悠然と佇む強者の前。
小さな勇士は、力尽きて横たわる。
固唾を飲んで見届けた少女は、その双眸を潤ませていた。
やがて、彼女は唇を震わせる。
「レオンっ……」
そして、至高の一時を戦い抜いた相棒の下へと駆け寄る。
心臓を鷲掴みにするような恐怖心と、相棒の気高い志に対する感動が、何度も足を縺れさせる。それでも決して倒れることはなく。最後の一瞬まで臆す事なく戦った相棒のように、ただひたすら前へ前へと進んだ。
うつ伏せに倒れた小さな身体を両手で抱き上げる。
視界を濁らせる涙を肩で拭いて、改めて彼の姿を認めた。
何時もは気を使って整えている筈の毛並みは荒れに荒れ、所々黒く焦げてしまってもいた。マジカルリーフを受けた時か、最後に花びらの舞へ突っ込んだ時か、小さな裂傷も数多く見て取れる。
無事かと問われたら、素直に頷ける筈が無い。だから、大丈夫か等と問うことはしなかった。
その代わり、サクラは目一杯微笑んでみせる。
止め処なく溢れる涙こそ、拭っても拭っても止まらなかったが、出来る限り穏やかな表情で笑い掛けた。
同じ表情で薄く瞼を開けている勇士を、称えるように。
『ごめん……勝てなかったよ』
そして、彼は小さく零した。
だと言うのに、柔和に笑うその顔には、自嘲の様子さえ窺えない。
全力を出したからこそ。最後の最後まで戦い抜いたからこそ。ちゃんと伝えるべき想いを伝えたからこそ――レオンは笑っているようだった。
サクラは小さく頷いて、彼の頭を優しく撫でる。
尚も笑顔を浮かべて、震える喉からゆっくりと言葉を吐き出した。
「強かったね……頑張ったね……ありがとね」
『はは。もうちょっと、だったんだけどなぁ……』
悔しげな言葉を漏らすものの、その表情は満ち足りたよう。
それもそうだろう。サクラは小さな身体をやさしく抱き締めて、今一度彼の勇姿を労った。
怖かったろう。
何せ相手はひとりじゃなかった。
レパルダスが火炎放射を放った時、サクラだって驚いた。
すぐにそれが猫の手なのだと判断し、この場にいない存在がそこに居て、彼女に力を貸しているのだと悟った。彼もそうだったとして、それでもきちんと戦い抜いたその姿は、褒められこそすれ、負けたことを揶揄される訳が無い。
愚直な程真っ直ぐ突っ込んだその背を、サクラは誇りに思う。
だから、堂々と面を上げた。
紫色の強者を、真正面から認める。
レオンが示してくれた志。
時に背を叩き、時に前を行ってくれた彼が、ここまで奮闘してくれたのだ。
今尚とどめを刺さずに見守ってくれているレパルダスの姿こそ、彼の成した功績。バトルは確かに敗北ではあれ、意義において彼は勝利していた。
今度は自分がそれを示す番だ。
サクラは一度深呼吸をしてから、ゆっくりと唇を開いた。
「レオン」
『……なあに? サクラ』
サクラの相棒であるレオンとの戦いに、一体どれ程の価値があったかは分からない。
けれど、紫色のレオンが返してきた言葉は、先程とは比べ物にならない程穏やかなものだった。それこそサクラをサクラとして認め、等しく主と接しているように。
柔和に微笑むように、僅かに上がった口角は、とても人懐っこく見えた。
サクラは今一度深呼吸をする。
これは永遠の別れであれ、彼等の生きた時代を自分達が継いでゆくという誓いの場。
レオンが言いたかっただろう言葉を自分なりに解釈して、だからこそ余計に言葉を出すことがとても残酷な事に思えて……だけど言わなきゃいけないんだ。と、自分を奮い立たせる。
らしくもなくキッと目付きを鋭くさせて、目の前の初めて会った相棒と視線を交わす。
下顎を震わせながら唇を開けば、何時の間にか止まっていた筈の涙が、再び頬を伝った。
「私……貴女と、貴女の主人がやった事を、赦せない。これからもずっと、赦せるとは思えない」
胸が沸騰するんじゃないかという程の熱と共に、言葉を吐き出す。
