天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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ヒーロー

「……サキ」

 

 稀有な別れを終えた少年に、サクラは小さく声を掛ける。

 すると彼は、赤くなった鼻筋を恥ずかしそうに掻いて、悲しげに微笑んだ。

 

 普段は傲慢にも見える態度が多いサキだが、根は真っ直ぐで、心優しい。

 きっとあのシャノンのことを、『異世界の』等というラベルを付けて見ていなかった。正しく自分の相棒そのものだと感じながら、接したことだろう。

 彼の涙は、それを如実に語っていた。

 

 果たして、自分は彼程のことをしてやれるのか……。

 

 サクラはそんな事を考えながら、サキと入れ替わる形で前へ歩み出た。

 自然と手持ちの四匹とバクフーンが傍らに続いてきて、揃ってククリと向き合うようになる。

 

 ククリは薄く微笑んだ。

 まるでサクラの心配を見越したように、首を横に振って、小さく「大丈夫だよ」と告げてくる。

 

「レオンはね……ママとずっと一緒に居たポケモンなの。だから、ママがサクラである限り、大丈夫」

 

 それは、サクラの本質を指しているのだろうか。

 明確に理解は出来なかったが、この場でそれを問い質すのは野暮ったく感じて、サクラは頷いて返した。

 

 ありのまま接してやれば良い。

 

 きっとそう言いたいのだろうと思った。

 

 

 ククリが静かに手を振り上げる。

 先程、異世界のシャノンが現れた時と全く変わらぬ様子で、真白のシルエットが現れた。

 それはすぐに纏まり、爆ぜる。

 

 現れた紫色のポケモンは、大地にしかと四本の足を付け、悠然と頭を振るう。

 長く窮屈な場所に閉じ込められていたと思わせるように、くわぁっと欠伸をして、身体を伸ばしていた。

 

『……ふう』

 

 そして彼女――もうひとりのレオンは、小さく鳴き声を上げる。

 その声は猫らしいもので、サクラの緊張感を揺るがす程、気の抜けたものに聞こえた。

 

 彼女は伸びを終えると、身体をぶるりと震わせる。

 頭を下げたかと思えば、前足を二度、三度と舐め、それから漸く面をこちらに向けた。

 

 左目を眼帯で塞ぎ、残りの右目でしかとサクラを見詰めてくる。

 その悠々とした仕草に、思わずサクラは息を呑んだ。

 

 緊張を悟ったのか、彼女はふっと笑うように、開いている目を僅かに細めた。

 

『……ほんと、若い時のサクラそっくり。同じ存在なんだから、当たり前だけど』

 

 そう零して、彼女は隣に立つククリをちらりと横目に見上げる。

 翡翠色の眼は、どこか悲しげに揺れた。

 

『申し訳ないけど……私はもう一人のサクラより、貴女に興味があるわ』

 

 その言葉を聞いて、サクラは胸にちくりとした痛みを覚える。

 しかし、彼女の言わんとする事はよく分かった。

 

 自らの主が全てを賭して産みたかっただろう存在。

 その人物が傍らに立っているのだ……それもそうだろう。

 

 彼女の眼差しを受け、ククリは少しばかり困ったような顔をした。

 その顔はすぐに苦笑を浮かべ、首を横に振るう。

 

「……あたしは、何にも染まっていない真白。それ以下で無ければ、それ以上でも無い」

 

 そして、ククリはサクラを見直してくる。

 促されて、異世界のレオンもこちらへ改まった。

 

「どう育つかは……パパとママ次第。だから、レオンがあたしに伝えたい事を、ママに伝えて欲しいの。あたしも、レオンも……ここから先の未来は無いんだもの」

 

 ズキリ。

 ククリの言葉に、先程よりもずっと明確な痛みが胸を襲う。

 それは変え難い未来なのだろう。自分ではどうしようも無く、自然の摂理として、そうあるべき事なのだろう。

 だが、あまりに辛い言葉だった。

 

 思わずサクラは顔をしかめて、俯く。

 

『勘違いすんなよ。サクラ』

 

 そんな折、サクラの傍らで少年のような声が上がる。

 不意の声にハッとすれば、サクラの相棒であるレオンが、呆れた様子で地面を蹴った。

 そのままサクラの腕にしがみ付いてきて、身体をよじ登ってくる。サクラがうろたえるのも構わずに、彼はすぐに頭の上まで登りきって、額をぺしぺしと小突いてきた。

 

 彼は向かい立つククリを手で指して、サクラの視線を促す。

 頭上の彼と正面のククリを交互に見直していれば、彼は小さく声を上げた。

 

『あいつ等の人生は終わりじゃない。サクラが生きている限り、サクラがこれから観ていくものだ。……これからあの子が死んじゃうんじゃない。これからサクラがあの子を生み出すんだ。……その為に、あの子はあそこに立ってる』

 

