業を持つ者こそ、『ポケモントレーナー』と呼ばれる。一流の腕を持つ者は、どんな偉人と肩を並べたとしても、遜色はなく。多くの者から尊敬の念を送られる存在だろう。

 

 春とは、新たな一流のポケモントレーナーが生まれる季節でもある。

 ジョウトに隣接するカントー地方、そのセキエイの地で開かれる『ポケモンリーグ』こそ、険しき登竜門を登ってきた猛者の中から、ほんの一握りの人材を『一流』と認める大会だ。

 

 世に多くの影響を与えるポケモントレーナー達の、一大イベント。

 とすれば、大して関係の無い民までもが、何処となく浮き足立ってしまうのも、已む無い事。

 

 セキエイの地からは遠く離れ、此処はエンジュと呼ばれる街。

 数年前、緋色の炎に、一度は壊滅的な被害を被った地だ。しかし、多くの支援と、人々のたゆまぬ努力があって、元の活気と風情が両立した独特の街並みを復活させている。復興が完了して暫く経った今となれば、街の一角には呑気に井戸端会議をする者も多く見られ、その話の種も、街の変化より、遠い地で開催されている大会の話が大半を占めていた。

 

 そんな街中を闊歩する一人の女性。

 黒色の髪を揺らし、身体のラインを惜しげ無く見せ付けるようなタイトスーツを着こなし、悠々と胸を張って歩く姿は、とても様になっている。整った容姿の所為か、コガネで見かけられるような独特の雰囲気の所為か、周囲からちらほらと視線を向けられていた。が、彼女はそんな事を気にした様子も無い。

 ついぞその女性は周囲の視線を気に留める事は無く、街の北へと向かって行った。やがて一つの建物へと至って、漸く足を止める。

 ふうと息をついて、ゆっくりと観音開きの扉を開けた。

 

 重厚感のある扉を抜ければ、女性は入ってすぐの所で立ち止まる。

 室内は金色を基調とした豪華な造りだった。部屋の奥にはもう一つ扉があるものの、両脇から霊鳥を模した彫像が部屋のスペースを潰しており、その所為で中央を通らざるを得ない。そして、そこには如何にもそこをただでは通さないと言いたげに身構えている僧侶の姿。

 周囲には他の僧も居り、彼らは一様に彼女に視線を寄越してきていた。その一人一人に視線を返し、彼女はふうと息をつく。おもむろに自らの頭部に手を伸ばし、真っ黒な髪の毛を鷲掴みにした。

 バッと手を降ろせば、自らの頭部を覆っていた黒髪がもぎ取れた。その下にはニットによって固定された茶色い髪。そう、彼女はウィッグを着用していた。

 面倒臭いと言わんばかりに再度溜め息をつき、ニットをも外す。少しばかり蒸れてしまっている茶髪を手櫛で梳き、何度か首を横に振って、靡かせる。締めに今一度ふうと息をつけば、そこには少々名の知れた顔があった。

 

 女性の姿を認め直すなり、中央の僧侶が見目を開いて、「失礼しました」と、頭を垂れる。

 

「トウコ殿でしたか」

「顔見りゃ分かるだろ……って言いたいけど、分かったら意味ねえな」

 

 そうごちて、トウコは近場に居た僧侶に、ウィッグとニットを投げつける。僧侶が驚くのも気にした風はなく、「預かっといてくれ」と言いつけた。

 

 変装とは少しばかり、物々しく聞こえるかもしれない。

 しかし、トウコの顔は広く知られている。それこそこのエンジュシティでは、復興に多大な協力をした人物として、知らぬ人はいないだろう。未だ彼女を見れば、駆け足で寄ってくる者が絶えない。一々相手していると日が暮れてしまうので、已む無くこうして変装していた。

 変装する事に関しては、立場上トウコは慣れている。トウコとして何度も接している僧侶達が、先程の『レイリーン』の姿に警戒心を顕にしていた事は、技量の証明になるだろう。

 

「して、今日は何用か……と、聞くまでもありませんな」

 

 中央の僧侶は一人ごちる。

 声に振り返ったトウコも、二度、三度と頷いて、何をと言う事も無く肯定した。

 

