天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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夏の終わりに。

 巡り行く季節に、躊躇いは無い。

 風の香りに、青葉に、海に、雪に、感情は無い。

 だから尊くて、去り行く日々がとても愛しく思えるのだろう。

 

 窓から射し込んでくるオレンジ色を認め、不意に時計へ改まると……思ったより早い時刻。夕方というに及ばないのに、デスクばかりが並んでいる景色までもが橙に染まっていた。

 耳を澄ませば、何故か喧騒も遠く感じる。まるで熱く滾る季節は去ったと言わんばかりだった。

 もう秋が来ようとしているじゃないか。

 言い知れぬ情緒にそう気付かされて、アキラは小さく息を吐いた。

 

 デスクから立ち上がり、ひと段落を終えたノートパソコンを閉じる。

 手を組んで天井へ伸ばせば、自然と声が漏れた。

 

「ん、んんー……」

 

 目を閉じ、力一杯の伸びを終えて、ふうと息を吐く。

 力を抜けば、身体中に血が巡って、じんわりとした温かみを感じた。

 

「お疲れですね……室長」

 

 不意に掛けられた声に、ちらりとその方向を一瞥。

 眼鏡を掛けた茶髪の男性が、マグカップを片手に、同じく息をついているところだった。

 

 アキラは肩を竦めて返す。

 

「佳境だもの。仕方無いわ」

「いやぁ、ほんと室長様様です」

 

 少年と言うには老けて見え、青年と言うには若々しさが足りない。初老と言うには、実年齢が噛み合わない。

 単純に『男』という印象しか持てないようなその男は、茶化すように笑った。

 目の端に刻まれた皺が、やけに名残惜しそうに見える。

 

 アキラは彼の言い分を、鼻で笑うように一笑した。

 振り向いてきた顔に、横顔を見せ付ける……視線は窓の外へ。

 ここへ来て二度目の夏を終え、三度目の秋を迎えようという景色を、一瞥した。

 

「大人の事情が邪魔臭いだけですの。手段を問わなければ、大抵の事はあっさり解決するものでしょう?」

「本当、その通りです」

 

 窓の外で、色素を無くした葉が散っている。

 ゆっくりと歩を進め、窓の淵に手を掛けた。

 

 コガネの街並みは、あれから三年経っても大して変わり映えしない。もう発展のしようがないと言わんばかりだった。

 道行く人々だって、特別目を引くような姿はしちゃいない。強いて言うなれば、いつの間にか長袖を着ている人がちらほらと見えるようになったぐらいだ。

 

 その景色を二階の窓から見下ろして……アキラは溜め息を一つ。

 首を横に振った。

 

「本当に大事なのは人の命。生活の安寧。……官僚共の私腹を肥やしてやる事ではありませんの。その為の体裁を取っ払えば、大人の社会なんて、名ばかりですわ」

 

 そうごちて、振り返る。

 眼鏡の男も、マグカップを片手に、立ち上がっていた。

 彼も頷き返してくる。

 しかしその表情は、どこかもの悲しげに見えた。

 

「まあ、その代わり……ボク以外みーんな逃げちゃいましたけどね」

 

 そう言って、乾いたような笑い声を上げた。

 アキラはふんと笑って、肩を竦める。

 

「何? 自分に感謝しろとでも言いたいのですか?」

「いやいや、偉大な室長様にそんなことはとてもとても……」

 

 男は苦笑を浮かべ、如何にも嫌味ったらしく、そう言った。

 アキラが呆れ顔で「嫌味ですか?」と問えば、何の遠慮も無く「それ以外の何に見えます?」と言うのだから……男の面の皮は中々にぶ厚い。

 そんなアキラの感想を知ってか知らずか、彼は盛大に溜め息を吐いて、二人で使用するには広すぎるオフィスを見渡した。

 

「あーあ、ミヨちゃんまで辞めたってのに、何でボクここで働いてんでしょうねー」

 

 マグカップを傾けて、彼はどこか遠い目をした。

 ミヨちゃん……と言われて、アキラが思い起こすのは、男性職員がちやほやしていたアロマの香りが印象的な女性職員だ。確かにそこそこ美人で、大きな胸をしていた……持て囃されるような人物だろう。

 

 アキラは再度溜め息をつく。

 あからさまにげんなりした顔付きを浮かべて、こちらを振り向いた男を見据える。

 

「辞めたければ辞めなさいな?」

 

 そしてバッサリと切り捨てた。

 今までこの一言で「じゃあ辞めます」と言った人間が何人も居たが、去る者は追わない主義だ。気にしない。

 ただ、その男に関しては、既に何度もこういったやり取りをしている……不確かな安心感があった。

 

