天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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最初で最後のお願い。

 ごめんなさい。

 本当に、ごめんなさい。

 

 あのね。

 この一件の原因なんだけど……あたしの所為なの。

 具体的に何が起こったか説明しろって言われると困るんだけど、状況を見る限り……多分。

 

 産まれる筈だった日から、一五年。

 時間という概念の中心で、あたしの時間だけが確かに進んでいた。

 お婆ちゃんは年を取らなくて、お婆ちゃんが持っていたスイクンだって、年を取った様子は無くて……あたしだけ、ママと同じように年を取っていったの。

 

 だから、今年で一四歳。

 ママと同い年。

 ふふ。何か……変だね。

 

 でも、お婆ちゃん曰く、お婆ちゃん自身はかなり若返ったんだって。

 お爺ちゃんは逆に、とても年を取っちゃった。

 

 つまり? って聞かれると困るけど、あたしの世界のみんなは、時間が可笑しくなっちゃったの。ママ自身だって、正確にはあたしがお腹にいない時間まで戻っちゃったって感じだろうし……。もしかしたら、みんなの時間の概念を少しずつあたしに分けて貰ったのかもしれない。

 

 で、本題。

 何であたしの所為かって言うと……。

 

 あたしが生まれる筈だった世界のセレビィは、ルギアとホウオウ、三聖獣が争っていたのを止めようとして、死んじゃったの。その命を救おうとやって来た過去のセレビィは時渡りをしたんだけど、その時、みんなママとあたしを守る為にって戦ってたんだ。でも、多分あたしは、時渡りに耐えられなかったんだと思う。だからあたしを救う為……セレビィはママからあたしを取り上げた。

 

 そして、過去への時渡りで、ママとお爺ちゃんは世界線を越えた。

 死ぬ筈だったあたしを、最後まで救おうとしていたお婆ちゃんは、その意思の強さもあって、此処に一緒に囚われちゃった。

 

 これが、事の顛末。

 何分人智を超えたことだから、憶測がいっぱい混じってるけど、全てを知るあたしが用意出来る解答。

 

 随分酷い悲劇だよね。

 誰もが思い遣って、その所為で台無しになっちゃったんだから。

 

 でも、あたしはそう思わない。

 ふたりのママ達にはすっごく辛い思いをさせたし、沢山の人が亡くなっちゃったけど……救いようのない物語に、ハッピーエンドを書き込むページを増やせたんだもの。

 

 時の終わりの、その先を……ママ達に任せられるんだもの。

 

 あ、一つだけ安心して?

 あたしのママは救われたよ。

 

 そっちのお婆ちゃんが、頑張ってくれたお蔭で。

 もう、此処にはいないけど、ママの幸せを願ってるって言ってた。あ、これはそっちのお婆ちゃんが伝えるべきだったのかな? ごめんなさい。

 

 あと……言い辛いけど、これでお別れ。

 同じ世界がくっ付いてると、因果律とかってので、同じ未来を辿ろうとするらしいから……ほら、ママが結局ポケモントレーナーになったみたいに。パパとママが出会ったみたいに。ママとメイさんが出会ったりとか、ね?

 これ以上同じ道筋を辿ると、世界の崩壊まで同じになっちゃうから……。

 

 世界を切り離す為に、こうして二人に会いに来たの。

 

 

 その方法は――。

 

 

 ククリが目を開く。

 胸に抱き留めた彼女の身じろぎで、サクラも目を開いた。

 彼女へ改まれば、実に朗らかそうな表情で微笑んでいた。

 

「あたしから、最初で最後のお願い。ママのレオンと、パパのシャノン……あのふたりを、救ってあげて」

 

 ママのレオンとは、先の映像を思い起こす限り、レパルダスだろう。

 シャノンは……と考えていれば、すぐにマニューラだと補足された。

 

 ククリが二人の抱擁から抜け出す。

 一歩下がって、後ろ手を組んで、前のめりに。

 覗き込んで見上げてくるような風で、彼女は小首を傾げる。

 

 可愛らしく、彼女は笑った。

 

「ね? お願い。パパ、ママ」

 