「どうぞ。お通り下さい。貴女でしたら、天を統べる神も咎める事は無いでしょう」

 

 僧侶は恭しい礼と共に、象の間にある通路を譲った。

 短い礼と共に、トウコはそこを抜ける。入り口と同じ観音開きの扉を開き、荘厳なる検問所を抜けた。

 

 ふわりと香る春の匂い。

 トウコの実家があるイッシュ地方とは、全く別の香りだった。

 それもその筈。イッシュとジョウトは、大海を隔てている。生えている植物が違えば、住んでいるポケモンや、気候だって違う。四季折々で風景が変わるところこそ、何となしの共鳴を感じるものの、他に似ている点なんて、探そうと思うことすらない。

 ただ、全く別の地方だからこそ、トウコはジョウトが好きだった。

 イッシュでは味わえない新鮮味は勿論のこと、それ以上に知れば知る程発見があるという、文化に富んだジョウト地方ならではの味わい深さが、思いの他胸中の琴線に響いたのだ。

 

 だからこそ――四年前の戦いが赦せなかった。

 こんなにも美しい街並みを燃やし、破壊する輩が、同じ人間とは思えない程だった。思わず自分の立場を忘れ、出しゃばって全てを解決してやろうかとさえ思った事もある。実際、そういった行動をとった。しかし、それは同僚の裏切りによって阻止され、結果トウコは一切手を汚すことなく、全てが解決してしまった。

 

 解決した事は素直に嬉しい。

 格上の相手に、命知らずにも真っ向から挑み、生きて帰ってきた三人の英雄達には、賛辞こそ送ったが、恨み節等言う筈が無い。自分が用意したお膳立てを全て無駄にした事も不問にして、「良くやった」と労ったものだ。

 ただ、心の奥底で、ふつふつと燃えるものがあった。

 それは決して悪い感情ではなかったが、発散される筈だった闘志が、やり場をなくして、燻り続けているようだった。

 

 しかし――実に丁度良く、トウコはその発散先を見つけたのだ。

 

 

 エンジュシティのシンボルと名高い『鈴の塔』へ向かう道。

 それは一本道なのだが、周囲に柵が用意されている訳ではない。道の中程で逸れた所には、割りと広めな広場がある。そして、その中央には、遠目にもトウコの身の丈より大きな石碑が一つ。

 

 僧侶が丁寧に掃除をしているのか、その石碑にはくすみ一つ見られない。近寄ってみても、石碑に掘られている文字の部分でさえ、汚れている様子はなかった。一頻り改めて、トウコは何とはなしに満足して、こくりと頷く。

 ふとその頂点を見上げて、『ジョウト大火』の文字を認める。そう、これは件の戦いの慰霊碑だ。

 

 刻まれた名の数は、数えるのすら億劫になる程。

 トウコが見知った名は少ないが、年に一度、エンジュが焼かれた日に解放される際は、多くの人々が此処に集い、涙を零すという。その参列者の数は、犠牲者の数より、ずっと多いのだから、詮無い話だ。

 

 そして、慰霊碑の最後の段には、トウコも知っている名が刻まれていた。

 それこそ彼は、この一件を治める為、尽力したと言われている。そう、『フジシロ』の名がそこにあった。トウコからしてみれば、彼がこれを治める為に殉じたとは言い難いものの……まあ、それを態々言及する程、野暮ではない。立役者である子供達や、ジョウトのレジェンド達が異論を唱えない以上、何も言う事は無かった。

 

 つまるところ、トウコはフジシロの墓参りに来たのである。

 その名を見て、此処へ来た本懐を思い出したトウコは、ハッとしてスーツのポケットを弄った。すぐにPSSを見つけて取り出すと、ホロキャスターを起動。展開されたホログラフを操作して、目的のチャンネルを開いた。

 

 映ったのは無人のバトルフィールド。

 画面の右下には、そこで対戦する予定のトレーナーの名前が書かれていた。

 

 まだ試合は始まっていない。

 どうやら間に合ったようだ。

 

 として、時刻を改めれば、開始時刻まではまだ一〇分以上余っていた。

 

 トウコは思わずふっと笑みを零す。

 

