天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

202 / 231
I`m not having any of that.

 シロガネ山の頂上に、鈴の音が響く。

 それは透き通るような音色。

 状況も纏まらないまま、コトネの意識はそれに吸い寄せられるようだった。

 

 確かな聞き覚えを感じ、振り返る。

 

 すると不意に認められたのは、最後の指示を出して、その場に崩れ落ちるメイの姿。

 膝が笑ったかと思えば、彼女は安らかな笑みを浮かべ、瞼を閉じる。

 最後の気力が尽きたと言わんばかりに、何の受身も取らずに倒れこんだ。

 振り上げられていた手が、最後の軌跡を描くように……地面を打った。

 

「メイちゃ――」

 

 衝動のまま、コトネは叫ぶようにして彼女の名を呼ぶ。

 しかし、苦痛によってその声を詰まらせれば、今しがた自分の気を引いた『危機感』をすぐに思い起こす。

 

 そして改めて認めれば、コトネの背筋を冷や汗が伝った。

 

 先程までメイが立っていたそこに、緑色の光が一つ。

 まるで煌くエメラルドが如く。

 はたまた大樹の葉によって染められた木漏れ日の如く。

 その色は強く、淡く、交互に変化する。

 そして同じくとして、鼓動を打つように、肥大と萎縮も繰り返していた。

 

 中心に、灰色の影を認める。

 

 それは……その、ポケモンは……。

 

 瞬間、コトネは理解した。

 遥か遠く感じる記憶で、それと酷似した景色を見たのを彷彿するのに、一瞬さえ有り余る程の時間だった。

 

――セレ、ビィ……。

 

 そう、あれは間違いない。

 

 光は時渡りのそれ。

 その中から姿を現す小さな影は、過去の自分に癒えぬトラウマを植えつけたあの時と、寸分の違いさえ無い。

 

 まるで胎児のように身を丸め、光の中から誕生するとでも言いたげな姿。

 その体躯の影が確かになっていくにつれ、光は集束。

 やがて……弾けた。

 

 中から現れたのは、やはりコトネの記憶にいる幻のポケモンだった。

 

 弾かれたように身体を伸ばせば、果実のような形をした頭部が揺れる。

 両手両足を伸ばすような動作をすれば、そのポケモンは小さく一鳴き。

 

「レビィ」

「――っ!」

 

 コトネは目を見開く。

 ドクンドクンと高鳴る鼓動が、脳を埋め尽くすかのようだった。

 声なんて、出せる筈も無い。

 

 痛みさえ、最早忘れてしまえた。

 呼吸が詰まり、全身の肌が粟立つ。

 先程まで感じていたものとはまるで質の違う緊張感を抱いた。

 

 いや、違う。

 それは、確かな恐怖感。

 

 また過去に飛ばされるのか。

 また時空の裏を見せられるのか。

 

 今度は帰ってこられないのではないか。

 

 そんな思案が脳裏を過ぎる。

 

 

 しかし――。

 

『ぷはぁ……あー、苦しかった』

 

 そんな声が、セレビィの傍らから聞こえてきた。

 それはどこか不透明に聞こえたが、確かに少女の声だった。いや、少女と言うにしても、もっと若い。幼子のような声だった。

 

 コトネが認めれば、そこには先程の光には遠く及ばない程、小さく、淡い光。

 真白に煌き、実に弱々しい光を放っていた。

 

『……もうダメかと思ったよ。メイさんに憑いてて良かったぁー』

 

 そしてその光はそんなことを言った。

 訳が分からない。

 おまけに意味も分からない。

 何だ、この状況は――と、コトネが思っていれば、不意に変な感覚を覚えた。

 

 自分の視界の端に、何かが映っている。

 それを視線だけで確認した。

 

 すると、そこには……。

 

『まあ、その子はサクラの親友だからね』

「う、うわぁ!?」

 

 コトネは今度こそ声を上げて驚いた。

 

 自分の傍らに立つ、自分……と、思える光。

 目で見た限りでは、セレビィの傍らにある光と何ら変わりないもの。

 しかし、認めた瞬間に、脳が『これは私だ』と、何故か理解した。

 先入観という名前の色をつけて、それは確かにコトネのような何かだった。

 

 そして、それはコトネへ改まってくる……ような気がした。

 

『よ。流石私。信じてたぞぉー』

「は……はぁ!?」

 

 気の抜けるような言葉。

 思わずコトネは顔を歪ませて、問い掛けにならない言葉で問い返す。

 

 すると光は、してやったり顔を浮かべたような気がした。

 

『アレだよアレ……私亡霊』

『違います。パラレルワールドの存在です』

 

 目の前の光がふざけた調子で零せば、すかさず先程の幼子の声が否定する。

 ハッとすれば、その幼子の光が近付いて来ていた。いつの間にかコトネの傍ら、もう一つの光とは反対側に位置取りをしている。

 その光を改めても、脳はそれを誰かとは理解しない。

 知らない存在なのだと、そう思った。

 

『あー……説明する暇無いから、端的に言うわね?』

 

 コトネのような光がそうごちる。

 コトネは訳も分からず目を瞬かせた。

 

 ちょっと待って、理解出来ない。

 そう言いたくはあったが、あまりの超常現象を前に、口角は引きつったまま。力が入らなかった。

 

 するとその光はくすりと笑ったような声を漏らす。

 

『まあ、あんた達がホウオウを何とかしてくれたお蔭で……やっと、連れて行けるのよ』

 

 その声は、まるで漸くその時が来たと言わんばかりに、達成感に満ちているようだった。

 と言うか、コトネがそういう時にするような抑揚をしていた。

 

 開いたままの口で、「……あ」と、漏らすと、漸くコトネは言葉を吐き出した。

 