 まるで少女の言葉が、呼び寄せたように、一陣の風がぶわりと二人を凪いだ。

 ハッとして目を閉じ、再び開ければ……。

 

 広大無辺な真白の空間が、緑に染まった。

 踏みしめる床は、何時の間にか褐色の大地。そこから生えている針のような形をした草。

 ふと気が付けば、白い花弁をつけた花や、黄色の鈴のような花が咲いている。あっという間に、針葉樹までもが育っていた。

 

 不意に辺りを見渡せば、遠目には白銀の峰。

 その端っこから顔を出しているお日様。

 

 ふわりと香るは……若葉の匂い。

 

「こ、これ……」

 

 思わずサクラは息を呑む。

 見覚えがあった……この緑豊かな景色は――。

 

 目に見える景色が、更に一転する。

 誰の手が加えられた訳ではないのに、足許の緑がザッと音を立てて刈り取られた。

 更にいつの間にか整地されて、再度活目すれば……辺りに真白の建物が組み上げられていく。誰の手も借りず、独りでに……実に不可思議な光景だった。

 

 そして、懐かしすぎる景色が蘇る。

 

 最後にパッと散るのは……桃色の花弁。

 サクラの花。

 

 

 ワカバタウン。

 

 

 今は無き、懐かしすぎる景色が、目の前に再誕した。

 思わずサクラは口元を覆って、目を細める。認めた景色が滲んで、まともに見えなかった。

 

「……何でもありかよ」

「なら、わたくしに席を外させて欲しいものですの。自分が場違いすぎて、我ながら泣けますわ」

 

 呆れた風に笑うサキに、溜め息混じりなアキラ。

 肩を落とす彼女に、サキが乾いたような笑い声を上げた。

 

 一人息に詰まって、涙ぐむサクラ。

 二人はこちらを認めると、黙って微笑み掛けてきた……そう、決して辛いばかりの記憶がある場所じゃない。

 そこはサクラにとって、他に換え難い故郷。

 

 胸を満たす感情は、確かな温かみだった。

 

「気分を悪くしたらごめんなさい」

 

 サクラ達から数歩離れ、ぺこりとお辞儀をするククリ。

 

「だけどあたしは……ここしか知らないから」

 

 上げられた面は、少しばかり不安げながら、朗らかな表情を浮かべている。

 何より、慈しみに満ちているように見えた。サクラよりずっと凛とした顔立ちをしているのに、その優しさはしかと受け継いだと言わんばかりだった。

 

 その手が……上がる。

 すると彼女の傍らに、突如現れる光。

 そのシルエットはまるでボールから飛び出したポケモンのように、纏まっていく……やがて、二本の足で立つ紺色のポケモンが現れた。

 

 

 双眸を閉じ、静かに佇むそのポケモン。

 鋭い鉤爪を両腕に三本ずつ持ち、その手を力なくだらんと垂らしていた。

 体躯には細やかな傷痕が多く見受けられ、毛並みも決して良くはない……風呂や水浴びはしているようで、汚らしい訳ではなかったが……少年、サキは、そんな風になるまで相棒の毛繕いを怠った事がない。

 

「……シャノン」

 

 名を呼ぶ。

 すると、現れたポケモンの肩が小さく跳ねた。

 

 おそるおそる……といった様子で、その面が上がる。

 サキの姿を認めて、その目は徐々に見開かれていく……一目に分かる程、鋭い目が潤んでいった。

 

『サキ……サキっ……』

 

 口を震わせ、肩を震わせ、声を震わせ。

 異世界のシャノンは、持ち前の凛々しさを無くしていく……ふとすれば手に力を籠めて、衝動を振り払うように首を横へ。

 

『ごめんなさい……貴方を守れなかった私が、何を言っても、もう……』

 

 そして、そんな事をぼやく。

 

 サキは思わず息を呑んだ。

 立場こそ予想するしかなく、置かれた状況を事細やかに知っている訳ではなかった。

 しかし、その言葉を聞いて、その姿を見れば、想像もつく。

 

