天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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第一一話
聖なる灰


 広大無辺な虚無の空間。

 この世に存在する全ての概念が消えたような、真白な景色。

 

 空さえ無く。

 大地さえ無く。

 

 しかし地面の感触はある。

 まるで粗い砂の上に佇んでいるような感覚だった。しかし、幾ら目で確かめても、そこに認められる物質は無い。感触だけで言えばアサギの砂浜と良く似ていたが、そこにあるものが砂なのかさえ、定かでは無かった。

 

 そんな空間がどこへ行き着くでもなく、ただ漠然と広がっていた。

 いつの間にか横たえていた身体をゆっくりと起こし、サクラは目を瞬かせる。

 

「……ここ、どこ?」

 

 小さくごちる。

 と、同時に喉に僅かな引っ掛かりを感じた。

 瞼も熱く、重たい。目頭が痒かった。

 

 そんな違和感を覚えれば、促されるようにして思い起こす。

 

――愛しているよ。サクラ。

 

 ハッとすれば、まるでぎゅうぎゅうに詰められていた箱の蓋を開けてしまったように、止め処なく記憶が溢れ返って来る。

 

 確かな死の予感を覚え、絶望した自分。

 そんな自分を見て、我を取り戻した父の相棒。

 主の不義に激昂し、灼熱を放ちながら唸った彼。

 

 しかしその全ては、父が自分の為に仕組んだのだと悟ったこと。

 

「おとう……さん」

 

 見えぬ大地にへたり込み、薄汚れたワンピースの裾を広げる。

 下顎が微かに震え、今に泣き出したい気持ちに囚われたが……勇ましく立ち上がれという父の言葉が、サクラの背を叩いた。

 そうだ……毅然としなくては。

 父の言葉が本当なら、家族の命を繋ぐ術を与えられた筈……自分の不幸を嘆き、その所為で彼等を救える機会を失ってしまったら、もう後悔してもしきれない。

 

 ゆっくりと立ち上がる。

 胸に刺すような痛みを覚えたが、気にすることはない。自然と流れ出てきた涙を拭って、辺りを見渡した。

 

 すると、すぐに見つけられる。

 レオン、ルーシー、ロロ、リンディー。

 その誰もが凄惨な傷を負い、横たわっていた。

 

「……っ」

 

 思わず叫びたい衝動に駆られる。

 しかし、腹の底に力を籠めて、ぐっと堪えた。

 

 喉を震わせながら、またも溢れる涙を拭って、再度辺りを見渡す。

 ルギアや、ホウオウの姿は見えなかった。すぐに出せるようにしていた海鳴りの鈴も無い……いや、彼のことだ。きっと『来るべき時』を待っているのだろう。

 サクラの思い違いでなければ……父がこの瞬間に自分へ教え聞かせた意義は、()()()()()なのだと思う。

 

 二度、三度と見渡して、やがて紺色と肌色の体毛を持ったポケモンを見付ける。

 父のバクフーンは、既に身を起こしているところだった。

 その目は、不意の様子でこちらを認めてくる。

 

『……サクラ』

 

 目が合って、サクラは震える身体をゆっくりと動かした。

 一歩、二歩、と進み、彼の傍らへと向かう。

 目の前に至れば、さしたる挨拶も無く、顔をレオン達の方へ向けた。

 

 すると……察したらしい。

 バクフーンは一つ頷いて、自らの胸に手を当てた。

 自らの胸を強く打つと、口から袋を吐き出した。

 

『……少々汚いが許してくれ。それは人智を超えた秘宝だ……隠すにはこれぐらいしないと、な』

 

 淡々と言い訳を並べるバクフーン。

 とはいえ身体を燃やす彼なので、身体の外に持つ訳にもいかなかったのだろう。サクラは納得して小さく頷いた。

 

 吐き出した袋を自ら掴み上げ、それを差し出してくる。

 受け取ったサクラがその口を開けば、そこには灰色の粉が入っていた。

 

『聖なる灰。ホウオウがヒビキに与えた……とても貴重な物だ。だが、オレがやっておいて難だが……今がそれの使いどころだろう。惜しまず使ってやってくれ』

「……うん」

 

