天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

21 / 231
第四話
灰被りの少女


 少年、サキは自宅のリビングで首を傾げる。

 不意に見やった窓の外は、既に宵が広がりつつあった。それを認めると、小さく息を吐いて、首を横に振った。

 やっぱ分かんねえや。

 と、彼は小さくごちる。

 

 父親からの一報を受け、サクラを待つべくも、その行程は父がオンバーンで彼女を送ってくるのか、はたまた徒歩か、何も聞かされないままであった事に、今気が付いたのだ。

 それ故に彼女を迎えるべく用意しておくべきか、それとも翌日に備えておくべきか……。

 と、そう悩んでいた。

 

 もう日も暮れたというのに、サクラをとんぼ返りさせるということは、相応の非常時なのだろうが……父が忙しそうだと思って、大した事情も聞かない内に分かったと言ってしまったのだから、仕方無い。

 

 そんな思案をしつつ、彼は溜め息混じりに何気なくテレビを点けた。

 テレビのチャンネルは最後に父が見た時のままであり、主にニュースをやっているつまらないチャンネルだった。

 そんなものには興味無いと、チャンネルを変えようとして、しかし不意に番組が一題に取り上げている内容を目に留めた。

 

「……は?」

 

 サキは小さく疑念を声に出して、チャンネルを替えないまま、テレビを食い入るように見詰めた。リモコンを操作し、その音量をバカみたいに上げる。

 

 画面には、ニュースキャスターがメインに据えられて映っていた。

 その端が四角く縁取られていて、そこに真っ黒な町並みが映っている。

 画面下にはテロップが出ていて、大きく『ワカバタウン壊滅か』の文字。

 

『速報です。本日未明、ワカバタウンが何者かの襲撃により、甚大な被害を受けました』

 

 ニュースキャスターは坦々とそう述べる。

 ワカバタウンと言えば父とサクラが昼過ぎに向かった場所だ。

 サキは固唾を飲んで画面を見守った。

 

『被害はワカバタウン全てに及び……』

 

 手元の資料を読み上げるキャスターは、そこで息を呑むような仕草を見せた。

 そして改めて画面へ向き直ってくると、喉を震わせながら続けた。

 

『少なくとも、村民二六〇名は全滅……。繰り返します……村民は、全滅と見られております』

 

 二六〇人が全滅。

 如何なテレビとはいえ、口頭で告げられても、まるで現実味が無かった。ただただ、サキは目を瞬かせて見入るばかり。

 

 キャスターは続けた。

 

『尚、駆け付けたポケモン協会会長のシルバー氏により、犯人グループの内、三名が捕縛されました。しかし、中核となったと見られる一団はすでに逃走しており――』

 

 そこでサキはふうと息を吐く。

 どうやら少年の父シルバーはこの事件を収めた立場らしい。

 問題を起こしたとか、被害を受けた側ではないと安堵する。

 

『次に身元が判明している被害者の方々の氏名を公表させて頂きます』

 

 キャスターがそう言うや否や、テレビの画面が切り替わる。

 それを認めて、サキはまたも疑念の声を漏らした。

 

 『ウツギ』の名が、そこにあったのだ。

 

 不意に口元を押さえ、唇を震わせた。

 

 画面が次に替わる。

 

 そこで少年は今度こそ叫んだ。

 

「はぁ!?」

 

 信じられない。

 と、驚愕を臆面も無く顔に出し、活目して画面に映る名を確かめた。

 

 が、その名はやはり見覚えがあった。

 

 『サクラ』

 

 その名を信じられず、今一度目を逸らして、活目。

 再度確かめる。

 しかしその名は、変わらず表示されていた。

 そして画面は見知らぬ名へと替わっていく。

 

「えっ……は? ど、どういう事だ?」

 

 状況を呑みこめず、サキはPSSを開く。

 端末に通知は無く、昼過ぎに連絡先を教えた彼女からの連絡も無い。

 父に確かめようと思ったが、やはり仕事の邪魔をする事は憚られて、グッと堪えた。

 

 そうだ。

 父は聞けるのならサクラに聞けと言っていた。

 

 混乱しつつある思考で何とか思案する。

 しかしテレビで出された死亡通知が気がかりだ……。

 

――誤報か?

 

 そう思うなり、「いや、それより……」とごちる。

 更なる可能性を考えた。

 

 一つだけ、如何にも父がやりそうな事を見つけた。

 

 その時。

 

 ドンドン。

 まるでタイミングを見計らったように、家の扉が強く打たれた。

 

 ハッとして扉の前に行き、覗き窓から外を見た。

 そこには――やはり。

 

「サクラ!」

 

 サキは勢い良く扉を開けて、虚ろな瞳をした少女を迎えてやる。

 綺麗だった筈の栗色の髪はぐしゃぐしゃに乱れ、所々墨を被ったように黒く染まっていた。

 全身がずぶ濡れで、昼間は白かった筈のワンピースが、黒と朱で元の色を失っていた。

 その顔付きはこの世の果てを臨んで来たように虚ろで、絶望感が満ちていた。

 

 唯一、瞳の奥だけは真っ直ぐサキを見詰めてきて――。

 

「ごめんなさい、サキくん……。ちょっと、私、疲れた……」

 

 そう呟いて、倒れ込んできた。

 すかさず抱き止め、声を掛けるが、反応はない。

 

 目線だけで外を改めるが、どうやって来たのかポケモンの気配さえ無かった。

 

「……ったく、訳わかんねえよ。クソ親父!」

 

