天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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【番外編・音の行方】
約束


 のどかな浜辺に、ふうと息をつく少女が一人。

 寄せては返す波の音に耳を傾けながら、大空を見上げていた。

 

 澄み渡るような青空は、今朝まで大雨が降っていたとは思えない。

 ある一時を境にぴたりと止んで、曇天は何処へやら。昼を過ぎた頃合になれば、雲一つ無い快晴が広がっていた。空の端から端までを照らす陽光は実に美しい。水平線の彼方まで、キラキラと輝いているようだった。

 

 額に手をかざして、じりと肌を焼く陽射しを見上げる。

 

 もう夏も近い。

 手入れを怠れば、すぐにでも日焼けしてしまいそうだ。

 

 そんな事を考えながら、少女は首の後ろに手を入れて、真っ黒な髪を掻き揚げる。

 潮風特有の湿気の所為か、髪はあまり靡かなかった。二日程風呂をサボった時のように、ごわごわとした印象を感じた。そろそろ髪の手入れもしなくては……だけど、今自分が居る街は、ヘアサロンなんて何処にも無さそうなド田舎。おまけに島である。それは暫く出来そうにない。

 

「はあ……困ったなぁ」

 

 そんな言葉を溜め息と共に吐き出して、少女はふっと笑う。

 ふと思い至った。つい一年程前までの自分は、こんな悩みとは無縁の生活を送っていた。あの頃と大きく異なる今の環境が、やけに可笑しく思えたのだ。

 

 育った街は、何をするのも困らない大都会。

 生まれた環境は、将来に何の不安も覚えないような裕福な家庭。

 自分の家は、そんな大都会の内でも、一際広いお屋敷だったりした。

 それこそ生まれてこの方、何をするのも困ったことが無い。つい一年程前まで、そんな環境に居た。それが今はどうだ……髪の手入れさえ、満足に出来やしない。

 

 決して望ましい訳ではない。だけど、やけに心地好かった。

 髪の感触は嫌気が差すし、日焼けもしたくない。だけど自分で決めた旅で、自己責任という言葉で自分を慰めていることは、何となく大人っぽくて、誇らしく思う。

 

 全てはあの日、キキョウシティで、あの二人に会ったから。

 その縁が無ければ、自分はこんなジョウトの端っこになんて居ないだろう。

 

 諦めてコガネに帰って、元の贅沢で窮屈な環境に甘んじているに違いない。

 楽しくない日々を、無理に笑って、過ごしているのだろう。

 

 少女は手を組み、頭上高くへと掲げる。

 そのまま思いっきり背伸びをして、やけに凝り易い肩を解す。

 手を下ろせば、そのまま肩を直に揉んで解した。

 

「さーて、どうやってアサギに帰ろうかな……」

 

 そしてそうごちる。

 

 不意に腰のベルトが振動して、ハッとした彼女はやおら視線を落とす。

 改めて振動の正体を取り上げれば、思わずくすりと笑ってしまう。認めたモンスターボールの中で、緋色のたてがみを持ったポケモンが、前足を浮かせて、出せと言いたげの様子だった。

 

「もう、ウインディ……水辺だから、ちょっとだけだよ?」

 

 そう言って、モンスターボールを解き放つ。

 閃光と共に現れる巨大な影。

 四本足だと言うのに、少女の身の丈を遥かに上回る大きさを持ったポケモンだった。

 

 出てくるや否や、ウインディは気高く一鳴き。

 少女の足許に頭を垂れ、膝を後ろから押してきた。

 ハッとした彼女は「あ、ちょ、ウインディ!」と、戸惑いを口にしつつも、大人しくウインディの促す通り、彼の背中へと跨る。すると彼は満足したかのように、その場で一跳ね、二跳ね。まるで嬉しさを身体全体で表現しているかのようだった。

 

 進化を終えたというのに、どうにも落ち着きが無い。

 少女は半ば無理矢理なロデオをさせられながらも、彼のたてがみを鷲掴みして、にっこりと笑う。

 

「もうっ!」

 

 と、文句を口にしながらも、彼の首を抱き締めた。

 そのまま街とは逆の海岸沿いを指差して、「お散歩! あんまり速く走らないでね」と、彼を促した。

 

