天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

214 / 231
過去語り――サクラが為

 それは一五年前のこと。

 この世界にサクラの存在が出来上がったばかり。

 胎内に宿す母さえもが、まだ認知していなかった頃だった。

 

 

 嵐吹く渦巻き島。

 気高い海の神が我を忘れて、自らがもたらした文明を破壊せんと、咆哮を上げた。

 

 対するは、この地の英雄。

 互いを半身として愛し合う、男女。

 

 しかしその身は傷付き、従順なる僕達も、既に意識を失くしていた。

 妻を庇って、落石を受ける夫。

 その崩れ落ちる姿を認め、妻は絶叫した。

 

 もう、全てを諦めようかとしたその時――。

 

 彼女を物陰から見守る影があった。

 崩落した入り口の隙間から視線を寄せて、中を覗いているのは、二人の男女。

 

「不味いね……あれじゃ、勝てない」

 

 老いた男がそうごちる。

 傍らに立つ女は、心配そうに彼へ視線を寄せた。

 

「これって……やっぱり」

 

 彼女の問い掛けに、彼は一つ頷く。

 悲しげな双眸で見返して、首を横に振った。

 

「……うん。()()はこんな事件、覚えは無い。きっとあのルギアも、()()()来ている」

「そんな……」

 

 女は苦虫を潰したような表情を浮かべる。

 すぐにハッとして、辺りに響く地鳴りに辛うじてかき消されない程の声を上げた。

 

「どうにかしないと……お母さんとお父さんが死んじゃう。どうにか、助けないと」

 

 しかし、それを相談した男は、悲しげに首を振る。

 

「無理だ。コトネもボクも、あのポケモンを捕獲する為のボールを持っていない。倒す為のポケモンさえ、尽きている……。助けるにしても、ホウオウをあそこに出すと大変なことになる。対してキミのレオンは未だ目が癒えていない。シャノンひとりで何とかなる相手じゃない……それは、ワカバで痛感したろ?」

「だけど! それじゃ……このまま見殺しにするの!?」

 

 女はせがむように問い掛ける。

 しかし、男は尚も首を横に振った。

 その表情は見るも明らかに葛藤しているようだ。

 

「なら、どうするって言うんだ……。仮にホウオウを出して、()()セレビィが現れたら……どうなるか分かっているだろう!?」

「でもっ……でもっ!」

 

 女は身を震わせて、衝動を堪えるように身体を抱いた。

 その目は揺れ、唇は震え、何か策は無いかと模索する様子を顕にする。

 

 答えが分からない。

 こんな史実は彼女の世界に無かった。

 テレビでこれを見た際、もしやと思って駆けつけたが……これではまるで無意味ではないか。

 

 このまま……このまま世界が終わる様を見届けなければいけないのだろうか?

 何か、何か打つ手はないのか。

 自分がここへ来た意味は、何か無いのか……。

 

 と、そこで女はハッとした。

 

 唐突にバッグパックを降ろして、その中を弄る。

 そして、何をしていると咎める男の前に、バッと手を振り上げた。

 

 その手には、Mの烙印が捺された紫色のボール。

 全てのポケモンを捕獲出来るとされる、最高品質の貴重なボール。

 

「私の……私のボールがある!」

 

 その言葉に、男は目を見開いた。

 続いて動き出した女を止めようと手を差し出し、しかし老体故の愚鈍さで、その手は空を掴む。

 

「待ちなさい! サクラ!!」

 

 その声の先で、彼女は僅かな穴から、ボールを投擲する。

 

 それは決してルギア本体に当たることはなかったが……代わりに、今に立ち上がろうとしていた英雄の半身へと、辿り着いた。

 

 

 そして――ルギアはコトネの手によって、捕獲された。

 

 

 舞台は移る。

 どこかは知れぬ、宿舎の一室だった。

 

 そこでベッドに腰を降ろし、膝に肘を突いて手を組む男。

 その向かいの椅子に腰を降ろし、テーブルへ突っ伏す女の姿。

 