 きっと誰もが予想していなかった展開。

 自分だけしか、確信を持っていなかった展開。

 誰もが期待していなかった少女の名と、誰もが期待していた少女の名が、書かれている。

 

 そんな展開が、少しばかり嬉しかった。

 有り体に言えば、『してやったり』だった。

 

 落ち着いている自覚がある自分にしては、らしくもなく、浮き足立っていたらしい。

 思わずふうと息をついて、徐々に早足になっていく胸の鼓動を、『まだ早い』と戒める。

 そうして、手に持ったPSSを、石碑の前へ静かに置いた。

 

 片方の口角を吊り上げて、石碑を見上げた。

 

「どうよ? フジシロ。お前の娘が勝つか、私の弟子が勝つか……いっちょ賭けるか?」

 

 にやりと笑うトウコ。

 その視線の先には、物言わぬ石。

 

 しかし、不意に一陣の風が吹けば、やけにぼんやりとした声が、辺りに響いた。

 

『悔しいから、サクラちゃんに一票で』

 

 果たして本当に聞こえた声なのかは分からない。

 辺りを一瞥してみても、何処に人影が見える訳でもない。

 

 だが、それでいい。

 

 トウコは空を見上げ、ホログラフに映る遠い大地へ、思い馳せた。

 

 

 

 

 三〇年の時が過ぎて尚、世界に名を残す史上最年少チャンピオン『レッド』。旅路を共にした二人が一位、二位に並ぶという偉業を成した『ゴールド』と『クリスタル』。大会中、他の追随を許さぬ程の勢いで勝ち進み、後のセキエイ史においてなくてはならない人物だったとされる『シルバー』。

 

 多くの伝説が誕生したセキエイリーグ。

 今年のそれは、久々に伝説の再来という言葉が使われ、例年以上の盛り上がりを見せた。

 

 半年前、突如現れた一組の少年少女。

 二人共が、今尚セキエイに名を残すレジェンドの子供だと公言しており、最も険しいとされる登竜門の最終盤を、たった半年で登りつめた。タンバ、チョウジ、フスベ、何れにおいても敗北の記録は残らず、その実力は折り紙付きと言えよう。それだけでも去ることながら、片割れに当たる少女は、今は無き『ワカバタウン』の生き残りであったというのだから、相応のドラマも実しやかに語られるというもの。

 破竹の勢いで勝ち進む二人は瞬く間に時の人となり、彼等の勇姿を一目見ようと、多くの人が全国から応援に駆けつけた。

 誰もが『新たな伝説が誕生する』と、信じて疑わなかった。

 あわよくば、彼等の親が成した伝説が再誕するのではないかとさえ、言われた。

 

 しかし――。

 

 

 セキエイリーグの玄関口。

 ポケモンセンターやショップは勿論のこと、土産屋や記念撮影用のスペースが用意された大衆向けの会場。言わずもがなではあるものの、この時期のここは、正にごった返すよう。それこそ、平時のコガネシティや、ヤマブキシティ以上の混雑具合を見せる。

 

「ちょっと、失礼しますの」

 

 そんな中、人並みに埋もれた少女が、小柄な身体を駆使して、人と人との間を縫うように進んでいた。

 緩くウェーブがかかった髪をバレッタで留め、桃色のフリル付きワンピースを翻す様は、子供みたいな容姿もあって、まるでお人形のよう。それこそ、誰もが不快な顔一つ浮かべることなく、『こんな人並みにのまれて可哀想に』と、道を譲ってあげる程だろう。

 時に彼女を見て、「おや」と、見知った様子を見せる者は居たが、小さな見た目に反して、動作は機敏。誰もが呼びかける間もなく、彼女は人並みを進んで行った。

 

 混雑の所為で開きっぱなしになっている自動ドアを潜り、建物の大広間へ。

 そこには巨大なディスプレイが設置されており、観衆の多くはそれを注視している様子だった。それもその筈で、液晶には『もう間も無く』と映し出されている。画面の中央に映っているのは無人のバトルフィールドだが、端には『決勝戦』とあるのだから、満席であぶれてしまった面々は、それを見逃す訳にいかないだろう。誰もが固唾を飲んで、始まるその時を待っているのだ。