 それ以上は態々聞かなくても分かる。

 ホウオウが父に与えたというところを考えれば、これは父の宝物なのだろう。

 もしかすると、ホウオウに認められた証とさえ、言えるものなのかもしれない。

 

 それを惜しまずに使わせるとは……。

 やはり、父はサクラを想って、こうしてくれたのだろう。

 

 レオン達の傍へ向かい、灰を撒く。

 アキラのウィルの為に幾らか取っておくことも考えたが、バクフーン曰くこれはホウオウの所有者が認めた者にしか作用しないらしい。この場合、おそらくサクラの手持ちだけだろう。

 少しばかり罪悪感はあったが、背に腹はかえられなかった。

 

 その粒子が僅かに煌く。

 それを見ながら、サクラは父が語ったことを思い起こした。

 

 何を意味しているかは、バカな自分でも分かる。

 サクラは我のルギアに認められていない。

 父はそれを確かめ、尚且つ改善する為に、あのような真似をしたのだろう。

 

 曰く、気高くあれ。

 

 意義を迷うな。

 犠牲を恐れるな。

 それを成すまで挫けるな。

 

 無論、これは極論だろう。

 

 戦う意義を受動的にせず、自ら見つけろと言うこと。

 犠牲を恐れる必要が無い程、強くなれと言うこと。

 そして、泣いて諦めた自分を、改めろと言うこと。

 

 おそらく、そういうことだ。

 

 確かにサクラはこの戦いにおいて……いや、旅そのものにしても、誰かから与えられた指針を目指している。

 切っ掛けでさえ、ウツギ博士の死だと思っているのだから……。

 

 先ず、それがいけなかったのだろう。

 

 サクラ自身の強さだってそうだ。

 ルーシー達は敵わずとも、レオンは最後まで諦めなかった。

 なのに自分は嘆くばかりで、続く指示を出せなかった。

 そう、自分が諦めてしまったのだ。

 

 あの場、仮にあのまま過ぎていったとすれば……レオンはサクラの所為で死なせたも同然だ。

 

 もう、諦めてはいけない。

 挫けてはいけない。

 

 犠牲が出てから後悔するのなら、ワカバで慟哭を上げたあの頃から、何ら成長していない。

 この旅で培ってきた経験を、何一つ活かせていないことになる。

 

「ごめんね。みんな……私、頑張るから……もっと頑張るから」

 

 聖なる灰がかかれば、一同の傷が嘘みたいに消えていく。

 レオンはすぐに目を開き、ルーシーはやおら起き上がった。リンディーはハッとした様子で身構えて、状況の変化に戸惑いを見せる。しかし最も驚きなのはロロの変化。折れた尾までもが、綺麗に生えていた。しかし、それさえも些事。

 サクラは涙を流しながら、不甲斐ない自分を詫びた。

 

「私、もっと強くなる。トレーナーとしてじゃない……人間として、強くなる」

 

 膝を折り、顔を手で覆って、言葉を並べるサクラ。

 主人の様子に、やがて彼女の家族達は、現状の理解より、彼女の慰めを優先したらしい。

 その傍らに寄り添ってきて、各々に呆れたような笑顔を浮かべる。

 

『先ずはその泣き虫を直せよ。バカサク』

 

 レオンは溜め息混じりにそう言った。

 呆れ顔で、しかしサクラの無事に安堵するように、肩を叩いてくる。

 

『サーちゃんはそのままで良いのよ。生きててくれれば、私は良いの』

 

 悲しげな表情で、ルーシー。

 涙を零しながら、サクラの頬を伝う雫を、葉で掬う。

 

『私もルー様と同じ。サクラちゃんがいなければ、私死んじゃってたもん』

 

 一同を囲うようにして、相貌をサクラの前にもたげてくるロロ。

 二本の触腕で、優しく背中を撫でてくる。

 

『ボク等はサクラさんの味方です。サクラさんがどうあっても、付いていきます』

 

 凛とした表情のまま、淡々と零すリンディー。

 脇下から擦り寄って、愛しそうに目を細めた。

 