「……幸い、コトネはボールを奇跡だと思って、ルギアはウツギ博士が封印してくれたようだ」

 

 男がそう零す。

 その傍らには、半透明な鈴があった。

 それが空中に投影している映像には、丸眼鏡を掛けた老人が、紫色のボールを前に、息を吐いている姿が映し出されている。

 

「うん……」

 

 女は顔だけをその映像に向け、小さく応えた。

 しかし、『幸い』の言葉とは裏腹に、男の表情は暗い。

 

「ルギアはホウオウと同格だ。如何なマスターボールとはいえ、海鳴りの鈴が呼べば、殻を破ることなど容易いだろう」

「……うん」

 

 そして、補足された言葉に返す女もまた、表情を暗く歪ませていた。

 

「ごめんなさい。……私が勝手したばっかりに」

 

 女は目を瞑り、震えた声でそう零した。

 対する男もまた、目を瞑る。

 言葉は「いや……」と繋がれた。

 

「ああするしかなかったのも事実だ。サクラの行動は尊いよ」

 

 男はふうと息を吐くと、天井を仰ぐ。

 すうと息を吸って、ふうと吐く。

 やがて彼は小さく拍手を打った。

 

「過ぎたことを考えても仕方が無い……それより、これからボク等がどうすべきかを、考えようじゃないか」

 

 男はそう言って、薄く微笑んだ。

 認めた女は、机に方頬を預けたまま、頷いてみせる。

 

「何か提案はあるかい?」

 

 男が問う。

 女はやおら身体を起こすと、天井を仰ぎながら、片手で目を覆った。

 静かな深呼吸を挟んで、彼女は手を下ろす。彼へ向けて改まった。

 

「……私が、ポケモンを持っちゃいけないんだと思う」

 

 そして、消えそうな声でそう言った。

 男は怪訝な表情を浮かべ、小首を傾げる。

 

「思い当たることがあるのかい?」

 

 すると女は首を横に振る。

 確証は無いと、そう付け加えて、再度唇を開いた。

 

「海鳴りの鈴は、こっちのお父さんにもお母さんにも反応してない……これは私達の世界でもそうだったよね?」

「ああ、そうだね」

 

 男は頷く。

 二度三度と頷き返して、女は続けた。

 

「私にも反応は無かった……だけど、それは変わると思う」

「……捕獲したボールが、キミのだからね」

「うん」

 

 女はゆっくりと立ち上がった。

 そして、投影された映像を眺める。

 

 そこには、口に手を当てて、気持ちが悪いと主張して崩れ落ちる英雄の半身。

 傍らの男性が大慌てな様子で、丸眼鏡を掛けた老人が『まさか』という表情を浮かべていた。

 

 女はその光景を認めて、目を瞑る。

 再び息を吐いて、首を横に振った。

 

「……私がポケモンと触れ合えば、間も無くその声を聞くと思う。そしたら、漏れなくルギアの声だって聞く……でも、神に認められるような気質を持ってないのに、接触させる訳にはいかない……よね」

 

 独り言のようにごちる女に、男は辛そうな表情で頷いた。

 そして彼もやおら投影された映像を見て、苦虫を潰したような表情を浮かべた。

 

「さしあたっては……ボクとコトネが傍に居ると、この世界のキミの才能が目覚めるのを早めるだろうね。出来ればずっと、キミの才能は目覚めない方が良さそうだ」

「うん……()()()()()のこともあるし、ね」

 

 女は憂いを帯びた声でそう零した。

 その顔を見て、男は目を細める。

 

「良いのかい? キミとメイちゃんの接点は、あそこから始まったんじゃなかったか?」

 

 すると女は浅く頷く。

 

「知らなければ……無いのと一緒だよ。少なくとも私の親友は、この世界のメイちゃんじゃない。……そう、思うことにする」

「……そうかい」

 

 消えそうな声で、男は零した。

 

「なら、ボク等の目的は、二つだね」

 

