天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

210 / 231
幸あらんことを。

 

――良かった……流石相棒、気付いてくれた。

 

 男は怒りを顕にするバクフーンを見て、小さく安堵の息を吐いた。

 と同時に、片手を差し出して、「待て」と小さく零す。

 

 その言葉には焦りの一つも無い。

 こちらへ歩んできている彼の足を、ぴたりと止めさせた。

 

「バクフーン……お前に持たせたものを、後でサクラに渡せ。良いな?」

 

 そして、低く真面目な声でそう告げる。

 轟と雄叫ぶ彼は、目を血走らせていた。

 足を止めた割には、まるで聞いているようには見えないが……まあいい。

 

 男は頭を振って、後ろで無為な争いをしていたホウオウを呼びつける。

 

 ルギアが咆哮を上げ、その行く手を阻もうとするが……()()()にホウオウを止められる筈も無い。

 ホウオウが緋色の光線を撃つと、ルギアは体躯を羽で庇い、大きく仰け反った。

 その隙に、傍らへやって来る。

 

 横に降り立つなり、ホウオウは気高い咆哮を上げる。

 すると男の目前にまで迫っていたバクフーンが大きく仰け反り、その身を襲っただろう衝撃を耐え切れずに吹っ飛んだ。

 

「サクラ! 無事か!?」

「ど、どうなってますの? これ」

 

 サクラの友が、彼女を案じて駆け寄って行く。

 泣きじゃくる娘は、もう既に戦闘を放棄しているが……どうやらその友は中々に優秀らしい。

 

 バクフーンが寝返ったことを悟ったらしい少年が、マニューラを。

 未だ怪訝な表情を浮かべる幼い少女が、メガクチートを。

 

 そして、主の不義を許すまじと、再び立ち上がるバクフーン。

 

 三匹が肩を並べてこちらを見据えてきた。

 

 しかし、些かダメージが大きい子もいるようだ……。

 ヒビキは目を細め、肩で息をするメガクチートをちらりと見据えた。

 あれは……最早気力しか残っていないだろう。おそらくメガ進化の弊害だろう……サクラの手持ちではないだろうし、バクフーンに持たせたものでも、どうしようもない。

 

――あの子達で、()()()か?

 

 一瞬ばかりそう悩むが……仕方無い。

 ここまで上手く事が運べた時点で、奇跡に近い。これ以上を求めるのは、些か贅沢だとも言えるだろう。

 

 メガクチートを除いた面々もかなり鍛えられてはいる。

 あの二人はエンテイ、ライコウを圧倒していたのだ。

 消耗してこそいるだろうが……サクラのサポートぐらいはやってくれる筈。

 賭けるしかないだろう。

 

――リィーン。

 

 鈴が鳴る。

 

 それを聞くのは、おそらくヒビキとサクラだけ。

 しかし今のサクラは泣きじゃくるばかりで、きっと理解に及ばない。

 

 ヒビキはそう納得すると、改めて面を上げた。

 

「……いいかい? サクラ」

 

 俯いて、嗚咽を漏らす少女に、声を掛ける。

 バクフーンの怒気を孕む咆哮が阻んできたが、きつい視線を向ければ、彼は見目を開くようにして制止した。

 必要な話をしようとしていると、黙して伝えれば……漸くにしてバクフーンの怒りが少しばかり静まったように見えた。

 

「サクラ、聞きなさい」

 

 今一度声を掛ける。

 すると、嗚咽を漏らしていた少女が、僅かに肩を跳ねさせた。

 泣き声が少しだけ静かになる。

 

「キミの家族は助かる。バクフーンに持たせたものを、ちゃんと使いなさい。いいね?」

 

 酷く混乱している彼女だ。教えてもすぐには理解出来ないだろう。

 しかし伝えるべきことは伝えた。

 

 あとは本題だけだ。

 

 ふうと息を吐いて、ヒビキは目を閉じた。

 

――リィーン。

 

 鈴が鳴る。

 時が迫っていると、そう告げる。

 

「……もうすぐここは崩れる。だけど、安心していい。キミが()()()()()()帰る場所は、タンバの浜辺だ」

 

 少女の面がこちらを向く。

 泣き顔は……妻の遺伝だろうか。

 少しばかり幼さが際立って、不細工だった。

 しかし綺麗な顔立ちを歪ませる程に泣ける……それは尊いことだろう。

 

 ヒビキは真っ向から少女の双眸を見詰め、唇を開く。

 

「いいかい? ボクが今、キミに知らしめたその感情……それを忘れるな」

 

 右手をホウオウの頭に乗せ、気高い鶏冠を撫でる。

 愛しそうな声を上げて、ホウオウはヒビキの傍らに擦り寄ってきた。

 

 天の神を一瞥し、頷く。

 今一度娘に向けて……いや、新たな稀有なトレーナーに向けて、唇を開いた。

 

 

 大切なものを失うことは、とても辛い。

 とても恐ろしいものだろう。

 

 サクラは今、それを知った。

 痛感した筈だ。

 

 怖かったろう?

 辛かったろう?