 ただ、その時刻まではまだ一〇分以上もある。

 観衆は来る時に出すべく、声を静めているような雰囲気だった。

 

 そこを、アキラはただひたすら進む。

 肩掛けのバッグを胸に抱えて、それを盾にするようにして「ごめんなさい。関係者ですの!」と、声を上げながら進んで行った。

 

 やがて『関係者以外立入禁止』と書かれた扉に至って、アキラはふうと一息。

 周囲の人々に遠慮しながら扉を開けて、中へ入れば、漸く人混みから解放された。

 

 多くの人が集うセキエイリーグ。

 これはその『予選大会』。上位四名が四シーズンに分けて、セキエイ四天王に挑むのだが、それは一般に公開されない。テレビ放映だけだ。故に、四天王への挑戦者が確定している『予選大会・決勝』であっても、こんなにも混雑する。まあ、後半のそれは主に格付け的な意味合いが強く、大衆的にはこの『予選大会』こそが、『セキエイリーグ』と言えるのだから、仕方無い。

 

 アキラは深い溜め息と共に、もっと早めに行動すれば良かったとごちた。

 

「お。戻って来てたか。遅ぇから迎えに行こうかと思ってたんだ」

 

 と、したところで不意にかかる声。

 ハッとして面を上げれば、清潔感溢れる真白の廊下に、赤髪の少年を認める。

 

 七三分けでアップにされているショートの赤髪は、昔と比べて随分と爽やかに映る。同じく随分と伸びた身長に合わせたように、切れ長の目が映える精悍な顔立ち。それでいて薄い長袖のシャツの下には、逞しさが垣間見えるような膨らみ。がっちりとした身体つきだと言えよう。

 その少年、サキは、少し見ない間に『少年』と言うよりは、『青年』らしくなった。

 久しく会っていなかったアキラは、再会してから一週間。未だ彼の変化に慣れない。いくら親友の彼氏だとはいえ、ふとした男らしい変化に、ちょっとばかりドキッとしてしまう。この時もそうだった。突如現れ、自分を捜していたと言われ、思わずビクりとしたものだ。

 

 それそのものに深い意味はないし、親友の彼氏にちょっかいを出すつもりもない。ただただ、彼が年下である事を取り上げて、『生意気だ』と思うばかり。故にアキラは、舌を出してそっぽを向いた。

 

「あら、負け犬さん。それはお手数をお掛けしましたの」

 

 そして悪態をひとつ。

 無礼は承知だが、一々畏まるような関係でもない。

 

 サキからしても見慣れた対応だと思ったのか、「はは、厳しいなあ」なんて、苦笑していた。

 その余裕たっぷりな姿に、思わずアキラは狐につままれたような顔をする。

 

 少し前の彼なら、酷い言われようだと憤慨していただろうが、見た目相応に成長しているようで。その様子を負けたくせにへらへらしていると思えないのは、自分が彼の試合を見ていたからか――。

 

 一昨日行われた準決勝。

 そこでサキの順位は確定した。

 

 そう、サキは準決勝で負けたのだ。

 

 しかし、その一戦は誰もが圧巻するようなものだった。

 無名のダークホースと謳われた人物を相手に、最後の一匹同士、メガ進化の応酬で、大激戦を繰り広げたのだ。実況と解説さえもが息を呑むようなその戦いは、間違いなくセキエイの史に刻まれると言われた。感動して涙を流す者も多く、誰もが勝者と敗者の両方を称えるような試合だった。

 

 敗者のサキを『負け犬』などと称すのは、きっとアキラと、彼の父親くらいだろう。

 まあ、アキラのそれは軽口のようなもの。

 真面目な席での労いは既に済んでいるのだから、本心も伝わっている筈。むしろその席で、彼は相当悔しがっていて、アキラは何とか励まそうと、絶賛の言葉ばかりを並べたのだし。とはいえ、彼の悔しさは、相手が『あの子』だったからだろう。試合には満足していた様子だった。

 知っている相手だからこそ、『努力』で負けたと、痛感していたのだ。それはアキラにもよく伝わっていた。

 

「おいおい。茶化しといてその顔はねえだろ」

 