 一体どれ程、彼女に後悔させたのだろう。

 自分が死んだ事によって、どれ程の苦悩を与えてしまったのだろう。

 先程自分は、異世界の自分が死んだ事を()()()()話し、居た堪れなくて茶化して見せたが……今、同じ言葉を、彼女を前にして話せるものか。

 仮に聞かせていたのだとしたら、数分前の自分をぶん殴ってやりたい。

 それ程に、強い衝動を覚えた。

 

 主人を失い、残されたポケモン。

 その想いたるや……今正に、万感胸に迫っているところだろう。

 なのに身体を震わせるばかりで、こちらに一歩たりと近寄ってこようとはしない。

 今に駆け出したそうな顔をしているのに、サキにはそれが分かると知っているだろうに、それでも駆け寄ってこない。

 

 あれは、罪悪感なのだろうか。

 十数年、主人を守れなかった事を後悔した末の姿なのだろうか。

 

 その償いの必要が……戒められる必要が……彼女にはあるのだろうか。

 

『……ごめんなさいっ。ごめんなさい』

 

 両手で顔を覆い、今に膝を崩しそうなシャノン。

 その姿を認め、不意にサキは傍らに立つ相棒を一瞥した。

 

 すると……彼女は呆れたような溜め息を吐く。

 ちらりとこちらを見上げてきて、じろりと睨んできた。

 

『私に配慮しているのならやめて頂戴。自分に嫉妬する程、私は馬鹿に育ってないわよ』

 

 そしてそんな事をぼやく。

 そのまま手を上げて、彼女はサキの背中を軽く押してきた。

 

『……もうっ、貴女も! サキがこういう時に限って頼りない事は百も承知でしょう!?』

 

 シャノンがシャノンに、そう声を掛ける。

 するとハッとした様子で面を上げる……異世界のシャノン。

 

 涙で濡らした情けない顔で、『そうね』と、小さく笑った。

 

『……そうだった。忘れてたわ』

 

 そして、小さく一歩、歩み寄ってくる。

 稀有な事に、その足は……サキが一歩踏み出したのと、同じタイミングだった。

 

 一歩、また一歩と、その足は彼女へと向かう。

 自分へと向かってくる。

 

『私……ほら、猫だから……』

 

 とぼとぼと、力無い足取りで、シャノンはこちらに。

 サキは歩みこそ止めずに、頷いて返した。

 

『よく言うでしょう? 猫は……あっさりと主人を忘れるって……』

 

 互いの足が、止まる。

 

 見下ろせば、そこには年を取った相棒。

 見上げてくるのは、懐かしむような眼差し。

 

 シャノンは涙を浮かべながら、笑った。

 

『でも、私……覚えてたわ?』

 

 力無くとも誇らしげに。

 まるで狩りの成功を親に報告する子供のように。

 

『貴方の姿、声、匂い……一日も、忘れなかったのよ? 一五年間、ずっと……』

 

 サキは頷く。

 滲む視界を何度も拭いながら、出来る限りの笑顔を浮かべてやった。

 

 そして――シャノンは満面の笑みを浮かべる。

 

 

『ねえ、サキ……褒めて?』

 

 

 今度は背中を押される必要は無かった。

 サキは衝動のまま、腰を降ろして、年老いた相棒の身体を強く抱き締めた。

 

 その身体は、今よりずっと細い。

 鍛え上げられた筋肉の固さこそ、逞しく思えるが、それ以上に年を思わせるような感触が、憎たらしくて仕方なかった。何故、こんなになるまで苦しめたのか……異世界の自分に、言い様の無い怒りを覚える。そしてそれを、仕方なかった事だと理解出来る自分が、誰に八つ当たり出来ない自分が、ひたすら情けなかった。

 

 抱き締めながら一度、二度、頭の後ろを撫でてやる。

 嬉しそうにごろごろと鳴る喉を、もう一方の手で撫でてやった。

 

『貴方にされる毛繕いが好きだった……だから、サクラにはして貰わなかったの……』

 

 シャノンは声を震わせ、そう語る。

 嬉しそうに破顔しながら、自らのみすぼらしさを、誇っていた。

 

『貴方に撫でて欲しい。……私はずっと、その為に頑張ってきたの……』

 

