天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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過去語り――娘が為

 舞台が移る。

 

 宿舎の一室には、黒髪の青年と、黒髪の女。

 テーブルを挟んで、椅子に腰掛けていた。

 互いに俯き加減。表情は暗い。

 

 電気は点いていて、窓から陽光が射し込んできてもいる。

 なのに、二人は言葉も交わさず、些細な動作もしなかった。

 

 視線は二人揃って、テーブルの上に置かれた写真へ。

 

 少女が写っている。二人。

 二人共が不恰好な化粧をして、手に三つのモンスターボールを握っていた。

 

「……はぁ」

 

 やがて、女が小さな溜め息を吐く。

 不意の所作に反応して、青年が彼女へ向け、面を上げた。

 

「……過ぎた事じゃないか。仕方無いよ」

 

 彼はそう言って、女へ頷きかける。

 しかし彼女は、改まるなり首を横へ振った。

 

「仕方無いで済まない。……自分の首を絞めたも同然よ」

「でも、仕方無かったんだろう? さしものキミでも、何の準備も無くマスタークラスのトレーナーを相手どるのは、それこそ悪手じゃないか」

 

 青年はそう言って、小さく息を吐く。

 

 先の作戦中、乱入してきたイッシュのレジェンド。

 青年としても、その名は聞いたことがあった。

 そして同じく、目の前の女が、そのレジェンドにも勝るやもしれぬ実力者だとも、聞いていた。

 

 だからこそ、先の作戦の中断は止むを得なかった。

 そう思う。

 

 街の避難は終わっていたとはいえ、流石に街中で災害規模の大立ち回りをする訳にもいかない。

 もしもそうなっていれば、今頃地図から一つの街が消えているだろう。

 

 女はこくりと頷いた。

 しかし、相変わらず表情は暗い。

 考え込むように、顎に手を当てて、またも黙ってしまった。

 

 どうするか……。

 

 そう考えてしまえば、極端な事しか浮かばないのだろう。

 しかしそれを実行してしまえる程、彼女は冷酷でもない。

 仮にこの場に居ぬ老人ならば、それをやりかねないが、その点彼女は信を置くに値する。

 

 もう数年来の付き合いだ。

 ここは彼女の答えが見付かるまで、待とうか。

 

 青年は女の答えを期待して、机に頬杖を突いた。

 答えがくるまでの間、久しぶりに見た我が子の写真へ視線を落とす。

 見慣れない少女の姿に、自然と表情が曇った。

 

 数年見ない間に、随分と大きくなった。

 化粧こそはまだ早過ぎて、不細工な仕上がりになってしまっているが、身体つきは自分が触れ合っていた頃より、もう随分と成長している。

 親は無くとも子は育つ……こうして突きつけられると、皮肉なものだ。

 

 とてもじゃないが、安堵した等、言えやしない。

 罪悪感ばかりだ……。

 

 青年は瞼を閉じて、唇だけを動かした。

 

――ごめんね、サクラ。

 

 そう零す。

 声に出さないのは、目の前の女の思案を邪魔しない為だ。

 誰かに聞かせるものでもない……自己満足の謝罪だ。

 

 青年は目を開く。

 再度写真を認めて、悲しげに微笑んだ。

 

「……良し」

 

 不意に女が立ち上がる。

 写真を取り上げて、青年へと改まってきた。

 

 写真を一瞥して……すぐに手渡してくる。

 

「諦める。……あの子が声を聞くようになったら、その時はウツギ研究所からLを盗むわ」

 

 写真を受け取り、青年は首を傾げて返す。

 

「良いのかい?」

 

 何を以って由とするか。

 それを説く事も無く、彼女は頷いた。

 

「良いよ……私が介入した所為で、虐められて、蔑まれて……そして今回の一件。……あの子はもう、苦しみ過ぎてる。これ以上は、見てる私が辛い」

「……そうか」

「うん……」

 

 女はふうと息を吐くと、悪戯っ子のように笑った。

 肩を竦めて、青年に向けてウィンク一つ。

 

「暫く別行動にしようって言ってたし……いっそお父さんには内緒ね? 甘いって、怒られちゃうから」

「ああ……分かってるさ」

 

 青年はもの静かに返し、ふと窓の外を見やった。

 その先には、青空が見えた。

 

 果たして……自分がやっている事は正しい筈も無い。

 しかし、己が正義は己の為だ。

 それを裏切る事は、決して出来ない。

 

 そう……悪逆非道の道へ進む、もう一人の自分も、きっとそうなのだろう。

 

 決して許しはしないが……そう思える。

 

 

 舞台が移る。

 