 ウインディは再度大きく吼える。

 少女を背に乗せたまま、二メートル近い巨体からは想像も出来ない身軽さで走り始めた。

 

 トトン、トトン。

 ウインディが砂浜を駆る音を聞く。

 波の音とはてんで調子の違う音だったが、自分が歩いても鳴らないような足音は、とても新鮮だった。

 

 湿っぽい潮風が強くなり、きつい陽光がもたらす温度に、見合っただけの風を浴びる。

 ふと息を深く吸ってみれば、思った以上に気持ち良かった。

 

 アサギではいっぱいいっぱいで、何も感じられなかったものだが……やはり、人間、心にゆとりを持つことが大事なのかもしれない。あの街で恩人だった筈の人間に宣戦布告をかました時とは、見える景色も、感じる匂いも、抱く感情もまるで違う。

 

 それこそ、今朝の大雨から、今の快晴へ、移り変わった大空のように。

 

 

――もう貴女も当事者。正直に言いましょう。

 

 この街に着いてすぐ、一休みもなく去ろうとする恩人は、小さな身体を優雅に翻す。

 そのあまりに非力そうな背中には、僅かな疲れと、確固たる決意。

 私は彼女の言葉に頷いて、続きを待った。

 

「貴女の決意を空回りさせてしまいますが、多分、わたくし達はこれから、貴女が目指している壁に立ち向かいます。サキの様子からして……きっと、間違いないでしょう」

 

 それは、この街に着くよりもう少し前のこと。

 私をポケモンに乗せて、この街へと運んでくれていた少女のPSSが鳴った。

 

 掛けてきた相手は、おそらく彼女の一行で最も頭の切れる少年。

 彼の問いかけに対し、そつなく回答していた彼女だが……その本懐は、傍から聞いていた私にも分かるもの。少年が問い掛けてきた内容は、『そこ』に敵がいるかどうかを定めようとする為のものだった。そして、電話を切った恩人の様子から見て、それは是。つまり、渦巻き島に彼女らが追いかける相手が居るということだ。

 

 さて、しかしその相手といえば、私自身も追いかけていたりした。

 まだまだ戦力が足りておらず、自分でも挑むのは無謀と思えてしまうのだが、頭数が欲しいと言われれば、即座に頷く覚悟もあった。……だが、結果的に彼女は、自分をこのタンバシティまで送り届けた。

 そして、さしたる言及も無く、踵を返した。

 

 それがどういう意味か分かる私は……已むを得ない。分かったと割り切った。

 だが、その別れ際に至って、恩人は正直に打ち明けてくれたのだ。知らないふりをしておこうと思っていたことを、態々教えてくれた……それは素直に嬉しかった。

 

 だけど、何故?

 私は小首を傾げて、恩人の言葉の続きを待った。

 

 すると、恩人はふっと笑う。

 疲れが窺えるトゲキッスに乗って、穏やかな表情で振り返ってきた。

 

「だから、待っていてあげて」

 

 トゲキッスが羽ばたき、恩人は空へ。

 見上げる私に向けて、更に言葉は続いた。

 

「あの子を……ポケモントレーナーらしい。最高の舞台で」

 

 その言葉は、私の胸を強く打った。

 

 それはつまり、必ず勝って戻ってくるという約束。

 しかしそれだけではない。遥かその先、未来で……私でなければ成せない立場を、お願いしてくれている。

 

 私はそう理解すると、大きく唇を開けて、彼女に言った。

 

――もう追いかけない。絶対に何時か、あの子を倒して見せます!

