天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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レオン

 悠然と佇む強者の前。

 小さな勇士は、力尽きて横たわる。

 固唾を飲んで見届けた少女は、その双眸を潤ませていた。

 

 やがて、彼女は唇を震わせる。

 

「レオンっ……」

 

 そして、至高の一時を戦い抜いた相棒の下へと駆け寄る。

 心臓を鷲掴みにするような恐怖心と、相棒の気高い志に対する感動が、何度も足を縺れさせる。それでも決して倒れることはなく。最後の一瞬まで臆す事なく戦った相棒のように、ただひたすら前へ前へと進んだ。

 

 うつ伏せに倒れた小さな身体を両手で抱き上げる。

 視界を濁らせる涙を肩で拭いて、改めて彼の姿を認めた。

 

 何時もは気を使って整えている筈の毛並みは荒れに荒れ、所々黒く焦げてしまってもいた。マジカルリーフを受けた時か、最後に花びらの舞へ突っ込んだ時か、小さな裂傷も数多く見て取れる。

 無事かと問われたら、素直に頷ける筈が無い。だから、大丈夫か等と問うことはしなかった。

 

 その代わり、サクラは目一杯微笑んでみせる。

 止め処なく溢れる涙こそ、拭っても拭っても止まらなかったが、出来る限り穏やかな表情で笑い掛けた。

 同じ表情で薄く瞼を開けている勇士を、称えるように。

 

『ごめん……勝てなかったよ』

 

 そして、彼は小さく零した。

 だと言うのに、柔和に笑うその顔には、自嘲の様子さえ窺えない。

 全力を出したからこそ。最後の最後まで戦い抜いたからこそ。ちゃんと伝えるべき想いを伝えたからこそ――レオンは笑っているようだった。

 

 サクラは小さく頷いて、彼の頭を優しく撫でる。

 尚も笑顔を浮かべて、震える喉からゆっくりと言葉を吐き出した。

 

「強かったね……頑張ったね……ありがとね」

『はは。もうちょっと、だったんだけどなぁ……』

 

 悔しげな言葉を漏らすものの、その表情は満ち足りたよう。

 それもそうだろう。サクラは小さな身体をやさしく抱き締めて、今一度彼の勇姿を労った。

 

 怖かったろう。

 何せ相手はひとりじゃなかった。

 

 レパルダスが火炎放射を放った時、サクラだって驚いた。

 すぐにそれが猫の手なのだと判断し、この場にいない存在がそこに居て、彼女に力を貸しているのだと悟った。彼もそうだったとして、それでもきちんと戦い抜いたその姿は、褒められこそすれ、負けたことを揶揄される訳が無い。

 愚直な程真っ直ぐ突っ込んだその背を、サクラは誇りに思う。

 

 だから、堂々と面を上げた。

 紫色の強者を、真正面から認める。

 

 レオンが示してくれた志。

 時に背を叩き、時に前を行ってくれた彼が、ここまで奮闘してくれたのだ。

 今尚とどめを刺さずに見守ってくれているレパルダスの姿こそ、彼の成した功績。バトルは確かに敗北ではあれ、意義において彼は勝利していた。

 

 今度は自分がそれを示す番だ。

 

 サクラは一度深呼吸をしてから、ゆっくりと唇を開いた。

 

「レオン」

『……なあに? サクラ』

 

 サクラの相棒であるレオンとの戦いに、一体どれ程の価値があったかは分からない。

 けれど、紫色のレオンが返してきた言葉は、先程とは比べ物にならない程穏やかなものだった。それこそサクラをサクラとして認め、等しく主と接しているように。

 柔和に微笑むように、僅かに上がった口角は、とても人懐っこく見えた。

 

 サクラは今一度深呼吸をする。

 これは永遠の別れであれ、彼等の生きた時代を自分達が継いでゆくという誓いの場。

 レオンが言いたかっただろう言葉を自分なりに解釈して、だからこそ余計に言葉を出すことがとても残酷な事に思えて……だけど言わなきゃいけないんだ。と、自分を奮い立たせる。

 らしくもなくキッと目付きを鋭くさせて、目の前の初めて会った相棒と視線を交わす。

 

 下顎を震わせながら唇を開けば、何時の間にか止まっていた筈の涙が、再び頬を伝った。

 

「私……貴女と、貴女の主人がやった事を、赦せない。これからもずっと、赦せるとは思えない」

 