 とある森の中に、老人と女が居た。

 

「ぐぅ……げほっ、ごほっ……」

 

 老人はくぐもったような咳をして、身を丸めていた。

 その背を撫で、傍らに屈むのは、茶髪の女。オーバーオールからハンカチを取り出して、老人へと差し出す。

 

「大丈夫? ヒビキ」

「ごほっ……っあぁ……すまない。コトネ」

 

 女が差し出したハンカチを受け取り、老人は口元を拭う。

 拭いきれていない深紅の液体が、彼の口周りに跡を描いた。

 

「時間が無い……」

 

 老人は零す。

 女に脇の下を抱えてもらい、ゆっくりと身を起こせば、空いた手を改める。

 その手の平には、真っ赤な液体。薄暗い森の中では、どす黒くも見えた。

 そして、その手は震えが治まらない。

 小刻みに揺れて、碌な力が籠もらなかった。

 

「時間が、無いんだ……」

 

 老人は今一度確認するように零す。

 傍らの女が、目尻に涙を浮かべて、黙って頷いた。

 

「でも……やってあげなくちゃ……ボクがやらなければ、いけないんだ……」

 

 皮が目立つ皺だらけの手を、力無く握る。

 まるで手の平に付いた血痕を隠すように。

 

 老人は面を上げた。

 傍らの女を一瞥して、頷きかける。

 

「もしもの時は……全部ボクの所為だと、分かるようにしておくから……サクラは何も悪くないと、そう伝えてくれ……良いね?」

 

 女は頷いた。

 

「……ええ。この記憶が何時まで持つかは分からないけど、()()()()()()

 

 老人はくすりと微笑んで、肩を竦める。

 

「それは……中々難しいねえ」

 

 

 各々の娘を想う二人のヒビキ。

 安寧を願うサクラ。

 洗脳下にあるコトネ。

 

 そんな状況下で、一〇年の月日が流れた。

 

 残された時間を懸念するヒビキ。

 見守ることを決意したサクラ。

 汚れ仕事を請け負うヒビキ。

 

 成長していくサクラ。

 

 

 そして――運命の日が訪れた。

 

 

 森の中。

 老人と女、そして青年が居た。

 

 老人は神聖なる霊鳥を従え、指示を出す――青年が吹っ飛ばされて、近場の木へ背を打ち付けた。

 悶える彼へ、女が駆け寄って行く。

 

「お父さん! 大丈夫!? しっかりして!」

 

 彼の身体を揺すり、薄ら涙を浮かべる女。

 

「お父さん? キミの父はボクだろう?」

 

 彼女はすぐにハッとして、背後を振り返った。

 犬歯をむき出しにして、口を開く。

 

「いい加減にしてよ! 私が構わないって言ったの! あれ以上あの子から家族を奪えないって、そう言ったの!!」

 

 老人の背後に佇む霊鳥に臆すことなく、女は叫ぶように言った。

 そしてやおら立ち上がると、気絶してしまった青年を庇うように、両手を広げる。

 尚も自らの父を睨みつけた。

 

「お父さん、変だよ! 私は()()()()が無事なら良いの。ルギアさえ目覚めなければ、それで良いの。この世界が失敗だなんて、思ってない!」

 

 女は憤怒を顕に、老人を怒鳴りつけた。

 しかし彼はびくともしない。ふんと鼻で笑って、そっぽを向いた。

 

「それが……この様だ。サクラが旅をする決意をしたらしいじゃないか」

 

 老人はそう言って、手に持っていた端末を放り捨てる。

 女はそれをちらりと見やって、喉を震わせた。

 

 それは、つい今しがたの話だ。

 突然、ヨシノシティ近郊に引っ越したシルバーの動向を気に掛けて、監視についていたコトネから上がってきた報告だった。

 タイミング悪く訪ねたサクラが、()()()ポケモンを持っていると、加えて彼女がトレーナーとして旅をする決意をしてしまったと……そう、告げられた。

 

 ここ数年、サクラの監視は女と青年がずっとやっていた。

 それが『あの日』以来、嘘を隠し続ける為の方法だった。

 

 今、その嘘がバレて……この状況。

 しかし女は、それでも自分が間違っているとは思えなかった。

 

「旅をしても良いよ! ルギアさえ目覚めなければ良いの。()()()()さえ無事なら、良いんだから!」

 

 だから――そう言い切った。

 

 すると老人は顔を伏せた。

 そして、その肩を小刻みに震わせて……ふと気がつけば、彼は歪んだ笑みを浮かべていた。

 

「ははは……()()()()()()()()かぁ……」

 

 彼はうわ言を漏らすように、そう呟く。

 