すると、僅かに驚いたように、レパルダスは目を見開く。その後すぐに視線を下に逸らし、小さく息をついた。「そう……」と、漏れ出た言葉が、サクラの胸を締め付けるようだった。
だから――。
サクラはそう言って、言葉を続ける。
落胆したらしい彼女の目が、再度自分を向いた頃合を見計らって、サクラは口角を上げる。
成る丈優しく。今ばかりは恨みつらみを全て捨て去れと、自分に言い聞かせながら、微笑んだ。
「いつか……貴女達がやった事を赦して、与えられた未来に感謝出来る日が来るまで……私は頑張って生き続ける。成長し続ける。毎日、毎日……ずっと。一年後も。一〇年後も。二〇年後も。貴女を赦せるその日まで」
今はまだ、赦せない。
赦せると思えない。
赦しちゃいけない。
サキはシャノンを赦したけれど、私は赦さない。
本当に赦せるのは、彼女達が奪われた時代を越え、その先を生きるようになってからだ。
つまりそれは――ずっと忘れないという誓い。
本懐を察してか、そうでないのか。
レオンは小さく音を漏らして笑った。口元から伸びた細い髭を小刻みに揺らしながら、とても楽しげに笑っていた。
やがて彼女の目は、再度サクラに向く。
『本当、貴女ってば……』
そして、やけにゆっくりと踵を返す。
肩越しにサクラを振り返ってきながら、その足はゆっくりと歩き出した。
『サクラ』
一歩前に出たレパルダスは、そう声を掛けてくる。
思わずその背を引き止めそうになりながらも、立ち止まって、サクラは短く返事をした。
前へ向き直り、何処か懐かしげに虚空を見上げ、レオンは零す。
『一八の年頃。ホウエンに行くなら注意しなさい。大雨に降られて、酷い風邪を引くわ』
「……え?」
唐突な言葉に、サクラは思わず疑問符を返す。
それでもレオンの足は止まらず、構った様子は無かった。
『
そこで漸く分かった。
彼女は、自身の相棒のサクラの身に起こった危険を教えてくれていた。
それはきっと、きっと良くない行い。しかし、それを説くことなんて、この場では野暮というもの。
思わずサクラは口元に手を当て、嗚咽を堪えながら返事をした。
『プラズマ団はもういないけど……二三歳ぐらいの時、拉致されたりもしたわ。本当に気をつけて……貴女、警戒心がまるでないもの』
「うんっ……うんっ!」
レオンがククリの横に辿り着き、隣の少女を見上げる。
ふっと微笑むような横顔を見て、サクラの胸ははちきれそうな程にいっぱいいっぱいだった。
こんなにも、愛されていた。
愛していた。
レパルダスという相棒を、異世界の自分はとても大切にしていたのだろう。
相手が自分である以上、それ自体は信じて疑わないことだが、遠い昔の話にあたるだろうことを、何でもない風に語れる程の愛は、きっととても尊いものだ。そんなことを当たり前の様子でしてしまう彼女は、そうさせる異世界の自分は、その絆は――自分と自分の相棒達が、これから築き上げていかなければいけない関係だった。
『ククリ……私から言う事は無かったわ。あの子はサクラ……サクラなんだもの。じゃなきゃあんな格好良い子、育てられないわ?』
少しばかり自慢げに。
レオンはククリへ報告をする。
伝えることはなかった。
サクラはサクラのままで良い。
そう言われて、もう声を我慢できなかった。
視線ばかりは、その最期を見届けなければと、彼女の後ろ姿を見続けたが……もう言葉のひとつさえかけてやれそうにない。サキのように笑って見送ることなんて、どだい無理だった。
「うん。そうだね。ありがとう……レオン」
そして、言葉を返すククリ。
彼女はまるでサクラの代わりと言わんばかりに微笑み、腰を降ろして……レオンを抱く。
古い傷痕を残した精悍な顔立ちが今一度こちらを向いて――。
『幸せにね。サクラ』
光となって、爆ぜた。