天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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第一〇話
臆すな。挫けるな。今一度活目なさい。


 光の届かぬ水底。

 深遠の果てにある神殿はしかし、高貴な光を放つ。

 それは物理法則を無視して存在する滝や泉の色を受け、青白く染まっていた。

 その淡く気高い青を受けて、この神殿の主は轟と唸った。

 

 相対する宿敵へ、空気を圧縮したブレスを放つ。

 対する天の神は、七色にも見える獄炎を展開。それを撒き散らすかのようにして、空気を焼き尽くした。

 海の神はフレームに覆われた双眸をカッと開く。

 飛び散った火の粉が、泉の直上から出ぬ内に、壁のようなものに触れて消えた。

 

『随分と執心な様子ぞ』

 

 その様子を見た天の神が、嘲笑うように言った。

 海の神はふんと一笑。揶揄されて尚、誇るように胸を張った。

 

『貴様も主は大切だろう? あれへ手出しは無用。私と貴様、あくまでもこの争いに必要なのはそれだけだ』

 

 そしてそう言った。

 天の神は七色の羽を羽ばたかせる。そして嘴を大きく開いて、空を仰ぐように頭を振った。

 

『くはは。愉快也。主同士の戦において、我が手出す必要等あろうか』

 

 天の神は笑う。

 しかし、と、首を横に振って、改まった。

 

『否、我の火の粉等、主を害するにさえ、値せず』

 

 それはつまり、あの火の粉を払わねばならない程の人間ならば、この神の主には遠く及ぶことはない……という、挑発だった。

 その挑発をふんと一笑に伏し、海の神は気にする様子も無い。

 

『ならば焼いてみろ。私の主を消し炭に変える時は、私が貴様に滅された時だ!』

 

 そして、再度真白のブレスを放った。

 

 

 さて、どうしたものか……。

 

 桃色の髪を靡かせ、アキラはふうと息を吐く。

 少女が相対するは、鋭い牙を持ち、雷雲を背負っているような姿の雷の化身。

 黄色い体躯をぶるりと震わせて唸り声を上げる様は、これ見よがしな威圧感を放っている。

 

 展開しているのは三匹のポケモン。

 無表情を貫き、羽ばたきさえなく浮遊しているトゲキッス。

 格闘ポケモンがやるような構えをして、丸い双眸を僅かに吊り上げているプクリン。

 そして、肩で息をするように、立っているだけで苦痛の表情を浮かべるクチート。

 

 多勢に無勢とは些か不名誉だが、相手は神の使いとさえ言えるポケモン。

 それに、アキラの手持ちでエースと呼べるウィルが、先のメガ進化の弊害で既に満身創痍……多少の無礼は見逃して貰いたいものだ。

 

 アキラは目を凝らし、向かい立つライコウの体躯を観察する。

 あれがどういうポケモンかは伝記で読んだぐらいしか知らない……が、強靭な四本足に加えて、伝記で横に並び立つ他の二体と比べてどこか華奢っぽさが窺えた。つまり、速さを警戒せねばならない。

 加えて、『ライコウ』の名の通り、電気タイプだった筈だ。

 飛行タイプを持つトゲキッスがそれを食らえば、一撃で墜ちることも危惧しておかなければならない。

 幸いトゲキッスは物理技より、特殊技の方が得意だ。彼には後方支援をさせるべきだろう。

 ならば接近戦は……と、考えるが、先の戦闘で消耗しているウィルにそれを求めるのは酷だ。相性的には良くも悪くも無いが、装甲が厚い訳ではない。今の状態であれ程の猛者から攻撃されて、無事にやり過ごせる筈は無いだろう。彼女の取り得である高速戦闘も、あのポケモンが見た目通りの速さを発揮した場合、消耗している状態では対処しきれない筈……。

 

 良し。

 アキラは一つ頷いた。

 

「プクリン。肉壁をなさい」

「プクッ!? プックー!」

 

 端的且つ、些か酷い指示が下された。

 が、それを受けたプクリンは、アキラを一度振り返ってくると、『本当!? 良いの!?』とでも言わんばかりに、目を輝かせる。最早そこに先程身構えていた時の凛々しさは皆無。一瞬の内に涎まで垂らしていた。

 その様は、どう見てもマゾヒストのそれ。

 

「ほら、突っ込みなさい?」

 

 そして、アキラはにやりと笑って、そう言った。

 すると、プクリンは唐突に猛ダッシュを開始する。

 主の投げやりな指示に対し、策があるのかと疑う様子さえなく――むしろ策があろうとなかろうと構わない様子で――、捨て身の勢いで突っ込んだ。

 

 そして激突……は、当然ながらしない。

 身を翻したライコウは軽々とプクリンの捨て身タックルを回避し、彼女へ反撃の一〇万ボルトをお見舞いした。

 