 ふと声をかけられて、ハッとする。

 何時の間にか俯いてしまっていた顔を上げれば、サキはアキラのすぐ目の前に居る。挑発的な笑みを浮かべて、肩を竦めていた。そして何を思ったのか、呆れ混じりにふっと声を漏らして、アキラの頭に手を伸ばしてきた。

 わしゃわしゃと撫でられれば、アキラは小さな悲鳴を上げて、その手をパシンと打つ。

 遺憾この上ないと言わんばかりに唇を尖らせて、キッと睨みつけた。

 

「レディーの頭を撫でるなんて。親しき仲にも礼儀ありでしょう!?」

「はは、悪ぃ悪ぃ。でもお前がそれを言うなっての」

 

 サキの抗弁は尤もだった。

 先に無礼を働いたのは自分だし、思わず言葉に詰まってしまう。するとほら見たことかと言わんばかりに、少年はけらけらと笑い始めた。その快活な様子は、先日の試合の悔しさを忘れてしまったよう……いや、きちんと立ち直ったと思うべきだろうか。

 先の旅路でも、何かと立ち直りが早い少年だった。というか、頭の良い人間は、その頭の良さ故に悩みがちだと聞くが、彼に限ってはそうではなかった。むしろ悩んでも解決しない事は早々に割り切り、何事も前向きに考えるようなポジティブ精神の塊だった気がする。とはいえ、割とナイーブな一面もあった気はするが、それこそ彼の成長の証なのだろうか……。

 

「いや、別に? 割りとまだ悔しいぜ? ただ、サクラが悩みがちだからな。俺が落ち込んでたら、あいつが自分の試合に集中出来ねえだろ?」

 

 オブラートに包んで聞いてみれば、けろっとした風の顔付きで返して来るサキ。

 その表情は吹っ切れたというより、正しく『仕方無いから割り切った』と言わんばかり。

 

 本当、何時の間に大人になって……。

 

 思わずアキラは、柔らかな笑顔を浮かべて、小さく息をついた。

 その動作が感心しているものだと覚えているのか、悟ったのか、少年は何処か改まった様子で、得意げに肩を竦めた。アキラを見下ろす顔には、安らかな表情。何となく彼の考えていることが分かった気になって、アキラもくすりと音を立てた。

 

「行こうぜ? 親父達が待ってる」

「ええ」

 

 アキラは短く応えて、彼と共に歩を再開した。

 

 

 四年間。

 アキラは二人がどんな訓練を積んできたか、殆んど知らない。

 親友であるサクラとは頻繁に連絡こそとっていたものの、社畜だったアキラに配慮してか、そうでないのか、半年前まではとんと愚痴っぽい事を聞かなかった。師匠であるメイに勝ったという報告や、父のバクフーンを実家に帰し、新しい家族を迎えたりした事は聞いたものの、その実力を見たのはサキの試合の前に行われた彼女の準決勝での事。

 アキラ自身、半年前までは多忙でこそあったものの、訓練は怠っていない。自らの観察眼には相応の自信がある。それを以ってして言えるのは――サクラと『あの子』、どちらが勝っても可笑しくは無い。

 サクラは十二分に強くなったが、相手も相手で異常なまでに強い。仮に今のアキラがそのどちらと戦ったとして、勝てるとは思えない程だった。まあ、自分は社畜だったのだし、『暫定』と頭に付けられるお粗末なレジェンドホルダーなので、比べるのも無粋な話ではあるのだが……ただ、自分の足許にも及ばなかった二人が、頂上決戦をしようと言うのだから、それそのものは純粋に楽しみではある。

 

 無論、親友の贔屓目があって、サクラに勝って欲しいとは思う。しかしながら、アキラは準決勝で『あの子』の努力の成果を見てしまった。

 鍛え抜かれたサキのゲンガーとコジョンドを圧倒し、続くオーダイルさえも相打ちで持っていった『ウインディ』。そして、その後オノノクスとマニューラが起死回生と言わんばかりに、拮抗した状態へ戻しても尚、彼にペースを奪われなかった精神力。極めつけは――何処の誰から授かったのか、サキのメガリザードンY型に対して繰り出されたメガフーディン。

 