 胸が沸騰するんじゃないかという程の熱と共に、言葉を吐き出す。

 すると、僅かに驚いたように、レパルダスは目を見開く。その後すぐに視線を下に逸らし、小さく息をついた。「そう……」と、漏れ出た言葉が、サクラの胸を締め付けるようだった。

 

 だから――。

 サクラはそう言って、言葉を続ける。

 落胆したらしい彼女の目が、再度自分を向いた頃合を見計らって、サクラは口角を上げる。

 成る丈優しく。今ばかりは恨みつらみを全て捨て去れと、自分に言い聞かせながら、微笑んだ。

 

「いつか……貴女達がやった事を赦して、与えられた未来に感謝出来る日が来るまで……私は頑張って生き続ける。成長し続ける。毎日、毎日……ずっと。一年後も。一〇年後も。二〇年後も。貴女を赦せるその日まで」

 

 今はまだ、赦せない。

 赦せると思えない。

 赦しちゃいけない。

 

 サキはシャノンを赦したけれど、私は赦さない。

 本当に赦せるのは、彼女達が奪われた時代を越え、その先を生きるようになってからだ。

 

 つまりそれは――ずっと忘れないという誓い。

 

 本懐を察してか、そうでないのか。

 レオンは小さく音を漏らして笑った。口元から伸びた細い髭を小刻みに揺らしながら、とても楽しげに笑っていた。

 やがて彼女の目は、再度サクラに向く。

 

『本当、貴女ってば……』

 

 そして、やけにゆっくりと踵を返す。

 肩越しにサクラを振り返ってきながら、その足はゆっくりと歩き出した。

 

『サクラ』

 

 一歩前に出たレパルダスは、そう声を掛けてくる。

 思わずその背を引き止めそうになりながらも、立ち止まって、サクラは短く返事をした。

 

 前へ向き直り、何処か懐かしげに虚空を見上げ、レオンは零す。

 

『一八の年頃。ホウエンに行くなら注意しなさい。大雨に降られて、酷い風邪を引くわ』

「……え?」

 

 唐突な言葉に、サクラは思わず疑問符を返す。

 それでもレオンの足は止まらず、構った様子は無かった。

 

二十歳(はたち)の頃。サキと酷い喧嘩をしたわ。ロロが原因だから、貴女の手持ちにはいないけど……別れる別れないの騒動になったから、気をつけて』

 

 そこで漸く分かった。

 彼女は、自身の相棒のサクラの身に起こった危険を教えてくれていた。

 それはきっと、きっと良くない行い。しかし、それを説くことなんて、この場では野暮というもの。

 思わずサクラは口元に手を当て、嗚咽を堪えながら返事をした。

 

『プラズマ団はもういないけど……二三歳ぐらいの時、拉致されたりもしたわ。本当に気をつけて……貴女、警戒心がまるでないもの』

「うんっ……うんっ!」

 

 レオンがククリの横に辿り着き、隣の少女を見上げる。

 ふっと微笑むような横顔を見て、サクラの胸ははちきれそうな程にいっぱいいっぱいだった。

 

 こんなにも、愛されていた。

 愛していた。

 

 レパルダスという相棒を、異世界の自分はとても大切にしていたのだろう。

 相手が自分である以上、それ自体は信じて疑わないことだが、遠い昔の話にあたるだろうことを、何でもない風に語れる程の愛は、きっととても尊いものだ。そんなことを当たり前の様子でしてしまう彼女は、そうさせる異世界の自分は、その絆は――自分と自分の相棒達が、これから築き上げていかなければいけない関係だった。

 

『ククリ……私から言う事は無かったわ。あの子はサクラ……サクラなんだもの。じゃなきゃあんな格好良い子、育てられないわ?』

 

 少しばかり自慢げに。

 レオンはククリへ報告をする。

 

 伝えることはなかった。

 サクラはサクラのままで良い。

 

 そう言われて、もう声を我慢できなかった。

 視線ばかりは、その最期を見届けなければと、彼女の後ろ姿を見続けたが……もう言葉のひとつさえかけてやれそうにない。サキのように笑って見送ることなんて、どだい無理だった。

 

「うん。そうだね。ありがとう……レオン」

 

 そして、言葉を返すククリ。

 彼女はまるでサクラの代わりと言わんばかりに微笑み、腰を降ろして……レオンを抱く。

 古い傷痕を残した精悍な顔立ちが今一度こちらを向いて――。

 

 

『幸せにね。サクラ』

 

 

 光となって、爆ぜた。

 


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