「プキュゥゥゥゥウウウウウ!!」

 

 悲鳴なのか、嬌声なのか、判断しかねる絶叫が響いた。

 

 金色の電撃を浴びて骨まで透けているプクリンを、茫然と見詰めるウィルとトゲキッス。

 二匹の表情は、どこか遠いものを見ているようだった。冷めた視線で、何も語らずに成り行きを見守った。

 プクリンの攻撃に対するライコウの対処を参考に……等と、高尚な要素は何一つ無い。二匹はただただ彼女の性癖を、自分達はああはなるまいとして、見続けているようだった。

 

 が、何もそれはアキラまでそうである筈がない。

 彼女はにやりと笑うと、「今よ!」と、指を差して指示を出した。

 

「金縛りなさい!」

 

 同時に、黒煙を上げてふらふらと千鳥足をするプクリンが、再度目を開く。

 その眼光は、彼女から距離をおいて、泉の淵に佇むライコウを確かに捉えた。

 

 瞬間、ライコウはハッとした様子で見目を開く。

 懐疑的に自分の体躯を一瞥し、一瞬ばかり忘却させられた技を、思い出そうとしているようだった。

 

「ウィル!」

 

 アキラはクチートを呼びつけ、彼女に岩壁の一角を指差して、殴らせる。

 少しばかり疑問を抱いたような様子を見せる彼女だったが、指示を遂行。が、辺りの壁は強固。傷一つ入った様子さえ無い。

 

 アキラは良しと頷いた。

 

 視界の先で認める海と天の神の応酬。

 その激しさからも感じたことだが、どうやらこの空間はかなり頑丈に整えられている。……ならば、やる事は決まった。

 

「トゲちゃん! プクリン! ハイパーボイス!!」

 

 そして叫ぶ。

 次いで、彼女は耳飾りを顕にして、ウィルへ視線を送った。

 

――宜しいですわね?

 

 そんな風に視線で問い掛けると、こちらを認めたウィルはにやりと微笑む。

 当然だ。

 まるでそう言うかのように、アキラの指示さえ無く、胸に掛けた紫色の宝石が煌いた。

 

 そこで、トゲキッスとプクリンの絶叫。

 それは強固な岩壁と不可視の壁で囲われたこの空間……アキラの聴覚さえもを破壊せん勢いで響き渡る。

 と同時に、ウィルの小さな体躯は光に包まれた。

 

「グァァオオオオ!!」

 

 一瞬ばかりの光。

 それが殻を割れば、中からはメガクチートの姿。

 しかし、その表情にはいつもの彼女が持っている飄々とした雰囲気は皆無。

 双眸をこれ以上無く大きく見開き、口角と二本の角から真白の涎を吐き出している。その手足はガクガクと震え、絶叫するなり彼女は、前へ倒れこんだ。

 アキラは彼女に駆け寄る。

 その脇を支え、苦痛を顕にする相棒の姿に、悲痛な表情を浮かべた。

 

「……ごめんなさい。ウィル。でも、貴女が死ぬ時は、わたしの死ぬ時よ」

「グォァァアアアアア!」

 

 高らかな咆哮。

 アキラの静かな激励に、その目はしかと開き直される。

 真っ赤に染まった瞳を覆う白い目は、赤く充血。まるで眼球そのものが深紅に染まったような様だった。

 しかし、その瞳は確かにアキラを見返してくる。

 

 そして、一度、浅く頷いた。

 

 それで十分。

 それだけで十分過ぎた。

 

 アキラは再度ライコウへ視線を向ける。

 如何な二匹がかりのハイパーボイスとて、それだけであの化身を倒すには及ばない。

 光を反射する壁を展開して、凌ぎきった様子だった。

 

 それを認め、プクリンを一瞥。

 未だ身体から黒煙が上がっているが、表情は愉悦そのもの。

 流石はマゾヒスト過ぎて、姉が手に負えないと言っていたポケモンだ。体力と気力だけは尋常じゃない。

 

 おあつらえ向きだ。

 アキラはウィルの肩を担ぎながら、余った手で指示を飛ばした。

 

「プクリン! 冷凍ビームを天井に撃ちなさい!」

 

 プクリンは即座に反応する。

 大変に変態的な性癖を持っていようと、指示には従順。すぐに天井へ向けて青白い光線を放った。

 

 その時、ライコウが轟と唸る。

 バチバチと身体から放電し、一〇万ボルトではない電気技を撃とうとしていた。

 

 ハッとしたアキラは返す手でトゲキッスを指差す。

 

「トゲちゃん! 凍ったところに大文字! 急いで!!」

 

 即座に呼応するトゲキッス。

 今、正に氷塊と化した天井に、真っ赤な炎を吐き出した。

 

