天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

208 / 231
禁忌

 紺と肌色の体毛がちりちりと音を立てて揺れる。

 周囲の景色がゆらゆらと歪み、如何にその身体が高温を放っているかと知らしめるようだった。

 首からは襟のように炎を吹き上げ、低く唸り声を上げるそのポケモンは、バクフーン。

 

 向かい立つ父の相棒として、象徴として、彼は両の拳を握って、天へ向けて極太の火炎を吐き出した。

 

 両側と向かいの泉を壁で遮られ、背後には岩壁。

 密閉されたこの空間に、その火炎は熱を余すことなく伝えるようだった。

 

 そこそこに大きな体躯を誇るロロでさえ、ゆとりを持って動けそうなこの空間。

 それでもサクラは、身に纏う衣服を脱ぎ捨てたくなる程の熱気を感じた。

 

『うへぇ……なんつう温度だよ。あれ』

 

 強敵を前に、うんざりしたような表情で、レオン。

 身構えてこそいるが、緊張感の無い一言は、頼り甲斐があると思えば良いのか、躾けが成っていないと反省すべきか……と、思えば、余裕綽々と言わんばかりにルーシーが両手に当たる葉を肩の高さに上げて、首を横に振る。

 

『ほんとほんと。暑いのは苦手なのよ。ロロ、冷凍ビーム撃って頂戴』

『へ? あ、あの……いいの? 敵の前だけど』

 

 ロロがうろたえて、サクラを窺ってくる。

 良い訳が無い。

 おそらく肩の力を抜こうというつもりなのだろうが、あまりの緊張感の無さに、さしものサクラとて呆れてしまう。そういえば母と相対した時も、緊張感の無いやりとりをしたか……と、思い起こし、サクラは溜め息混じりに肩を落とした。

 

「もう、皆真面目に――」

『サクラさん!』

 

 叫ぶリンディーの声でハッとする。

 即座に正面へ改まれば、先程まで向かいの端に居た筈のバクフーンが、片手を振り上げながら迫ってきていた。その速さたるや、レオンをも上回らんという程。ほんの僅かな隙を突いて、四匹が成す陣の中央を突破せん勢いだった。

 狙いは確かに――サクラ一人。

 

『待……てコラァ!』

 

 響くのはレオンの声。

 その白い体躯は、彼を上回っているのではないかと思わせた速度へ、あっさりと追いついた。

 サクラの目前に至るより早く、ぶんと振られた白い尾が、バクフーンの腕に絡まる。

 

 スッと細まった双眸が、視線だけでレオンを認めた。

 その視線を睨み返し、彼は小さく鳴き声を上げる。

 チラチーノの尾は化粧油のコーティングが災いして、拘束には不向きだ。それを一番知っている筈の彼は、気合を込めるような声と共に、すかさず残り三本の尾を振り上げた。

 そして、鍛え抜かれたスイープビンタが炸裂する。……が、自信満々に振り下ろされた尾は、顔面を捉えて尚、彼に苦悶の声一つ上げさせることは無い。

 その代わりと言わんばかりに素早く制止し、ゆっくりと彼へ顔を向き直らせるバクフーン。

 その目は、何の感情さえも持たないよう。ただただ腕に絡まる煩わしいものを見て、瞳孔を広げていった。

 

 ハッとしてサクラは悟った。

 間髪入れずに大口を開く。

 

「レオン! 避けて!」

 

 叫ぶような指示と、バクフーンの口腔が開いたのは同時。

 僅かに息を吸う音が聞こえたかと思えば、次の瞬間には真白にさえ見える灼熱が放たれていた。

 ぶわりと熱風が吹いたかと思えば、轟と唸るような音と共に、サクラの視界が緋色に染まる。色が視界に焼き付くような光量だった。

 

『レオちゃん!』

『リンくん!』

 

 腕ごと広範囲を焼き払うようなその炎は一瞬。

 しかし、その一瞬の間に壮絶な被害をもたらした。

 

 狙われたレオンは言わずもがな、その方向に居たリンディーさえも巻き込まん勢い。

 一瞬の内に彼等の姿は掻き消え、大地の焦げ跡が白い煙を上げていた。

 

 が、認めたサクラは確かな違和感を覚える。

 揺らめく煙が上へ昇る光景が凄まじく速く見え、代わりに先程はあんなに俊敏だったバクフーンの動きが、今尚こちらへ改まってこない程、鈍い。

 

 とすれば、目の前に着地する紫色の体躯。

 その口にレオンを咥え、こちらをちらりと振り向いてきた。

 

『サクラさん。ごめんなさい。指示無くトリックルームを使いました。流石に光の壁じゃ防げそうにないです』

 

 悠々と語るリンディー。

 吐き捨てるようにレオンを降ろせば、彼は身体をぶるりと震わせて、ふうと息を吐いた。

 

