天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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過去語り――家族が為

 舞台は移る。

 

 薄暗い寝室の隅。

 壁に背を預ける黒髪の青年は、鎮痛の面持ちだった。

 

「…………」

 

 言葉は無い。

 ただその表情が、『そんな、まさか』と語るばかりだった。

 

 向かいに立つ金髪の女は目を瞑り、薄紅の唇を開く。

 

「私の才能を発現させない為には、出来る限りポケモンを遠ざける必要がある……出来ればウツギ博士とも遠ざけた方が良いけれど、博士はポケモンを飼育している訳ではない。博士なら……信用出来るでしょ?」

 

 まるで感情の一切を捨てたように、彼女は淡々と言った。

 青年は変わらず俯き加減で、言葉を聞いていた。

 

「同時にプラズマ団を壊滅させる必要もある……。彼等はゲーチスを失って尚、Nの面影を求めて、ポケモンと話せる才能を探している。発現させないのが前提だけど、もしもを考えた時、貴方をサクラから離すのであれば、彼女を守れる人間がいない。だから、先手を打って壊滅させておく」

 

 淡々と零される言葉。

 それはまるで闇夜にとけるようかのようだった。

 

 ホウオウに認められし青年に、ホウオウの神通力は()()()通用するものではない。

 よって二人は、彼に理解を求めた。

 

 無論、突拍子の無い話且つ、無理難題ではある。

 齢四歳の娘を捨てろと言うのだ。

 簡単に納得出来る筈が無い。

 案の定青年は渋った。

 妻という人質を取られている以上、選択の余地が無いのは明白だったが、それでも難色を示した。

 

 先ず、女も初老の男も、彼女等自身が状況を全て理解している訳ではないのだ。

 それこそ、元の世界であった悲劇でさえ、何が発端だったかも分かっていない。

 そんな漠然とした土台に積み上げられた話を鵜呑みにしろと言うのだ。どだい無理な話だろう。

 

 しかし、二度、三度と女が説明をする内、男は大きな溜め息で彼女を遮った。

 彼は首を横に振って、青年を睨みあげる。

 

「まだ分からないのかい? キミの選択次第では、『サクラ』の命も無いんだよ?」

 

 そしてそう言った。

 

 ハッとして顔を上げる青年。

 彼が女を見れば、彼女は顔を伏せた。

 

「……ルギアが目覚めたら……うん。この世界を()()()()()いけないのかもしれない」

 

 説明していた時とは打って変わって、女は声を震わせる。

 

 青年はそこで、漸く理解した。

 この二人には、()()()()()があるということを。

 

 時渡りを用いている以上、そうなるとこの世界の命運も定かではないだろう。

 

 逡巡の末、青年は溜め息を吐いた。

 そして、苦虫を潰したような表情で改まる。

 

「良いだろう。だけど、条件がある」

 

 青年はそう言った。

 

「条件?」

「何だい……言ってみろ」

 

 女と男が小首を傾げて、彼へ問い質す。

 すると今一度頷いて、彼は唇を開く。

 

「洗脳が解けても、コトネの記憶は戻らないようにしてくれ。……あと、ボクがキミ達に手を貸すのは、あくまでもコトネや()()()が人質に取られているからだ。それを忘れないでくれ。それだけ守ってくれるなら、()()()だってやってやるさ」

 

 睨むように双眸を細め、彼は男を見据える。

 尚も続けた。

 

「だけど……もしも諦めて、コトネを手放してみろ。時間をどうこうするより早く、お前をぶち殺してやる」

 

 その目には、確かな怒り。

 それは決して娘を名乗る女には向けられず、自分自身を名乗る老人だけに向けられていた。

 

 男はにやりと笑う。

 

「出来るものなら……ね?」

 

 

 そして――何かが、ズレ始めた。

 

 

 舞台が移る。

 

 深夜、その日は大雨が降っていた。

 バチバチと音を立て、大地を穿つ水滴は大粒。昼間から降り続いた雨は、既に大地を漏れなく濡らしていた。

 その水溜りを乱暴に踏み抜き、跳ねる水さえ気にした様子無く走る一人の男。

 

 白いスーツを身に纏っていたが、それは既に泥に塗れていた。

 

「なんて事だ……なんて事だ」

 

 その唇は小刻みに震えている。

 目を大きく開き、口で大きな呼吸を挟む。

 スーツが似合わぬ程の巨躯をも震わせつつ、彼は闇夜の森を駆けていた。

 

 腕には、三つのモンスターボールを抱えている。

 

「誰か……誰かっ……」

 

 男は決死の形相で走っていた。

 やがて見えた森の出口を見据え、け躓きながらも必死に足を繋いだ。

 

 背後には、この豪雨に似合わぬ橙色。

 天を焼こうとする猛々しい炎は、雨粒なんかでは絶対に鎮火しないだろう。

 何せ先程、辺りに瓦礫を飛び散らせる勢いで爆ぜたのだ。明らかに常軌を逸している。

 

