白銀の頂点で、天を統べる神が女性を抱く。
まるで慈しむように、守るように。
七色の羽を広げ、彼女を奉るように。
かの神は崩れ落ちた頂点の一角に佇み、双眸を閉じて、気高く鳴いた。
それは歌声のように、鐘の音のように、ジョウトの大地へ響く。
神は告げた。
時代の終わりを――。
コトネが頂上に戻ったのは、正にその時。
聖なる炎が解けてすぐのことだった。
力を失い、意思を失い、緋色の光に包まれ、宙をたゆたうように浮いているククリ……いや、サクラを認め、彼女は雄叫ぶように叫んだ。
「サクラァ!」
跨っていたスイクンから、飛び降りるようにして、いつの間にか溶けてしまった頂上の地へ転がり落ちる。
屑石だらけの岩肌に身体を打ち、しかし彼女はすぐに立ち上がった。
「サクラを離せ。この野郎!」
そして叫ぶ。
便乗するように、後ろで気高く咆哮を上げるスイクン。
主の指示無きまま、彼は高圧の水砲を放った。
その瞬間、神の眼が開く。
『笑止。貴様等の時代は終わりを告げた』
刹那、不可視の壁が展開される。
ホウオウを、サクラを目前にして、スイクンのハイドロポンプはじゅうと音を立てて蒸発した。
『今、我が、終わりを告げた!』
荘厳たる出で立ち。
ホウオウは羽をぶわりと一薙ぎする。
「んな事知るか! 勝手に告げてろバカポケモン!」
対するコトネは不遜にも、恐れ知らずに言い放った。
「大体あんたはいっつもそうだ! ヒビキヒビキヒビキ。バカの一つ覚えも大概になさいよ!」
そしてそう叫ぶ。
それはこの場にそぐわない程、世俗染みた説教だったが、いっそ清々しいとさえ言える。
コトネはダンと足を地面に打つと、胸を張って言った。
「もうあんたの主は死んでる。サクラも改心したっぽい。だからあんたをぶっ倒せば、それで仕舞いよ」
スッと手を上げて、ホウオウを指差す。
だから――と、コトネは挑発的に笑った。
「覚悟は良いわね?」
我ながらバカだ。
コトネはそれを自覚している。
シルバーに言われて、ぐうの音さえ出ない程に、覚えがある。
だが、バトルにおいて、ヒビキに劣るつもりはない。
結果こそ敗北ばかりだが、それでもコトネは幼い頃、ヒビキの先輩だった。
だから、今こそその意地を見せる時だ。
彼の指示を元にして動くホウオウ。
彼が亡き今、それを打倒出来なくて、何が幼馴染か。何がライバルか。何が妻か。
全てを気概に変え、コトネは今一度腕を振りなおした。
「スイクン。ハイドロポンプッ!」
湖の化身は指示に従順。
何のチャージ動作さえなく、口腔から水砲を放った。
『笑止ッ!』
が、やはり通らない。
不可視の壁がそれを阻んだ。
返し刃と言わんばかりに、かの神が口腔を開く。
――不味い!
「スイクン、かわせ!」
そう叫びながら、コトネは脇に転がる。
視界の端でスイクンが転身する様を認めた。
先程までスイクンが居た場所を過ぎ去っていく極太の火炎。
確かに回避は完遂し、身体のどこを焼かれたわけでもないのに、コトネの肌がじりと粟立つ。
何という高温。
一瞬の内に大気をも焼き尽くしたのか、呼吸さえ詰まる。
再度距離をおいて、漸くふうと息をつけた。
改まったコトネの指示無く、スイクンが反撃。
今度は極彩色に煌く光線を放った……が、やはり不可視の壁に阻まれる。
明後日の方向へ反射された。
それはヒビキが彼を使役していた時には使っていなかった技……いや、技として認知されているものなのかさえ、定かではない。おそらくホウオウの高い神通力が為す、超常的な何かだろう。
現にサクラは、水を瞬時に蒸発させる熱の内側に守られているというのに、身を焼かれている様子は無い。
先程の炎の熱量を鑑みれば、まるで嘘のようだ。
「くそったれ」
何なの、あれ……と、考えたところで、不意にコトネは思い出す。
――先ず、この装置には先程言った通り検知と遮断の力がある。遮断の有効範囲は二五メートルと中々広めに取れた為に、バトルの上でもP波抑制が役に立つだろう。
それはつい最近の事なのに、随分と色褪せたような光景。悠々と語る男の姿は、疲労感を顕にしていたのに、実に達成感に満ちていた。
カンザキが用意した『最高のお膳立て』。
ハッとして赤いシャツの袖を捲くれば、右手には僅かに振動していた対P波装置。振動があまりに微弱な為に、意識の外にあったものだが……改めて思い起こせば、ホウオウのあれは正しく、これが抑制する神通力ではないか?