 サキは悪態を吐いて、サクラの足へ手を回し、ゆっくりと抱き上げる。

 見た目よりは軽く、想像よりは重たい。

 おそらくずぶ濡れの服がそう感じさせるのだろう。自分の服が濡れて、そう実感した。

 

 サキはそのまま彼女をソファーまで運び、寝かせる。

 彼女を横にしたら、煩いテレビは消し、扉を閉めて鍵をかけた。

 

 サクラは死んだように眠っている。

 しかし、少年が察したように、やはり生きているのは間違い無い。

 

 静かに寝息をたてる顔は薄汚れているもののどこか綺麗で、長い睫毛が特徴的だ。

 息をする度に僅かに膨らむ胸の辺りは、年齢に対しては慎ましい膨らみが……。

 

「いやいやいやいや!」

 

 少年は脳裏に過った邪まな考えを振り払う。

 そんな状況ではないだろうと、自分をきつく戒めた。

 

 と、その時。

 

「――っくしゅん!」

 

 寝息をたてる少女が、小さくくしゃみをした。

 

 そりゃあ寒いだろう、何せ服はびしょびしょで、髪も身体も余すこと無く濡れている。

 その証拠に唇は真紫に染まり、僅かに震えていた。

 

――どうしよう。

 

 サキの心を表すなら、困惑だけだった。

 とりあえず数多ある疑問は打ち捨て、少女の安否を最優先に考えて良さそうではあるが、自分は今まで生きてきた一二年間、女性と接する機会が殆んど無かったのだ。

 理由は主にシロガネ山に住んでいた事なのだが……つまるところ、究極的に免疫が無いとさえ言える。

 年が近い女性と接したのなんて、サクラが初めてだった。

 

 ただ、伊達にシロガネ山でスリリングな日々を送ってきた訳じゃない。

 こう言う時の心得はしかと知っている。

 

 心頭滅却宜しく、何も考えずに彼女の衣服を剥いで毛布を掛けてやるのが正しい。

 それは分かる。知っている。

 間違いない筈だ。

 

 しかし相手は近い年頃の女の子で、尚且つ今日の今日知り合ったばかりで、更には無下に扱うと父やその近親者に殺されかねない相手……。

 

「…………」

 

 いや……。

 と、サキは鎮痛な表情を浮かべ、首を横に振った。

 

 彼女の知人の多くは、ワカバタウンに居た筈だ。

 そのワカバタウンは……もう……。

 

 目を伏せ、覚悟を決める。

 数度の深呼吸を挟んで、面を上げ、踵を返す。

 そのまま小走りになって、隣の自室から毛布を二枚とってきた。

 

――それでも成る丈見ないよーに……。

 

 目を逸らしながら、少女のワンピースの裾をつかみ、下着姿をなるべく拝見しないように目を瞑る。

 それからは手探りで彼女の荷物とワンピースを剥ぎ、代わりに毛布を掛けてやった。

 

 その間、二分三〇秒。

 

 男の戦いは下着を拝見せずに勝利した。

 

 脱がしたワンピースも成る丈目に留めないよう目を逸らし、それごと剥いだリュックサックとモンスターボールがつけられているベルトを外す。

 リュックサックは……明日の昼過ぎくらいまでに目を覚まさないようなら、濡れた中身を止むを得ず確認する事にして、ベルトは机の上に置いた。

 

 リュックサックをソファーの脇に置いて、ベルトを一瞥。

 そこでサキは「うん?」と、小首を傾げた。

 

「こいつ、何でマスターボールなんか持ってんだ?」

 

 思わず少女へ視線をやる。

 ぐっすり眠っているようで、しかしその顔には泥がついていた。

 

 疑問を問い掛けても答えないのは明白。

 それよりも、汚れたままにしておく事に、罪悪感を覚える。

 

「……後回しだな」

 

 サキは一人ごちて、ワンピースを取り上げる。

 それを持って、キッチンの脇にある洗面所へ向かった。

 洗面所にある洗濯機へワンピースをぶち込み、脇の棚から綺麗なタオルを取り上げて、肩に掛ける。

 そのまま風呂場へ向かって、洗面器にぬるま湯を汲んでから、もう一度サクラの元へ。

 

 タオルをぬるま湯で濡らし、顔を拭いてやる。

 体は流石に心頭滅却が及ばないと自覚して、手足と首筋だけ、毛布から出せる範囲を綺麗に拭いた。

 その間、洗面器は二度も湯を改めた。

 

 全てが済んで、ふうと息をつく。

 

 何があったかは知れないが、彼女の状態こそは想像に容易い。

 余程辛い目にあっただろう。

 

 聞けそうなら……。

 と、父が事情に関して、サクラに聞く事を、二の次にした理由を、何となく察した。

 

 本棚の下から機材を取りだし、少女のベルトのモンスターボールを取り上げて、マスターボールも含めた三つをメディカルマシンに入れてやる。

 軽やかな音と共に、数秒でケアは済んだ。

 どうやら酷い負傷はしていなかったようだ。

 

 マスターボールだけをアタッチメントに戻し、少し悩んでから、二つのモンスターボールを勝手に展開する。

 

「チィ……」

「ルー……」

 

 消えそうな声色で、消沈したチラチーノとドレディアが出てきた。

 

 こいつらの名前はなんだったっけ……と思案しつつ、しかし思い出せなかったので、「おい」と呼ぶ。

 二匹は泣きそうな顔付きで面を上げた。

 

「とりあえず、腹減ったら声を掛けろ。好きにしてて良いから、傍に居てやれよ」

 

 そう言ってやると、二匹共揃って頷いた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。