 それは突然のことだった。

 男が所属していた研究所に、馬鹿でかいサイレンが鳴った。

 不埒な侵入者が四人。一様に黒装束で姿を隠しているとのことだった。

 

 その内二人が、『何か』を出した。それが何なのかを理解するより早く、防犯機器が破壊され、警護に当たっていた団員が消し炭に変えられた。伝わってきた情報では、それ以上を得ることは叶わず、すぐに避難を促された。

 しかし、今正に出口を出ようとした所で、『それ』がやって来た。

 

 黒い一閃。

 男が傍らに出していたチラチーノが悲鳴を上げた。

 ハッとするや否や、クチートが男を突き飛ばしてくる。

 両手に抱えた三つのボールを落とさぬよう、たたらを踏めば……背後でクチートが断末魔を上げていた。

 ドレディアが微笑む。

 まるで『卵をお願いします』と言うように――。

 

 男は頭を振って、脳に現れた記憶を振り払った。

 視界を滲ませる涙を肩で払い、やっと辿り着いた街を駆けた。

 

――何としても卵を守らなければ……誰でも良い。誰でも良いから、預けるんだ。

 自分は既に、目を付けられているかもしれない!

 

 そして走り続け……しかし、街は既に避難を済ませていた。

 どこを見渡しても人の気配が無く、声を上げても応えてくれる者はいなかった。

 

 走れど走れど、誰とも会うことはない。

 それはまるで、虚無を彷徨っているのかとさえ、思わせる。

 身体を打つ雨粒だけが、生を実感させるばかりで、後ろからいつ襲ってくるか分からない死の気配だけが、たまらなく怖かった。

 

「誰かっ……誰かぁっ……」

 

 男は走る。

 失った家族が遺した三つの宝だけは、決して失う訳にはいかないのだ。

 例え、自分がこのまま死ぬとしても。

 

 やがて、不意にどこかから何かが聞こえた。

 

「いたいよぉぉ……うあぁぁぁん!」

 

 続いた声は、幼子の泣き声だった。

 ハッとして男は足を止める。

 

「もう! またころんで! しっかりなさい。たちあがれ、さくら!」

「いたいよぉぉぉ」

 

 その声がした方を望めば、この辺りでは少しばかり名の知れた学校があった。

 中には寮があると、聞いた事がある。

 

 校門が開いていて、男がそこへ歩み寄れば……グラウンドの中央で、膝を折る少女と、腕を引く少女、二人の姿を認める。

 

 ドクンと胸が鳴った。

 思わず破顔して、男は足を急がせる。

 

「良かった、人がいた。人がいた……」

 

 そして彼は、神に感謝するが如く言葉を並べながら、少女達の傍らに向かった。

 彼女等は彼を見て、相貌を凍りつかせるようだった。

 無理も無い。こんな状況で、『プラズマ団』の制服なんて見たくないだろう。

 

 しかし、もうこの際誰であっても構わないと、男は腕に抱えたボールを差し出す。

 

「中には卵が……この子達に罪はないんだ」

 

 言われるがまま差し出される小さな震えた手に、三つのボールを確かに渡す。

 

「どうか、助けてあげて欲しい」

 

 男がそう零した瞬間だった。

 再度、研究所の方角から馬鹿でかい爆発音を聞いた。

 

 男はハッとする。

 自分がここに居ては、彼女等を巻き込むかもしれないと思った。

 

 すぐに転身し、駆け出す。

 

 成る丈離れなければ――。

 

 校庭を飛び出して、自分がやって来た方向へと進む。

 何を考える事も無く、闇雲に走った。

 

 そして、やがて男は視界の正面に『死』を見た。

 闇夜を駆ける紫色の体躯。黄色い柄が、弧を描くように残像を残す。

 

――ああ、終わった。

 

 そう思って、目を閉じたその時だった。

 

「ジャローダ! リーフストーム!!」

 

 翻る緑色の影。

 それは男の前へ身を呈して、迫り来るレパルダスへと葉の嵐をぶちまけた。

 

 そして思わず目を見開く男の傍らへ、駆けて来た一つの影。

 茶色い髪を二つのお団子にして、更に纏めきれない髪をツインテールにした少女だった。

 

「大丈夫!? 生きてる?」

 

 その少女、この地の英雄。

 男は言わずと知れた彼女の姿に、見目を開いて、それで足りなくて活目して見せた。

 

 きょとんとしてみれば、彼女はくすりと笑う。

 

「良かった……生きてるね」

 

 そしてやおら振り返る。

 今しがたジャローダが弾き返したレパルダスと、彼女を傍らに従えた黒装束の人影を指差した。

 

「プラズマ団とはいえ、人の命を何だと思ってるの!!」

 

 怒りを顕にする英雄に、黒装束の人影は身を竦ませたようだった。

 

「メイ……ちゃん……」

 

 か細く零すと、即座に踵を返した。

 

「貴女と争うつもりはないわ」

 

 

 そして――サクラはポケモンを手にする。


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