天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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帰郷。

「ぎゃあああ! で、出たぁー!」

 

 透き通った声で奏でられる濁った悲鳴。何とも器用なその声は、褐色の岩肌が目立つ山道で、実に喧しくこだまする。登山を楽しむ者や、修行に励む者等が多少なり見られる場所。そのど真ん中で上がった悲鳴は、やけに人目を引いた。端的に言えば、物凄く傍迷惑な悲鳴だった。

 しかし悲鳴を上げる者には、それ相応の理由がある。

 誰かの迷惑になっていることなんてお構い無しに、サクラは尚もぎゃあと悲鳴を上げた。背中の中程まである髪を靡かせ、踵を返すと、何の躊躇いもなく急な斜面を登って行き、後ろを歩いていた少年のもとへ。

 げんなりとした表情のサキ少年。サクラはその肩を両手でガシッと掴むと、強引に位置を入れ替える。そして今しがた自分が駆け上がってきた道へ、ずいと押し出した。

 

 少年の顔の横から手を出して、自分を酷く怯えさせたものを指差す。

 そこには、岩肌に張り付いて、こちらを窺う紫色のポケモンが居た。

 二本の鋏と、そこから伸びる翼膜。そして何より、悪戯っ子のように舌を出している姿が印象的なそのポケモン。ここ、45番道路で稀に見かけられる『グライガー』。

 サクラはこのポケモンが苦手だった。

 

 だってそもそも色が不気味だ。

 翼膜を羽ばたかせることなく浮いているのも不気味だ。

 常に何か悪戯を考えていそうな表情だって宜しくない。

 おまけに顔に張り付いて毒針を刺すことで有名ときたら、怖くない訳がない。ついでに進化をしたらかの有名なグライオンになる。そうなってしまうとこの星を一周するまで逃げられないって言うのだ。出鱈目にも程がある。

 

「サキぃ。おっぱらってぇ!」

「……はあ」

 

 サキは呆れたような声で返してきた。

 否、間違いなく呆れている。

 

 こちらを肩越しに振り返ってくる顔は、溜め息混じりなご様子。

 この前バッサリと切った短髪が良く似合うような、爽やかな面持ち……の筈なのに、『鬱陶しいことこの上ない』と言わんばかりなその顔は、三年半前はあった初々しさなんて何処へやら。頼りになるやら、最近は雑に扱われるようになったことが悲しいやら……サクラとしては色々物思うことがある。

 しかし、今ばかりはそんなことを言っていられない。

 あのグライガーが進化してしまったら、この星を一周しなくてはいけなくなってしまう!

 

「おっぱらってよぉぉぉ!!」

 

 返事をするだけして、面倒臭そうにする彼に、サクラは絶叫した。

 すると彼は「はいはい」と軽く返事をして、先に歩き出してしまう。そんな後姿に、『何だかんだ言いつつもサキって優しい!』と感動するサクラだが……彼は岩壁に張り付いているグライガーにはノータッチで、そのまま通過してしまった。

 

 そのまま傾斜を降って、こちらを振り向いてきて、彼はにやりと笑う。

 そんな姿を見たサクラは、背筋が凍り付くような感覚を覚えた。あれは……意地悪をしている顔だ!

 

 最近のサキ少年は反抗期だ。

 事あるごとにサクラを虐めてくる。

 好きだと言えば、『うん』しか返してくれない。好きかと聞けば、『はいはい』と生返事。前はサクラ基準にしてくれていた食事のメニューだって、サクラがたった三キロ太ったからって、全部彼が決めてしまうようになった。おまけにこの扱いである。遺憾この上ない。

 

「あ、うっ……」

 

 サクラは固まる。

 

 壁にグライガー。

 その先に大好きな彼氏。

 

 乗り越えねばならぬ壁が高すぎて、泣いてしまいそうだ。

 というか、事実視界が滲んできている。顔も頬まで上気していて、泣いてしまうまでの秒読みのカウントダウンが始まっていた。ぶっちゃけすぐにでも泣きたい。

 