 

 そういえば、一回だけバトルをしたか。

 ふと思い返す。

 

 それはキキョウ、ヒワダを経て、コガネへと戻った時だった。

 偶然再会した彼女と、四対四のフルバトルをして、ぼろ負けした。

 もうそれはそれは完膚無きまでに、ぼっこぼこにされた。

 

 何がいけなかったのか、バトルが始まった瞬間、彼女の纏う雰囲気が激変した。

 人懐っこそうな雰囲気が掻き消えて、今に呪いでも使ってきそうな……どす黒い笑みを浮かべていた。

 そして、何の指示も無く、彼女の強靭なポケモン達が、私のポケモンをあっという間に蹴散らした。

 

 機会があったらその理由でも聞こうと思っていたが、アサギで再会した際にはそれどころではなく……。

 已む無く、当時の理由は知らないままだ。

 だけど、あれがあったからこそ、私は何度挑戦しても勝てなかった筈のコガネジムリーダーに勝てたんだろう。ヒワダまでの過程で、知らず知らずの内に慢心していた部分を無くし、再度ポケモン達と絆を深め、彼等の研鑽を積む為の機会を得られた。それはとても稀有なものだった。

 そして、尚も『ポケモントレーナーなんて野蛮だ』と反対する家族に、コガネジムでの一戦を見せつけ、圧巻させたのだ。あの喜びは、先の敗戦無くして有り得ない。

 

――嬢ちゃん、一人なん? 暫定バッジが欲しい言うとるけど、競い合う奴とかはおらへんのか?

 

 かつて、そのコガネジムのリーダー、アキナに問われたことがある。

 当時の自分は本当に弱っちく、何度も何度も挑んでは、彼女から『また来たのか……』と、呆れられるまでにもなってしまっていた。

 その問い掛けは、敗北した私が、『何故勝てないのか』と泣いたことから、掛けられた言葉だった。

 

 当時、ポケモンを持つのにだって家族からの猛反対を受けていた私。

 競い合う相手なんていよう筈も無かった。

 とすれば、アキナは言った。

 

『せやなあ……難しいかもしれんけど、一回キキョウあたりに行って、自分より少し強いぐらいの相手見てきた方がええと思う。あわよくばライバルっちゅうもんを見付けぇ。そうすりゃ、自ずと強なるもんやて』

 

 どだい難しい話だったが……今にして思う。

 アキナの言葉に従って、大正解も大正解だったと。

 

 

 そう。

 私にとって、サクラちゃんは……ライバル。

 

 その背中を追いかけてちゃいけない。

 アキラ様に言われた通り、私はあの子を、最高の舞台ってやつで、待ってあげなくちゃいけない。

 追い抜かなきゃ、いけないんだ。

 

 

 潮風香る海岸線を、ウインディの背に乗って駆ける少女、アゲハ。

 時折遠い海の先に、ビキニのお姉さんを見かけて、「私も泳げたらなぁ」なんてごちる。

 

 やる気ばかりは有り余っているのに、船は明日まで来ない。

 タンバジムは着いたその日に突破してしまったし、やる事も無い。

 

 いっそ泳いでみる?

 頑張れば何とかなるかも……って、ダメだ。

 水着が無い。実家に帰った時に合わせたら、全部サイズが合わなかったんだよ。

 

 胸の成長が著しい。

 ほんと、無い人にあげてしまいたい。

 もうこれ以上大きくなると、下着を探すだけで大変なことになる。

 

 アゲハ、一七歳。

 その悩みは、持たざる者には分からないだろう。

 

「はあ……まあ、時には休むのも大事かなぁ。最近ずっと訓練漬けで、皆も疲れてるだろうし」

 

 不意に足を止めたウインディの背から降り、自分が跨っていた所為で荒れてしまった毛並みを整えてやる。

 思い返せば、このウインディだって、血反吐を吐くような努力をさせている。自分に懐いてくれている事が、奇跡的に思える程。まあ、一番最初のパートナーだからって部分もあるのだろうが。

 

 火炎車を習得させようと、何度も自滅させた。神速を習得させようと、何度も足を挫かせた。

 そんな彼は、家族が『こういうポケモンであったら良い』とした、アゲハを引き立てる為の従者にしては、随分と傷だらけだ。……だけど、この方がずっと格好いい。

 多分、彼もそう思ってくれている。

 

 喉を撫でれば、ウインディはごろごろと喉を鳴らす。

 愛しそうに頬を寄せてきたので、そのたてがみに顔を埋めた。

 

 ん……潮風の匂い。

 ポケモンセンターに戻ったら、お風呂に入れてあげないと。

 

 そう思って、顔を離した――その時。

 

 不意に視界の端で、キラリと光るものを捉えた。

 ハッとしてそちらへ改まると、視界の彼方に数人の人影が見える。

 

