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――良かった……流石相棒、気付いてくれた。
男は怒りを顕にするバクフーンを見て、小さく安堵の息を吐いた。
と同時に、片手を差し出して、「待て」と小さく零す。
その言葉には焦りの一つも無い。
こちらへ歩んできている彼の足を、ぴたりと止めさせた。
「バクフーン……お前に持たせたものを、後でサクラに渡せ。良いな?」
そして、低く真面目な声でそう告げる。
轟と雄叫ぶ彼は、目を血走らせていた。
足を止めた割には、まるで聞いているようには見えないが……まあいい。
男は頭を振って、後ろで無為な争いをしていたホウオウを呼びつける。
ルギアが咆哮を上げ、その行く手を阻もうとするが……
ホウオウが緋色の光線を撃つと、ルギアは体躯を羽で庇い、大きく仰け反った。
その隙に、傍らへやって来る。
横に降り立つなり、ホウオウは気高い咆哮を上げる。
すると男の目前にまで迫っていたバクフーンが大きく仰け反り、その身を襲っただろう衝撃を耐え切れずに吹っ飛んだ。
「サクラ! 無事か!?」
「ど、どうなってますの? これ」
サクラの友が、彼女を案じて駆け寄って行く。
泣きじゃくる娘は、もう既に戦闘を放棄しているが……どうやらその友は中々に優秀らしい。
バクフーンが寝返ったことを悟ったらしい少年が、マニューラを。
未だ怪訝な表情を浮かべる幼い少女が、メガクチートを。
そして、主の不義を許すまじと、再び立ち上がるバクフーン。
三匹が肩を並べてこちらを見据えてきた。
しかし、些かダメージが大きい子もいるようだ……。
ヒビキは目を細め、肩で息をするメガクチートをちらりと見据えた。
あれは……最早気力しか残っていないだろう。おそらくメガ進化の弊害だろう……サクラの手持ちではないだろうし、バクフーンに持たせたものでも、どうしようもない。
――あの子達で、
一瞬ばかりそう悩むが……仕方無い。
ここまで上手く事が運べた時点で、奇跡に近い。これ以上を求めるのは、些か贅沢だとも言えるだろう。
メガクチートを除いた面々もかなり鍛えられてはいる。
あの二人はエンテイ、ライコウを圧倒していたのだ。
消耗してこそいるだろうが……サクラのサポートぐらいはやってくれる筈。
賭けるしかないだろう。
――リィーン。
鈴が鳴る。
それを聞くのは、おそらくヒビキとサクラだけ。
しかし今のサクラは泣きじゃくるばかりで、きっと理解に及ばない。
ヒビキはそう納得すると、改めて面を上げた。
「……いいかい? サクラ」
俯いて、嗚咽を漏らす少女に、声を掛ける。
バクフーンの怒気を孕む咆哮が阻んできたが、きつい視線を向ければ、彼は見目を開くようにして制止した。
必要な話をしようとしていると、黙して伝えれば……漸くにしてバクフーンの怒りが少しばかり静まったように見えた。
「サクラ、聞きなさい」
今一度声を掛ける。
すると、嗚咽を漏らしていた少女が、僅かに肩を跳ねさせた。
泣き声が少しだけ静かになる。
「キミの家族は助かる。バクフーンに持たせたものを、ちゃんと使いなさい。いいね?」
酷く混乱している彼女だ。教えてもすぐには理解出来ないだろう。
しかし伝えるべきことは伝えた。
あとは本題だけだ。
ふうと息を吐いて、ヒビキは目を閉じた。
――リィーン。
鈴が鳴る。
時が迫っていると、そう告げる。
「……もうすぐここは崩れる。だけど、安心していい。キミが
少女の面がこちらを向く。
泣き顔は……妻の遺伝だろうか。
少しばかり幼さが際立って、不細工だった。
しかし綺麗な顔立ちを歪ませる程に泣ける……それは尊いことだろう。
ヒビキは真っ向から少女の双眸を見詰め、唇を開く。
「いいかい? ボクが今、キミに知らしめたその感情……それを忘れるな」
右手をホウオウの頭に乗せ、気高い鶏冠を撫でる。
愛しそうな声を上げて、ホウオウはヒビキの傍らに擦り寄ってきた。
天の神を一瞥し、頷く。
今一度娘に向けて……いや、新たな稀有なトレーナーに向けて、唇を開いた。
大切なものを失うことは、とても辛い。
とても恐ろしいものだろう。
サクラは今、それを知った。
痛感した筈だ。
怖かったろう?
辛かったろう?