 とすれば、「あー、もう」と、サキがベルトからボールをひとつ取り上げる。

 面倒臭そうに放り投げれば、閃光と共に、彼の相棒名高いシャノンが飛び出してきた。

 

『……あら。また泣かせたのね』

 

 状況を一瞥して、そんな風にごちるシャノン。

 

「わりぃ。あのグライガーを追っ払ってくれ」

 

 お構いなしに指示を出すサキ。

 確かにグライガーが張り付いている岩と言えば、最近サクラを追い越した彼の身長でも届きそうにない。岩から岩を蹴上がれるマニューラであれば、何とでもなるだろうか。

 

『ごめんなさいね。すぐ済ませるから……』

 

 サキに聞こえないのを良い事に、シャノンはそう言って、サクラに目線をくれる。こくりと頷いて返せば、彼女は持ち前の身のこなしで、あっさりとグライガーを追っ払った。

 シャノンを労って、ボールに戻すサキ。

 嗚咽を堪えながらサクラが彼のもとへ行けば、何とも罰悪そうに頬を掻いていた。

 

「な、泣く程でもねーだろ……。こっちから何かしなきゃ、何もしてこねえって」

 

 そう言ってそっぽを向くサキ。

 その言い分が正しいことは分かるし、それを以って尚、きちんと追っ払ってくれた。だからサクラはぐすぐすと鼻を鳴らすばかりで、文句のひとつを言う事も無かった。

 

 こうして一場面を切り取れば、サキ少年がとても酷い人物に見えるかもしれない。

 しかしその実、この場面は既に三回目の出来事だった。彼が面倒臭くなるのも仕方無い。サクラが文句を言える立場でないのも、仕方無い。こうなることを危惧せずに、彼の前を我先に歩いているサクラが、ただの馬鹿であるだけだった。

 

 

 件の戦いから三年半。

 二人は漸くにして旅を再開した。

 

 以前は共に旅をしていたアキラこそ、多忙故に同行が叶わなかったものの、当然のように順調な旅路だった。

 長らく居を置いていたバトルフロンティアを離れ、二ヶ月。この間にタンバシティ、チョウジタウン、フスベシティのジムを何の苦も無く制覇した。最後の難関と名高いイブキでさえも、「流石に強いわねぇ」と圧巻させる程の実力が身に付いていた。

 無論、それらは全て、バトルフロンティアで培われた経験と、メイをはじめとする多くの猛者から鍛えられたが故。それでも決して驕ることはなく、二人はポケモンリーグを目指す。

 

 今は正に、晴れてパーフェクトホルダーになったので、セキエイ高原を目指す為、ワカバタウンを目指しているところ。言うに、凱旋だった。

 

 さて、しかしながらワカバタウンは四年前に一度崩壊している。

 件の戦いの後、半年程した時に、復興の話が通ったという報告は耳にしたものの、進捗はさして聞かされていない。その中心人物であるらしい母に聞いても、巧く誤魔化されるばかりで、何がどうなったという話は一切聞かされていなかった。挙句この前『あんたもうすぐ帰って来るんだし、自分の目で見れば良いじゃん』と言われてしまった。むしろ母はそうしたいようだった。

 

 つまるところ、割りと楽しみなことではあった。

 故郷がどうなっているかと考えれば、眠れなくなってしまう程に、期待感があった。勿論、不安もあったし、かつての悲劇を思い起こして、悲しい気持ちになることもあったが……母がこの三年半頑張っていたことを、この目で見られる日は、素直に待ち遠しかったのだ。

 

 そうして訪れたワカバタウン。

 期待に胸を膨らませて訪れた所は……割りと賑わっていた。

 しかし、その賑わいと言えば、都会のような喧騒ではない。筋骨隆々としたポケモン達が、建材を担いで行き来する姿が多く見られるばかりだった。

 

 町に入ってみれば、新築の建物が幾つか見えた。

 研究所があった場所には、かつてのそれと似通った建物が建っている。いや、苔が生えていないだけで、造りは全くと言って良い程変わっていない。同じような建物だ。と言う事は……それは研究所? 一体、誰の?

