紺色の体躯。
そのしなやかな体格は以前と変わることはない。しかし、上へ伸びていた筈の耳が下へ垂れ、頭上には扇状の赤い鶏冠が目立つ。首元には同色の襟巻きのようなものがあり、元より強靭だった鉤爪が、両手共に二本から三本に増えていた。
その姿は、明らかにニューラの姿ではない。
だが、サキがその姿を知らぬ筈が無い。ずっと傍で見ていた父が、愛用していたポケモンなのだ。
いつか、いつかきっと……その姿のシャノンと肩を並べたい。
そう思ってきていたのだ。
見間違おうものか。
目の前の彼女は、『マニューラ』に進化していた。
「シャア!」
彼女は気高く鳴く。
サキの脳裏は、対して何故――という感覚を覚えた。
ニューラの進化は、夜に起こるものだった筈。今は、朝じゃないか。
そう思った。
だが、肩越しにちらりと振り返ってきた彼女の視線を見て、その疑問をすぐに捨てる。
――指示を。
彼女の目は、父が従えるマニューラと同じく、従順だった。
そう思えば、指示を出す自分が、要らぬことを考え、それを放棄してはならないと思い直す。今、それを悩む必要なんて、どこにも無い。
ただ、一言。
サキは前へ向き直った彼女の背に、言葉を投げかけた。
「ありがとな。シャノン」
――お蔭で確かな勝機が見えた。
未だ悠然と頭を振り、体勢を立て直すエンテイを見据える。
ゆっくりと立ち上がり、ヒトカゲをボールの中へ。
辺りを素早く確認すれば、オノンドとオーダイルも、ゆっくりと身を起こしている。
一匹欠けてしまったが、元よりこの三匹はずっと共に育ってきたのだ。
連携に支障は無いだろう。
ふうと息を吐く。
視線こそはエンテイから逸らさず、今一度頭の中で思考する。
進化したとはいえ、シャノンはダメージを負っている。
オノンドとオーダイルも、そこまで余裕は無いだろう。
だからこそ――。
「もう一回やるぞ」
作戦は継続。
「シャノン、お前の速さに懸ける」
ヒトカゲの抜けた穴は、オーダイルの援護と、シャノンの速さで埋める。
視線だけでこちらを一瞥してくる三匹は、一様にこくりと頷いた。
対するエンテイが、轟と唸る。
ここに至って、もう後の先をとるつもりはないらしい。
ヒトカゲが抜けたのを機と見たか、マニューラの速さを危惧すべしと見たか、山の化身は大地を駆った。
氷が溶けて僅かに濡れた地面を踏み鳴らし、正面のマニューラへ突っ込んでくる。
頭部から突っ込んでくる様子は、一見して無防備に見える。
しかし、技の多様さは先程思い知った。
知恵に富んでいるらしいあのポケモンが、無策に突っ込んでくる筈も無い。
「オーダイル!」
サキは名を呼ぶ。
すると突っ込んでくるエンテイの顔面目掛けて、彼は高圧の水砲をぶっ放した。
その水を――弾く。
アイアンヘッドか!