 凍り付いた矢先に、溶かされる氷塊。

 溶けるなり、じゅうと音を立てて、真白の煙になる。

 

「プクリン! もう一発受けて! 飛び跳ねる!!」

 

 非情な指示に、しかし返って来る鳴き声は狂喜乱舞と言わんばかり。

 どんと来いと言わんばかりに、彼女はアキラが指を差した先……真白の煙へと、突っ込んだ。

 

 そこで、ライコウの雷が炸裂する。

 心臓にダイレクトに衝撃を与えてくるような爆音と共に、その雷は最も高い位置にいるプクリンへと吸い寄せられた。しかし、そこにはたった今作られたばかりの水蒸気。

 

「トゲちゃん! 追い風!!」

 

 そこへ、トゲキッスが羽を強く羽ばたかせる。

 まるで水蒸気をライコウへ向けて押し付けるように。

 

 いや、言わずとも分かる。トゲキッスは決死の形相になって羽ばたいていた。

 その追い風はこれから起こる事を予期して、アキラ自身の保身でもあった。何が起こるかを察して尚、プクリン一匹に被害を負わせるのは酷だが……彼女なら耐えられる。その確信は同じ時を何年も過ごしてきた者だからこそ、持てるものだ。

 

 そして、轟音と共に、凄まじい衝撃が一同を襲った。

 ライコウの雷が水蒸気に引火し、プクリンを中心として大爆発を引き起こした。

 

「ウィル! ステルスロック!!」

 

 追い風を割って吹き付けてくる熱風。

 如何に対抗策を実行していたとて、完全に遮断しきれる衝撃ではなかった。しかし、確かに軽減はされている。爆風はプクリンと共に、ライコウを向かいの壁へ叩き付ける。それを見送った矢先に視界を遮った黒煙とて、アキラを巻き込むことは無かった。

 

 無論、それだけでアキラが無事に済む筈が無い。

 続く指示を出す最中、アキラの正面には黒煙に巻き込まれるトゲキッスの姿。彼は、寡黙ながらも主を一途に想うポケモンだった。言わずと、彼女を庇ってくれたのだ。

 

 そして、即座に動けるポケモンが居なくなった。

 そんな絶対的な好機。

 アキラの手持ちで唯一無二な絶対的決定力を誇るメガクチートが動くとすれば、今――。

 

「グォァアアアア!!」

 

 今一度高らかな咆哮。

 アキラから離れ、ずいと前へ出ると、顎に変形した角が口腔を開く。それが前方を薙ぐように一振りされれば、そこら中から鉱物がぶつかるような音を聞く。

 

 が、そこでウィルが片膝を付いた。

 

「ウィル……」

 

 虚ろな表情。傍目にも明らかに、力が抜けていく姿。

 ふとすればそのまま意識を無くしそうな程、見るも明らかに意識が朦朧としているようだった。

 

 アキラは表情を強張らせる。

 

 僅かに目を細めつつも、一歩踏み出してスッと息を吸い込んだ。

 

「臆すなっ! 挫けるなっ! 今一度活目なさいっ! 貴女は、わたしの――」

 

 叱咤激励を受け、その体躯が動く。

 膝が上がり、くわっと開かれた双眸がアキラを真っ直ぐ見返してきた。

 

 

「相棒でしょうっ!?」

「グォォォオオオオ!!」

 

 

 そして、絶叫。

 瞬間、その姿はかき消えるかのように動いた。

 

 黒煙を薙ぎ払い、風を切って進む。

 その体躯は先程までの苦痛を忘れたかのように俊敏且つ、淀み無い。

 やがて正面にライコウを捉える。

 

 その気高い顔へ向け、鋼鉄の顎を振り下ろす。

 が、それは当たらない。あまりに速い回避だった。

 しかし、直後に短い悲鳴が上がる。

 ウィルがその声へ視線をずらせば、すぐ近くでライコウが膝を折っていた。そのしなやかな前足に、黒煙に紛れて飛ばされていたステルスロックが突き刺さっている。その俊足は、完全に潰れていた。

 

「ぶちかましなさい!!」

 

 そして、最後の指示。

 轟と唸るような声を上げ、ウィルは頭を振るう。

 

 咄嗟にライコウが放電をしようとするが――その目が驚愕に揺れる。

 そう、一〇万ボルトは金縛りによって、封じられている!

 

 黒煙を巻き上げながら、その額へ打ち下ろされる鋼鉄の顎。

 それは確かな決まり手。

 食らったライコウの後ろ足が跳ね上がる程、容赦無き一撃。

 

 

「グォァァアアアア!!」

 

 

 雷の化身を地に沈め、ウィルは今一度咆哮を上げた。

 

 そして、不可視の壁が崩れる。


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