 その向かいには一軒の民家。ウツギ博士の家があった場所に、やはり似たような家が建っていた。その先に、もう一軒家があり、サキがそれを指差して「あれ? 親父だ」と言った。ハッとしたサクラが見やれば、何やら電話を掛けている様子のシルバーが、確かに居た。その服装と言えば、今まで見たことがないレベルで軽装。というか、完全に部屋着だった。

 サキ曰く協会の会長の座を辞任したそうだが……まさか……と、サクラは困惑する。

 そんなこと知った様子もなく、通話を終えたシルバーはサクラ達に気付かない様子で、その家へ入っていった。どうやら予想は当たりのようである。

 何とコメントして良いか分からないまま、隣の少年を見やれば、彼も唖然としているようだった。

 

「ヨシノの家、どうなったんだろう」

「……さ、さあ?」

 

 まあ、高官の座からは退いているのだし、サキは旅をしているのだし、良いのだろうか?

 サクラは苦笑を浮かべながら、更に奥地へと歩く。サキも父親への挨拶よりも先ず、ワカバタウンの全貌を知りたいと思ったのか、黙って後ろを着いてきた。

 

 別にコガネのような喧騒を期待していた訳ではない。

 元よりワカバタウンは田舎だ。田舎たる所以は立地にあって、それは街の装いが一新されたからといって、変わるような要素ではない。だからこそ、穏やかな雰囲気であることは、ワカバらしいとも言えた。

 仮にこれで『リニアの駅が出来ました!』等と言われたら、ここがワカバタウンだとは言えなくなってしまうとも思えるのだ。

 

 だから……そう。

 町の真ん中、丁度広場があった所に行き着いた時、サクラは納得した。

 母は『ワカバタウン』を作ろうとしているのであって、決して新しい『街造り』をしていた訳ではないのだ。

 

 地に埋められた巨大な黒い岩。

 それは一目に高価なものだと分かる代物で、サクラの身の丈よりもずっと大きかった。

 ずらりと並ぶ人の名前。そこには見知った名ばかりがあって、サクラは思わず口元を押さえた。潤んでくる視界が、ものを認められなくなるより早く、岩の上部へと視線を向ける。そこには……やはり、『慰霊碑』の文字。その横に掘られている数字は、忘れる筈もないあの日の日付。

 それを見て、サクラは胸の奥からこみ上げてくる熱いものを感じた。

 

――ああ、四年も経ったんだ。

 

 あの日、あの夜。

 燃え盛る火炎の中、大切な人の最期を見届けた。

 その時交わした約束は……まだ果たしきれていないけども。

 

 それでも、あれから様々な出来事があった。

 ウツギ博士の言いつけ通り、旅をしてきた。

 父や母のようなトレーナーを目指して、頑張ってきた。

 

 戦力外だと告げられて、情けなく逃げ出したあの日。

 今、ここに帰ってきたサクラは、随分と大人になった。

 もうすぐ一八にもなる。

 

 やっと……やっと赦された気がした。

 

 あの悪夢のような出来事から。

 大切な家族達との別れから。

 

 おかえりって、言って貰えた気がしたのだ。

 

 ぽんと頭に置かれる手。

 ふと見やれば、隣で精悍な顔立ちの少年が、薄く微笑んでいた。

 思わずしがみついて、サクラは嗚咽を漏らした。涙を拭うこともせずに、わっと声を上げて泣いた。

 周囲で筋肉質のポケモン達が足を止めるような気配がしたが、構う事なく泣いた。

 

 そして――。

 

「ただいま……ただいま。みんなっ」

 

 長い旅路から、サクラは漸く帰宅した。

 

 

 新生ワカバタウンには、まだ三軒の家と、数軒の施設しかないようだった。

 町を彩る花壇や植木はあるものの、食料品を扱うスーパーさえないとは、これ如何に。町民の生活は買いだめされていて、今はポケモンセンターを建てようとしているのだとか。

 