 そして、レオンは小さく息をつく。

 軽やかにサクラの頭上を発って、宙返りをしながら、サクラの前に着地。

 振り返ってきて、にっこりと笑った。

 

『同じ存在なんだろ? 違うのは、ボクと()()()()()だけじゃん』

 

 レオンはそう言って、もうひとりのレオンを認め直す。

 こちらを静観していた彼女の眼差しは、先程投げ槍な態度を見せた時とは、僅かに印象が違った。少し険しく見える顔付きで、レオンを認めている。

 

『……そうね』

 

 そして、もうひとりのレオンは小さく零す。

 薄く微笑んだように、安らかな顔付きで、隣のククリを見上げた。

 

『分かったわ。貴女の言う通り……少しばかり伝えてくる』

 

 一歩。

 異世界のレオンは歩み出る。

 

 その背を、何か良からぬ事をしてしまったのではないかと、ククリが不安げに見送った。

 差し出しかけた手を、虚空で握り……サクラを認めてくる。

 その目は、『良い?』と問い掛けてきているように見えた。

 

 サクラは喉を鳴らす。

 不意に向かい立つレパルダスを見れば、父のバクフーンを相手取った時より、明確な威圧感を覚えた。

 その実力は……母のような目を持たずとも分かる。

 逆立ちしたって、サクラのレオンが勝てる相手じゃない。

 

 しかし、正面に立つ白い背中は、こちらを振り向きもしない。

 サクラよりずっと顕著に力の差を感じているだろうに、臆した様子は一切見られない。

 

 ここでレオンを送り出せば、どうなるかは分かる。

 特有のぴりぴりとした雰囲気は、肌を刺すように感じているのだから……。

 

 今一度生唾を飲む。

 

 震える手を、力強く握り締めた。

 そして、言葉を出そうと、唇を開いて……。

 

「――っ」

 

 不意に、先程父から味わった恐怖心を思い起こす。

 家族を失うかもしれないという予感が、心臓を鷲掴みにするような恐怖心となって、サクラの言葉を遮った。

 

 背筋を嫌な感触が撫でる……気が付けば、身体が震えだしていた。

 目に見える景色が急速に色を失くし、ぐらりと揺れるように歪んでいく……。

 

 と、その時。

 

『サーちゃん……大丈夫よ。レオちゃんだもの』

 

 不意に掴まれる手。

 その感触は艶やかで、清涼感を感じさせるような冷たさを持っていた。

 ハッとして傍らに視線を落とせば、もうひとりの相棒がにっこりと笑っている。

 

 彼女は小首を傾げると、サクラを真っ直ぐに見上げきた。

 

『信じてあげて? レオちゃんのこと』

 

 ドクン。と、胸が鳴る。

 

 再度面を上げれば、確かに色づいた景色が映る。揺れても、歪んでも、いない。

 思わずサクラの口角が上がった。

 

 ルーシーを見返して、頷き返す。

 

 そして、再び正面へ。

 

 白くて小さな背中をしっかりと見据えて、今度こそ口を開いた。

 

 

「頑張って。私のレオン(ヒーロー)

 

 

 レオンは鋭く鳴いた。

 

 今、この場で自分を呼ぶ主人公が居る。

 自分をヒーローと呼んでいる。

 

 なら、負ける筈が無い!

 

 何の合図も無く、駆け出した。

 何の指示も無く、四本の尾を解き放った。

 

 向かい立つ紫のレオンも、即座に動き出す。

 掻き消えた姿に、気配を――右っ!!

 

 頭から伸びる尾で受け止めた一撃。

 止めた前足の向こうで、もうひとりの自分が笑っている。

 

――成る程。強い。

 

 その思考は果たして自分のものか。

 それとも、熱の籠もったバトルで偶に起きる、思考の共有か。

 共有しているのは誰か――主人公(サクラ)か、好敵手(自分)か。

 

 レオンは鋭く鳴いて、身を翻す。

 首から伸びた尾を振って、強引に身体を捻った。

 そのまま繰り出すスイープビンタ。

 

 しかし、空を切る。

 

 逃した気配を辿って――上っ!!

 素早く身体を前方へ転がす。

 すぐに先程まで自分が居た場所に、衝撃が墜ちてきた。

 

 あの技は何だ……?

 

 そう考えるも、『いや、それは重要じゃない』と投げ捨てる。

 大事なのは負けないこと。

 今の自分がヒーローとしてやるべき事は、たった一つ。それだけだ。

 

 大地に着地したレパルダスが口腔を開く。

 ギラリと目が光ったかと思えば、喉の奥から緋色が溢れ出すのを認めた。

 

――か、火炎放射!?