 改まって、男は告げる。

 女は小首を傾げた。

 

「二つ?」

 

 問い質されて、彼は頷く。

 

「ああ、そうだ。一つはこの世界のボクとコトネを浚うこと。……もう一つは、プラズマ団の壊滅だ」

 

 悲しげな笑顔と共に、提案。

 女は僅かに目を開き、やがて頷いた。

 

「うん……そうだね。せめて、泥を被るぐらいは……しても良いかもしれない」

 

 

 そして、舞台は再び移る。

 

 それは、ある春の日だった。

 荘厳な金色の塔の頂点で、金色の髪を風に靡かせ、女は俯く。

 隣に立つ男は、コートを着込み、ハットを被り、懐かしそうに空を仰ぐ。

 その傍らで、頭を垂れる霊鳥。金色の鶏冠を撫で、男は小さく唇を開いた。

 

「……来たね」

 

 二人と一匹の背後へ、降り立つ一つの影。

 悠然と羽ばたいて、そこへ現れたもう一匹の霊鳥。

 七色の羽根を散らして、気高く鳴いた。

 背から降り立つは、一組の男女。

 

「コラー! 来てやったわよ。目的を話しなさい!」

 

 茶髪をおさげにした女が、甲高い声を上げた。

 その横に立つ黒髪の青年が、彼女を宥めつつも、二人を睨むかのような目付きで見据えた。

 

「そのホウオウ……()()ではないみたいだね。一体、どこから……」

 

 いや、違う。

 彼が認めたのは、初老の男の傍らで振り向く霊鳥だった。

 

 ハットを片手で押さえ、男がふうと息を吐く。

 隣で女が振り向く姿に合わせ、やおら振り返った。

 

「……は?」

「えっ……ボク?」

 

 すると、今しがたここへ来たばかりの二人が目を丸くする。

 それもその筈……男の相貌は、黒髪の青年と酷似していた。違うのは年齢。見るも明らかに、青年の倍以上の年を取っている。深い皺と、白く染まった髪が、それを如実に表していた。

 

「……ごめんね。コトネ。キミには少し……静かにして貰おう」

 

 そして、老人側の霊鳥が気高く鳴いた。

 ハッとした表情を浮かべ、茶髪の女性が驚愕の表情を浮かべる。

 傍らで青年が声を上げて、彼女へ手を差し伸べるが……物陰から飛び込んできた別の影が、女性を浚う。

 

「コトネ!」

「動かないで」

 

 女の声が青年を制す。

 

 駆け抜けた影は、金髪の女性の傍らへ。

 背に茶髪の女を背負うそのポケモンは、紫色の毛並みに黄色の模様を持っている。その顔には斜め掛けにされた皮の眼帯。しかし、手負いとは思えぬ程、悠然と改まった。

 

 隻眼のレパルダスを従え、金髪の女は今一度唇を開く。

 

「手荒な真似はしたくないの。でも、()()()()は聞く耳もたないだろうから、一先ず預かっただけ」

「おかあ……さん?」

 

 青年は問い質す。

 しかし女は答えることはなく、隣の男を窺った。

 彼はこくりと頷き、青年へと向き直る。

 

「ボクの名はヒビキ……お察しの通りだ。この子はサクラだ」

 

 男は隣の女の背を叩き、そう言った。

 まさか……。見目を開き、青年は言葉を失くす。

 

「端的に言おう……ヒビキ、キミは娘を捨てろ。さもなくば……」

 

 男はそう言って、手を振る。

 彼の傍らの霊長が一声鳴いて、レパルダスの背に背負われて、意識を失くしている女へ向き直った。

 

「言わずと、分かるね?」

「……卑怯な真似をするね。ボクはそんな性悪になった覚え、無いんだけど」

 

 青年は苦虫を潰したような表情でそう零す。

 金髪の女が、一歩前に歩み出た。

 

「ごめんなさい……許してとは言わない。これは、他でもないこの世界のサクラの為なの」

 

 

 そして――サクラの両親は奪われた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。