「いやあ、あんたらが思ったよりちんたらしてるから、余裕ぶっこいでたわ。おまけに金もねーし、遅々として進まなくてねえ」

 

 以前と同じ位置に建てられていたコトネの家。

 内装もサクラにとって覚えがあるようなもの――かつてのサクラは大した模様替えもしていなかったし――で、懐古心を擽るばかりだった。その記憶には居なかった母が、当たり前のようにリビングの椅子に腰掛けていて、けらけらと笑っているのだから、感慨深い限り。

 油断すればまた泣いてしまいそうだと思いつつ、サクラは赤くなった顔に似合わないような満面の笑みで返す。

 

「お母さんは考えなしだもん。いっつもいっつも何とかなるばっかりでさ」

 

 とすれば、コトネは不服そうに唇を尖らせた。

 

「何とかなってんでしょーが」

「うん。そうだね」

 

 コトネの不満顔に、サクラはやはり満面の笑みで返す。

 些か不躾だとは思ったものの、サキはやはりここへ移住していたらしい父のもとへ行き、親子水入らずな状況。三年半ぶりの母親との再会に加えて、嬉しいサプライズばかりなのだから、もう笑顔以外の表情が作れないのだ。

 

『まあでも、コトネは頑張っているぞ。この前なんて、自分の食い扶持を削りすぎて、俺のポケモンフードをかじっていた』

 

 とすれば、どこから聞きつけたのか、青年のような声が二階から降りてくる。

 かつてサクラがよく寝坊して駆け下りたそれを降ってくるのは、少し前に別れたポケモン。その姿を認めた瞬間、聞き捨て難いことすら聞き流して、サクラはぱっと花が咲くような笑顔を浮かべた。

 

「あ、バクフーン。元気にしてた?」

『ああ、変わりない。サクラも息災のようで、何よりだ』

 

 丁度、旅を再開すると決めた頃。

 六つ目の位置に新しい家族を迎えることになったサクラは、一度彼と別れることにした。父から預かった大切なポケモンではあるものの、彼は既にポケモンリーグの殿堂入りを果たしている。旅をするには手持ちが溢れてしまっていたし、母の復興作業を手伝う名目で、こちらへ送っていた。

 実に半年ぶりだ。

 母も母で、人手――人手?――は多い方が助かると言っていたし、関係も良好の様子。というか、父の相棒だったバクフーンとそりが合わない訳がないと言わんばかりだった。

 

 ていうか、お母さんポケモンフード食べたんだ……。

 

 勝手知ったる様子で戸口を開き、『じゃ、俺は作業に行って来る』と、家を出て行くバクフーン。サクラがあっと言えば、去り際に『積もる話もあるだろう?』と目配せをしてきて、気を利かせてくれたのだと気が付いた。

 物珍しげに見ている母も母で、彼の行動の理由を悟ったらしく、どこか苦笑したような様子。「ああいうとこ、ヒビキそっくり」と、わざとらしくごちていた。

 

 その後、母は色んな話をしてくれた。

 勿論主な話は、この数年、ずっと秘密にされていたワカバタウンの復興計画についてだ。

 

 どうやら先程見かけた研究所は、カンザキ博士が使っているらしい。だと言うのに、建物名は『ウツギ研究所』で、どうしてもウツギの看板を降ろさないんだとか。向かいの家も彼の家で、コガネを次の所長に任せて、ウツギ博士と同じように、隠居生活のような研究を続けているそうだ。

 シルバーについても同じ。ポケモン協会の会長を辞任した後は、この町の復興の手伝いをしているそう。時折研究所に顔を出して、カンザキ博士と熱い談義を交わしているとの事。まあ、彼の家の本棚を思い起こせば、不思議な話じゃあない。そういえば、サキ曰く、彼の祖父……シルバーの父も、研究者の世界に片足を突っ込んだ人だったそうな。人工のポケモンについて、研究していたとか。あまり良い話ではないそうで、詳しくは教えてくれなかったが、やはりそういう家系らしい。

 

