天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

200 / 231
Keep looking forward.

 白銀の頂点で、天を統べる神が女性を抱く。

 まるで慈しむように、守るように。

 七色の羽を広げ、彼女を奉るように。

 

 かの神は崩れ落ちた頂点の一角に佇み、双眸を閉じて、気高く鳴いた。

 それは歌声のように、鐘の音のように、ジョウトの大地へ響く。

 

 神は告げた。

 

 時代の終わりを――。

 

 

 コトネが頂上に戻ったのは、正にその時。

 聖なる炎が解けてすぐのことだった。

 力を失い、意思を失い、緋色の光に包まれ、宙をたゆたうように浮いているククリ……いや、サクラを認め、彼女は雄叫ぶように叫んだ。

 

「サクラァ!」

 

 跨っていたスイクンから、飛び降りるようにして、いつの間にか溶けてしまった頂上の地へ転がり落ちる。

 屑石だらけの岩肌に身体を打ち、しかし彼女はすぐに立ち上がった。

 

「サクラを離せ。この野郎!」

 

 そして叫ぶ。

 便乗するように、後ろで気高く咆哮を上げるスイクン。

 主の指示無きまま、彼は高圧の水砲を放った。

 

 その瞬間、神の眼が開く。

 

『笑止。貴様等の時代は終わりを告げた』

 

 刹那、不可視の壁が展開される。

 ホウオウを、サクラを目前にして、スイクンのハイドロポンプはじゅうと音を立てて蒸発した。

 

『今、我が、終わりを告げた!』

 

 荘厳たる出で立ち。

 ホウオウは羽をぶわりと一薙ぎする。

 

「んな事知るか! 勝手に告げてろバカポケモン!」

 

 対するコトネは不遜にも、恐れ知らずに言い放った。

 

「大体あんたはいっつもそうだ! ヒビキヒビキヒビキ。バカの一つ覚えも大概になさいよ!」

 

 そしてそう叫ぶ。

 それはこの場にそぐわない程、世俗染みた説教だったが、いっそ清々しいとさえ言える。

 

 コトネはダンと足を地面に打つと、胸を張って言った。

 

「もうあんたの主は死んでる。サクラも改心したっぽい。だからあんたをぶっ倒せば、それで仕舞いよ」

 

 スッと手を上げて、ホウオウを指差す。

 だから――と、コトネは挑発的に笑った。

 

「覚悟は良いわね?」

 

 我ながらバカだ。

 コトネはそれを自覚している。

 シルバーに言われて、ぐうの音さえ出ない程に、覚えがある。

 

 だが、バトルにおいて、ヒビキに劣るつもりはない。

 結果こそ敗北ばかりだが、それでもコトネは幼い頃、ヒビキの先輩だった。

 だから、今こそその意地を見せる時だ。

 

 彼の指示を元にして動くホウオウ。

 彼が亡き今、それを打倒出来なくて、何が幼馴染か。何がライバルか。何が妻か。

 

 全てを気概に変え、コトネは今一度腕を振りなおした。

 

「スイクン。ハイドロポンプッ!」

 

 湖の化身は指示に従順。

 何のチャージ動作さえなく、口腔から水砲を放った。

 

『笑止ッ!』

 

 が、やはり通らない。

 不可視の壁がそれを阻んだ。

 

 返し刃と言わんばかりに、かの神が口腔を開く。

 

――不味い!

 

「スイクン、かわせ!」

 

 そう叫びながら、コトネは脇に転がる。

 視界の端でスイクンが転身する様を認めた。

 

 先程までスイクンが居た場所を過ぎ去っていく極太の火炎。

 確かに回避は完遂し、身体のどこを焼かれたわけでもないのに、コトネの肌がじりと粟立つ。

 何という高温。

 一瞬の内に大気をも焼き尽くしたのか、呼吸さえ詰まる。

 再度距離をおいて、漸くふうと息をつけた。

 

 改まったコトネの指示無く、スイクンが反撃。

 今度は極彩色に煌く光線を放った……が、やはり不可視の壁に阻まれる。

 明後日の方向へ反射された。

 

 それはヒビキが彼を使役していた時には使っていなかった技……いや、技として認知されているものなのかさえ、定かではない。おそらくホウオウの高い神通力が為す、超常的な何かだろう。

 現にサクラは、水を瞬時に蒸発させる熱の内側に守られているというのに、身を焼かれている様子は無い。

 先程の炎の熱量を鑑みれば、まるで嘘のようだ。

 

「くそったれ」

 

 何なの、あれ……と、考えたところで、不意にコトネは思い出す。

 

――先ず、この装置には先程言った通り検知と遮断の力がある。遮断の有効範囲は二五メートルと中々広めに取れた為に、バトルの上でもP波抑制が役に立つだろう。

 

 それはつい最近の事なのに、随分と色褪せたような光景。悠々と語る男の姿は、疲労感を顕にしていたのに、実に達成感に満ちていた。

 

 カンザキが用意した『最高のお膳立て』。

 ハッとして赤いシャツの袖を捲くれば、右手には僅かに振動していた対P波装置。振動があまりに微弱な為に、意識の外にあったものだが……改めて思い起こせば、ホウオウのあれは正しく、これが抑制する神通力ではないか?

