大地をしかと掴むような四本足は強靭。
長い茶色の体毛に覆われた身体も、それでいてがっしりとした体格を思わせる。
何よりも特徴的なのは、白、赤、金の三色のフレームで囲われた双眸。決して柔らかい目付きではないのに、悠然と佇む姿が様になる程の余裕を感じさせた。
山の化身、エンテイ。
相対するサキの前には、四匹のポケモン。
先頭で半身を引いた構えを取るニューラ。その後ろに肩を並べる形でオノンド、オーダイル。そして最後尾にヒトカゲ。
あの神と匹敵する程のポケモンに対して、十分な戦力とは言い難いだろう。むしろ心許ないと言える。
サキはそれを素直に認めた。
見てみぬ振りをして、蛮勇を振りかざすことこそ、愚行というものだ。
戦力が足りていないのなら、それを策で補うのが、トレーナーとしての生業だろう。
戦況は膠着状態。
エンテイというポケモンは、悠然と佇んでいるだけで、すぐに襲い掛かってくる様子は見受けられなかった。
しかしその双眸は、向かい立つ四匹ではなく、サキ自身に真っ直ぐ向けられている。一挙手一投足を見逃すまいという雰囲気を感じた。おそらく、サキが何らかのアクションをすれば、直ぐに対処してくることだろう。どうやらそのポケモンはかなりの知力を持っているらしい。
成る程……サキは以前読んだそのポケモンに対する資料を思い起こし、その上で感嘆した。
山の化身という呼ばれの由来は、火山の噴火と共に誕生するからだっただろうか。
確か、その逸話を裏付けるように、炎タイプだった筈だ。
しかしこうして見てみれば、まるで不動の山そのものにも見えなくはない。
見た目からして小手先の攻撃で倒せる感じではないし、返し刃の攻撃もかなりの威力だと思って然るべきだろう。オーダイルならまだしも、オノンドやシャノンがそれを耐えられるとは思えない。
ならば一撃で落とすか?
と、考えても、オーダイルの水技一発で倒せるとは思えない。かと言って、火力を補えるオノンドの竜の舞を、何のカモフラージュも無く使わせてくれるとも思えない。
波状攻撃を考えてみても、後の先をとろうと身構える相手は、先ずそれを警戒している筈だ。相手が何をしてくるかが具体的に分からない以上、そうなると一気に崩されて仕舞いだろう。
足りないのは決定力。せめてもう一体、オーダイルの他に、間髪入れず畳み掛けられるポケモンがいれば、簡単なのだが……言っても仕方無い。
サキはごくりと喉を鳴らした。
――さて、どうすっか……。
数十秒間、膠着した状態。
このまま相手が動くまで待てば、隙を突けるというものだが……どうやらそうはいかないらしい。
相手はあくまでも、こちらが襲い掛かったところを、丁寧に一匹ずつ仕留めていくつもりだろう。
サキとしてはこのまま膠着状態を保っても良いが、隣で戦っているサクラの状態が気になる。
出来れば早いところ援護に回ってやりたい。今のままでは視線さえ向けられず、情報さえ得られない。
となると……やはり妙手をとるしかない。
と、そう思い至った矢先だった。
突如、少し離れたところから、絶叫が聞こえてきた。
それは悲鳴というよりは雄叫びで、この閉ざされた空間越しに伝わってくるのだから、相当な音量だった。
思わず視線を向けそうになるが――向けずとも分かった。
サキはそれで何度も吹っ飛ばされている。
ハイパーボイス。
おそらく使わせたのはアキラだろうが……と、思い至ったところで、ふと気がつく。
この水底の神殿。
外壁が崩れれば、一気に水が押し寄せてくる。そんな状況でバカみたいな衝撃を生む技を使えば……とは思うが、この神殿はびくともしていない。
辺りを改めたい気持ちを押し殺しながら、崩落を意味する振動が無いことを理解する。
もとい、サクラなら兎も角、アキラはそういうところを加味出来る人間だ。何かしらの確信があってやったのだと思える。
成る程。
これは朗報だ。
脳の中でガチリと嵌まる何か。
それを実感すれば、サキの脳裏には明確なビジョンが見えた。
「パターンB。こっちに寄せ付けるな!」
そして指示を下す。
即座に反応したのはオーダイルだった。
横っ飛びに跳ねたかと思えば、口腔を開き、真白の光線を放つ。
対するエンテイの反撃は早い。
同じく口腔を開いたかと思えば、橙色の炎を……オーダイルにでも光線にでもなく、正面のニューラ目掛けて放った。
それを認めたサキは、すぐ様理解する。
あのポケモンは、『対処』をしようと言うのではない。確実の削げる戦力から削いでいくつもりなのだ。
「シャノン!」
サキの声に呼応して、シャノンは跳躍。