 そして、件の石碑については……言わずもがなだった。

 誰ともなく、この地の復興の最初に建てるものだと決めて、着手したそう。その心意気は素晴らしく、シルバーやカンザキも意気投合していたらしいのだが……その一件をコトネに一任したのは大間違いだったのだろう。ワカバタウン復興予算の半分をぶちこんだらしい。あの石碑、実を言うと凄まじいお値段だそうだ。

 これにはさしもの二人とて、母に大バッシングをしたそうな。出来ちゃったものは仕方無いとはいえ、故のこの遅延具合とも言える……何と言うか、コトネクオリティである。

 

「まあでも、あんたが帰って来るまでに家が出来て良かった良かった」

 

 そう言ってけらけらと笑い飛ばす様は、きっと他の二人に見せたら、奥歯にものが詰まったような顔をさせるのだろう。そんな事を考えながら、サクラは苦笑する。もしかしたら帰って来る家がまだ出来ていなかったかもしれないともなれば、流石に笑えない話ではあるのだが……まあ、そこは出来ているのだから由としよう。

 

 さて。

 そんな言葉でコトネは席を立つ。

 不意の動作にサクラがハッとすれば、彼女は薄く笑いながら、踵を返した。どこか思わせぶりな節を感じ、小首を傾げながら見送れば、その背中は台所へと向かっていく。

 

「私あんま料理得意じゃないんだけどねー……」

 

 そう言って、エプロンを巻くコトネ。

 ふと窓の外へ視線をやれば、いつの間にか夕暮れ時。到着した時間こそ曖昧ではあれ、話し込んでしまうと時間を忘れるサクラの悪い癖だ。

 

 あっと言って、サクラは立ち上がる。

 手伝いを申し出ようと、コトネの後を追えば、彼女は待ってましたと言わんばかりに手の平を突きつけてくる。わっと言ってサクラが驚けば、してやったりな風で彼女は背を向けた。

 

「娘と料理ってのも憧れるけど、今晩は無しだ。おふくろの味とか、故郷の味とか……そんな月並みなことを、やらせてはくれんかね?」

 

 肩越しに振り返ってきた顔には、慈愛に満ちたような微笑みが映る。

 

 明朗快活で、割りとずぼらな気質の母。だからこそ、一〇年の歳月を失ったが故に、今は女友達のような関係になっていたりする。それそのものは良い関係だと思うし、父親に対して気遣いばかりをするサキより、よっぽど気軽に話せているとも思う。

 だが、不意にこうして母親っぽいことをされると、ドキッとする自分がいる。

 笑えば良いのか、感謝すれば良いのか……母親から与えられる無償の愛というものに、あまり慣れていなかった自分が浮き彫りになるようだった。

 

 でも、久々に面と向かって再会したからだろうか?

 普段、電話で話す時なら、照れて言葉を濁していただろうと思いつつも、サクラは薄く微笑んで、ゆっくりと頷き返した。開いた唇から零す言葉は、間違いの無いもの。

 

「うん。ありがとう」

 

 そう言って、自分よりずっと小さな身体をした母親らしくない母の愛に答えた。

 

 偶には、甘えるのも悪くない。

 ゆっくりと踵を返し、テーブルのもとへと戻ろうとした。

 

 と、そこでふと先程バクフーンから言われたことを思い起こし、「あっ」と言って、足を止める。

 この場に置いて、少々野暮ったいかもしれないが、丁度良いと言わんばかりな案件だ。言ってやろう。

 

 サクラは悪戯っ子のような笑みを浮かべて、振り返った。

 

「ポケモンフードはやめてよね」

 

 唐突な指摘に、コトネは目を丸くして固まった。

 やはりバクフーンとのやり取りは聞こえていなかったらしい。まさかそんな事を告げ口されているとは思わなかったのだろうが……何を今更恥ずかしがっているのか、途端に視線を泳がせて、「あー、ああ。あれか。あれね?」なんて、あたふたとしていた。

 