 言うに、茶番だった。

 弁えているらしい男は、さも取り繕った風に、大袈裟なポージングをする。

 

「うわ、ひっでえ! こんだけ尽くしてる部下に対して、ロリ室長超ひっでえ!」

 

 そしてそんな事を言った。

 その言葉の一部分に引っかかるものを感じて、アキラは今に窓の外へ向けようとしていた視線を、再度男へと戻す。

 

「おいこら。何ですかその呼び名は」

 

 男は実にきょとんとした風な顔付きをした。

 取り繕っているようでもなく、極々真面目な顔付きで、小首を傾げる。

 

「え? 皆呼んでますよ? クソガキとか、おこちゃまとか、幼女とか」

「誰が!」

「発端は確か協会のアキナさんと、協定(うち)のトップ二人……だったような」

「……全員後で絞める」

 

 リトルなんとかの次は、明らかな悪口を渾名にされていたらしい。

 しかも犯人は身内と懇意にしている人物達だった……これは酷い。

 

「いや、仕方無いでしょ……ロリ室長ってば合うスーツが無くて、()()()()()着てますし」

「だからその呼び方を辞めろと!」

 

 言いつつも、彼の下卑た目が認めることは、確かに一因だと思う。

 憤慨を顕に、地団駄を踏むアキラだが……その度に揺れるスカートは、季節にそぐわぬ重圧感があった。

 

 真っ黒な生地に、白いフリルが至る所についている。

 スカートの下からシミーズの裾が見えているのがチャームポイントだろう。

 流石に()()お勧めの帽子までは付けていないが、首には『付けなきゃクビだから』と脅されてつけた……首輪を模したチョーカー。

 

 有り体に言って、巷で流行りのゴシックアンドロリータだった。

 

 アキラは盛大に肩を落とす。

 げんなりしながら、若干涙目になった。

 

「わたくしだって、ゴスロリ(こんなの)を望んで着ているのではないのに……」

「ああ、でも……会長がこの前、ロリ室長が対応したお客さんが、ロリ室長可愛いって絶賛してたと言ってました」

 

 もう突っ込む気力さえ失せる……。

 アキラはがっくりと項垂れて、「ソーデスカー」と小さく零した。

 

 諸悪の根源は、サキが悪乗り女王とさえ言っていたNの協定の会長……メイの仕業だった。

 スーツを着てみれば恐ろしく似合わなかったアキラを見て、「じゃあこれにしよう」と仕立てたのが、正しくゴスロリだった。

 勘弁してくれ。

 そんな恥ずかしいものを着て、仕事なんて出来る訳が無いだろう。

 と、アキラは必死に拒絶したが……あの悪乗り女王は、実に醜悪に微笑んだものだ。

 

『知ってる? ここでは私が法律なの。私に逆らったら、フジシロの遺言を果たせないまま……』

 

 友人であり、部下であり、そんな相手だった筈のフジシロの死を盾に、何とも下衆な事を述べたメイだった。

 無論アキラは彼女の人間性を疑ったが、それを議題にすり替えたところで、制服として着れるものが出てくる訳ではない。

 提案された時には、既にジ・エンドだったのだ。

 

『悔しかったら、早いとこお役御免になることね?』

 

 そして、言うだけ言って、メイは去って行った。

 そんなこんなで、已む無くアキラの制服はゴスロリになってしまった。

 

 それから三年。

 死に物狂いで働き、切り捨てる部分を省みなかった結果が……現状。

 ある日突然室長になれと言われて、召還された『Nの協定・外務・協会担当部』は、二〇人居た職員が驚きの一〇分の一になってしまった。まあ、アキラの傍若無人ぶりはさておいても、突然一四の子供が上司になれば、相当の変人でも無い限り移動や退職をするものだろう。

 

 当然ながら、今では定時に退社なんて出来ず、連日三時間以上の残業をしている。休日だって無い週も多い。

 デスクワークとはいえ、相応にきつい仕事だった。

 

 だが……。

 

「ま、ボクは室長のやり方、嫌いじゃないですけどね」

 

 男はけらけらと笑う。

 げんなりとしながら見返して、アキラは肩を竦めた。

 

「それは貴方もロリコンなのではなくて?」

「冗談。ボクはおっきいおっぱいが好きです」

「死んで下さいな」

 

 胸を張る男に、バッサリと吐き捨てる。

 同じ台詞を親友の前で言わせてやりたかった。

 間違いなく拭えないトラウマを植えつけられるだろう。

 

 しかし不意に、彼は憑き物が落ちたような笑みを浮かべる。

 ふっと笑ったかと思えば……デスクにマグカップを置いた。

 

