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頭上で瞬く緋色が、一度、二度、と脈を打つ。
すると、朧気だった感覚が、蘇ってくるかのよう。
目の前の色彩が一転し、天へ伸ばした自分の手を確かに認めた。
そこで、確かに見る。
緋色を割って、こちらへ伸ばされている幼子の手。
それはとても大きく、私の身の丈を遥かに超えるような……霊的な何かだった。
不意に気がついた。
――ああ、長い夢を見ていたんだ。
だけど、その夢は確かに現実。
それを受け止められなかった私が、勝手に夢と決め付けた現実。
私はゆっくりと手を伸ばす。
――でも、その夢も、もう……終わり。
随分と遠く、随分と高く見える幼子の手。
手を伸ばしたぐらいじゃ決して届きそうになかったけれど、私の手はやがて……その手に触れた。
『忘れないで、ママ』
そして、確かに聞く。
愛しい愛しい声を。
求め続けたその声を。
「忘れる訳無いじゃない。ククリ」
私はそう零して、微笑んだ。
いつの間にか小さくなったその手を確かに掴み、引き寄せる。
思いのままに、形さえ不確かな我が子を……抱き締めた。
すると、空の緋色が光る。
一度、二度、大きく脈を打てば、ぱんと音を立てて爆ぜた。
そして――夢が覚めた。
「ありがと、お母さん。もう、いいよ」
全てを理解して、私は微笑んだ。
ゆっくりと目を開けば、今まで眠っていたというのに、視界は鮮明。
かつてこれ程、寝覚めが良かった時があるだろうか……そんな事を思いながら、わたしはこちらを振り向いてくる懐かしい母親の姿を、視界の正面に認めた。
大粒の涙を流し、ぐしゃぐしゃに顔を歪ませている母親の姿。
その相貌は私が覚えているよりはずっと若く、私ではない私がよく見知った姿。
この世界の、お母さん。
どうして彼女が泣いているかも、分かる。
その辛そうな表情。言葉に詰まるような仕草。
その全てが、私の身を案じてのこと。
今しがた触れた手を介して、全て教えて貰った。
私が何をしてきたか。
何をさせられてきたか。
何を、すべきなのか。
私はゆっくりと唇を開いた。
「沢山、悪い事をした私を……こんなにも想ってくれて、ありがとう」
手を伸ばす。
その手がお母さんの頬に触れれば、血で真っ赤に染まった細い腕でその手を掴まれる。
血を流しすぎた手は、温度こそ感じない。だけど、凄惨な見た目とは裏腹に、とても力強く……まるでありったけの想いを伝えてくるかのように、しっかりと握られた。
首は横に。
何度も何度も振られる。
「あんたは、悪くない。何も悪くないじゃん!」
そして、そう言った。
私は思わず、苦笑して返す。
「……もう、聞き分け悪いなぁ……そういうとこ、私ってお母さんの子供なんだと思えるよ」
ゆっくりと零す。
自然と私の視界も滲み、目尻から一つ、二つと、雫が溢れた。
こんなにも愛情をくれる。
そんな母親に恵まれたことは誇り。
そして、形はどうあれ、それを継いだ私自身も、誇りだ。
やった事は決して許されざる行為。
自分でも万死に値すると思う。
だけど、その理念はやはり、間違ってはいなかった。
ただただ、方法を間違えた。
お父さんも、きっと……そうだ。
『……ママ、時間がないよ』
『サクラ、そろそろ……』
そして、ククリと私の実の母がそう言った。
こくりと頷き、お母さんが握ってくる手を、優しく解く。
力強く感じたその手は、あまりに弱々しく……簡単に剥がれた。
ゆっくりと身体を起こす。
すると、いよいよその時だと悟ったらしい。
痛む身体を引き摺りながら、お母さんが縋りついてきた。
「待って、待ちなさいよ!」
その華奢な身体を見下ろし、私は胸が締め付けられるような痛みを覚える。
だけど……分かっている。
この優しさは、私に与えられるべきじゃないんだ。
でも、でも――。
今一度腰を降ろして、ゆっくりとお母さんの肩を抱き締める。
「色々迷惑掛けて……ほんと、取り返しのつかないことまでさせてしまって……ごめんなさい」
その小さな身体を、震える身体を、優しく抱き続ける。
仄かに香る懐かしいお母さんの匂いを嗅いで、上気した温かみを確かに感じて、どこか遠い昔を思い起こす。
とすれば、不意にお母さんの服のポケットに、黄色いポケモンのキーホルダーを認めた。
「こんな私だけど……」
零しながら、そのキーホルダーを勝手に取り上げる。
それが何を意味するかは、きっとこっちのサクラと私、同じなんだろう。
いつだったか。
遠い昔のように思える。
旅先で駄々をこねた私が、どうしてもとせがんで観に行った映画。
サクラはどうか知れないけれど、私にとっては、トレーナーを目指す切っ掛けだったとさえ思っている。
その、主人公の相棒。
強く、気高い、小さな電気ネズミ。
レオンのキーホルダー。
私はそれを、お母さんの手に、確かに握らせた。
そして万感の思いを込めて、微笑んだ。
「こっちのサクラの幸せを、願ってる。ずっと、ずっと――」
そして、立ち上がる。
後ろを振り向けば、見知ったお母さんの姿と、まだ見ぬ幼子の姿。
その二人に挟まれて、セレビィは退屈しているように、欠伸をしていた。
『行こう……あんたのポケモン達も、迎えに行かなきゃ』
と、お母さんが零す。
私はうんと頷いて返した。
『あとは……あの子も迎えに行かなきゃ』
幼子が零す。
その声色は切なげで、出来ればやりたくないと言わんばかりだった。
やはり私は、うんと頷いて返す。
不意に、服の端が掴まれた。
「サクラ、サクラぁ……っ」
後ろで聞こえる声に、熱い吐息をふうと一つ吐く。
ほんと、泣き虫なんだから……。
そう思いながら、わたしは声を漏らす。
「皆に、ごめんなさいって伝えておいて……」
振り向きはしない。
もう、振り向く必要は無い。
「大好きだよ。お母さん。沢山ごめんなさいと……ありがとう」
一歩、前へ踏み出した。
服を掴む手が離れ、絶叫するような悲鳴が上がった。
頃合を見計らったように、ずっと待ってくれていたセレビィが、ひらりと舞って、こちらに寄って来る。
その小さな体躯を胸に受け入れた。
あの時は死なせてしまった命。
やはり今でも、命の鼓動は感じない。
時は止まったまま。
動かない。
だけど確かに感じた。
懐かしい匂い。
沢山の人達の声。
ああ、みんな……。
ここに居たんだね。
ウツギ博士。
助手さん。
シルバーさん。
メイちゃん。
お父さん。
お母さん。
ホウオウ。
ルーシー。
ロロ。
リンディー。
ラヴィ。
サキ。
ククリ。
――ただいま。