 タンバの浜辺は、アサギのそれに比べて、随分と過疎している。

 人影なんて珍しければ、彼等の前で極彩色に煌く光は、何とも超常的。

 その光景に目を瞬かせれば……アゲハは「あれ?」と、小首を傾げる。

 

 極彩色から、零れ落ちるようにして落下する影。

 一人、二人、三人。

 一匹、二匹……六匹。

 そのどれもが、何処と無く既視感を覚える影だった。

 

 無防備な姿で砂浜に落下した影へ、先にそこに居た人影達が駆け寄って行く。

 不意にハッとして、アゲハはウインディに跨った。指を差して、その人影の集団のもとへと急ぐ。

 

 その集団はどうも、極彩色から出てきた人影を、何処かへ運ぼうとしているようだった。

 極彩色から出てきた者達は、一様にぴくりと動いておらず、彼等を介抱しようとしている者達は、遠目にも荒々しい声が聞こえてくる程、切羽詰っているようだった。

 

 そして、その人影は――やはり。

 

 ハッとしたアゲハは、声を大にして叫ぶ

 

「すみませーん! 知り合いです。助力します!」

 

 遠目にだって分かった。

 

 極彩色から出てきた一行は、アゲハの大切な恩人達。

 そして、大切なライバル達。

 

 全てを終えてかどうかは知れないが、ちゃんと約束通り帰ってきたのだ。

 

 その彼女等を助けようとしている者は、不意にかかった声に、ハッとした様子で振り向いてくる。

 目が合って、その人物を認めたアゲハは、思わず目を丸くした。

 

「……って、ええ!? イッシュのレジェンド!?」

 

 煙草を咥えて、茶髪を靡かせている女。

 気だるげにこちらを認める姿には、その称号が示すような威厳は見てとれない。

 しかし確かに、その人物はトウコと呼ばれるレジェンドホルダーだった。

 間違いない。アゲハの憧れのトレーナーの一人なので、間違う筈もない。

 

 トウコは怪訝そうな顔付きで、アゲハを認めてくる。

 周囲に居る三人の男に何らかの指示を出してから、一同に接近したアゲハの前にやって来た。

 

「ええっと……知り合いつったか? こいつ等の知り合いか?」

 

 そう言って、トウコは肩越しに未だ倒れたまま動かない一行を促す。

 改めて確認してみるも、やはりサクラ、サキ、アキラだ。周辺に横たわっているポケモン達も、彼女等のポケモンだろう……一部進化しているが。

 

 アゲハはこくりと頷いた。

 

「えっと、サクラさん。サキくん。アキラ様……ですよね?」

 

 すると、トウコは僅かに目を見開く。

 少しばかり驚いたような顔付きだった。

 

()()()……成る程、本名知ってるって事は、事情も知ってるってことか」

 

 そして、一人納得するようにごちた。

 

 と、そこでアゲハもハッとする。

 思わず本名を言ってしまったが、サキ曰く、あまり宜しくない行いだった筈だ。

 目の前のレジェンドホルダーが敵だとは思えないが……これは反省せねば。

 

 しかしながら、これはこれで正解だったらしい。

 トウコは頷くと、「良いよ。手伝ってくれ」と、許可なのか、依頼なのか、良く分からない物言いをした。

 

 こくりと頷いて、アゲハはウインディの背を貸すことに。

 

 傷だらけの三人と、そのポケモン達を運ぶのは骨が折れたが、きっと彼等はやり遂げてくれたのだろう。そう思う。結局蚊帳の外でぎゃーぎゃー喚いていただけの自分だが、こんな時くらいは必死になって頑張らないと。

 そんな心地で頑張っていれば、レジェンドホルダーがにやりと笑う。

 

 お前を見ていると……誰かさんを思い起こすな。

 

 そんな言葉を掛けられたが、真意は分からなかった。

 しかし、これが切っ掛けとなって、トウコを師と仰ぐことになるだが……それはまた別のお話。

 

 アゲハ、一七歳。

 ポケモンリーグの頂点を目指します。

 




とりあえず完成していた一本。
残りはまだ推敲中です。

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