「連れて……行ける?」

 

 すると、光は頷いたようだった。

 言葉でも『ええ』と肯定。

 

『万全な状態のホウオウに接触すると……またセレビィの時渡りが起こりそうだったから……ね』

 

 溜め息混じりにその光は言った。

 

 瞬間、コトネの中で繋がるものがあった。

 

 

――そこで私達は……終わったんだ。

 

 

 何時だったか思い起こした可笑しな記憶。

 いや、あれは……自分が意思を取り戻した時だ。

 その時、身に覚えの無い記憶を思い起こして、自分でも訳が分からなくなった。

 

 そう、そうだった。

 

 不意に思い起こせば、コトネは目を見開いて、目の前の自分に向かって唇を開いた。

 そして自分でも一句ずつ確かめるように、言葉を吐き出していく。

 

「……つまり、私の中に、あんたは……いた?」

『うん。そう。セレビィの中でこっちのサクラと会った時に、サクラを経由する形で、ね? 違和感あったっしょ? ほら……鈴の塔で、ホウオウに洗脳されてたのに、一瞬ばかり意識取り戻したじゃない?』

 

 光は捲くし立てるようにそう問い掛けて来た。

 が、その覚えは無い……。

 いや、言われてみれば何となくそんな気はするが、確かではなかった。

 

『覚えてないよ……。ホウオウの洗脳は強力だもん』

 

 もう一つの光が溜め息混じりな様子で、コトネの状態を代弁する。

 不意にその光へ改まれば、コトネは小首を傾げた。

 

「……あんたは?」

『ん……()()()は……秘密です』

 

 ふふ、と笑うように、その光は言った。

 しかしそれは決して嫌味たらしくは無く、話せないんだと言うかのようだった。

 

『まあ、そんな訳だから……サクラ、返して? 連れて帰ってしばき倒すから』

「……えっと」

 

 コトネは言葉に迷う。

 信用して良いものか……というか、これだけの騒ぎを起こした張本人を「はい。そうですか」と引き渡して良いものなのかと迷う。もしもそうした場合、シルバーあたりに凄く怒られそうな気がする。いや、間違いなく怒られる……。

 

『あ、因みに渡してくんないと、因果律がどうのとかって、この世界にマイナスなことしか起こらないからね?』

 

 自分が得意げな声色でそう零す。

 ここに来て漸く心が落ち着きを取り戻してきたらしい。

 コトネは溜め息を吐いて、首を横に振った。

 

「……ごめん、意味が分からんわ」

『大丈夫。私も分かってない』

 

 おい……。

 思わず突っ込みそうになる。

 

 が、そこでくすりと笑うのは、もう一つの光。

 

『まあ、コガネでの()()がほぼ正解ってことです。だけどその修復は少し面倒で……簡単に言うと、私達の世界の因子がこの世界にあると不味いんです。私達の世界ではもう既に時間という次元が失われていて、唯一その概念を持つセレビィの中にいるあたしとこの人……あとはスイクンぐらいしか、生きていない……放っておくとこの世界もそうなっちゃいます』

 

 改めて貰っても、良く分からない話だった。

 しかし、とりあえずコトネの腕の中に居るサクラが、このままここに居るのは不味いらしい。それは分かる。

 

 が……もう一つ、理解しなくても良いことを理解した。

 

「じゃあ、サクラを……殺すの?」

 

 コトネは端的に聞いた。

 

『…………』

『…………』

 

 すると、沈黙。

 それはまるで、コトネの質問を肯定するかのようだった。

 

 思わず、唇が震えた。

 

「待って……」

 

 またも、息が詰まる。

 喉が震えて、身体の中心にじんとした熱を覚えた。

 

「待ってよ……」

 

 コトネは零す。

 納得がいかないと、そう主張した。

 

「待ちなさいよ……」

 

 耳が熱い。

 頬が熱い。

 胸が熱い。

 

「そんなの、そんなの……」

 

 ふと気がつけば、視界が揺れた。

 

 

 子供を亡くしたサクラ。

 この世界のサクラに全てを託そうとしたサクラ。

 だけど、それさえ許されなかった。

 

 この子は、ただただ不幸だっただけじゃないか。

 この子は、何も悪くなかったじゃないか。

 

 漸く、漸く――サクラに戻れたのに。

 

 

「そんなの、酷すぎるじゃない!!」

 

 コトネは涙を散らす勢いで、悲鳴のような叫び声を上げた。

 一度堰を切った涙は留まることを知らず、身体を燃やすように熱く滾らせる。

 その衝動を思いのまま、放つ。

 

「何でよ。何でそんな酷いことが言えるのよ。あんた、私なんでしょ!? 確かに私だってこの子を殺してやろうとさえ思った……けど、あんたがこの子の母親なんでしょ!?」

 

 ただ、叫ぶ。

 サクラを強く胸に抱き締める。

 不意に身体中の激痛を思い起こして、脳が焼ききれそうな感覚を覚えながらも、抱き締める。

 

 この子は渡さない。

 そう主張するように、身を丸めて、コトネは声を張り上げた。

 

「可哀想だと思わないの!? 何とかしてやろうと思わないの!? 助けてやろうと、努力しなさいよ。私なら!!」

 

 分かっている。

 分かってはいる。

 

 目の前の自分ともう一つの光は、悪意の欠片さえ持っていない。

 それをするのは、コトネ達の為なのだ……先程の話は、そういう事なんだ。

 

 けど、だけど……納得出来なかった。

 納得出来る筈が無かった。

 

「ねえ、何とか言いなさいよ。私!!」

 

 だから、ただ叫んだ。

 

 すると……。

 

 

「ありがと、お母さん。もう、いいよ」

 

 

 胸に抱き締めた娘が、声を上げた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。