「子供が正義を全うしてるんです。……大人が甘んじてぐだぐだやるなんて、ダサいでしょう。少なくとも、室長が来て、三〇年掛かると言われたこの仕事が、()()()()()()()んです」

 

 男はごちるように零して、アキラを振り返ってくる。

 その顔には、どこか達成感のようなものが見えた。

 

「胸を張ってください。貴女は二〇〇人分の仕事をしたって事じゃないですか。変な渾名も付けられますよ。そりゃあ……」

 

 愛されているという事だろうか……。

 しかし何とも面倒な愛情表現だ。

 

 アキラは溜め息混じりに肩を落とした。

 

 どだい労って貰ったところで、自分が変な格好をさせられて、変な渾名を付けられている事は変わりない。

 その理由こそ分かるし、それが傍目から見ても喜ぶべき事であったとしても……素直に喜ばせてくれないのが、大人の社会というものか。

 

 不意に視線を落とす。

 木漏れ日が落ちる先のソファーに、黄色い袴を纏ったようなポケモンを見付ける。大きな一本の角と、小さな口を開けて、代わりに瞼を閉じ……実に朗らかな姿で、仰向けに転がっていた。

 クスリと笑って、アキラは腰を降ろした。

 

「まあ……」

 

 愛しい相棒の身体を抱き上げる。

 身体を動かされて、薄らと開く彼女の瞼。

 ううん。と、人間ならばそう言っていそうな鳴き声を上げて、眠たそうに寝惚け眼を擦る。

 その愛らしい顔を撫でて、アキラは男を見返した。

 

「わたくしは、成すべき事を成しただけ。()()()のように優しくは出来なかったでしょうが、今のわたくしを見たら、きっと()()()は『間違ってなかったね』と言ってくれるでしょう……」

 

 男は微笑み返して来る。

 彼が頷いたのを見て、不意に視線を窓の外へ……。

 

 緋色にも見える青葉達は、もうそろそろ彼が去ってしまった季節を過ぎていこうとしているだろうか。

 辺りの景色が紅葉に包まれるよりは早く……良い報告をしたいものだ。

 

 そう思うと、ひと段落つけたばかりなのに、何故だか身体がうずうずしてくる。今に走り出したいとさえ思えるこの衝動は、まるでポケモンバトルを間近に控えているよう。身体が疲れを忘れて、活力が溢れ出している。

 ちらりと自分のデスクを見やれば、先程閉じたノートパソコンが目に留まる。あれの電源を入れ直すことこそ面倒臭いと思えるものの、それさえやってしまえば、不思議と捗るような予感がした。

 

 何か……今から着手しても、上手く切り上げられそうなものは……。

 

 そう思って、男へ視線をやる。

 すると彼はどこか怪訝な様子で、スッと目を逸らした。

 

「あの……」

 

 何故目を逸らすのだろう?

 不意に気になって問い掛ければ、彼は素早く片手を上げて、アキラに向かって手の平を見せ付けてくる。まるで『ストップ!』と主張しているようだった。

 

「ロリ長。マジ勘弁。今日俺この後デートっす」

「……まだ何も言ってませんけど」

「後生ですから、残業だけは! 何卒!」

「いや、だから」

「昨日お酒の席で勇気振り絞って声を掛けたんすよ! そんな俺の努力をロリ長は知ってるんですか!? お願いですから見逃して下さいよぉ!!」

 

 ダメだ。

 こいつ、聞いてねえ……。

 

 やりかけている仕事は無いのかと聞こうとしているだけなのに、男はむしろ聞く耳すら持ち合わせていないご様子。それとも何だろう? アキラの逆鱗に割りと的確に触れようかという単語を並べまくっているあたり、この男は無理強いの末に残業をしたいという、とんでもない性癖の持ち主なのだろうか?

 

 暫く暴走染みた抗弁をした後、男はぴくりとも動かなくなった。

 やがておそるおそるといった様子で、アキラに突きつけた手を下ろすと、そっぽを向いて唇を尖らせる。今しがたの喧しさを全て捨て去ったように、静かな声で「だって」と、彼は続けた。

 

「ロリ長ってば、フジシロさんを思い出すと、途端にケンタロスになるんですもん」

「……おいこら」

 

 例えが謎だ。

 有り体に言って意味が分からない。

 だが、唯一分かることは、この男はとても失礼なことを言ったという事。

 

 年頃の娘を捕まえて『ケンタロス』扱いとは、これ如何に。

 いや、ケンタロスは悪くない。あれはあれで強靭さと愛嬌を併せ持った悪くないポケモンだ。しかし、彼の言うケンタロスは侮辱の意しか持ち合わせていないだろう。事実どういう意味かと詰め寄れば、「暴れ牛ってことです」と、何の遠慮もなく返って来た。