「うんっ……ありがとう。みんな……。でも、もう、立ち止まらない」

 

 優しい家族に恵まれた。

 それを改めて実感しながら、サクラは止め処なく溢れる涙を拭い続けた。

 

 と、すれば――。

 

「なら、さっさと立ち上がりなさいな」

 

 不意に掛かってくる清涼感のある高めの声。

 ハッとして面を上げれば、凛とした印象のある少女が、視界の正面に立っていた。

 

 傷だらけの腕に抱くクチートは……最早大丈夫かと問い掛けることさえ、愚かしい。

 口から白い液体を吐きつつ、半目を開いていた。

 その双眸は虚ろ。活力の欠片さえ認められない。

 しかし、主人がサクラを認めてきていれば、彼女の瞳もこちらをしかと見ていた。

 口角だけが、やけに挑戦的に歪んでいる。

 

『ほんと……レオも、ルーも、しっかり……しなよ』

 

 そしてそう零す。

 同時にアキラが溜め息を吐いて、「ほんとですの」と、ごちた。

 

『ウィル……お前、大丈夫なのか?』

『はは。お前に心配される程、柔じゃないよ』

『でも、貴女……』

 

 傍らからレオンとルーシーが駆け出していく。

 アキラの足許に着くと、彼女が頷くのを窺ってから、レオンはその肩に。

 ルーシーは腰を降ろした彼女の傍らで、苦しげに呻くウィルの相貌を覗き込んだ。

 

 レオンは堪らずといった様子で、アキラに向けて改まった。

 

『アキラ……ウィル、死んだりしないよな?』

「大丈夫。まだ……暫くはもちます」

 

 そして、さも当然のように交わされる言葉。

 と、そこでサクラがハッとした。

 ゆっくりと立ち上がって、唇を開く。

 

「アキラ……言葉、聞こえるの?」

 

 ウィルのことは気がかりだったが、先ず気になったのはそれ。

 こちらへ改まってくるアキラは、こくりと一回頷いた。

 

「ええ。まあ、この可笑しな状況……そんなことは些事でしょう」

「……だな。俺もそう思う」

 

 不意に後ろから掛かってくる声。

 ハッとしてサクラが振り向けば、そこには傍らに見慣れない猫型のポケモンを従えた赤髪の少年。

 いつの間にか髪は解かれていて、いつものポニーテールではなかった。

 

「無事で何よりだ」

 

 そしてふうと息を吐くサキ。

 表情は険しかったが、若干の安堵が見てとれた。

 

『サキ、ちょっとごめんなさい……』

 

 傍らに立つマニューラが、成熟した女性のような声を上げる。

 おうと応えた彼に目も向けず、軽やかに跳ねて、ルーシーの傍らへ。

 

『ウィル……貴女……』

『ああ、シャノンか……別嬪になっちゃって。もう、戦えそうにないわ。あと、頼むよ?』

『ええ。任せて』

 

 いつの間にか懇意にしていたらしい二匹が、弱々しく拳を交わす。

 

 するとゆっくりと目を閉じて、ふうと息を吐くウィル。

 どうやら喋ることさえ辛いらしい。

 アキラが優しく抱きなおせば、小さな寝息を立て始めた。

 

「……さて、細かい事情は後回しとして」

「ここは……どこでしょう?」

 

 改まったサキに、アキラが辺りを見回しながら小さく零す。

 それは明確な答えを求めた問いかけではなかっただろうが、少年は一つ頷いて、一同を認め直した。

 

「さっき、夜にしか進化しねえシャノンが進化した……つまり」

 

 彼は視線を明後日の方向へ。

 

「時を狂わせるようなポケモンが近くにいて……ウバメの森ん時みたいになった……とか」

 

 その方向には、一つの影。

 

 

「正解。流石だね」

 

 

 そして、そこには栗色の髪をした女性。

 青い双眸を揺らし、柔らかい笑顔を湛えていた。

 

 認めて、思わずサクラは目を丸くする。

 

「……へ? ()()()?」

 

 そしてそう問い掛けた。


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