 頬を寄せる。

 ひんやりとした毛並みに、二度、三度と頬擦りした。

 

 香る匂いは、今のシャノンとは少しだけ違う。

 だけど、加わった匂いにも、覚えがある。

 そりゃそうだ……彼女はずっと、異世界のサクラが大切にしてくれたのだろうから。

 

『サクラを守らなきゃ……サキの遺したものを守らなきゃ……私はそればっかりに固執して、間違った事も沢山したわ。……サキは褒めてくれないって思ったけど、一杯間違ったの』

 

 サキは頷く。

 先の記憶を鑑みるに、この一五年で彼女が手をかけた罪の無いポケモンは、トレーナーは、どれ程いるか分からない。それは決して許される行いでなければ、正しい行いでも無かった筈。

 例え育ちが違ったとしても、自分は望まない事だろう。

 

 だから……だからこそ、サキは彼女を褒めた。

 

「よく頑張ったな……ありがとな……」

 

 そう言って、今一度彼女の頭を撫でてやる。

 背中を叩いて、もう終わって良いんだと教えてやる。

 

 すると彼女は、途端にわあと声を上げて泣き出した。

 

 構わず、サキは彼女の背を撫でる。

 そして続けた。

 

「間違い続けるのは、しんどかったな……もういい。もう終わって良いんだ」

 

 そう言って、サキは微笑んだ。

 

 例え許されなかったとして……その罪を背負うのは、彼女だけじゃなくて良い。

 異世界の自分が、自分なら。

 その罪は、一緒に背負ってあげようとする筈だ。

 

 自分の為に間違ってくれたのだ。

 自分の為に頑張ってくれたのだ。

 

 そんな相棒を切り捨てるような事が、出来る筈無い。

 

 決して許されざる行い。

 命とは、何にも換え難い。

 

 だけど……同じくらい、心も尊い。

 彼女が罪の意識を重ねながら、自分を想ってくれた事。

 今この場で語るのは、それだけで良い筈だ……少なくとも、サキはそう思う。

 

 だから笑って許してやる。

 決して許されない行為を、自分だけは許してやる。

 

「シャノン……お疲れ様」

 

 そして、いつものように。

 バトルを終えた彼女を迎えてやる時のように。

 何気ない一時のように……。

 

 別れを告げた。

 

 彼女はにっこりと笑って、うんと頷く。

 僅かな褒美をこれ以上ないくらい喜んだように、満面の笑みを浮かべていた。

 

『また……毛繕い……してね』

「おう。当たり前だ」

 

 そして――唐突に彼女は消えた。

 

 ふとした瞬間に、彼女を力強く抱き締めていた筈の腕が、空を切る。

 そのまま我が身を抱き締めて……サキは俯いた。

 

 視界に何の痕跡すら残らず。

 僅かに漂う匂いばかりが、彼女がそこに居た証明だった。

 

 腕を震わせ、喉を震わせ、サキは目を瞑る。

 唇の裏を噛んで、嗚咽を殺した。

 二の腕に顔を押し付けて、涙を拭う。

 

 万感の想いは、これからありったけ与えていこう。

 自分には、まだ、その機会が残されている。

 

 ふうと息を吐いて、立ち上がった。

 後ろを振り返れば、少し離れた場所で、泣き崩れているサクラと、顔を拭っているアキラを認める。

 二人の周囲に佇むポケモン達も、どこか悲しげな姿だった。

 

 唯一、自分のすぐ後ろで佇んでいたシャノンだけが、薄く微笑んでいた。

 彼女と目が合うと、肩を竦められた。

 溜め息を吐くでもなく、どこか得意げに彼女は小首を傾げて、ふんと唸る。

 

『……私、一途でしょ?』

 

 そしてそう言った。

 サキは顔をくしゃくしゃにしながらも、口を引き結んで微笑んで見せ、何度も頷いて返す。

 

 一途過ぎて、間違ってしまう程なのだ。

 シャノンという相棒は……。

 

『他のポケモンに浮気したら許さないからね?』

 

 シャノンはそう言って微笑んだ。

 

「するかよ。……バーカ」

 

 サキはそう言って、微笑み返した。


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