 その狂気染みた姿に、女は目を見開いて、固唾を呑んだ。

 思わず、じりと後ずさる。

 

 彼は唐突に顔を上げた。

 

「嘘をつけ! キミが大事なのは()()()()じゃない。産めなかった()()だろう!」

 

 言われて、ハッとする。

 その言葉を理解した時、胸の奥から熱い何かがこみ上げてきた。

 不意に目を見開いて、歯を剥き出しにする。

 

「そ……そのことは、言わないでよ!!」

 

 女は叫ぶ。

 不意に平たい腹へ手を当て、肩を震わせる。

 

「もうこの子は死んだんだからっ! 思い……出させないでよ……」

 

 そして、言葉尻を濁しながら、気を静めていく。

 

「忘れるつもりなのかい?」

 

 しかし、向かい合う男は、尚も掘り下げた。

 ハッとして顔を上げれば、今に『もうやめて』と言おうとした唇が、開いたまま動かなくなる。

 

――こ、これって……。

 

 気が付くなり、悟った。

 

 翼を広げた霊鳥から放たれる光。

 視界を塗りつぶされるような、感覚。

 

 これを正面から見るのは、初めてだった。

 対象にされるのは、初めてだった。

 

「忘れなくても良いさ」

 

 ふと気が付けば、世界が真白に染まる……。

 

 それは、洗脳。

 神に抗う事を許されず、屈服させられること。

 

 ハッとすれば、もう唇さえも動かない。

 

 

「やり直せるんだから……もう、我慢しなくて良いんだ」

 

 

 身体が動かない。

 声が出せない。

 

 考えが纏まらなくなっていく。

 

――我慢しなくて良いんだ。

 

 やだ……ちょっと、待って?

 ダメ、ダメだよ。

 

――我慢しなくて良い。

 

 待って、ダメだって!

 それは本当に、ダメ!

 

――我慢しなくて良い。

 

 待ってよ。

 

――我慢してるんだろう?

 

 してる……。

 してるけど、ダメ。

 

 違う!

 してない!

 我慢なんてしてない!!

 

――我慢してる。

 

 ああ、ダメだよ……。

 

 ダメ。

 

――子供を産みたかったと、後悔している。

 

 止めて。

 

 止めてよぉ!

 

――もう、我慢する必要はない。

 

 ヤダ……助けて。

 

 助けて……。

 

――さあ、思うがままに。

 

 助けて、サキ……。

 

 

 

 

 ああ、そうだ……。

 何で綺麗事なんかを並べていたんだろう、私は。

 

 違うじゃないか。

 私は絶対的に揺ぎ無い世界で、我が子が産まれる瞬間を見届けたい。

 その為に懸念される要素が一つでもあれば、断じて看過してはいけないのだ。

 

 考えられる限り全ての可能性を潰す。

 それでいて、私とサキが出会い、恋に落ちる……。

 

 そうならねばならず、そうしなくてはいけない。

 それが私の願いであり、成すべき事だ。

 

「サクラ! しっかりするんだ。サクラ!」

 

――その為には……。

 

 私を呼ぶこっちのお父さんの声。

 随分と心配そうに見てきて、私が目を開けば途端にハッとしたような表情を浮かべる……。

 

「キミ……ホウオウに、洗脳を……」

 

 その驚愕した顔を見返して、私は小首を傾げる。

 勝手に動いた唇が、勝手に言葉を吐き出した。

 

「無駄だよ? かなり厳重にかけたから、私が受け入れている限りは解けないよ? 洗脳(これ)

 

 すると彼は見目を開いて、唇を震わせた。

 

「……嘘だろ? サクラ……。あいつ、自分の娘に、何て事を……」

 

 ごちる彼に、私は肩を竦めて返す。

 そうだね。

 と、納得を示して見せた。

 

「もう、私はサクラじゃないだろうね……サクラなら、我慢してるから」

 

 ハッとする彼に、私は微笑み掛けた。

 

 

()()()。そう改めようかな」

 

 

 少しの間だけ……この名を借りるね、ククリ。

 名前を汚す事があっても、それはあなたへの愛あればこそ。

 汚れた分だけ、愛があると思ってくれたら、嬉しいな。

 

 何をしてでも、あなたを世界に誕生させて見せる。

 

 それが私に出来る……私のやりたい事。

 

 

 さしあたっては、この世界が合格か不合格か、判別しなくちゃね?

 先ずはルギアが目覚めるか否か……ちゃんと確認しないと。

 

 

――分かった……じゃあ、いつか解いてあげられる日まで、その泥はボクが被ろう。

 

 最後に、お父さんがそんな事を言った。


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