天を渡るは海の音   作:ちゃちゃ2580

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【第一部・少女の涙】
サクラ


 のどかなのどかな村、ワカバタウン。

 

 英雄の旅からは二五年もの時が流れて、この村にはポケモンセンターが出来ていた。とは言っても、既に建造されてからは一〇年以上が経ち、今では三年前に完成したフレンドリィショップの方が目新しく映る。

 トレーナーズショップ自体が最近の都市部ではポケモンセンター内部に造られる事が多いのだが、ワカバタウンにはポケモンセンターを建て直す程の財力は無い。故にフレンドリィショップとして新設したらしいが、数えられる程の利用者しかいないので、ポケモン協会の支援がある為倒産こそしないものの、閑古鳥が……もとい、オニスズメが鳴くというものだ。

 

 そんなワカバタウンに春が訪れた。

 

 ゴールドとクリスタルのポケモンリーグ制覇を祝って植えられた『サクラの樹』が芽吹き、色付く季節。

 その樹の隣にある二階建ての民家で、少女は暮らしていた。

 

 

『ポルッポー。ポルッポー』

 

 幼いポッポの鳴き声で、少女の朝は始まる。

 

「んー……」

 

 しかし彼女は、布団の中で身を(よじ)り、まだ起きたくないんだと、重たい瞼を固く閉ざす。イヤと表すように、鮮やかな色の唇は横に一線を引いていた。

 正しく不快だ。

 そう言うかのように、幼い顔は苦痛を堪えるように歪む。

 

『ポルッポー。ポルッポー』

 

 それでもポッポの鳴き声は静まらない。

 例え口に出してイヤと言っても、聞いてはくれないだろう。それはポケモンが人語を簡単には理解しないからではない。ポッポの鳴き声は置き時計に録音されたものだからだ。スイッチを押すまで鳴き続ける。もとい、鳴り続ける。

 

 それでも少女は強情だった。カーテンの端から射し込む朝日にも負けず、ポッポの鳴き声にも負けず、瞼を閉じて、再びの微睡(まどろ)みに身を委ねようと必死である。

 

『ポルッポー。ポルッポー』

「……すー」

 

 そしてついには寝息をたて始めた。

 

 と、そこへ。

 

「チィッ!」

 

 白い影が飛来した。

 短い鳴き声と、鋭い一打。

 

 少女のおでこに向かって、スパーンと音が鳴りそうな勢いで、もふもふとした何かが振り下ろされた。

 

「いったぁーい!!」

 

 少女は飛び起きた。

 

 栗色の髪の毛の下、青い双眸(そうぼう)をそれはぱちぱちと瞬かせ、「え? ぇえ?」と呂律の回っていない口調で辺りを確認する。

 

『ポルッポー。ポルッポー』

「チィ! チィーノ!!」

 

 ポッポの置時計が置かれた棚の手前。少女の枕元で、白い毛を逆立てたポケモンが怒りを(あらわ)にしていた。短い前足で時計を指して、(うるさ)いんだよ! という一目に明らかな主張をしている。

 

「あ、ごめんね。レオン。おはよう」

 

 肩までの髪の毛を揺らしながら改まって、少女は朗らかな顔付きでそう言った。先程までの寝覚めの悪さはどこへやら。のほほんとした柔らかな笑顔だった。

 

 対するレオンと呼ばれたポケモンは、如何にもご立腹なご様子。白いふさふさとした尾を首に巻き直し、つぶらなせいでそうは見えないが、ジトーという言葉が似合いそうな目付きで少女を(にら)んでくる。

 

「ごめん、ごめん。煩かったねぇ」

 

 しかし彼女は大して気にしていないようだ。

 時計のアラームを止めてから、小柄なポケモン『チラチーノ』をゆっくりと胸に抱きかかえて、にっこり。

 

 軽い抱擁(ほうよう)は、朝の挨拶。

 

「チィーノ。チィチィ」

 

 先程までの鋭い鳴き声とは一転し、レオンという名のチラチーノは柔らかく返してきた。少女の肩を軽く尻尾で二度叩き、『もういいよ』とでも言いたげに少女の腕からもがいて抜け出す。

 

 そして鳴き声と共に、置時計を指差した。

 

 少女は視線を促されて、置時計を見た。

 時刻は八時を過ぎたところ。

 

「わ、急がなきゃ!」

 