 本当、この男はいつかぶっ飛ばさねばなるまい。

 

 憤然とするアキラを他所に、それでも男は飄々としていた。

 まるで親しかった誰かを思い起こすような……そんな雰囲気を持っていた。

 

「もういいです。興がそがれたので今日は帰りますの!」

 

 そう言って、アキラは踵を返す。

 自分達のやり取りを観察していたのか、腕の中でくすくすと笑っていたウィルをボールへ戻し、荷物が置いてある自分の席へと向かう。とすれば、「だから言ってるんだって」そんな声を聞く。

 

 いい加減冗談が過ぎる。

 今日は残業を勘弁してやるのだから、有り難く感謝して帰りやがれ。

 

 そんな心持で不意に改まって――アキラは固まる。

 

 にこやかに笑う男の後ろに、透過した何かが見えた。

 それはゆらりゆらりと揺れて、まるで陽炎のよう。でも、確かにそこに居た。

 

「ボクはちゃんと見てるよって」

 

 影は尚も色濃くなっていく。

 男の口調はいつもの慇懃無礼なものではなく、どこか懐かしみを覚えるような調子。ふとすれば、ここに居る筈がない人物を彷彿させるようなものだった。

 

 認めたアキラは、暫し茫然として……やがてくすりと笑った。

 

「下手なお芝居ですこと」

 

 そう言って、荷支度を再開する。

 とすれば、視界の端で「あ、あれ? バレてました?」と、途端に焦った風におろおろとしだす男。支度を終えて改まれば、彼の背後には実体を持たない一匹のポケモン。ゴーストが居た。

 アキラに覚えはないが、どうやらそのゴーストは男の手持ちらしい。彼の失敗を嘲笑うように舌を出していて、彼も彼で「もっと上手くやれよぉ」と、文句を言っていた。

 

 まあ、故人をだしにする事は趣味が悪いものの……きっとアキラを励まそうとしていたのだろう。それはよく分かる。何だかんだ言って、自分を心配してくれる部下だ。でなければこんな割に合わない部署に、ただ一人残ってくれている訳がない。

 しかし、改まって礼を言うのは違う気がする……。

 

 あ、そうだ。

 

 逡巡の末、ふとアキラは思いついて、男を呼びつけた。

 丁度良いネタを相手がやったのだから、ここはそれに倣っておこう。

 

 あのね。と口火を切って、にやりと笑う。

 

「フジシロなら……ここに居ますのよ?」

 

 そう言って、自分の背後を後ろ手で指差した。

 

 とすれば、男は「えっ?」と言って固まった後、徐々に目を見開いていく。今しがたアキラが指を差した方を、倣うように指差して、「あ、ああ……えええ」と、怯えたような声を漏らしていた。

 その様子は、アキラがやったことを、額面通り受け止めている風に見える。

 

 はて……?

 

 しかし自分でやった事ながら、これはただの冗談だ。

 相手がゴーストを使役しているのだから、幽霊が見えるかもしれないという事を念頭に置いて、「何を言っているんですか。誰も居ないじゃないですかー」という行をやろうと思っての事だった。

 単にゴーストを持っているだけで、特別霊感は無いとか? それにしても、まさかこんな冗談を信じるとは思えないが……。

 

 怪訝に思って、アキラはゆっくりと振り返る。

 

 するとそこには、なにやらもやもやとしたものが居て……。

 

『アハハ。変ナ格好ダネ。アキラチャン?』

 

 聞き覚えのある野太い声が聞こえた。

 

「ひっ」

 

 暫くして、コガネの一角に、二人分のどえらい悲鳴がこだました。

 

 

 後日アキラは休暇をとって、エンジュシティまでお払いに行った。

 事の顛末を聞いたマツバは、ついぞ爆笑していて、真面目にお払いをしてくれなかった。




アキラエピソード。

随分とネタ寄りですが、しんみりばっかじゃ疲れますので。
因みにアキラのポジションですが、フジシロの跡継ぎって訳ではありません。あくまでも遺言を果たせる所に就いただけで、フジシロはあくまでも橋渡し役でした。つまるところ、アキラが交渉する相手のポジションだった感じですね。

子供が室長って……いよいよ現実味が無いなぁとは思ったのですが、一〇歳の子供がマフィアを壊滅させる世界ですし。良いよね?(目逸らし

番外編は次で終わり。
あと四ページで完結です。

追記
懲りずに挿し絵描いてみた

【挿絵表示】

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