 

 何せ相手は決して敵う相手じゃない。

 自分を思い出してくれた時は、心底ホッとしたろう。

 

 今は……キミの意志は挫け、折れている。

 もう立つことさえ、ままならないだろう。

 

 だけどそのままでは、キミはいつまでも享受する側だ。

 与えられる恩恵を、ただ漠然と受け取る側だ。

 

 そのままではいけない。

 恐れを持って、辛さを堪え、それでも尚、勇ましく立ち上がれ。

 

 神の奇跡は与えられるものじゃない。

 掴み取るものだ。

 

 今のキミは……それを違えている。

 

 だから、神の守り人には、相応しくない。

 

 だけど……子供は成長するものだ。

 

 強く、逞しく、成長しなさい。

 まだ、諦めるには、若すぎるじゃないか。

 

 

 そう言い終えた頃、見計らったように時が来た。

 響く地鳴り。揺れる大地。

 海の神を守りし祭壇が、崩壊を始めた。

 

 二匹の化身。

 二柱の神。

 

 数は足りないが……ホウオウの未来予知に誤りが無ければ、必ず来る。

 

 そして、それが最後の時だ。

 サクラが選択を誤れば、良くて()()()()の再来。

 悪ければ、()()の世界と同じ運命を辿るだろう。

 

 目一杯先延ばしにしてきたが、ここが限界。

 あとは自慢の娘……と呼ぶには、放置し過ぎているが、彼女を信じるしかない。

 

「ちょっと、これ……不味いのでは?」

「ヒビキさん。今のどういう意味だよ。なあ!」

 

 悲鳴を上げる幼い少女。

 困惑を顕にする少年。

 

――そういえば、あれはサキとアキラちゃんだ。

 

 まるでコトネの交友関係を継いだような娘に、思わず苦笑した。

 ならば大丈夫だろうと、そう思える。

 

 コトネは稀有なトレーナーだ。

 その血が濃いなら、些か心配な点はあれど、稀有な心は持ちうるだろう。

 

 崩落を始める神殿の中。

 ホウオウとルギアの間で、木漏れ日のような光が瞬く。

 

 それを驚愕の視線で認めるルギア。

 慈悲深い表情で見守るホウオウ。

 

 今一度天の神の鶏冠を撫で、宜しく頼むと念を押す。

 ちらりと向けられる視線は、やはり慈悲深く。……しかしすぐに、呆れたような目で、視線を促された。

 

 不意にその先を追って……揺れる大地の上、ふらつきながらもこちらへ駆けてくる少女の姿を認めた。

 その表情は歪んでいて、涙や鼻水にまみれて、凄く汚い。

 けれど、この世で最も愛しい姿だった。

 

「サクラ!」

「危ないですの!」

 

 引き止める二人の声も聞こえていない。

 少女は両手を振って、必死の形相で走ってくる。

 

 流石にバレたらしい。

 

 ヒビキはそう悟った。

 

 薄く微笑んで、目の前に至った少女の身体を抱く。

 力無く飛び込んできた彼女は、見た目より軽く、しかし思った以上に背丈が高い。

 

 腰に腕を回し、その顔に頬を寄せる。

 ドクンドクンと高鳴る心音が、彼女から伝わってくる。

 おそらく、ヒビキの心音も、伝わっているだろう。

 

 緊張しているのが、バレてしまう。

 

 だが、せめてもの一時だ。

 ヒビキは目を瞑って、唇を開いた。

 

「ご飯、ちゃんと食べてるかい?」

 

 小さな声で問い掛けた。

 

「うん」

 

 娘は頷いた。

 

「お母さんと、仲直り出来たよね?」

 

 少し大きな声で問い掛けた。

 

「うんっ……」

 

 娘はやはり頷いた。

 

「沢山辛い思いをさせて、本当にごめんよ」

 

 抑えきれない感情を籠めて、そう零す。

 

「うんっ……うんっ……」

 

 娘はやはり……頷いた。

 

 ふと視線を上げれば、そこにはバクフーンがこちらを見ている姿。

 怒りを顕にしていた姿はどこへやら。

 まさか……と零しそうな顔をしていた。

 

――サクラを、頼むぞ。

 

 言葉に出さずとも、彼は確かに頷いて応えた。

 その姿を認めれば、もう思い残すことは無い。

 腰に回す腕に力を籠め、もう二度と抱くことはないだろう娘の感触を、しかと記憶する。

 

 名に相応しい春風のような香り。

 泣きじゃくっていた所為で熱く滾った体温。

 骨張っていてあまり肉付きを感じない体格。

 

 こんなに酷いことをした自分を……。

 地を這う虫の如く、蔑まれていて不思議ではない自分を……。

 

 許してくれるような、優しい心。

 

 良かった……。

 サクラはちゃんと育ってくれた。

 

 

 ヒビキは静かな声で言った。

 

 

 愛しているよ。サクラ……。

 ずっと愛している。

 

 どうか真実を知っても、真っ直ぐ生きて……幸せになって。

 

 どうか、どうか……幸せに。

 

 

――リィーン。

 

 残酷な鈴の音が響く。

 閉じた瞼の向こう側で、光が爆ぜた。

 

 腕を、解く。

 手を、離す。

 

 真白に染まる視界。

 その果てに消えていく娘の姿を、ヒビキは微笑みながら見送った。

 

「お父さん……おとぅさぁぁあああん!」

 

 

 酷な運命を背負った少女に、一縷の希望を。

 もう一度立ち上がる気力を、与えたまえ。

 

 

 どうか、幸あらんことを。

 

 

 そして、ボクが守りきれなかった全ての命の分、彼女が大切なものを守っていけますように……。




この次の章は出来てるけど、ミニコーナー出来てません(おい
んで、ちょいと大規模な修正をやっているので、少しばかり更新止まります。

一応、ミニコーナーと次話で補足しますが、ヒビキ悪落ちフラグずっと建ててましたが、ブラフでしたよってことです。……まあ、悪人か善人かで言えば、やってることは悪人なんですけどね。エンジュとかエンジュとかエンジュとか。
まあ、詳しくは次話をお待ち下さい。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。