 少女はハッとしてベッドから飛び出た。

 クローゼットに向かっては洋服を取りだし、それを手に抱いたまま部屋をも飛び出す。彼女の後ろを溜め息混じりなレオンが着いていき、開けっぱなしになっている扉を尻尾で軽く叩いて閉めた。

 

「いそげいそげー」

 

 少女はそう言いながら自宅の階段を駆け降りる。二階から一階へ降り立てば、もうそこはリビング。テーブルに備えられた椅子へ洋服を置き、台所へ向かった。洗い物(かご)から二つの浅い容器を出し、そこへポケモンフードを同じ量だけ入れる。

 

「レオン。ルーちゃん起こしてくれる?」

 

 それを持ってリビングに戻り、机の上に並べる。

 少女の言葉にレオンは二つ返事で頷いて、部屋の片隅にある鉢植えへ向かった。

 

「チィッ。チィーノ」

 

 先程少女を起こした時よりは穏やかに、しかし鋭い鳴き声を出しながら鉢植えを叩く。

 

「ルー……?」

 

 するとその鉢植えの上に生えているように見えた花が、もぞもぞと動き出す。レオンはその姿を確認すると、もう一声鋭く鳴いた。

 

「ルッ!?」

 

 ビクリとして、その花はパッチリと目を開く。頭に王冠のように花を咲かせた草タイプのポケモン、『ドレディア』。名前はルーシーと名付けられ、愛称は先程少女が言った『ルーちゃん』。

 

 チラチーノがオスであるのに対し、ドレディアはメス。この家の女性は人もポケモンも寝坊助なようで、ルーシーはもそもそと鉢植えから降り、大きな欠伸(あくび)をした。

 

「ルー……」

「チィノ、チィチィーノ」

 

 柔らかく挨拶を交わす二匹。

 どうやら『おはよう』『おはよう寝坊助さん』とでも言っていそうだ。

 

 眠たげなルーシーを、彼女の半分に満たない身長のレオンが、手となる葉を引いて椅子まで誘う。

 その頃には少女のパンと、二匹のポケモンフードが、テーブルの上に並んでおり、彼女の着替えも済んでいた。

 

 一番低い椅子へ少女。一番高い椅子へレオン。丁度間をとったような高さの椅子へルーシー。と、座り、少女とルーシーの間で朝の挨拶を交わしてから、合掌。

 食事を始める。

 急げと言う割りには、食事の時間はちゃんとあるらしい。

 

「ルーちゃん、今日も眠たそうだね」

「ルー……」

 

 ルーシーの寝坊助は何も今に始まった事ではないらしい。おっとりと言うか、のほほんと言うか、随分と穏やかな性格をしているようだ。

 対してレオンは気性が激しいようで、朝っぱらから快活な元気の良さがある。正しくルーシーとは対称的で、強気な性格をしているようだった。

 因みに主人である少女は、間違いなくルーシー寄りの性格をしているだろう。

 

 さて、少女とこの二匹のポケモンが、この家の住人である。二匹のポケモン達は、少女がその昔、イッシュへ行った際にゲットしたポケモンであり、その付き合いと言えばもう三、四年にもなる。故に気心知れた仲であり、家族として名に恥じぬ絆もあった。

 

 そんな一人と二匹の家庭で、レオンは一番のしっかり者と言えよう。

 食べ終わるや否や、少女とルーシーを急かすような声を上げてから、テーブルに置かれたモンスターボールのボタンを押して、自らボールの中へ飛び込んだ。

 

「ルー!」

 

 そんな彼に続いて、ルーシーもポケモンフードを口に詰めると、自らボタンを押してボールへ飛び込む。

 

「あ、二人とも急がせてごめんね。もうすぐ出るから、もうちょっと待ってね」

 

 少女はそう言ってパンを食べきり、食卓を離れてソファーへと向かう。その上に置かれたリュックサックを取り上げると、中身も確認せずに背負った。そしてソファーの隣にある棚へ向かうと、立てられていたフォトスタンドを両手で持ち上げる。

 

 そのフォトスタンドには、キャップ帽を被った青年と、髪の毛を二本のおさげにくくった白いキャスケット帽の女性、そして間に挟まれた幼い栗色の髪をした少女が映る。

 

 認めて、少女はにっこりと微笑んだ。

 

「お父さん。お母さん。行ってきます」

 

 二人の英雄の娘――サクラは、フォトスタンドを直し、机の上のモンスターボールを取ると、家を飛び出して行った。

 

 

 フォトスタンドの前で、僅かに水色を宿す鈴は、彼女の背を見守るばかり。


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