サキは当たりをつけた。ただの頭突きや突進なら、相性の悪い技を浴びせられれば流石に怯む。
頭部を鋼鉄化し、突っ込んでくる技だからこそ、その足は止まらない。
その足は見かけより随分と速く、既にシャノンの目前に迫っている。
声を出しての指示は、到底間に合わない。
しかし、そこでサキはシャノンから目を逸らし、オノンドへ目を向けた。すると彼は、既に三度目の竜の舞をしている最中。
シャノンは大丈夫だ。
ずる賢いと言えば聞こえは悪いが、マニューラは知力と速さに富んでいる。ならば、サキが気付いたことを、気付かぬ筈が無い。
自分がするべきは、彼女が翻弄して生み出した隙を的確に突く為に動くことだ。
「オノンド! 挑発だ」
応と応えるように、オノンドは雄叫びを上げる。
それを認めて正面へ視線を戻せば、苦悶の表情を浮かべるエンテイの姿。
その体躯の懐に潜り込んで、突き上げるように冷凍パンチをぶっ放しているシャノン。
やはり彼女はもう明確な指示を必要としていない。そして、その速さはあの山の化身をも圧倒している。
足りないのは、やはり決定力。
それも今、整った。
オノンドが馬鹿でかい声を上げてエンテイの視線を引き寄せる。
自らの首を掻いて、『掛かって来い』と不遜甚だしい動作を見せ付けた。
口腔を開いて、橙色を溜めるエンテイ。
しかしそこへ、ずしんずしんと大地を踏み鳴らし、勇み寄るオーダイル。逞しい両腕で顔面を覆って、オノンドとエンテイの間に割って入る。身を呈したその動作の裏で、エンテイの頭上へ飛び上がるシャノン。
轟と火炎放射が放たれれば、即座に上空から電光石火の一撃が頭の頂点を穿つ。
ガチンと音を立てて口腔が閉じれば、シャノンはすぐに離脱。エンテイの口内で暴発した炎が、明後日の方向へ吐き出される。それはダメージが認められるものではなかったが、明らかに大きな隙が出来た。
炎から身を呈して庇ったオーダイルの背を踏んで、オノンドが跳躍する。
視界の端で認めたらしいエンテイは、すぐに彼へ向き直ってくるが、その横っ面に向かってまたも冷凍パンチが襲い掛かる。
ハッとして飛び退くエンテイ。
そこへの追撃は――。
「オーダイル!!」
炎を耐え凌いだオーダイルが、口腔から冷凍ビームをぶっ放す。
それはエンテイの足下に着弾。
再度足を崩す。
そして、気高い鳴き声。
「シャア!」
マニューラがオノンドへ向け、鉤爪を返した一撃を打つ。
その峰打ちに合わせ、オノンドは再度の跳躍。
体勢を崩し、未だ向き直ることさえ出来ていないエンテイへと、突っ込む。
「決めろ! オノンド!!」
拳を構え、サキが叫ぶ。
それに応えるオノンドは甲高い雄叫びと共に、右手を高く振り上げる。
跳躍の勢い、竜の舞による鼓舞を全て乗せ、その手に生えた短い爪がどす黒く染まる。
黒いエネルギーを放ち、それが綺麗な弧を描いた。
振り下ろされるドラゴンクローの一撃。
鈍い音を上げて、体勢を整えんとしていたエンテイの額を強かに打つ。
決して切り裂くまでには至らず――しかし、それで終わりではない。
目にも留まらぬ速さで、再度懐に潜り込んだシャノンが、腹を突き上げる。
着地したオノンドが、ダブルチョップで更に繋ぐ。
そして、僅かに浮いたその体躯へ、二匹が口腔を開いて微かな溜めの動作。
竜の怒りと、凍える風が同時に炸裂する。
エンテイは驚愕の表情を浮かべていた。
その体躯を覆う氷の粒と、黒い煙。
これだけの連撃。
ダメージは相当だった。
しかし、まだその意識は消えていない。
「ダメ押しだ。ぶちかませ、オーダイル!!」
そこへサキの指示を受け、オーダイルが口腔を向ける。
シャノンとオノンドが素早く離脱した。
そのタイミングを狙い澄まして、かつて見たことが無い程の極太の水砲をぶっ放す。
それは、確かにハイドロポンプ。
いつの間にか水タイプ最高峰の技を扱える程になっていたのか。
サキがそう見送った先で、その水砲を一身に浴びるエンテイ。
野太い悲鳴が上がった。
そして、その砲撃の一瞬が終わった瞬間。
「……はぁ。やっぱお前、すげえな」
四本の足でしかと大地を踏む、エンテイの姿。
しかし、それを認めたサキは絶望するでもなく、肩から力を抜いて、素直に評した。
シャノン達もふうと息をつく。
大地に立ったままのエンテイ。
その双眸は真白に染まり、確かに意識を失っていた。
あれ程のダメージを負って、流石に意識は保てなかったらしい。
それでも尚、倒れること無き姿は、山の化身たるやと言ったところだろう。
サキはそう思った。
そして、辺りを囲っていたリフレクターが、ガシャンと音を立てて砕け散った。