 

 これの有効範囲は二五メートル程だったか。

 

 瞬時に距離を測る。

 目算で丁度二五メートルあるか、ないか。

 

 確かにこのままでは発動しているのかどうか分からない。

 いや、カンザキの言葉を信用するなら、発動していればあの緋色の壁は無くなる筈。

 

 今こそ、これを活かす時じゃないか?

 

 しかし、これ以上接近してあの炎が吐かれたら……いや、そんなことは忘れてしまえ。

 この装置が信に値するか? 値しなければこの場にいないだろ!

 

 恐れるな!

 突っ込め!!

 

 コトネはきつく歯噛みをして、息を吐く。

 キッとホウオウを睨んで、腹の底に力を籠める。

 

 恐怖心を完全に殺して、地面を蹴った。

 

「スイクン! もう一発ぶちかましなさい!!」

 

 ホウオウへ向けて駆け出す。

 肩越しに振り向いた先で、スイクンがコトネの挙動に驚いたような表情をしていたが、やはり従順。彼はすぐ様口腔を開いた。

 

『無駄だ。脆弱なる獣が我に抗うか!』

 

 ホウオウが気高く鳴く。

 先程より強固に防御を固めているのか、不可視だった壁が、緋色の光を放った。

 

 距離にして、二〇メートル。

 

 対P波装置が先程より強く振動した。

 そして、丁度良いタイミングを計ったように、コトネの傍らを追い越していく水砲。

 

 それが壁に触れて――ガシャン。

 まるでガラスが砕け散るような音を立てて、緋色の壁が割れた。

 

『なっ!?』

 

 その間を突き進む水砲。

 ホウオウは驚愕の表情を浮かべたまま、天敵である水タイプ最高峰の技を、その身体に受け止めた。

 

 飛び散る飛沫。

 耳をつんざくような悲鳴。

 それらが一瞬のうちに過ぎ去れば、走り続けたコトネの前で、サクラが宙に投げ出された。

 

「サクラ!!」

 

 両手を前に広げ、彼女を見上げながら、コトネは駆ける。

 その身体を地面に落とせば、死んでしまうような気がして、必死に足を急かした。

 

 緋色の光が帯状に。

 まるで糸を引くかのようにして、宙を舞うサクラの軌道を描く。

 その放物線の行く先に、滑り込んだ。

 

 皮を引き裂く小石の粒。

 肉が断たれるような激痛。

 お構いなしに突っ込んだコトネの腕が、膝が、ずたずたに裂かれた。

 

 だが――それがどうした!

 

 痛みに堪えながら、コトネは腕の上に落ちてきた身体をしかと受け止めた。

 

『此の……人間風情がァ!!』

 

 と、その実感を抱く暇も無い。

 苦痛からハッとして改まれば、視界の端で神が猛々しい咆哮を上げている。

 

 ぶわりと羽ばたいて、それで生まれた勢いを使って、滑空。

 爆発的なエネルギーを後方に放ちながら、その身体は緋色に染まる。

 

 次の瞬間には理解した。

 

――ブレイブバード。

 

 飛行タイプのポケモンが使う、最大級の物理技。

 捨て身になって突っ込むそれを、人の身で食らえば、どうなるか……考えるまでもなかった。

 

「クォォォオオン」

 

 気高い咆哮を上げて、スイクンが割って入って来る。

 その様は、まるでコマ送りにでもするかのように、とてもゆっくりと映った。

 

 一瞬の世界で入ってくるその身体は、横っ腹を見せていて、顔だけをコトネに見せている。

 あろうことかコトネを庇うことしか考えていない。

 明らかに攻撃を受け止める体勢ではなかった。

 

 あれは……あんな体勢で食らったら、如何なスイクンとて……。

 

 一瞬ばかりの世界だと言うのに、コトネは冷や汗が背を伝うのを確かに感じた。

 その双眸と視線が合えば、やけに不透明な声が聞こえた気がした。

 

――諦めるな、コトネ。

 

 そして……衝撃。 

 

「スイク――」

 

 まるで埃でも巻き上げるかのように、スイクンの身体が宙を舞う。

 衝突の一瞬さえ、コトネの目にはまるで現実味を帯びずに映った。

 

 そして、その体躯は、大地を捉えることはなかった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。