 その威風堂々たる姿に、かつてのコガネで見せた貧弱さは無く。

 一体どれ程、血反吐を吐いて努力すれば、その域に至るというのか……アキラは彼女が弱かった頃を知っているからこそ、サキとの一戦の最中、涙が止まらなかった。らしくもなく『どちらも頑張れ』なんて思って、決着が着いた際も、願った結果でなかったにも関わらず、惜しみない拍手と歓声を送ったものだ。

 

 そう、サクラがこれから挑む決勝戦。

 その相手は、かつてサクラが完膚なきまでの勝利を収めた相手――アゲハだった。

 

 

 一般席の喧騒とは対極的に、サクラの親族、友人の為に用意された来賓席は静かなものだった。

 関係者用の通路からしか入れないこの空間には、防音設備が施されており、実況やバトルフィールドの音はスピーカーから聞こえてくる仕様。試合が始まればスイッチが入るとの事で、今はまだ静かなものだった。

 厚いガラスの向こうに見えるのは、未だ無人のバトルフィールド。どうやらまだ試合開始までは、いくらかの時間を要するらしい。

 

「あ、やっと戻って来た」

 

 来賓席に入った二人を認め、立ち上がる一人の人物。

 栗色のセミロングの髪をアップに纏め、タイトな黒いスーツを着込んでいた。あまり見慣れない姿をしているのは、『母親』としての自覚がそうさせるのか、はたまた他の誰かに『いつものオーバーオールで行くん? それは無いやろ』と注意を受けたのか……その答えをアキラは知っている。因みにその顔に塗りたくられたファンデーションをはじめとした化粧品は、アキラの母、アカネのものだ。

 

「遅いから心配しとってんで?」

「ほら、アキラもサキ君も、そんな所に突っ立ってないで、早く席に着くといい」

 

 コトネに続いて促してくるのは、アキラの両親。

 何時ぞや、何処ぞの誰かがサクラにバラしてくれたのが奏功して、サクラは『折角セキエイに居るんだから』と、アキラの父ワタルにまで招待状を送ってくれた。

 短い返事と共に、父の横の席へと向かう。

 

「サキはお父様のお隣に行きなさいな」

 

 そう言って振り返ってみれば、サキは「おう」と短く返事をして、コトネの隣に座っているシルバーの元へ。

 特に席が決められている訳でもなく。誰かが意図した訳ではないだろうが、サキとアキラは一つ空席を挟んで座る形になった。不意にそれが気になって、視線を向ければ、同じように彼も空いた席を気にしている様子。

 別段、誰の席だということは無いが……思わずふっと笑みを零した。

 

 この部屋には、サクラ、アキラ、サキの三家の他、カンザキ博士が居る。

 サクラの師であるメイもこの地に駆けつけているが、彼女はサクラを送り出す役目を任されていた。

 

「いやあ、しかし……ついに決勝か」

 

 不意の声に、ちらりとその方へ改まれば、コトネの横に座るカンザキ博士が腕を組んでごちていた。

 

「サキ君の準決勝も見事だったが……いやはや、どちらが勝つか」

「私ゃ出来りゃサクラに勝って欲しいけどねー。サキの試合見てたら、何とも言えないなぁ」

 

 続くコトネの言葉に、誰もが口を閉じる。

 サキの準決勝を、この場の一同全員が見ている。

 故に、誰もがサクラの勝利を確信している訳ではなかった。

 

 サキとの試合の最中、シルバーがぽつりと言った。

 彼の実力を、『現役の時の俺を凌いでやがる』と……その彼を負かしたアゲハは、言わずもがなだが、かつてセキエイを圧巻させたシルバー以上の猛者。そんな相手に勝利が確信出来るとなれば、それこそポケモンマスターと呼ばれる類の傑物くらい。たとえサクラのコンディションが最高でも、油断出来ない相手であるのは、間違いなかった。

 

「大丈夫」

 

 しかし、ふと誰かが言った。

 その声の主を辿れば、赤い髪を揺らして、薄く微笑む少年。

 

「サクラは勝つよ」

 

 それは、彼女を誰よりも間近で見続けてきた少年の言葉。

 彼だけは……彼だけが、確信していたようだ。

 

 

『レディース・アンド・ジェントルメン!!』

 

 

 そして――頂上決戦が、始まる。


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