吐き出された火炎放射を、飛び越える形で接近戦へ。
しかし、エンテイの反撃は尚も続く。その口腔は、空中で無防備なシャノンを捉えていた。
が、そこへ着弾するオーダイルの冷凍ビーム。
がくりと足を崩せば、エンテイは驚愕の表情を浮かべた……地面が、凍っている。
炎は暴発し、シャノンから僅かに逸れて、天井を焼いた。
そう、辺りの岩壁が見た目よりも硬く、崩落の危険性が無いのなら、そこを凍らせても問題は無い。
それによって氷タイプのシャノンは有利になるし、対するエンテイは足を取られる。
それを認めた視界の隅で、オノンドが声を上げる。
竜の舞が完遂された。しかし、まだ一回。あと二度は使わねば、エンテイを仕留める程の火力を出すには至らないだろう。
エンテイが轟と唸る。
凍り付いた足下を一瞥し、そこを焼き払っていた。
自身の前足もろともに焼いているが……そこは炎タイプのポケモン。自らの火で、火傷することは無い。
その熱で氷が解けて、辺りに真白の煙が巻き上がる。
それを認めたサキは、よしと拳を握った。
無論、溶かされるのは想定内。
次に重要になるのは、その煙だった。
「オーダイル! 続けろ! ヒトカゲも続け!!」
再度冷凍ビームをぶっ放すオーダイル。
しかし今度は、てんで明後日な方向を凍らせる。が、今度はヒトカゲがそれを溶かした。
水蒸気が増える。サキの膝元に至るまで、その煙は増した。
その意は――。
「シャア!」
いつの間にか着地したシャノンが、エンテイの後ろから跳びかかる。
その鉤爪は逞しい体躯を確かに捉えた。しかしびくともしない。
エンテイが轟と唸る。
即座の反撃が行われたが、その瞬間にはシャノンの姿は消えている。真白の煙を隠れ蓑に、再度の騙まし討ちが行われる……が、芳しいダメージは通らないようだ。
だが、それでいい。
再度唸り声を上げれば、オノンドが二回目の竜の舞を完遂した。
シャノンの攻撃はあくまでも囮。本命はオノンドによる一撃だった。
撹乱による陽動。
それこそがサキの作戦だった。
が、しかし。
「グォオオ!」
エンテイが唸る。
前足を振り上げたかと思えば、それが大地を強く打つ。
次の瞬間、大地が揺れた。
同時に衝撃が辺りへと伝わり、サキの身体までもがほんの僅かに宙へ浮く。
それは、地ならしと呼ばれる技。
普通のポケモンバトルで使われた場合、大した脅威ではない。
しかし、現状においてそれは、予想外かつ、致命的な一撃だった。
――そんな技も持つのかよ!?
思わずサキは、目を疑った。
そして着地するなり、前方を認めて口を大きく開いた。
「シャノン!」
未だ地面から浮き上がっている小さな体躯。
間近に居たシャノンは、そのダメージが顕著だった。
また、その攻撃はシャノンだけを捉えた訳ではない。
オーダイル、オノンド、ヒトカゲが、揃ってダメージを負っていた。
とすれば、相性が悪く、まだ十分な育成がされていないヒトカゲが、あっさりと双眸から光を失くす。
「くそっ!」
地鳴りが響く中、足をもつれさせながらも、サキはヒトカゲの身体を抱きとめに行った。
が、その最中、視界の端に、こちらへ真っ直ぐ向けられている視線を認める。その双眸は深紅。気高く、今尚悠然としていた。ハッとした時には、不味いと悟る。
エンテイは今、この瞬間を、機と見ていた。
間違いなく、それは分かった。
が、ここでサキが止まれば、ヒトカゲの命は無い。
それも分かった。
だから、止まることは出来なかった。
再び前足が振り上げられたタイミングで、サキはヒトカゲの体躯を身体に受け止める。
その足が振り下ろされるまでに回避を……と、思うが、明らかに間に合わない。
が、その時。
「シャアアア!」
その足を下から受け止める小さな体躯。
先程の一撃で煙が吹き飛んでいた為、サキの目は、確かにそれを捉えた。
その体躯は光に包まれ――いつぞや、アサギで買ってやった鉤爪型のアクセサリーが、砕け散った。
ぶんと振るわれる細腕。
しかし、その見た目からは予想外にも、エンテイの巨躯を軽々といなす。
素早く腰溜めにされたもう一方の腕がぶんと振るわれれば、彼女を覆っていた光が爆ぜた。
洗練された冷凍パンチ。
それは決して相性が良いとは言えない技だったが、エンテイの体躯を僅かに怯ませる。
続いて足を崩すけたぐりが撃たれれば、地に着いたばかりの前足があっさりと払われた。
驚愕の表情で低所に下りてきた頭へ、後方宙返りをしながら放たれる燕返しが決まる。
そして、距離を置いた彼女は自らの長い鉤爪をちらつかせ、舌でそれを舐めずった。