 もっと他に恥じるべき面があるだろう。

 そんな事を思いつつ、必死に「金が無かった」とか、「美味しそうだった」とか、「割りと美味かった」とか、言い訳を並べるコトネに、サクラは意地悪く舌を出して、冗談だという。とすれば、一瞬ばかり唖然とした様子を見せてから、途端に憤慨だと言わんばかりに地団太を踏んでいた。

 

「もう! ちょっとは格好良く決めさせなさいよ!」

 

 そういう言葉は、母親である前に、もうちょっと尊敬出来る大人になってから言って欲しいものだ。

 サクラはそんな風な感想を持った。

 

 暫くして、サクラに出された『おふくろの味』は、何の変哲もないハンバーグだった。

 何でも昔、母が父と二人旅をしていて、父の実家であるこの家に着いた際、出されたのがハンバーグだったそうな。その時食べたそれは『グレン風火山ハンバーグ』というものらしかったが、コトネの舌では再現出来なかったそうだ。つまるところ、形だけの習わしのようなものである。

 

 とはいえ、その何の変哲もない筈のハンバーグは、中々に美味だった。

 普段から料理が趣味みたいなものだと言うサキの所為で、舌が肥えている自覚があるサクラだが、素直に美味しいと思い、そう絶賛した。しかしながら母は少しばかり不満げで、「いつかヒビキママのあれを作ってやるから、待ってなさい」なんて零していた。

 

 それはいつになるやら、今から楽しみだ。

 

 団欒とした食事を終える頃になれば、サキから連絡が来た。どうも彼も彼で、一家団欒で過ごすつもりらしい。サクラとしても有り難い限りだったので、明日、カンザキ博士に挨拶に行く約束だけ取り付け、今日は各々で過ごすことに。

 その時になって、ふと『あれ? 私の部屋ってあるの?』と、不安に思ったが、そこはコトネも配慮してくれていた。聞けば二階にあるとのこと。流石に燃えてしまう前の部屋は装いさえ分からず、再現出来なかったらしいが、いつ帰ってきても良いようにするのは、親の務めなんだとか。当たり前のように寝間着まで用意されていて、サクラは驚くばかりだった。

 

 フスベを出てから三日、暫く我慢していた風呂に入り、リビングでコトネと束の間の談笑。その頃にはバクフーンも帰ってきて、ふたりへ向けてささやかな近況報告をした。

 

 三年半の訓練の最中、師であるメイに偶然勝ったりした。そういう時はとても嬉しかったし、ちゃんと強くなれているんだと思えた。だけどミヤベという失礼極まりない奴が、毎日のようにやって来て、延々とからかってきた。バクフーンが居た頃は、彼がその尻を燃やしていたが、彼の去った後は、リンディーが念力で腹痛を起こさせてみたり、ロロが凍りづけにしてやったりと、色んな撃退をした。

 

 やがて旅を再開すれば、タンバジムでは若い女性ジムリーダーと戦った。格闘家だが、洒落っ気を忘れていない素敵な人だった。

 チョウジタウンではギャングのような格好をしたジムリーダーと、サキがやけに意気投合していた。そのジムリーダーは祖父の後を継いだとかで、協会の会長の息子という面倒臭い立場のサキに、親近感が湧いたんだとか。

 フスベジムではイブキが色んな昔話をしてくれた。

 特に印象的だったのは、『コトネが再戦しようって言って、呼び出してきたのに、三日ぐらい来なかったのよあの子! 信じられる!? こっちは態々ジム空けて、ヤマブキシティまで行ってあげたっていうのに!』というお話。ぶっちゃけ母の良心を疑った……でも、やりかねないとも思った。

 

 ああ、そうだ。そういえば、アキラはなんとセキエイチャンピオンの娘だったらしい。隠していた訳ではないらしいけど、年に一回帰って来るかどうかだったから、態々話す必要があるのかと、考えていたそうだ。

 それと、サキのお母さんのお墓参りにも行ったりした。そこでちょっとした約束をしたり、サキが格好良いことを言ってくれたり……いや、惚気ている訳ではないんだけども。

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎる。

 頻繁に電話をしていたとはいえ、旅路の最中はPSSの充電に気を使ったりもしていたので、話の種が尽きることはなく。サクラが近況を話し終えた頃になれば、夜も更けていた。