 

 思わず狼狽する。

 しかし、すぐ様理性を取り戻して、口内にエネルギーを溜める。

 

 吐き出した種マシンガン。

 それを燃やし尽くす火炎放射。

 

 種を模したエネルギー体が爆ぜ、黒煙と化す。

 

 目の前に迫る火炎放射を飛び越し、その黒煙へと突っ込んだ。

 そこで身体を捻る。

 

 煙を抜けてすぐ、変わらずの位置で口腔を開くレパルダスへ、スピードスターを放った。

 

 が、再びレパルダスの姿が消える。

 ハッとすれば、その姿は目の前に。

 

 突っ込んでくる頭部を、丁度前に出していた尾を重ねて受け止める。

 そのまま身体を捻って、電光石火の衝撃を明後日の方向へいなす。

 

 そこで何となく覚える違和感。

 

――これは……まさか。

 

 不意に悟る。

 レパルダスがどんなポケモンかはあまり知らなかったが、よく見知った同じ種のポケモンが使っているのは見た事があった。

 

 レオンの身体が大地を捉えるより早く、先に地面に着いたレパルダスが再度口腔を開く。

 その身体にグッと力が籠もったのを認めれば、小さな口から、溢れんばかりの絶叫が飛び出してきた。

 

 可視化する程の衝撃に吹っ飛ばされる。

 これは――確かに、ハイパーボイス。

 

――これは、やっぱり……。

 

 そう思いながら、追撃せんと飛んできたマジカルリーフを受ける。

 そのまま成す術無く、更に吹っ飛ばされた。

 

 無意識の内に視線をやれば、心配そうに見てきているサクラと、目が合う。

 

 その目は未だ迷いを持っているようだが、決して挫けてはいない。

 自分が負けない事を、信じてくれている。

 

 

 じゃあ、負けない。

 

 

 レオンは受身も取らずに地面へ墜ちた。

 痛い。苦しい。しかしそんな事は些事だ!

 即座に立ち上がって、思い切り大地を駆った。

 尻尾を振り上げ、そこにエネルギーを集中する。

 

 こちらを認めたレパルダスが、口腔から炎を放つ。

 それは決してレオンをすぐに襲っては来ず、彼女の身体に纏わりつくような鎧と化した。

 

――構う事は無い!

 ()()()()()()()()()、ボクはヒーローだ!!

 

 迫り来る火炎車へ、アイアンテールを思い切りぶちかました。

 

 

 衝撃。

 そして、爆ぜる。

 

 

 ありったけの力を籠めた尾は、火炎車を押し返すには至らない。

 そこに感じる歴然たる力の差。

 

 しかし、吹っ飛ばされて尚、レオンは再度立ち上がる。

 口腔に桃色の閃光をチャージしているレパルダスを認め、足許の大地を尻尾で砕いて、構えた。

 

 ノーマルタイプではない破壊光線が襲い来る。

 そこへ投げつける石の礫は、まるで効果が無い。触れた瞬間にじゅうと音を立てて、蒸発した。

 そして、その桃色の光に、レオンの視界が埋め尽くされる。

 

 だが、諦める事は無い。

 自分は負けないのだから!!

 

 振り上げる右腕。

 瞳を閉じて、ありったけの力を籠めんと、集中。

 そして何処が先端かも定かでは無い光へ、正拳突きをぶちかます。

 

 ぶわりと風が凪いで、目を開く。

 駆け抜けた桃色の光――その中央をぶち抜いて、レオンは気高く声を上げる。

 

 

 死して尚、猫の手に応える(キミに力を貸す)仲間。

 その絆は、正しく見事!

 

 だけど、負けない。

 負けられない。

 

 

 ボクがヒーローで。

 

 この物語の主人公は、ボクのサクラだ!

 

 

 全力を以って大地を駆る。

 数多の花弁を纏い、優雅に佇む紫色の好敵手へ、確かに近付いていく。

 

 何が来ようと恐れるな。

 何が来ようと臆するな。

 

 吹き飛ぶな。

 堪えろ!!

 

 振り上げる右手。

 届けと願い、打ち出す拳。

 

 柔な身体を襲う圧力に屈する事無く。

 

 

 ただひたすら前へ――前へ!!

 

 

 打ち出した拳の先に、しかと認める花びらの舞。

 しかしそれとは別に、漠然とした影を、認めた。

 

 彼等は、そこに居た。

 

 

『上出来だ』

 

 にやりと笑うバクフーン。

 

 

『良いと思うぜ? レオ』

 

 すまし顔で零すオオタチ。

 

 

『まあ、ボクもいますし』

 

 飄々とした様子のニンフィア。

 

 

『ラヴィも良いと思うの!』

 

 両手を揃えて微笑むキレイハナ。

 

 

 その向こうに――。

 

 

『そう……貴方達が良いなら、私も構わないわ』

 

 微笑むレパルダス。

 

 

 身体を撫でるような温かみを確かに感じながら、レオンは拳を押し出す。

 それがどういう事かを身体に刻みつけ、決して忘れる事なきよう、しかと記憶しながら、思い切りぶち抜いた。


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