 レオンは目をパチパチと瞬かせ、サクラを見つめてくる。

 

『……し、死ぬかと思った』

「あ……ありがとう。レオン。リンちゃん」

 

 今の一瞬の内に、レオンが居なければサクラが殺され、リンディーが居なければレオンが殺されていた。

 目に見える違和感は、体感速度を狂わせる空間――トリックルームがその正体。それがあるからこそ、追撃もされていない。ということは……。

 

 そう思案すると共に、改めてサクラはバクフーンから距離を置こうと駆け出す。

 その間にルーシーとロロに視線を向けた。

 

――ごめんね。

 

 そう心に抱きつつも、後方のバクフーンを指差し、唇を開く。

 

「ロロ、水の波動! ルーちゃんは宿り木の種!」

 

 そして、ちらりとヒビキを認める。

 彼はこちらを見ていた。

 その相貌には真っ直ぐ挑むような視線……いや、挑んで来いと言っている。まるで、サクラの指示を予期しているように――。

 

 ロロとルーシーの応答を聞かぬ内に、サクラはヒビキを指差した。

 

「レオン! お父さんを!」

 

 そして、禁忌を破る。

 

 

 一目見て分かった。

 一合交わして確信した。

 

 あのバクフーンは倒せない。

 レオンの鍛えられた尾の連撃でびくともせず、トリックルームで愚鈍過ぎる程に愚鈍になった。それはつまり……こちらの攻撃は殆んど通用せず、速さにおいてレオンが追いついたのも、彼が最高速を出していなかったからだ。

 トリックルームが切れた瞬間、次を仕掛ける前に全滅しても、可笑しくはない。

 

 流石は父の相棒。

 コガネでコトネに言われたことだが、やはり敵う筈が無かった。

 

 この場に居るのがサクラ一人なら、それで良い。

 禁忌を破るくらいなら素直に殺されよう。しかし、愛すべき家族が居る。愛すべき人が居る。愛すべき友が居る。今、ここでバクフーンを暴れさせる訳にはいかない。

 指針となる父を倒し、隙を突いて何とかするしかない。

 

 が――やはりそれは、ヒビキの予想の範疇だったらしい。

 彼は帽子の鍔を掴み、顔を伏せてにやりと笑う。

 

「甘いよサクラ。やるならその子だけじゃなくて、全員を向けてくるべきだ」

 

 そして、そう言った。

 その帽子が落とす影に、僅かに見える瞳。

 ハッとして視線を辿れば、それはサクラの背後へ――。

 

『キャァッ!』

『ルー様!?』

 

 短い悲鳴を上げて、宙を舞う緑色の体躯。

 その顔に映る、一瞬ばかりの苦悶の表情。交差させた二枚の葉には、痛々しい黒い傷痕。

 

 受け止めたルーシーの身体と、彼女を殴り飛ばしたバクフーンの左手から、(ほとばし)る黄色の閃光。

 それは幾多の方向へ屈折し、バチバチと音を立てる。

 一目に雷パンチだと分かった。

 

 ルーシーに庇われたらしいロロが、悲鳴を上げた。

 

『いや、ルー様ぁぁ!!』

 

 トリックルームはまだ切れていない。

 現にルーシーの身体から迸る電気は、ダメージの一瞬を過ぎて尚、目に見えている。

 なのに、バクフーンが止まっていない。

 先程は確かに愚鈍になっていた筈なのに、この僅かな時間で、距離を置いていた筈の二匹を追い詰めていた。

 

 宙を舞うルーシーは、今に意識を手放そうとしている。

 相性が幸いして、致命傷ではなさそうだが、それでも瀕死寸前のダメージを負っていた。

 そんな無防備な彼女が、追撃されない筈は無かった。

 

 バクフーンの口腔が開かれる。

 その中から漏れる空気が、景色を歪ませる程の熱を放つ。

 

『やめて、やめてぇぇ!!』

 

 狙いがルーシーだと悟ったらしいロロが、我を忘れた様子で飛び出す。

 その身体からはアクアリングを放っているが……一目に分かる。あんな些細な水技では、蒸発させられてしまいだ。役に立たない。

 

 が、それと同時に飛び出したのが紫色の影。

 

『間に、合えっ!!』

 

 リンディーはそう言って、二匹の前で身を翻していた。

 

 認めている一瞬一瞬があまりに早くて、サクラは悲鳴さえ上げる暇が無い。

 漸く喉が震えたかと思えば、バクフーンが灼熱を放ったのと、全く同じタイミングだった。

 

「ルーちゃん! ロロ! リンちゃん!」

 

 悲鳴さえ焼き尽くすかのように、炎が轟と唸った。

 天へ突き抜けるようなそれは、三匹の影を確かに呑み込んだ。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。