 誰からともなく「さて」と改まれば、時計は一二に近い位置をさしている。

 

 話の最中、ずっと笑顔で聞いてくれていた母は、柔和に微笑んだ。

 

「そろそろ寝なさいな。あんたも私に似て、寝起き良くないんだしさ」

「うん。ちょっと名残惜しいけど、サキと約束してるし。そろそろ寝ないとね」

 

 サクラは少しばかり俯き加減で、薄く微笑んでみせた。

 こんなところで駄々を捏ねる程、子供ではない。だけど、明日の朝になればまた旅立つのだと考えてみれば……いつぞや、幻想的な秘境で、母に寂しさを訴えたことを思い起こす。

 

 あの頃の気持ちは、今でも同じ。

 出来ることなら、ずっと甘えていたい。

 

 だけど件の戦いを終えたとは言え、サクラの戦いは未だ終わっちゃいない。ルギアに認められるトレーナーになり、彼の力を正しく使えるようにならねば、自分の為、未来の為に死んでいった人達に対して、顔向け出来ない。何より、異世界の自分達が教えてくれた最後の時を、ちゃんと越えていかねばならないのだから。

 

 だから……寂しくっても、我慢しなくちゃ。

 

 そう思って、ゆっくりと立ち上がる。

 今一度コトネに向けて笑顔を浮かべ、「じゃあ」と踵を返した。

 部屋がどこにあるのかは聞いているので、淀みなく一歩踏み出し、二階への階段へ向かう。

 

 としたところで、「サクラ」不意に呼ばれて、足を止める。

 

 振り返ろうとすれば、それより早く、後ろから抱き締められた。

 華奢な腕が腰を一周して、思ったよりずっと温かい体温に包まれる。思わずびっくりして「お母さん!?」と声を上げれば、くすりと笑ったような声。

 その後小さな声で――。

 

「頑張れ。サクラ」

 

 短いエール。

 確かめるように、ぎゅっと腕に力が籠もったかと思えば、腕はゆっくりと解かれる。軽く背中を押されて、思わずたたらを踏みながら、振り返った。すると目に映るは、慈愛に満ちたような、らしくない笑顔の母。

 あの時は一緒になって泣いていた母が、とても母親らしい姿で、そこに立っていた。

 

 胸がどくんと音を鳴らす。

 心臓が吐き出す温かみが、全身を駆け巡る。

 衝動のままに、サクラはにっこりと笑ってみせた。

 

「うん! 頑張る」

 

 そして、短い一日が終わった。

 

 

 翌日。

 

 空は雲一つ無い澄み渡るような快晴。

 気持ちの良い天気に後押しされるようにして、カンザキへの挨拶を終えた二人は、ワカバの東にある湖へ。そこから波乗りをして、カントー地方へと進むのだ。

 

 当然のように、二人の見送りには、三人の人影。

 皆一様に、朗らかな笑顔を浮かべていた。

 

「じゃあ、行って来ます」

「また」

 

 サクラとサキもまた、笑顔で挨拶をする。

 湖にロロとオーダイルを出して、肩越しに振り返りながら、手を振った。

 

 頑張れ。

 応援に行く。

 また逢おう。

 

 温かい言葉達に背中を押され、サクラとサキは、いざポケモン達の背中に飛び乗る。

 

 さあ、行こう。

 ポケモントレーナーの聖地へ。




サクラエピソード。

こればっかりは何が何でも書こうと思ってました。
二部九話の『森と海と川と、少女の慟哭と』で、サクラが駄々を捏ねてコトネを困らせるシーンから、あわよくばこのお話を結末に持ってきたいなーとさえ。ただ、その場合「ポケモンリーグ編はよ」ってなるでしょうし、已む無くこういう形に。

ということで、次回はエピローグ……ではなく。
最後の最後に回収しなくちゃいけない要素が残っていますので、そちらを。

『番外編』はこれで終わりと言ったな?
あれは本当だ。次話は『番外編』ではないから!

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