何せ相手は決して敵う相手じゃない。
自分を思い出してくれた時は、心底ホッとしたろう。
今は……キミの意志は挫け、折れている。
もう立つことさえ、ままならないだろう。
だけどそのままでは、キミはいつまでも享受する側だ。
与えられる恩恵を、ただ漠然と受け取る側だ。
そのままではいけない。
恐れを持って、辛さを堪え、それでも尚、勇ましく立ち上がれ。
神の奇跡は与えられるものじゃない。
掴み取るものだ。
今のキミは……それを違えている。
だから、神の守り人には、相応しくない。
だけど……子供は成長するものだ。
強く、逞しく、成長しなさい。
まだ、諦めるには、若すぎるじゃないか。
そう言い終えた頃、見計らったように時が来た。
響く地鳴り。揺れる大地。
海の神を守りし祭壇が、崩壊を始めた。
二匹の化身。
二柱の神。
数は足りないが……ホウオウの未来予知に誤りが無ければ、必ず来る。
そして、それが最後の時だ。
サクラが選択を誤れば、良くて
悪ければ、
目一杯先延ばしにしてきたが、ここが限界。
あとは自慢の娘……と呼ぶには、放置し過ぎているが、彼女を信じるしかない。
「ちょっと、これ……不味いのでは?」
「ヒビキさん。今のどういう意味だよ。なあ!」
悲鳴を上げる幼い少女。
困惑を顕にする少年。
――そういえば、あれはサキとアキラちゃんだ。
まるでコトネの交友関係を継いだような娘に、思わず苦笑した。
ならば大丈夫だろうと、そう思える。
コトネは稀有なトレーナーだ。
その血が濃いなら、些か心配な点はあれど、稀有な心は持ちうるだろう。
崩落を始める神殿の中。
ホウオウとルギアの間で、木漏れ日のような光が瞬く。
それを驚愕の視線で認めるルギア。
慈悲深い表情で見守るホウオウ。
今一度天の神の鶏冠を撫で、宜しく頼むと念を押す。
ちらりと向けられる視線は、やはり慈悲深く。……しかしすぐに、呆れたような目で、視線を促された。
不意にその先を追って……揺れる大地の上、ふらつきながらもこちらへ駆けてくる少女の姿を認めた。
その表情は歪んでいて、涙や鼻水にまみれて、凄く汚い。
けれど、この世で最も愛しい姿だった。
「サクラ!」
「危ないですの!」
引き止める二人の声も聞こえていない。
少女は両手を振って、必死の形相で走ってくる。
流石にバレたらしい。
ヒビキはそう悟った。
薄く微笑んで、目の前に至った少女の身体を抱く。
力無く飛び込んできた彼女は、見た目より軽く、しかし思った以上に背丈が高い。
腰に腕を回し、その顔に頬を寄せる。
ドクンドクンと高鳴る心音が、彼女から伝わってくる。
おそらく、ヒビキの心音も、伝わっているだろう。
緊張しているのが、バレてしまう。
だが、せめてもの一時だ。
ヒビキは目を瞑って、唇を開いた。
「ご飯、ちゃんと食べてるかい?」
小さな声で問い掛けた。
「うん」
娘は頷いた。
「お母さんと、仲直り出来たよね?」
少し大きな声で問い掛けた。
「うんっ……」
娘はやはり頷いた。
「沢山辛い思いをさせて、本当にごめんよ」
抑えきれない感情を籠めて、そう零す。
「うんっ……うんっ……」
娘はやはり……頷いた。
ふと視線を上げれば、そこにはバクフーンがこちらを見ている姿。
怒りを顕にしていた姿はどこへやら。
まさか……と零しそうな顔をしていた。
――サクラを、頼むぞ。
言葉に出さずとも、彼は確かに頷いて応えた。
その姿を認めれば、もう思い残すことは無い。
腰に回す腕に力を籠め、もう二度と抱くことはないだろう娘の感触を、しかと記憶する。
名に相応しい春風のような香り。
泣きじゃくっていた所為で熱く滾った体温。
骨張っていてあまり肉付きを感じない体格。
こんなに酷いことをした自分を……。
地を這う虫の如く、蔑まれていて不思議ではない自分を……。
許してくれるような、優しい心。
良かった……。
サクラはちゃんと育ってくれた。
ヒビキは静かな声で言った。
愛しているよ。サクラ……。
ずっと愛している。
どうか真実を知っても、真っ直ぐ生きて……幸せになって。
どうか、どうか……幸せに。
――リィーン。
残酷な鈴の音が響く。
閉じた瞼の向こう側で、光が爆ぜた。
腕を、解く。
手を、離す。
真白に染まる視界。
その果てに消えていく娘の姿を、ヒビキは微笑みながら見送った。
「お父さん……おとぅさぁぁあああん!」
酷な運命を背負った少女に、一縷の希望を。
もう一度立ち上がる気力を、与えたまえ。
どうか、幸あらんことを。
そして、ボクが守りきれなかった全ての命の分、彼女が大切なものを守っていけますように……。
この次の章は出来てるけど、ミニコーナー出来てません(おい
んで、ちょいと大規模な修正をやっているので、少しばかり更新止まります。
一応、ミニコーナーと次話で補足しますが、ヒビキ悪落ちフラグずっと建ててましたが、ブラフでしたよってことです。……まあ、悪人か善人かで言えば、やってることは悪人なんですけどね。エンジュとかエンジュとかエンジュとか。
まあ、詳しくは次話をお待ち下さい。