これの有効範囲は二五メートル程だったか。
瞬時に距離を測る。
目算で丁度二五メートルあるか、ないか。
確かにこのままでは発動しているのかどうか分からない。
いや、カンザキの言葉を信用するなら、発動していればあの緋色の壁は無くなる筈。
今こそ、これを活かす時じゃないか?
しかし、これ以上接近してあの炎が吐かれたら……いや、そんなことは忘れてしまえ。
この装置が信に値するか? 値しなければこの場にいないだろ!
恐れるな!
突っ込め!!
コトネはきつく歯噛みをして、息を吐く。
キッとホウオウを睨んで、腹の底に力を籠める。
恐怖心を完全に殺して、地面を蹴った。
「スイクン! もう一発ぶちかましなさい!!」
ホウオウへ向けて駆け出す。
肩越しに振り向いた先で、スイクンがコトネの挙動に驚いたような表情をしていたが、やはり従順。彼はすぐ様口腔を開いた。
『無駄だ。脆弱なる獣が我に抗うか!』
ホウオウが気高く鳴く。
先程より強固に防御を固めているのか、不可視だった壁が、緋色の光を放った。
距離にして、二〇メートル。
対P波装置が先程より強く振動した。
そして、丁度良いタイミングを計ったように、コトネの傍らを追い越していく水砲。
それが壁に触れて――ガシャン。
まるでガラスが砕け散るような音を立てて、緋色の壁が割れた。
『なっ!?』
その間を突き進む水砲。
ホウオウは驚愕の表情を浮かべたまま、天敵である水タイプ最高峰の技を、その身体に受け止めた。
飛び散る飛沫。
耳をつんざくような悲鳴。
それらが一瞬のうちに過ぎ去れば、走り続けたコトネの前で、サクラが宙に投げ出された。
「サクラ!!」
両手を前に広げ、彼女を見上げながら、コトネは駆ける。
その身体を地面に落とせば、死んでしまうような気がして、必死に足を急かした。
緋色の光が帯状に。
まるで糸を引くかのようにして、宙を舞うサクラの軌道を描く。
その放物線の行く先に、滑り込んだ。
皮を引き裂く小石の粒。
肉が断たれるような激痛。
お構いなしに突っ込んだコトネの腕が、膝が、ずたずたに裂かれた。
だが――それがどうした!
痛みに堪えながら、コトネは腕の上に落ちてきた身体をしかと受け止めた。
『此の……人間風情がァ!!』
と、その実感を抱く暇も無い。
苦痛からハッとして改まれば、視界の端で神が猛々しい咆哮を上げている。
ぶわりと羽ばたいて、それで生まれた勢いを使って、滑空。
爆発的なエネルギーを後方に放ちながら、その身体は緋色に染まる。
次の瞬間には理解した。
――ブレイブバード。
飛行タイプのポケモンが使う、最大級の物理技。
捨て身になって突っ込むそれを、人の身で食らえば、どうなるか……考えるまでもなかった。
「クォォォオオン」
気高い咆哮を上げて、スイクンが割って入って来る。
その様は、まるでコマ送りにでもするかのように、とてもゆっくりと映った。
一瞬の世界で入ってくるその身体は、横っ腹を見せていて、顔だけをコトネに見せている。
あろうことかコトネを庇うことしか考えていない。
明らかに攻撃を受け止める体勢ではなかった。
あれは……あんな体勢で食らったら、如何なスイクンとて……。
一瞬ばかりの世界だと言うのに、コトネは冷や汗が背を伝うのを確かに感じた。
その双眸と視線が合えば、やけに不透明な声が聞こえた気がした。
――諦めるな、コトネ。
そして……衝撃。
「スイク――」
まるで埃でも巻き上げるかのように、スイクンの身体が宙を舞う。
衝突の一瞬さえ、コトネの目にはまるで現実味を帯びずに映った。
そして、その体躯は、大地を捉えることはなかった。